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おとなりさんの診療所  作者: 蒼空チョコ
第一章 開かずの風穴と母の愛
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必要悪の雪女

 甲府盆地と富士山の間にある御坂山地を抜け、富士五湖があるエリアまで出てくれば富岳風穴や鳴沢氷穴もすぐそこです。


 もっとも、目指すは観光地ではありません。

 風穴は大昔の火山活動で作られただけあって、規模を問わなければこの地域に散在しているのです。


 案内で着いた先もその一つ。

 小規模なので米や味噌などの貯蔵庫として民間利用されている風穴でした。


 つららさんは座席に寄りかかって指差します。


「あっ、ここですねぇ。ここ! 山側へ入っていけばすぐですぅ」


 齢数百歳のはずが、つららさんは初めて観光に来る女の子のように指差します。


 示されたのは畑が広がる扇状地ですね。

 山へ続く道からは籠を背負った七十代ほどの女性が歩いてきました。


 きっと農作業の帰りでしょう。

 狭い道なので徐行運転ですれ違います。


 見るからに地元民しか往来しない道ですし、私たちに向けられるのはよそ者への奇異の視線です。

 けれどもどういったことか、近づくにつれて視線が軟化してきました。


 はて。

 これはどういったことでしょう?


 不思議に思っていたところ、後部座席の窓が開きました。


「こんにちはぁ。畑仕事の帰りですか?」

「ああ、やっぱりつらら様か。大根を取りに行った帰りだよ。そっちはまたじいさんの見舞いにでも来てくれたのかい?」


 つららさんが声をかけると女性の表情は和らぎます。

 お互いの信頼しきった笑顔を見るに、親戚と同等の深い仲が伺えました。


 この受け答えからするに例の教授、藤原巳之吉さんの母親なのでしょう。


「いいえー。今回は風穴を開けるために助っ人を連れてきましたぁ」


 つららさんからの紹介に、私と斑さんは会釈で応じます。

 おばあさんは丁寧に頭を下げて返してくれた後、急に表情を曇らせました。


「ありゃあ、大丈夫かい? 米や味噌もそろそろなくなるから補充してぇなと思っていたけんど、風穴にゃ化け物がいるんじゃないかって噂だよ。ほら、この先の松なんて傷だらけで倒されてなぁ。この前なんてテレビまで来なさったよ」


 おばあさんは恐ろしげに語ります。


 『開かずの風穴』の犯人を知らない人からすれば部外者のあやかしが起こした事件とは思えないでしょう。

 心配するのも無理はありません。


 さらにおばあさんはふと思い出したように話題を加えてきます。


「そういやぁ番組を見た巳之吉までやってきたけんど、じいさんの見舞いもせんと風穴に行きよってなぁ。あいつの考えはもうわからんよ」

「こっちに来たんですね!? わかりましたぁ。それなら私からも言っておきます。ではおばあちゃん、今日は先を急がせてもらいますね」


 その巳之吉さんは大学教授として長らく研究にかかりっきり。

 実家には帰っておらず、倒れたおじいさんの見舞いにもいっていなかったのでつららさんはイエティの研究資料を人質にして会わせようとしたそうでした。


 しかしそれが資料紛失として大々的に報じられてしまったので、彼女としても巳之吉さんとは会うに会えない状況だったに違いありません。

 これはこじれた関係を面と向かって直す千載一遇のチャンスのようです。


 会話を切り上げた彼女は私の座席に飛びついてきました。


「お待たせしました。それからすみません、風穴に急いでもらってもいいですか?」

「すれ違うのは嫌ですもんね。わかりました。件の松は後で確認しましょう」


 私はギアをドライブに入れ直し、取り急ぎ出発します。

 そんな中でもつららさんはおばあさんの姿が見えなくなるまで手を振り、別れを惜しんでいました。


 現代人はあやかしがいるとさえ思っていないものです。

 これほど絆が残っている例なんてほとんどないでしょう。


「あの女性とは長い付き合いなんですか?」

「はいー。でも、古くから関係があるのは旦那さん側の血縁ですぅ。雪女にはありがちな話ですよ。お二人は小泉八雲の雪女の話はご存知ですか?」


 問いかけに私と斑さんは揃って頷きます。


「もちろんです」

「小泉八雲は耳なし芳一や雪女、ろくろ首……民間伝承を基にした短編集の作者として有名だからね。まほろばへ移住したあやかしでも知っていることが多いよ」


 私たちにとってはかなり常識に近しいお話です。

 それを確かめたつららさんは静かに語り始めました。


「あれは飢饉があった江戸後期でしたね。冬の食糧難に耐えかね、猟に出た老人と子供がいたんです。しかし二人は吹雪に見舞われて帰れなくなりました。手持ち食料は乏しく、吹雪が止むまでもたないのは明らかだったんです。小夜ちゃん。そういう時、人ならどうしますか?」

「もしそれが私とおばあちゃんだったら必死に耐えますね。どちらかを犠牲にするなんて、ずっと後悔すると思います」


 茹でガエルの法則とも言ったでしょうか。

 大切な人との天秤であれば、悪い結果が待っているとわかっていても判断を先送りにしてしまうものです。


 つららさんはさもありなんと頷きました。


「そうなりますよねえ。でも、二人で死ぬか一人だけは生き残れるかという二択だけではありません。そうして食料調達に出る二人は一家の生命線ですから」

「あ……。言われてみればそうですよね」

「どちらかが生き延びなければ、家族まで死にます。だから私は老人を殺し、未来ある子供を生かしました。人間の存続にはそういう必要悪が求められて、形となったのが雪女です。だからこそ、畏れられるのは当然でした」


 飢えたことがない私は言われて初めて背景を気付かされました。


 あやかしとは単に人の遊び心や勘違いから生まれたばかりではありません。

 こうして求められて生まれた種も確かにいるのです。


「ですがたまにいるんですよねぇ、そんな化け物でも理解してくれる人。あのときに助けた彼は数年後、ばったり出会った時も私と向き合ってくれまして。そして、何度か会っているうちに……」


 話は一転。つららさんは紅潮した顔を手で隠します。


 後のストーリーは聞くまでもないでしょう。

 雪女が人と子をなす話は多いです。


 単に縁がある家系どころか、血縁があるというお話でした。

 色恋沙汰になるになれない私としてはこの予想外に深い関係性に、こっちこそ顔を隠したくなります。


 今はこのハンドルが恨めしいですね。


「そういうわけで子々孫々までつい見守ってしまいました。とはいえ、おばあちゃんの下の世代――巳之吉さんは都会に住んでいますし、子供の頃に会ったきりで顔を合わせることもないのでこの縁も今代限りでしょうねぇ」


 人とあやかしが密接だった時代は遠い過去のもの。

 こうして土着の縁が消えると共に姿を消すあやかしも少なくないと聞きます。


 遠い思い出を語るつららさんの姿にも哀愁が伺えました。

 彼女がご家族の関係修復に肩入れしようとした気持ちも察せられます。


「つららさんにとっては大事なご家族なんですね。……わかりました! せめて状況を複雑にしている風穴の問題は解決しましょう」

「そう言ってもらえると助かりますぅ」


 頼まれたのはイエティの保護のみですが、できることもあるかもしれません。

 にこりと返される笑みに陰りが生まれる結果は避けたいところです。


 そうこうしているうちに松の倒木を通り過ぎると、一本の山道と車が見えてきました。

 どうやらすれ違いは回避できたようです。


「着きましたぁ。その道を登ればすぐです」


 先客の車に続けて路傍に駐車します。


 道路から見る限りでは城の史跡ですね。

 山の斜面を囲うように石垣が並んでおり、立派過ぎる基礎だけが残っているのかと思えました。


 イエティがいるのは確かなのでしょう。


 足元に守護霊のセンリが現れ、身を寄せてきました。

 不審な何かを感じ取り、守ろうとしてくれているようです。


「中央辺りだね。小夜ちゃんは後ろについてきて」

「はい。頼りにしています」


 斑さんも同じものを感じ取ったようです。

 あやかし同士は大なり小なり妖気というべきものを察知できると以前耳にしました。


 カバンの護身具には手を伸ばしつつ、ここはお言葉に甘えさせてもらいます。


「お二人とも。その前に一つだけいいですかー?」


 声で振り向いてみると、つららさんは少し眉を寄せて呼びかけてきます。


「なんでしょうか?」

「この先のことで、ちょっと。巳之吉さんとは上手くやれないかもしれませんが、それでも私に一任してもらえると嬉しいなぁと言いたくて」

「確かに外野は口出ししにくいお話ですけど……何か理由もあるんですか?」

「巳之吉さんは私を怖がっているんです。良かれと思ってしたことも裏目に出るばかり。だから今回、研究資料を返す代わりにおじいさんのお見舞いに行ってもらえたらそれでいいんです」


 それでいい、とはどういう意味なのでしょうか。

 先程までの会話からすれば寂しい結末に対する覚悟にも聞こえます。


 そもそもつららさんはイエティの保護だけを依頼して、身内の話は自分たちでどうにかすると言っていました。

 それを思えば深い考えと事情が察せられます。


「……わかりました。けれどイエティの保護を中心に、できることだけは協力させてもらいますね?」

「小夜ちゃん、ありがとうございますぅ」


 つららさんはこの返答でほっと息を吐いていました。

 下手に気遣うのも感情に任せて首を突っ込むのも、彼女は望まないでしょう。


 斑さんも同じ気持ちなのか私と目が合うと頷いてくれます。

 なんだか、野球の投手と捕手みたいなやりとりですね。


 ともあれ、ひとまず状況を見てからでも遅くはありません。

 私たちは改めて歩みを再開し、崩れた石垣のみとなった風穴を過ぎていきます。

 その先に、屋根と戸を備えたものが見えました。


 おばあさんとの話の通り、そこには先客がいます。


 そう。

 四十代くらいと若めなことが意外だった教授――ニュースで見た藤原巳之吉さんです。


 彼は凍りついた風穴の戸を怪訝そうに見つめているところでした。


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