体重増加してまでしたかったこと?
とあるカウンセラーさんの「○○してまでしたかったこと」を考える・・・というお題のバリエーションとして、自分のコンプレックス「体重増加」を○○に入れて考えてみました。
正解はないんだと思います。自分なりに、なにかしら考えて思いつくことが、心のエクササイズなのかな。
「体重増加してまでしたかったこと」?
変な言い回しでしょう?
とある心理カウンセラーさんが
お題として語ったことの自分なりのバリエーション。
やや太り気味の私にとっては
それ以上の「体重増加」はいやなこと、
ネガティブなこと。
・・・めちゃくちゃ元がやせている人は
「体重増加」が喜ばしいことだけどね。
なのに、自分がわざと、例えば「体重増加」したかのような
へんな、微妙な言い回し。
このカウンセラーさんの言い回しに慣れるまでは、
え、私、同情してもらうために、それも、わざと「体重増加」してるつもりはないけどな。
むしろ、「体重増加」って、人から「だらしない」って、見下されないかな・・・?
そんなこと、自分が自分にわざとしたいのかな?
って、疑問感じるのよね。
私にとって体重増加は結構不本意な事象。
そんなわざわざ自虐的なほうへ自分を突っ込ませる趣味はないと思いたい。
たまたま不運なことがあってそこから何かしら学んだり、
ネガティブな事象をきっかけによい人間関係に出会ったり、
人生如何様にも解釈できるし
転んでもただでは起きない
ポジティブに活用する考え方は
わるくないと思う。
しかし、
転んでもただでは起きない・・・を期待して、
わざわざ転ぶのはちょっとおかしいと思うのね。
それはいわゆる
わるいほうの(危険なほうの)
「神を試す」行為かもしれないのね。
体重増加の話に戻ろう。
若いころに20代前半に
けっこう体重が増えて困ったことがある。
今はその頃の体重がかわいいレベルで体重増加しているし
その影響で健康も膝もちょっと心配になっている。
20代前半に体重が増加して困ったときに
割と気合で間食をゼロに近づけたり
夜のカロリーを落としたり
ジャズダンスやフィットネス的なことも楽しめて
まあまあなんとかなる感じはあったわけ。
それがやっぱり中年も後半に差し掛かると
代謝が落ちるってこういうことかって
減らないの
とにかく
無理をしても減らないし
無理が続かないの。
若いころに
なんであの中高年の人たちは
体重コントロールできないんだろうって
無意識だけどけっこう上から目線で
気合とか根性とかがないのかな
やりたいことがないのかな
なんて
心の中で勝手に決めつけてたけど
そのセリフが
そっくりそのまま
自分に返ってくるのよね。
リアルには口にせずに
心の中にとどめていたことが
幸いかな。
リアルには人を傷つけずに済んだからね。
「体重増加してまでしたかったこと」?
人を傷つけない考え方を学ぶためだったのかな?
この歳になってくると
若い人が
善意でも悪意でも
そういうアドバイス的なことを言ったり
励ましたり
見下したりして来ても
まあ、そう見えるよねえ
年をとっても
もうちょっとちゃんとしている人も
多いものねえ
って
ほけー・・・と、感じるだけで
ムカついた!!プンプン!
と
怒りのエネルギーをダイエットや筋トレにぶっこむ元気も
そうそう即席には出てこないのね。
「体重増加してまでしたかったこと」?
こじつけめいているけど、
若い人に何か言われても動じない、
鈍感力を身につけたかったってこと?マイペース力?
そ
あわてないあわてない
ゆっくり行こう・・・って
えっちらおっちら
自分を許せる?
若いころよりさらに
ええ加減になってきた?
細かいことがどうでもよくなってきた?
そんな境地が欲しかったのかな?
よくわかんないけど
気持ちはいくつになっても
女の子ですから
本当は
かっこよく
スリムに
なりたいのよ!!
わっはっは!
じっくりいこうかな
理屈っぽくなっちゃったかな?若いころのようにはいかないけれど、スリムでかっこよい女の子…の心を大切に、しかし、年齢相応に焦らずにじっくり、いこうかな。