五月雨の魔女
わかりにくい表現を修正しました
私はかつて呪いをかけた。
私は当時まだ若く、甘ったれていたのだ。
逆恨みではない。
相手が全面的に悪い。
それは確かだ。
それでも、怒りに任せて呪いを学び実行したのは悪手であった。
理不尽なことは大小様々その後もあった。その度に呪っていたらキリがない。
最初の奴より酷い奴もいた。
私は、2番目の奴からは呪わなかった。
1人を呪った所で、その後の人生が上手くいくとは限らないからだ。
私を淋しい荒野の廃れた塔に閉じ込めたのは、もう何番目かわからない奴だ。そいつのことも、呪っていない。呪ったと決めつけられただけだ。
あまりに昔のことだから、そいつが男か女かも忘れてしまった。
私はかつて、一度だけ呪いをかけた。
それが全てだ。
その後は何かあれば、私の呪いだとされてきた。
そして、冤罪で捕まった。
現在は鳥も通わぬ荒野の塔で、それなりに快適な暮らしをしている。誰だかも覚えてない奴に閉じ込められた頑丈な塔は、長い年月を経ても崩れなかった。魔法で多少のメンテナンスはしているのだが、それもたいして必要がなかった。幽閉場所であるが、私には魔法があるので出入り自由だ。
呪いをやめた時から、私は他の魔法を熱心に学んだ。
私には、天賦の才があったのだ。
別に捕まっても構わなかった。
どこに閉じ込められても気にしない。
だが、斬首をせずに閉じ込めたのは奴の悪手であった。
温情ではない。陰湿な極刑だ。
じわじわ飢えと孤独で狂い死にをすると期待したのだ。
まあ、斬首も毒も、今の私には関係ないんだが。当時は、首を切られたら普通に死んだ。もっとも、逃げる事は出来たかも知れない。その気が起きない可能性の方が高かったが。
「メリッサおはよー!今日も可愛いね!」
「ありがとう。これちょうだい」
「はいよ!一個おまけだ」
「悪いわね」
「なに、いいさ。毎度!」
最近お気に入りの市場で買い物をする。淋しい塔から遥か遠く離れた町の賑やかな市場だ。
陽気なパン屋さんは、いつもおまけしてくれる。見ていると、ある程度のお得意さんには、必ずおまけつきだ。
おまけはだいたい試作品。
つまりはモニターである。
「メリッサ!お昼いこう」
「あはは、まだ朝よ」
「だから今約束しとくんじゃないか」
「またにしとくわ」
花屋の息子は、私が通りかかるとすぐに声をかけてくる。いろんな子に声をかけているが、タイプはバラバラ。実際に女の子を連れているのは見たことがない。
彼なりのコミュニケーションなのだろう。
「おはようございます」
「ミーちゃんおはよう。いってらっしゃい」
「行ってきます」
ミーちゃんは、10歳の女の子だ。以前、ボールを追いかけて馬車に轢かれそうになったところを、魔法で助けたのだ。
ミーちゃんは、魔法を覚えたいと言った。しかし、残念ながら才能がまるでなかった。
賑やかな市場を抜けて住宅街を歩けば、通勤通学の人々とすれ違う。時折、知った顔と挨拶を交わしながら、狭い石畳の路を通る。
折れ曲がった急な傾斜の階段には、古びた鉄の手摺りがついている。なんでもない町の階段なのだが、ちょっと洒落た飾りがついた細く黒い手摺りだ。
階段を降りて、裏町の擦り切れた敷石を鳴らす。そのまま郊外へと下り坂を進む。だんだん人影もまばらになる。この辺りの住人は、早起き遅起き半々なのだろう。
町はいつしか草原となり、田舎道は隣町へと続く。
しかし私は道を逸れ、あまり人の訪れない森へと向かう。かつて栄えた都のあった森向こうの荒野には、今や魔物と呼ばれるよく分からない存在が蔓延っている。
そんな所へ行く気はないが、私は鬱蒼とした森の中に入る。この森は、森向こうがまだ都だった頃からある。当時から既に仄暗く広い森だった。
都に住まう人々は、森のこちらに村があるなど知ろうともしなかった。森との間にある村にも余り興味を示さない程であった。
都人は、森のあちら側の入り口で、食べられる草や実を摘み、兎や鹿を狩って満足していたのだ。
その頃私は、まだほんの駆け出しの若い魔女で、名前も無かった。この森の川辺に群生するレモンバームをよく採集に出かけていた。
顔馴染みの都人や村人達に、いつしかわたしはメリッサと渾名をつけられた。
都ではその薬草をメリッサと呼ぶからだ。私が採集に訪れる川辺は、彼等にメリッサ・バンクと言われていた。私がそこに通うより前から、ずっとそう呼ばれているのだと、狩人のリーアムが教えてくれた。
釣りや休憩に訪れる人も多く、私とたわいのないおしゃべりをする事もあった。
リーアムもそんな1人だ。無口で少し怖い顔立ちだが、話してみると親切で思慮深い青年だった。
濃い茶色のゴワゴワした巻き毛で、もじゃもじゃの眉をしていた。手にも濃い毛が生えている。
茂みで獲物を狙うのに邪魔だとかで、髪は刈り込み髭も伸ばしていなかった。しかし髭は、朝剃っても夕方にはまたもじゃもじゃしてくるのだそうだ。
「そんなにメリッサばかり摘んでどうするの?」
ある日、田舎風の大きな麦藁帽子を被った青年が、人懐こく話しかけて来た。都と森の間には、小さな農村がある。そこでよく見かける帽子だ。
帽子から溢れる金髪は、サラサラと木漏れ日の中で泳ぎ、人好きのする眼差しは、青空を映す空色だ。
「聞いてどうするんですか?」
素朴なズボンに粗末な麻のシャツを被って、手作りの釣り竿を担いだ青年は、風体に似合わない隙のなさ。怪しいことこの上ない。
「ちょっと気になっただけだよう」
青年は少し気を悪くして、作り笑いで誤魔化す。
「では、気にしないでください」
私は、青年よりもずっと気を悪くして、スタスタと森の奥へと去った。青年は釣りを始めて、もう私には見向きもしなかった。
そんなことがあって数年後。森の奥にある簡素な小屋に、無遠慮な兵士たちがなだれ込んできた。取り方の兵士に下っ端の魔法使い。ずいぶんとまあ、お粗末な一団である。
「魔女メリッサ!お世継ぎ王子の婚約者毒殺の罪で斬首刑とする!」
巻物を縦にビシッと広げて、罪状を宣告するのも、粗悪な鎧の兵士だ。立派な衣装のお知らせ係ではない。
「そんなことしてませんよ」
呆れた私の抗議など聞かず、両脇から腕を強くさえられ、荒縄でぐるぐる巻かれる。
「痛いです」
兵士と魔法使いは無言で私を引っ立てる。何が何だかわからない。森を引きずられ、背中を蹴られながら農村を過ぎる。町の門を潜り、白亜の城へ向かう。
煤けた裏門から城内に入る。小さいが頑丈そうな扉を開けて、狭い石作りの通路を辿る。このあたりは白亜ではない。
複雑に交わる通路を歩き、小突かれながら地下牢へと至る。縛られたまま、どんと押されてジメジメした牢屋の中へ突き飛ばされる。
何の説明もないまま、痩せた牢番によって鍵がかけられた。兵士と魔法使いと牢番は、地下牢の出入り口へと去ってしまう。
魔法で城内を探る。見事な藤の庭園があった。白や薄桃色や紫色に揺れる花房の陰で、あの金髪の釣り人が、美しい少女と優雅にお茶を喫していた。
「犯人が捕まってようございましたわね」
「ああ。魔女など生かしておいて碌なことはない」
「これでご安心ですわね」
「うむ、そなたには心配をかけたな」
妖しく微笑み合いながら、2人はティーカップに口をつけた。あいつがお世継ぎか。一緒にいるのは愛妾だろう。毒殺の真相は解らないし、興味もない。
私を捕まえて殺そうとした奴はわかった。もう城に用はない。
当時の私は使える魔法も少なく、魔法の威力も弱かった。事情を知るためには、相手の近くまで行かなければならなかったのである。
私はさっさと透明になり、壁抜けをして脱出した。
「ただいまー」
森の奥にある質素な小屋に、私は半日程かけて帰ってきた。朝食後にリーアムが狩に出かけてから捕縛されたので、丸一日ぶりの我が家である。
小屋の中はしんと冷たく静まっている。
嫌な予感がした。
「リーアム?」
少し前から共に暮らしている、何もかもがぴったりと合う伴侶の名を呼ぶ。
小屋の入り口には、兎が3羽と山鳥が1羽、無造作に投げ出されていた。リーアムらしくない。
戸口の脇にある筈の弓が無い。夕食の気配もない。2人暮らしの小さなテーブルも、壁際の竈にも、奥のベッドにも、人の気配がしなかった。
外はすっかり夜である。リーアムは夜の狩には滅多に出ない。行くなら前日に話してくれる。
「よい条件なら、明日あたり夜に出るよ」
と。
不安になって気配を探る。1日くらいなら遡れるのだ。
まだ姿までは見られなかったが、感情の流れで移動経路を追跡出来た。
普段はどっしりと落ち着いたリーアムの気配が、怒りと焦燥を露わに小屋から飛び出していた。夕方狩を終えて帰宅した彼は、床に残る数人分の足跡と朽葉や小枝などのごみを見て、連れ去りを察したのであろう。
リーアムは狩人である。痕跡を消す気のない集団の追跡など造作もない。私もリーアムの気配を追って、夜の森を進む。魔法を使えば、夜であろうとも安全に森を行ける。
村に近付くと、私は姿を消す。村には獣よけの簡単な柵がある。門はないが、あったとしてもすり抜けるので問題はない。
そのまま村を抜ける。リーアムは、どうやら私が城を出る少し前に城の裏門に到着したようだ。
そして、殺された。
小屋に帰り、私は遺体もないリーアムの代わりに、彼の最後の獲物を埋めた。
私の好物である山鳥だけは、弔いの食事とした。彼の好きだったパイにする。私の作るパイは、何でも好きだったリーアム。山鳥は私が好むので、そのパイを出すと殊更に喜んだっけ。
それから私は姿を消しては城をうろつき、禁書保管庫を見つけた。片端から読み漁り、必死で呪いを身につけた。
そうしてまた数年が過ぎた。
お世継ぎは戴冠し、妃を迎えた。あの時の美少女は、妖艶な愛妾となり新王に侍っていた。
リーアムを門前で不審者として槍で串刺しにした衛兵達は、それぞれに幸せな家庭を築いていた。
私は彼等を呪った。
「相応しい姿になるように。子々孫々までも」
彼等は何だか良くわからない、不気味な姿に変化した。無事だった善良な都人や村人は、恐れをなして森に逃げた。彼等は新天地を求めて森を抜け、各地に散って行った。
そして、あろうことか行く先々で私を「呪いの魔女」として宣伝した。彼等に悪意はない。単純に魔女の呪いを恐れて噂しただけである。そして、より一層の善行に励んだ。
私の姿は、魔女によくいる渦巻く赤毛に透き通った新緑の瞳。しかし、リーアムに習った弓でできたタコとすらりと伸びた長身は、なかなかに特徴的だった。
何処へ行っても何かがあると私の呪いだとされた。面倒なので、さっさと逃げる。
流れ流れているうちに、ふとメリッサ・バンクに帰りたくなった。リーアムと暮らした幸せな森の小屋は、とうに朽ちているだろう。それでも懐かしさに胸を震わせ、私は5月の森を訪れた。
しとしとと、細やかな雨が降っていた。もう何百年も経っている。それでも森は暗く深く存在していた。
メリッサ・バンクには今でもレモンバームが生い茂り、最早訪れる人もない岸辺を覆い尽くしていた。
私達の粗末な小屋は、当然だがもうない。森の木々に飲み込まれている。
しかし、私は場所の記憶を見る魔法を得ていた。私達が共に居た小屋の場所を楽々と見つけた。
何処かに捨てられて消えた彼の亡骸の代わりとして、最後の獲物を埋めた場所も。
雨は優しく降り注ぐ。静かに、柔らかく。
じっとリーアムの面影を追い、最後に新たな小屋を建てた。石造の小さな家。
しばらくは、そこで穏やかな時を過ごした。リーアムの思い出と共に。
けれども、彼は戻らない。復讐の呪いを終えたあの時と同じように、虚しさが私を襲う。
空っぽの心を抱えて、私は世界を彷徨った。
何をしていても、生きている気持ちはしなかった。
ある日、捕縛された。私は無気力であったから、なぜ捕まったのか聞いていなかったし、荒野の塔に幽閉されたところで、大したことはない。
自由に出歩ける。
それでも気力が湧かないわたしは、数百年をただぼんやりと過ごした。
ある朝、なんとはなしにガラスも戸も無い窓に目をやった。石をくり抜いた四角い穴が、5月の空を切り取っている。
そうだ。
この空は5月だ。
雨が降ってきた。
静かな雨だ。
絹糸のような雨だ。
荒れ果てた土地にすら、優しくそっと落ちてゆく。
今年も雨が降っている。
粗末な小屋は既に無く、石作りの小屋も最早廃墟だ。
それでも五月雨が森の葉を打つ季節には、私はこの地を訪れる。
幸せだったあの頃を偲び、リーアムの面影を、いまはもう遠く微かになってしまった気配と共に追い求める為に。
お読みいただきありがとうございました。
メリッサはレモンバーム。高名な錬金術師パラケルススがエリクサー(万能薬)と呼んだ薬草。
逮捕。ヨーロッパ中世文学を読んでいると領主の手下がやってきて、怪しい判事に引き合わされ、即決裁判で絞首刑とかよく出てきます。その場で無礼打ちもザラ。だいたいそんな感じの世界だと思っていただければ。