第八八話
できました。
「あくまでシラを切ると?」
その言葉に対して頭をかしげながら答える。
一切認めない。
それが手だからだ。
「何のことかさっぱりですね」
とぼけながら付け足す。
「最近夜で歩いているのは確かですが……」
理事長がどこか愉快そうに笑う。
それはどこか獲物を見つけた野生動物のような笑いだ。
それに対して悪寒が走る。
ここは危険だ。
それも物理的な意味で。
そんな直感が走る。
だから逃げようとした。
その瞬間両肩を押さえつけられる。
「なぜ……逃げようとした? やましい事がないとそんな反応は起こさないはずなんだがな」
「そんなわけ――」
「おかしいじゃないかこちらはただ近づいただけだぞ、なぜ逃げる?」
力ずくで言質を取りに来た。
疑惑で押し通すつもりのようだ。
ここまで来たら録音していなかったことに後悔する。
でっちあげられたらほぼ詰みだ。
そうして思うのが、なぜここまで強引に進めるかだ。
決定的な証拠を握ってからでも遅くはないだろうし、そもそも直接動くなんてどう考えてもおかしい。
だから突拍子もない考えが頭に浮かぶ。
「あ――」
「ついに言う気になったか?」
といった瞬間だ。
色彩が抜け落ちて扉が外から蹴り開けられた。
向こうからスラリとした長い足が伸びている。
「お邪魔しますねぇ」
フワフワとした声が伴ってきた。
入ってきたのはいつも通りのゆったりとした服になぜか白衣とメガネをかけたヒュプノスだ。
「ほう、真倉先生、あなたは呼んでいないが?」
「ちょっかいをかけられたのなら、挨拶にはいくものでしょう」
笑みを濃くする。
そして見開いた目はヒツジの独特の瞳孔をしている。
水がこぼれるように髪が地面まで伸びる。
頭には渦を描く角が生える。
今まで見たことがないほど張り詰めた表情をしている。
「はは、お前からそんな表情を引き出せるとはな、やってみるものだ、なぁヒュプノス?」
と鷹揚に笑いながら仕立てのいいジャケットを脱いだ。
そして俺に渡してくる。
「持っていたまえ」
「お、ああ」
あまりに自然に渡されたため思わず受け取ってしまう。
理事長は軽く肩を回すようにしてヒュプノスと向き合う。
「やっぱりそうだったか、ヒュプノスたちと同じ存在だった……」
つぶやく。
すると意外そうな声が理事長からくる。
「いつ気付いた?」
「ついさっき、たかが一生徒と教師に妙に絡んできたから怪しいと思った」
「ふむ、私もまだまだ詰めが甘いな」
とどこか楽しそうにつぶやく。
が、構えは解くことなくヒュプノスに向かい続ける。
互いに三メートルほど距離を取っている。
リーチはヒュプノスの方が長い、が重さは理事長が圧倒的だ。
そこまで見ていて、ヒュプノスがこっちに一瞬視線を向けたことに気付く。
それでようやくあることを思いついた。
「逃げよう」
今まで理事長に威圧されていたようにこの場を離れるという考えが全く浮かばなかった。
なので立ち上がりじりじりと距離を取る。
行儀が悪いが狙うのは窓からの脱出だ。
鍵に手をかけるが全く動かない。
「あれ?」
「手を打っていないとでも?」
「……相変わらず変なところで小心者ね、ユピテル」
ヒュプノスが一歩距離を詰める。
それに対して理事長――ユピテルは無言で動かない。
「という事は向こうからしかないか」
ユピテルの脇を通るしかない。
それは想像通りなら危険すぎる道だ。
だが腹をくくってゆっくりと近づく。
できるだけ離れた壁際を通る。
「ふん!!」
掛け声と共に目の前に俺の頭を粉砕できそうな拳が飛んできた。
が、それは軌道が唐突に変わった。
「よいしょ」
ヒュプノスの蹴りが真横から突いて弾いた。
それを横目にダッシュする。
「甘いぞ!!」
「えぃ」
と掛け声と共に風を切る音しか聞こえない。
何とか通り抜けて振り返る。
すると激しい動きでスカートが裂けたのかかなり大胆なスリットが入った格好になったヒュプノスが見える。
その蹴りはユピテルの顔面に向かう。
そして――
「ほぅ……白か」
と変なことを口走ってクリーンヒットした。
その音はハンマーで岩を殴ったような音で、見かけだけかもしれないが人体からしていい音ではなかった。
そしてヒュプノスはあきれ気味に話す。
「その性根は直した方が良いですよ、十分避けれたでしょうに」
打ち込んだ足を引き戻して距離を取る。
俺をユピテルからかばうような立ち位置だ。
「ふん、欲をおさえる意味などあるまい」
といってダメージらしいダメージが見受けられない様子で話す。
目は俺とヒュプノスの位置を見ている。
「なるほど、これまでか」
と言って背を向ける。
それを確認して二人で急いで部屋から飛び出した。
明日も頑張ります。