第七七話
できました。
「キィッィィ――」
ハウリング音のような咆哮が聞こえる。
目の前には車だったひしゃげた残骸が転がっている。
そこから力なくのびた見慣れた腕。
幸い足はほぼ無事で立って逃げる事も不可能ではない。
「ぁ ぁ」
今すぐ走って少しでも生存時間を稼げ。
そうすれば助けが来る可能性も皆無ではない。
そんな考えが頭に浮かぶが逃げる気力が浮かばない。
両親をここに残して逃げる事を否定するからだ。
「ちく しょう」
地面につけた膝が上がらない。
さすがにもう終わった。
歪とすらいえない悪夢じみた外見の化け物が下から伸びた腕で俺をつかみ上げる。
その鋭い爪は一呼吸すら必要とせずに俺をズタズタに引き裂くだろう。
目の前に映る顔には見覚えがある。
「早乙女……」
ただ叫び声を上げる折れた首からブラブラと揺れる顔は早乙女の顔だ。
だがその濁った目はもう理性があるように見えない。
間違いなく死んでいる。
「そうか」
ポツリと理解したことを口にする。
それはあまりにも突飛すぎる考えだ。
「臓器単位、首から下だけで生きているんだな」
マイクというニワトリがかつていたらしい。
愛称は首無し。
文字通り絞められて首が斬り落とされたのに生きていた鶏だ。
生存期間は一年半。
死因は事故による窒息死らしい。
また、脳死した人間も手あつい医療コストをかけると臓器はしばらく活動を続けると聞いたことがある。
つまり人格の死と肉体の死は別ものであるという事だ。
「化け物が」
そして俺の目の前にいるコレが生きるというとてつもなく原始的な願いに従って無制限に体を変化させていった結果生まれた怪物だ。
俺を襲ってきた理由なんてわからない。
ここで俺のつかみ方を変えて、腰のあたりをつまむように持ち替えた。
肉塊がミチミチと音を立てて真横に開いていく――口だ。
その口の牙は人の歯を拡大しめちゃくちゃに並び替えたグロテスクな代物だ。
喉に当たる部分はなくおそらく咀嚼したらそのまま消化器に変わるのだろう。
それが俺をなぶるようにゆっくりと目の前で開かれる。
俺は両手を力なくぶらつかせながらただ目を開いてみている。
「……」
諦めに近い感情に塗りつぶされていた俺の視界にとある光景が入ってくる。
元車の上、運転席の辺りを化け物の足が踏んずけている光景だ。
急激に頭に血が上り――
「うわぁぁっ!!」
ギブスで固定された腕で腕が痛むのも構わず歯の一本を思い切り殴った。
俺の拳ほどもある歯がきしんだ。
少し拘束が緩んだので、逆の手で殴る。
さっきより大きく揺れた。
化け物が俺を地面に叩きつけようとする。
「ふざけるな!!」
何に対する怒りかすらわからないまま必死に足を延ばし、ぐらついていた歯に引っ掛ける。
その状態で投げられたらどうなるか?
「ヒィァィィッ!!」
ブツリ。
という鈍い音がした。
音の出どころは二か所だ。
一つは俺のひっかけた足。
盛大に削られて、ついでに膝から先の骨が抜けたのかぐらついている。
もう一つは化け物の口。
歯はほぼ抜けかけて口からぶら下がっている。
狙うのは歯から伸びているひも状の肉だ。
「く らえ!!」
後先考えず飛びつく。
地団駄を踏むように振り回されている手足には幸運にも捕まらなかった。
目の前にまで来たそれを――
噛んだ。
ぶじゅり。
と気持ち悪い感触と異常に生臭いにおいに辟易する。
がその価値はあったようだ。
「ヒギィィァァィアッ!!」
今まで一番の絶叫を行う。
理由は単純で歯から伸びるひも状の組織――神経を直接刺激しているからだ。
虫歯がとてつもなく痛むのはむき出しの神経が歯に走っているためだ。
この痛みは俺には想像もできないほどの痛みだろう。
振り払うように振り回され、その結果神経が千切れてしまった。
「がっ!!」
背中から地面に叩きつけられその痛みで全身が強張り悶絶する。
必死に息を整えて見えたのは、めちゃくちゃに体を拡張と縮小を繰り返している化け物だ。
「ざまぁ、みろ」
必死にそんな言葉を絞り出す。
が、正直そこまでだ。
えぐられた傷は決して浅くはなく視界がかすれていく。
それでも一矢報いることができたので満足ではある。
「いい加減しつこいんだよ」
必死にそんな悪態をつく。
できる事なんて所詮その程度だ。
だが、もうそれでいい。
もう壊されてしまったのだから――
「ギィィィッ!!」
金属をかきむしるようなハウリング音が聞こえる。
肉塊はいまだに波打つようにめちゃくちゃだ。
痛みは刺激でそれの処理の仕方がわからず、中で反響しているのだろう。
が、一部はその刺激を与えてきた存在である俺を認識してじりじりと俺に近づかせる。
その目は怒りに満ちている。
今度こそなぶることなく殺しに来るだろう。
「くるならこい」
地面に座り込み挑発する。
向こうの穂は段々早くなる。
さらに体に走る波は嵐の海のように荒々しい。
そのパワーに耐え切れず一部が弾け流血する。
がその弾けた血もまたのたうち回り干からびていく。
「ルァァッ!!」
踏み潰す必要すらなくその弾ける血を浴びるだけでも俺は頃殺されるだろう。
だが、迫ってくる荒れ狂う肉の津波をまっすぐ見つめて叫んだ。
「俺を殺しにこい!! この醜い化け物が!!」
明日も頑張ります。