第六〇話
できました。
ふと気が付くといつものような草原に座っていた。
風は俺の頬をふわりと撫でて、心地の良い涼しさを感じる。
今日はいつものように椅子に座っているのではなく草原にレジャーシートを広げて座っている。
「またここか」
もう慣れた物なので呟く。
視線の先には両脇に本を積んだヒュプノスがいる。
ゆったりとしたカットソーとふわりとした印象を受けるロングスカートを着ている。
横座りをしており、ロングスカートの裾からスラリとした脛から先の素足が伸びている。
髪が視界の邪魔にならないようにするためか頭の後ろ当たりにくるりとまとめられている。
「今日ははやいですね」
俺の言葉に気付いたからか、本から顔を上げて視線をこちらに向ける。
その顔には眼鏡をかけている。
「実はコンタクトレンズを使ってたのか?」
「?」
とヒュプノスは一度首をかしげる。
なんのことなのかわかっていない様子だ。
俺は自分の目の辺りをつつくようなしぐさをする。
そこでようやく気付いたようだ。
「これは気分ですよぉ」
と言ってあっさり外した。
その後俺をからかうような表情で聞き返してくる・
「もしかして似合ってましたか?」
「いや、珍しいから聞いただけだ」
即座に返すと少しだけ残念そうだ。
そして手は眼鏡を握っていた手を握り、開いた。
すると眼鏡は影も形も残っていない。
その代わりにステンレス製の水筒を持っている。
立ち上がり俺のすぐわきに来て蓋をコップとして使用して中の液体を注いで手渡してくる。
「どうぞ」
「いや、夢の中での水は危険な気がするからいい」
「心配性ですねぇ」
と苦笑しながら中の液体を飲み干して、俺のすぐ隣に腰を下ろした。
思わず距離を離そうとするが、意識しているようにとられるのもシャクなのでそのままでいる。
が、そんな考えも読んでいるようでヒュプノスはおかしそうにクスクスと笑う。
「さて、具体的にかつてあの場所で何が起きたのか話しましょうか」
「もうわかったのか?」
「もう忘れてますか? わたしは一度世界を呑んだのですよ?」
背筋に氷が突っ込まれたように凍えた気がする。
忘れていたわけではないと思う。
が、意識していなかったのは確かだ。
一度全世界の人間に影響を与えた存在。
そんなヒュプノスが何を得て何を捨てたのかというはいまだに曖昧だ。
「何でもかんでも知れるわけではないですから、安心ですよ」
と、ニコニコと笑顔で言い切るが本当のところはわからない。
が、それを調べる方法なんてないのでただ口をふさいでじっとヒュプノスの言葉を待つ。
「そういう風に身構えられると若干傷つきますねぇ」
「全力で逃げなかった俺は自制できている方だと思うが?」
俺の言葉に少しだけしょんぼりした様子で話し始める。
「かつて起きた事……教室での自殺は確かに行われているようですねぇ」
「……なかなかインパクトのある事件だがよく広まらなかったな」
という俺の言葉にヒュプノスも同意した。
だから。
とヒュプノスは言葉を続ける。
「まずこの子の両親ですが、自殺したその日に事故死しています、交通事故ですね」
「は?」
とかなり鋭い声が出た。
そんな偶然がそうそう起きるはずなんてない。
つまり誰かが手を下したとしか思えない。
「一体だれが手を下したんだ?」
「そこまではわからないですね、ただ子供の遺体を引き取りに向かってくる途中――正確には校門に入ったところですね、ノーブレーキで校舎にぶつかって死亡していますねぇ」
そこで感情が見えない顔を俺に向ける。
目はじっと俺を見ている。
俺の心の奥底を見つめるように。
「正直なところ生徒が校内で自殺なんてとんでもない醜聞です、できれば隠蔽したいでしょうねぇ」
「……ああ」
短くうなずく。
ヒュプノスが聞きたいことも何となくは察することができる。
だが、先走って口にすることがはばかられる内容だ。
「そうして対応に頭を悩ませているとき、両親の車が校内で暴走事故を起こしてしまいました」
「……不幸が重なっているな」
俺のその言葉にヒュプノスも重々しくうなずく。
不幸が重なり普通なら八方ふさがりともいえる状況だ。
しかしヒュプノスは、しかし、と言葉をつづけた。
「本当に切羽詰まって、どうしようもなくなった、そんなときに自殺した子の両親が一度に事故死したなら、しかもまだ小細工ができるなら、どうしますか?」
その質問を向けられて空を仰ぐ。
夢の中の空はどこまでも澄み渡り、雲一つない。
そんな美しい光景を見ながら沈み込んだ心で答える。
「二つの不幸を一つにしたのか」
人の死を隠ぺいするやってはいけないことだ。
そんななかせめて、という気持ちで言葉を継ぎ足す。
「開き直ることはしていてほしくはないな」
「わたしもそう思います」
そこで山川を名乗った教師がおびえていた部分に納得した。
「そうか、その隠ぺい工作を暴かれたと思ったからあんな反応だったのか」
あの時点では俺たちはそこまでの事を行っていたなんて全くつかんでいなかった。
そしてヒュプノスのカマかけが偶然隠したかったことの極めて近いところをついていた。
「……あの時けっこう綱渡りだったんだな」
「運がよかったのもあるでしょうけど、立川という人が私たちとほとんど話そうとしなかったのが問題でしょうね」
肩をすくめ話し続ける。
「もし私たちの目的をもう少し聞いていたら、もし私たちが結構なことを知っていると考えて色々正直に話していたら、色々あるでしょうが結局は自分自身で自分の逃げ道をふさいでしまっていたわけですねぇ」
どこかあきらめにも近い言葉をヒュプノスはつぶやいた。
それと同時にどこか肌寒く感じる風が抜けていった。
明日も頑張ります。