表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

56/124

第五六話

できました。

 もうすっかり暗くなった帰り道。

 車内はこれと言って会話はなくただ静かな時間が流れていた。

 高速道路は空いており、車は軽快に進む。

 と、エンジン音に隠れるようにして鼻歌が聞こえる。

 緩やかに抑揚のついたどこか子守唄に聞こえる曲だ。

 初耳のはずなのにどこかで聞いたことがあるような気がする。


「……」


 歌の主――ヒュプノスはあれだけのことがあったのに疲れた様子を見せずにまっすぐ前を向いている。

 整ったその横顔をいつの間にかじっと見ている自分に気付く。

 気づいたときに慌ててそらすのも何となく気恥ずかしいのでさりげなく進行方向に視線を戻す。


「気になるならもう少し見ていても良かったんですよぉ」


「なら遠慮なくっていうと思ったか?」


 俺の返答を楽しそうにクスクスと笑う。

 鼻歌はいつの間にか止まっていた。


「さっきの歌って、どこの歌なんだ?」


「知りたいですかぁ?」


「……まぁ、なんとなく」


 そう言ってごまかすように返事をする。

 するとヒュプノスがどこか寂しそうな口調で語り始める。


「実はこの歌についてはどこで覚えたのか全く覚えがないのです」


「覚えがない?」


 思わずオウム返しにする。

 当たり前だが、覚えていない歌なんて歌えない。

 だから不審そうな視線を向ける。

 向けられているヒュプノスはじっと進行方向を見たまま話を続ける。


「大谷君に聞き覚えがあるのはその通りかもしれないですねぇ」


「なんでだ?」


 覚えたときのことは知らなくても、俺が聞いた理由は覚えている。

 どう考えてもおかしなことなので聞き返す。

 するとヒュプノスは淡々と語る。


「この歌詞すらない歌は眠りの奥底、死にほど近い部分の原始的な歌ですので」


 段々とその声に抑揚がついてゆき。

 耳に吸い込まれるようにしてヒュプノスの声が聞こえる。


「生まれる前、自意識そのものすら発達していない起きる前の眠り、そこで聞こえていた歌です」


 目眩がする。

 いつの間にかヒュプノスの声と共に耳鳴りのようにあの鼻歌が聞こえる。


「覚えていないだけで誰もが必ず聞いたことのある歌、文化の萌芽、原始神話における祝詞――」


 全身が石になったように重く感じる。

 頭の中に反響するその歌を振り払おうとするほど、意識するほどよりはっきりと聞こえる。


「ぁ、ふぅ……」


 深く息を吐く。

 深く深く。

 視界が白くなる。

 心臓が脈打つ音が聞こえる。

 胸が絞られるような感覚が――


「息を吸って!!」


 唐突に空気を割くような鋭い声が聞こえる。


「がっ!! は!! ふぅ……」


 胸の中一杯に酸素が満たされる感覚に幸せを感じる。

 さっきの声のおかげで聞こえていた鼻歌が霧散したのがわかる。


「危なかったですねぇ」


「な にが」


 一音ずつ確かめるように声を出す。

 そうしないとうまくしゃべれない気がしたからだ。

 視線の先では俺の額に手を当てているヒュプノスが見える。

 いつもより少しだけ目尻がひきあがっている。

 肩越しに見える景色は流れていないことからどこかに駐車しているのだろう。


「わたしの気が緩んでいたせいですねぇ」


「?」


 首をかしげる。

 言われた意味がうまく受け取れなかったからだ。

 俺の額に当てられていた手を目隠しでもするように目にもってくる。

 少しだけ体温の低い手が気持ちいい。


「ある意味大谷君とわたしは繋がっているので軽率なことはするべきじゃなかったですね」


 どことなく悔しそうな口調で話している。

 そこまで聞いても疑問が晴れなかったのでじっと言葉を待つ。

 視界がふさがれ眠気を感じるが、それはさっきまでの暴力的な眠気ではない。

 まどろむような緩やかな眠気だ。


「ただ耳で聞く程度ならよく眠れる子守唄、人種文化に関係なく効く子守唄です、不眠症であろうとね」


 CD化でもしたら大ヒットしそうな代物だな。

 と鈍ってきた思考で考える。


「生歌じゃないといけないのでCDや動画配信サービスでは難しいですね、効かないことはないですが」


 残念だ。

 などと思いながらヒュプノスの穏やかな話に耳を傾ける。


「ここで問題は今日のことがかかわります」


 今日の事と言うと大きな壺の件か?

 と考える。

 そこに同意が返ってくる。


「ええ、骨を納める場所――死者が収まるべき場所を探すためにちょっとだけ能力を使いました」


 そこで一度言葉が途切れる。


「それがまずかったんです、本質的に死と眠りはかなり近い性質をもちます」


 思考がまとまらずただぼんやりと疑問が浮かぶ。

 だがそれでも何となく察したようで返答が来る。


「そして大谷君はものすごく深いところまで体験していました、そのせいで強く惹かれたわけです」


 そこまで話して当てられていた手がどかされる。

 ようやく目を開けると、そこは車内だ。

 それを認識して段々と思考がクリアになってくる。


「ふぅ……」


 一息ついた。

 その様子を見てヒュプノスが安心したように表情を崩す。


「よかった、一時はどうなるかと思ったのですが……」


「さっきの話をまとめると、事故だったってことか?」


「ええ、わたしも気が緩んでました」


 申し訳なさそうに俺に頭を下げてきた。

 俺の頼みをきいてここまで動いてくれたので真っ向から文句も言えない。

 が、死にかけたようなのは事実なので何も問題ないといえるほど人間ができているわけではない。

 なので悩んで、何とか口にした言葉は――


「うん、まぁ、わかった」


 と何ともフワッとした言葉だった。


「……はい」


 とヒュプノスは短く答えた。

 その微妙な空気を持ったまま車は発進しパーキングを出ていった。

明日も頑張ります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ