幕骨 童
孫娘が熱を出してしまった。
娘が言うには、昼間、近所の悪ガキと喧嘩して、腕を噛まれたらしい。
そこから、よくない菌が入り込んだのだろう。
右手が赤く腫れ、いつも元気な孫娘が、苦しそうに呻いている。
「薬を貰いにいってくる」
「もう、遅いわ、お母さん。外は真っ暗よ。私がいくわ」
「なに、大丈夫じゃよ。セレアを見ていておくれ」
街外れの夜道は、確かに危ない。
最近、野生の猿に襲われて怪我をした街人もいるという。
しかし、孫娘のためなら、こんな老いぼれの命など惜しくもなかった。
「すぐに戻ってくる」
こんな時でも、娘の旦那は帰ってこない。
また、気持ちの悪い骨の研究でもしているのだろう。
我が娘ながら、何がよくて、あんな男を好きになったか、未だに謎である。
簡単な身支度を済ませて外に出ると、冬の寒さが身に染みた。
早く、街の薬屋まで行って帰ってこよう。
孫娘の元気な顔を思い出しながら、早足で暗い夜道を歩いていく。
街の小さな灯火が見え始めた頃だった。
がさり、と草むらから何かが目の前に飛び出してくる。
(野生の猿かっ!?)
身構えて、後ろに下がり、松明で道を照らす。
それは猿ではなく、見たことのある童だった。
「お前は、セレアと喧嘩した悪ガキじゃな」
孫娘のことが好きで、いつもちょっかいをかけてくるのは、知っていた。
だが、今日の行為は許されたものではない。
「失せろ、二度とセレアに近づくなっ」
強く言ったつもりだったが、悪ガキは聞こえてないのか、呆然とワシを見つめている。
この時になって、ようやく悪ガキの様子がおかしいことに気がついた。
上半身が裸で、目が血走っている。
口からはよだれを垂れ流し、自分の手をボリボリとかきむしり、血が滲んでいた。
「さ、寒いんだ。おばあちゃん。ぼ、ぼく、おかしいのかな?」
明らかにおかしい。
だが、それを口には出さない。
言えば、何かが終わる。
そんな不気味さが悪ガキから漂っていた。
「よ、夜も冷えるからな。仕方ない、わしの服を貸してやろう。これを着て早く家に帰れ」
「あ、あ、ありがとう。お、お、お、おばあちゃん」
人でない、何かに変わろうとしている。
そんな予感がしてならない。
脱ぎ捨てた上着を悪ガキに羽織らせ、一目散に街に向かう。
孫娘の薬を手に入れる。
それだけを考え、ただ走った。
街に辿り着く寸前で、立ち止まる。
そこにわしの上着を着た悪ガキが立っていた。
いつ、先を越されたのか?
まだ、このような童に、足の早さでは負けないはずだ。
「ば、ば、ば、ばあちゃん。ぼ、ぼ、ぼ、ぼく、おかしいのかな。今度はお腹が空いてたまらないんだ」
さっき会った時より、人間から離れていた。
僅かな時間で童の瞳は倍以上に膨れ上がり、その身体からは、生きている人間の匂いはしなかった。
何か異変が起こっている
それはこの童だけなのか。
それとも、すでに街全体がそうなってしまったのか。
「ば、ば、ば、ば、ばあ、ちゅわん。こ、こ、こ、こ、今度は肉をおくれよ。し、し、し、し、新鮮な肉がい、い、い、いいなぁ」
「そんなもんはもっとらん」
「う、う、う、う、う、嘘つき。あ、あ、あ、あ、あるじゃあ、ないか」
わしの身体を見て、悪ガキがよだれを垂らす。
孫娘に薬を持っていく。
この悪ガキに噛まれたセレアが心配だった。
命に変えても、助けたい。
そう強く強く思った。
野生の猿が出た時のためにぶら下げてたナタを取り出して、右手で構える。
それを自分の左手にむけて、大きく振りかぶった。
「待っておれ、セレア。ばあちゃんが薬を持って帰ってくるぞ」
背後から、くちゃくちゃ、とわしの左手を食べる音が聞こえてきた。
わしは、後を振り返らず、再び街へと走り出した。