第32話 モテる女はつらい
あいつのことが好きになったのはいつからか……それはたぶん、初めてであった時。
一般常用魔法の授業の時だ。
では、好きだと気付いたのはいつからか……
それはたぶん、初めての錬成学の授業だ。
「お久しぶりです。ところで隣は空いていますか? Sir. 」
凛とした、可愛らしく、そして強い意志を感じられる声が背後から聞こえた。
俺は思わず振り向いた。
綺麗な黒髪。
美しい翡翠色の瞳。
白く滑らかな肌。
美しく、そして可愛らしく……またどこかエキゾチックな容姿。
「……聞いていますか、Sir. 」
彼女に――エレナ・ベレスフォード――に再度言われ、俺はようやく我に返った。
「あ、ああ……空いている」
「そうですか。では、失礼します」
ベレスフォードは俺に対し、許可を求めることなく、当たり前のように座った。
……空いているとは答えたが、座っても良いとは言っていない。
俺は少し、イライラした。
俺は名門貴族の家の跡取り息子だ。
無論、だからといって傲慢に振る舞うような真似は貴族らしくないので、するつもりはない。
だが……古き血には敬意を払うのが当然だろう。
それなのにこの女は、全く自分に敬意を払っていない。
……いや、落ち着こう。
きっと、この女は平民生まれなのだ。
だから俺の家が、ウィンチスコット家が如何に素晴らしい家系なのかを知らないのだ。
無知は罪だ。
しかし貴族たるもの、寛容の心は忘れてはならない。
それは父上の教えだ。
「お前、俺の家が……ウィンチスコット家がどんな家か知っているか?」
どうせ知らないのだろうと思い、尋ねてみる。
しかし意外なことにベレスフォードは表情を一切変えずに答えた。
「いえ、ウィンチスコット家というのが大変な名門であることは知っています。何人も優れた魔法使いを輩出した、素晴らしい一族ですね。もっとも有名な人物は……やはりジャン・ジャック・ウィンチスコットでしょうか」
思っていたよりも、ベレスフォードは俺の一族に詳しかった。
それは喜ばしいことだ……ことだが、だとしたら、なぜこいつは俺に敬意を払わない?
「……それだけか?」
「それ以上に何か?」
「だから、さっきの態度は……」
「偉いのはあなたのご先祖と、お父様でしょう? 是非とも、これからウィンチスコット家の名に恥じぬ魔法使いを目指して、頑張ってくださいな。Sir. 」
小馬鹿にするように女は言った。
俺は衝動的に殴りかかりそうになったが、それを必死に耐えて尋ねた。
「ふん……納得だ。品のない、無礼で、躾の行き届いていない……人モドキらしい。血の尊さが、理解できていないようだな」
魔法使いにあらずば人にあらず。
そして……非魔法使いから生まれた魔法使いもまた人ではない、人に限りなく似た人モドキだ。
無論、そういう考えは父上の政治方針からは外れるし、俺もそこまでは思っていない。
だが……反射的に、そう言ってしまった。
口に出してから少し後悔したが、もう遅い。
さすがに怒るだろうか……と思ったが、ベレスフォードはなぜか笑みを浮かべた。
「知っていますか? 争いは……同じレベルのものどうしでしか、発生しないんですよ」
「は? お前、それはどういう……」
「どうぞ、お好きなように解釈してください。私からアドバイスを言うなら……あまりご実家の名誉を傷つけるような真似は、しない方が宜しいと思いますよ。他人のふり見て我がふり直せ、ですね。Sir. 」
女はそれだけ言うと、すまし顔を浮かべた。
な、なんて失礼な奴なんだ……
しかし……くそ、このまま言い負かされたままは嫌だ!
どうするか……
あ、そうだ!
俺は名案を思い付いた。
これから行われる錬成学は、この学園で教わる学問の中でも特に複雑で難しい。
多くの生徒が躓くと聞いている。
しかし……俺は父上や家庭教師から習い、あらかじめ予習を済ませている。
前回の、一般常用魔法の授業ではこいつに負けた。
こいつも事前に予習を済ませていたのだろう。
だが……錬成学はそうはいかないはずだ。
なぜなら材料に効果な錬成釜や材料を使用するからだ。平民では揃えられないし、そもそも免許を持っていない者の監督下でなければ、免許を持っていない者が錬成を行うことは法で禁じられている。
錬成学はとても難しい学問だ。
間違えたら……それを指摘して、恥を掻かせてやろう。
そして、俺がいかに優秀なのかを見せつけてやる。
「ふむ、言葉で説明してもどうせ分からんだろう。これから材料と道具を配る。一度、錬成してみたまえ」
授業が三分の一ほど進んでから、教授はそう言った。
聞いていた通り、錬成学には実技があるようだ。
俺はほくそ笑んだ。
「まずは二人組を作り給え……ふむ、まだ入学したばかりでお互いのことは分からんか。そうだな、では今回は隣同士で組を作りなさい」
つまり……俺はこの無礼な平民女と組むことになるのか。
これは好都合だな。
近くで俺の優秀さを見せつけることができる。
「精々、足を引っ張るなよ? 平民女」
「はい、Sir. の足を引っ張らぬよう、努力します。……期待していますよ? Sir. 」
っく、やはり俺のことを馬鹿にしている。
今に見てろよ、ぎゃふんと言わせてやる。
早速、俺と平民女は一緒に組を作り、錬成を始めた。
初回の授業ということもあって作るのは簡単な薬で、すでに予習したことがあるものだった。
だからスムーズに進めることができたのだが……
予想外な事が一つ。
「どうしましたか、Sir. 」
「……お前、本当に平民生まれか?」
「はい。どうかしましたか?」
「……いや、何でもない」
平民生まれにも関わらず、手際が良い。
これで、初めて? ま、まさか、そんなはずが……
「待ってください、Sir. 」
「な、なんだよ」
「その手順、間違っていますよ」
「はぁ? そんなわけ……」
教科書を再確認して気付く。
……本当だ、間違っていた。
それから生意気なことに平民女は事あるごとに俺の手順の誤りを指摘してきた。
「お前、嫌味ったらしいやつだな」
「そうでしょうか? あなたも……私が間違えたら、こんな風に指摘するのではありませんか?」
うぐ……くそ、否定できない。
勘の良いやつだ。
結局、俺はその授業では一度もあの平民女に勝つことができなかった。
「この、平民女め」
授業終わった後に俺がそう言うと、平民女は眉を潜めた。
「あの、その平民女というのはやめていただけませんか? 私にはエレナ・ベレスフォードという名前があります」
「ふん、じゃあお前も俺を名前で呼べよ。さっきから、Sir.Sir. とばかり呼びやがって。他人のふりみて我がふり直せ、じゃないのか? 人に何かを改めて欲しいときは、まずは自分から改めろよ」
ようやく、一矢報いることができた。
俺は少しだけ優越感に浸った。
しかし平民女は一瞬目を見開くと、それから少し口元を緩めた。
……初めて、笑った顔を見た。
その笑顔は可愛らしく、どこか儚げで、何故か強く惹き付けられた。
心臓が痛いほど高鳴り、体が熱くなった。
「おっしゃる通りですね、Mr.ウィンチスコット。ご無礼をお許しください」
「ふん、分かれば良いんだよ、分かれば!」
くそ……あっさり非を認めやがって。
これじゃあ……俺が、負けたみたいじゃないか!!
酷くむしゃくしゃした。
授業中、ずっとベレスフォードのことばかりを考え続けていた。
その間、心臓はドキドキしっぱなしで、熱病にでもなったのかと思うほど全身が火照った。
嫌いなはずなのに、ベレスフォードの一挙一動を目で追ってしまう。
そして……俺は授業の終わりに気付いたのは。
俺は、ベレスフォードのことが……好きなんだと。
収穫祭の日。
「あいつ、ノリが良いのか、悪いのか、本当によく分らないな」
俺はあいつから貰ったクッキーを見ながら呟いた。
まあ、しかし何だかんだで収穫祭を楽しんでいることだけは分かる。
あいつに対する悪口の一つに「鉄仮面女」というのがある。
それはあいつの表情が中々変化しないからだ。
クールだが、不愛想。滅多に笑わない。
それが周囲のあいつへの評価である。
成績優秀なところもあって、近寄りがたい雰囲気を漂わせている。
まあしかし俺から言わせてみれば、あいつは分かりやすい。
あいつは表情と感情が真逆なのだ。
あいつはどうにもクールぶっているところがある。
カッコつけているのだ。
だからあいつは嬉しくても、笑ったりしない。自分の感情を隠すのだ。
だから無表情。
逆にあいつは本当につまらない時や、何とも思っていないのにも関わらず笑うことがある。
作り笑いだ。
多分、負の感情が顔に出るのを防ぐために、または媚を売るためにわざと笑っているんだろう。
要するに、あいつは素直じゃないだけ。
重度の天邪鬼だ。
「おい、ウィンチスコット。それ、もしかしてベレスフォードから貰ったやつか?」
唐突に隣の席のやつが話しかけてきた。
そいつは俺の幼馴染で、友人の一人でもあった。
もっとも……友人と言っても、家同士の繋がりを前提としたものだが。
俺の交友関係は広い……が多くは親同士の繋がりの延長線上であり、ウィンチスコット家であることを前提としたものだ。
これは俺に限ったことではない。
貴族の交友関係は、まあ大体そんなものだ。
もっとも、俺はそのことに特に疑問を抱いたこともないし、不満を思ったこともない。
家同士の繋がりが前提であっても、友人は友人だ。
一緒に遊んだり、馬鹿みたいな話をすれば楽しい。
「ああ、そうだよ。手作りだってさ」
「手作り!? 羨ましいな。あのベレスフォードの手作りなんて」
ベレスフォードはどれくらい自覚があるのか分からないが……
あいつは男子からの人気が高い。
理由は、まあ一番には顔だろう。同学年では一、二を争うくらい可愛いし……そして他の女子にはない、ちょっとエキゾチックな雰囲気があるのも魅力的だ。
それに成績優秀だ。
勉強も運動もできるとなれば、憧れや尊敬の眼差しで見られる。
それにあいつは他の女子と違い、群れたりしない。
常に一人だが……でも孤立しているというわけでもない。
自分自身を確立している大人……そんな感じがする。
だからあいつのことが好きな男子は多い。
無論、あいつは平民生まれというハンデがある。
この学園の生徒は(平民とさほど変わらないレベルの下級も含めれば)八割が貴族の出身だ。
そういう意味では、あいつのヒエラルキーはこの学園では底辺だろう。
だが、それでもあいつは卑屈にならない。
むしろ高位貴族を相手に、平然と喧嘩を吹っ掛けたりする。
それを生意気だと思うやつはいるが……それでも多くは思うのだ。
「かっこいい」と。
俺は目の前のやつが羨ましがっている、クッキーの袋を開けた。
黄色のクッキーが詰まっている。
バターと、甘いカボチャの香りがする。
よく見るとカボチャだけではなく、プレーンやチョコレート味もあるようだった。
それにただの丸型だけでなく、星型や、人型、そしてハート型まであった。
……意外に凝ってるな。
俺はその中の一つ、ハート型のクッキーを摘まんで口に入れた。
「どうだ?」
「ん……普通に美味いな」
料理が上手とは聞いていなかった。
もっとも、あいつに苦手分野があるとは思えないので、納得ではある。
レシピ通り作るだけです、錬成と同じですよ。
などと言いそうだなと、俺は思い、苦笑いを浮かべた。
それから俺は袋を閉じた。
これから収穫祭のパーティーが始まる。
学園が用意したお菓子を食べることができるのは今だけだ。
あいつの作ってくれたクッキーは、後で家で食べれば良い。
「しかし……ウィンチスコット。ベレスフォードからのお菓子を受けとったとなると、またあいつらに絡まれるかもしれないぞ?」
あいつら、というのは俺よりも一つ上の、二年生のある高位貴族を中心としたグループだ。
その二年生は魔法競技大会の、魔法決闘の競技でベレスフォードと当たった相手だ。
そこでベレスフォードに惨敗して以来、ベレスフォードのことを憎んでいる。
……が一度負けた相手に挑むほど、馬鹿ではない。
だからベレスフォードのパートナーである俺に絡んでくる。
と、いうのが表向きの理由なのだろう。
だが、多分だがあの二年生がベレスフォードではなく、俺にちょっかいを出してくる理由は……
「あんな時代遅れの連中、相手をする方が無駄だ」
俺がそう言うと友人は同意するように頷いた。
「それもそうだけどな。……平民生まれが目障りってのは共感するが、さすがに平民生まれを追い出すってのは現実的じゃないぜ。それにベレスフォードみたいに優秀なやつもいるし」
平民生まれを嫌っているのは、殆どの貴族に共通する。
ラインハルト・ブランクラットのようなやつは珍しい。
だが同時に平民排除が非常に難しいということも、今は多くの貴族が知っている。
それでも平民を排除すべしとするか、一定の譲歩をするか、それともむしろ積極的に受け入れるか……
貴族中心主義も、右翼・中道・左翼で大きく分かれている。
「そう、だな……」
俺は友人に同意を示した。
だが……
俺が認めている平民は、ベレスフォードただ一人だけだ。
お菓子パーティーを楽しんだ俺は、友人と分かれて体育館裏へと赴いた。
「逃げずにちゃんと来たんだな」
そう言ってニヤニヤと笑っているのは、二年生の先輩だった。
例の、ベレスフォードに魔法決闘で一回戦負けした人だ。
こいつの家とウィンチスコット家は元々親しかったが……父上が方針転換をして平民に対し融和的になったことで、父上とこいつの父親は悪化した。
それが俺と、こいつの対立の一要因になっている。
もっとも……主要因じゃないけどな。
「いい加減、目障りだからな。ところで……一人で果し合いをするんじゃなかったのか?」
「そんな約束、したっけかな?」
一対一で決闘しよう。
勝っても負けても、それっきりでもう絡んでこない。
そう約束したのにも関わらず、こいつは五人の“友人”を連れてきていた。
……まあ、予想していたことだけどな。
「お前、平民女から菓子なんて貰ったんだってな? ……寄越しな。さもなければ……呪いをかけるぜ?」
本人は上手いことを言ったつもりでいるのだろう。
愉快そうに笑った。
あいつ――ベレスフォード――なら、このあたりで上手な皮肉を返すのだろう。
だが俺はあいつほど口は上手くない。
だから直球で言うことにする。
「俺を袋叩きにして、ベレスフォードからのプレゼントを奪い、捨てる。そして俺の情けない姿をベレスフォードに晒す。……それが目的か? ふん、そんなことをしても、ベレスフォードはお前に振り向かないぜ」
「振り向く? 何を言って……」
「お前、ベレスフォードのことが好きなんだろう? だから俺を妬んでいるんだろう? でもな、ベレスフォードはお前のことなんか。眼中にないぜ」
まあ、俺のこともどれだけ“眼中”にあるか分からないけどな。
「言わせておけば……『風よ 切り裂け』!」
二年生は杖を引き抜き、呪文を唱えた。
俺も杖を抜いて応戦する。
だが……一対六では勝つのは難しい。
今まではちょっとした小競り合いだから、軽い怪我で済んだ。
でも今回はそれだけでは済まない。
散々、挑発したんだ。
きっと、酷い目に合わされ、恥を掻かされる。
それでも、勝つのは難しくとも、負けるとは限らない。
ベレスフォードなら、絶対に勝ってみせるはずだ。
あいつはあの時、森の中で、はるかに格上の密猟者の男を相手に勝ってみせたのだ。
あの犯罪者に比べれば、俺が今、目の前にしている相手はチンピラが精々だ。
負けるわけには、いかない。
「っく……」
「ほら、最初の威勢はどうしたんだ?」
俺が魔法を一発放つ間に、相手は六発の魔法を放ってくる。
所詮は一回戦負けした奴と、その取り巻きだと思っていたんだが……
その認識は甘かったようだ。
必死に魔法を避けるが、徐々に追い詰められていく。
目の前に火球が迫る。
避けられない!
そう思ったその時、水の柱が横から出現し、炎をかき消した。
それは俺の魔法ではない。
魔法を放ったのは……
「……グランフィード、何の真似だ」
「お前には用はないぜ」
グランフィードはそう言うと、俺の隣に立ち、二年生たちに杖を向けた。
「……ただ、こいつらをぶっ飛ばしたくなった。それだけだ」
嘘だ。
こいつは俺を助けるために来たのだ。そういう言い方をしたのは……俺のプライドを傷つけないようにしているのだろう。
……むしろ、その気遣いの方が腹立たしいけどな。
まあ、良い。乗ってやろう。
このまま負けるよりは幾分かマシだ。
「野蛮な平民らしい発想だ。……お前が何をするのも勝手だが、俺の邪魔はするなよ?」
「それはこっちのセリフだ」
それから十分後、二年生たちは地面に倒れた。
俺はボロボロだったが……立っていた。
俺の勝ちだ。
腹立たしいのはギルバート・グランフィードも立っていることだが。
「おい、グランフィード」
「何だよ」
とっとと帰ろうとするグランフィードを俺は呼び止めた。
「認めてやる。今回は、助かった」
「……そのくらい、ベレスフォードの前で素直になって、『好き』って言えば、もっと上手くいくんじゃないか?」
俺は頭に血が上るのを感じた。
「余計なお世話だ、平民!」
「男のツンデレなんて、誰得だよ、全く……」
やっぱり、こいつは嫌いだ。
エレナちゃんは滅茶苦茶モテる
理由は1に顔、2に顔、3に顔
この年の子供なんて、顔くらいしか見てない