第3話 人間関係に“対等”なんて、存在しないと思う
エデルディエーネ家はリデルティア共和国、有数の大貴族だ。
だからこそ、エデルディエーネ家に生まれた私、クリスティーナ・エデルディエーネには対等な友人はいなかった。
平民の使用人たちはいつも、魔法使い至上主義者の父を恐れ、そしてその娘である私のことも恐れていた。
平民だけでなく、他の貴族の子女たちも、エデルディエーネ家の怒りを買わないように、そしてまたご機嫌を伺うために媚びを売ってきた。
どんな我儘を言っても私は許された。
例え他の子を傷つけたとしても、玩具を奪ったとしても、酷いことを言っても、最終的には許された。
そんな私には常に取り巻きがいた。
もっとも……私は知っていた。
彼女たちが見ているのは私ではなく、“クリスティーナ”ではなく、“エデルディエーネ”であることを。
そして彼女たちが私のことを友人とは欠片も思ってはおらず、ただ利用していることを。
内心では馬鹿にしていることを。
それどころか、陰口を言っていることを。
それでも私は彼女たちを引き離すことはできなかった。
頼りにされていることだけは事実だったし……それに建前とはいえ、私のことを“友達”と言ってくれていたから。
ただ、私は寂しかったのだ。
もし私のことを対等に見てくれている人がいるとするならば、それは家族を除けば婚約者であるラインハルト様しかいなかった。
もっとも、彼は私のことを内心で嫌っているようだった。
私の、平民や下級貴族に対する傲慢な態度が嫌いらしい。
取り巻きを引き連れているのも、内心では快く思っていないのだろう。
ラインハルト様は私――というより主に私の取り巻きだが――が“イジメ”をすると、すぐに飛んできて、私に注意をする。
ラインハルト様は私のことがあまり好きでなくとも、私のことを構ってくれる、“クリスティーナ”として見てくれる彼のことは、私は好きだったし、仄かな恋心を抱いていた。
さて……私は十歳になり、学園に通う年になった。
取り巻きの子たちも一緒だ。
どうせ、同級生たちは私のことを恐れ、媚び諂い、内心で馬鹿にするのだろう。
そんな内心で諦めを抱いていた時だった。
私の前に、彼女が、エレナ・ベレスフォードが現れたのは。
教室で取り巻きの子たちと談笑していると、彼女は現れた。
黒髪に、翡翠色の瞳、白い肌、小柄な体、どことなく異国の雰囲気を纏った、可愛らしい女の子だった。
「……すみません。どいて貰えませんか?」
そういう彼女は、どことなく気弱そうに見えた。彼女が平民出身であることに気付いた私はちょっとした意地悪をすることにした。
「どいてください!」
すると彼女は大きな声で叫んだ。
少し意外だった。
取り巻きの子たちが口々に彼女へ悪口を浴びせると、彼女は一切怯むことなく、強い意志を宿した瞳で言い返そうとした。
「そうですか、それはすみません。聞こえていな……」
だから私は取り巻きの子たちを庇うために、彼女に悪口を言った。
「口を開かないでくださる? あなたの息、臭いのよ。芋みたいな臭いがするわ。ねぇ、おチビさん」(まぁー、別に臭くはないし、芋の臭いもしないけど)
私たちが笑うと、周囲も釣られて笑った。
大抵、平民出身の子たちはこれで逃げる。反論を試みる者もいるが、最終的には引き下がる。エデルディエーネ家の私に、逆らう気概がある者はいない。
「それはきっと、あなたが蓄膿症だからでしょう。病院を受診することをお勧めします。何なら、腕の良い獣医がいる動物病院を紹介しましょう。きっと、豚の病気も治せるはずです」
豚。
それは小太りの――私が一番気にしているコンプレックス――体型を揶揄する悪口であった。
私は顔が熱くなるのを感じた。
陰口でそういうことを言われているのは知っていたが、正面から言われるのは初めてだった。
怒りに任せて私は彼女に悪口を言うが、彼女は臆することなく私に、何倍も強い言葉を浴びせてきた。
「Fuck you! 人の言葉が分からないのか、この豚! デブ女、Bitch、髪の毛ロールパン! 頭に脳みそちゃんと詰まってるの? 家に忘れてきた? 私はどけって言ってるんだよ! ああ、豚だから人の言葉は分かりませんでしたね。これは失礼」
彼女は私に、直球で悪口を言った。
気付くと、周囲の人は私のことを笑っていた。
取り巻きたちも……内心で笑いを堪えているようだった。
私は自分で自分を抑えることができなかった。
気付いた時にはすでに私は彼女の頬を打っていた。
「き、君たち! 何をしているんだ!!」
そんな時、焦った声で現れたのはラインハルト様だった。
彼は私……ではなく、彼女のことを、エレナ・ベレスフォードのことを心配しているようだった。
……私の心の中に、どろどろとした、嫉妬の感情が起こるのを感じた。
私だって酷い言葉を言われたのに、この平民のチビ女を庇うのか。
婚約者は私のはずなのに!
だがエレナ・ベレスフォードはラインハルト様に助けを借りるような真似は一切せず、ただ書類を持ってもらうように頼んだだけだった。
そして私の方へ、ゆっくりと近づいた。
ニコニコと笑みを浮かべる彼女に対し、私は少し恐怖を覚えた。
「何よ! 悪いのはあなた……」
私が最後まで言うよりも早く、彼女の拳が私の頬を打った。
「一発は一発ですから。これでお相子ですね」
飄々と、彼女は言って見せた。
私は頭に血が上るのを感じた。
気付いた時には私は彼女に飛び掛かり、そして殴り合いをしていた。
それは……
私にとって、初めての、対等な喧嘩だった。
悪役令嬢様と殴り合いをしたら懐かれた。
はっきり言うが、豚だのデブだのと真正面から悪口を言ってきた上に、(先に手を出したのが自分とはいえ)顔を殴ってきた相手に対し、好意を抱く人間の気持ちは全く分からない。
いや、読心能力があるから分かるには分かるのだが……
Can see、|Can't understand《理解できない》のだ。
そんなわけで、悪役令嬢様――クリスティーナ・エデルディエーネ――はあの日以来、私に積極的に話しかけてくるようになったし、授業で二人組を作らなければならない時は必ず私に声を掛けてきた。
それに伴い、取り巻きたちとは疎遠になっているようだ。
それについて尋ねたところ、彼女からは「別に良いのよ。ただ惰性で一緒にいただけだし」(陰口を言うような人とおさらばできて、清々しているわ)と返答が返ってきた。
陰口や悪口を言われていることには気づいていたらしい。まあ、そりゃあ気付くか。
読心能力などなくとも、それなりに勘が良い人はいる。
……案外、人は大なり小なり、読心能力を持っているのかもしれない。私はそれが極端に強いだけ……うん、これはあり得るな。可能性として、考慮に入れておこう。
「ねぇ、エレナ。一緒に昼食を食べない?」(対等な友達なら一緒に食事をするものよね?)
午前の授業が終わり、昼休みになったとき、彼女は突然話しかけてきた。
……いや、突然ではないな。彼女が私と昼食を食べたがっていたことは、授業中に彼女の心の声がタダ漏れだったので知っていた。
「私は学生食堂に行きます」
学生食堂はリデルティア魔法学園に学費を支払っている学生であれば、無料で利用できる食堂だ。
朝、昼、夜の三回使用できる。
食べ盛りの私には嬉しいことに、食べ放題のビュッフェ形式となっている。
ちなみにこの言葉は「私は平民や貧乏貴族向けのところに行きます。あなたは大貴族でしょう? だから一緒に昼食は食べられません、ごめんね」という意味で発している。
リデルティア共和国には“学生食堂”以外にも、レストランやカフェがたくさんある。
お金持ちの貴族は普通、そっちでお金を支払って食事を摂るのだ。
「そ、そうなの……えっと、私と同じレストランで食事をすることは……」(さすがにエデルディエーネ家の人間が学生食堂に行くのは……)
「お金がないので無理です」
別に私だって彼女と食事をしたくないわけではない。
何度も言うが、私にも好意には好意で返す程度の社交性はあるのだ。(無論、悪意には悪意を返す)
しかし私はお金がない。
この学校の学費だって、多額の奨学金を借りてなんとかしているほどなのだから。
当然、彼女が利用するような高級レストランでお食事など、不可能だ。
「で、では私が代わりに」(エレナ一人分の食費を出すくらい、大したことないわ)
「遠慮します」
「ど、どうして!?」(も、もしかして私の一緒にいたくないとか……)
「借りは作りたくないので。……あなたとは、対等でいたい」
どうやら“対等”であることに拘っているであろう彼女にそう言うと、彼女は残念そうな表情を浮かべるも、同時に嬉しそうにするという器用なことをしてみせた。
まあ、借りを作りたくないというのは本当だ。
私が上であることは良くても、下になることは嫌だ。私はこう見えてもプライドが高く、負けず嫌いな人間なのだ。
……それに支払った学費が勿体ないし(支払った学費には学生食堂での食費が含まれている)。
「じゃあ……うん、私も学生食堂に行くわ!」(考えてみれば、学生食堂に出入りしたくらいでエデルディエーネ家の家名は傷つかないわ!)
……マジですか。
「随分と混んでいますのね」(私が普段行くレストランとは大違いだわ……ちょっとうるさいし。でも、新鮮な気分!)
お金持ちというのは、騒がしいことにもワクワクできるらしい。
やはり豊かな生活をしていれば、その分感受性も養われるのだろう。
羨ましい限りだ。
私は空いている席を探す。
この時間は混んではいるが、座れなかったことは一度もなかった……あ、それは私が一人だからか。
今回は二人だから、二席、隣り合っている場所を探さなければならない。
そういう場所は……うーん、あ、一つだけあった。
「あそこにしましょう」
私は短くそう言うと、物珍しそうにキョロキョロとしているクリスティーナ・エデルディエーネを引っ張ってその席に向かう。
そして近づいてみて、気付いた。
「ら、ラインハルト様!?」(どのレストランにもいないと思ったら、こんなところにいたのね!)
「く、クリスティーナ!?」(ど、どうしてクリスティーナがこんなところに……)
私と彼女の殴り合いを見て、ドン引きしていたイケメン……
ラインハルト・ブランクラット。
つまり悪役令嬢様の婚約者様がそこにいた。




