第23話 名誉なんちゃらを名誉だと思った時点で負け
「そ、そうか……すまなかった」
「ごめんなさいね。無神経なことを聞いて……」(可哀想に……)
「いえ、昔のことですから」
ウィンチスコット閣下とウィンチスコット夫人の謝罪に対し、私は特に気にしていないという風に答えてから紅茶を飲む。
彼が何を尋ねたのかと言えば、まあ簡単で両親のことを聞いてきたのだ。
両親は何のお仕事をしていますか……と。
隠すのも面倒だったので、父親は母親を孕ませてから母親を捨てました。母親は首を吊りました。だから私は孤児です。今は学園長を後見人として、学園で暮らしています。
と事実を端的に述べた。
私は別に不幸自慢をしたいわけではない……が、こういうのは隠さない方がお得というのが、私の短い人生経験で得た事実である。
現金な奴だと思うかもしれない。
しかし私は(少なくとも日本に於いては)一般的な女児よりも社会的に弱い立場であったため、こうやって周囲から同情を買うことで身を守り、同時に利益を得るという行動が自然に身に着いてしまった。
「まあ、ともかく……これからも息子と仲良くしてくれたまえ」
ウィンチスコット閣下は少し誤魔化すように言った。とりあえず、マナー等も含めて彼のお眼鏡には適ったらしい。
さて……散々、探られたし私の方からもちょっと探ってみるかな。
「はい……でも、ちょっと意外でした」
まるで私はふと、安心した拍子に本音を漏らしてしまったかのようにつぶやいた。
その瞬間、ウィンチスコット閣下の目が鋭くなる。
「どういう意味かな?」
内心の声は聞こえないものの、感情を綺麗に抑え込むことができているというわけでもないらしい。
私のつぶやきに対し、強い好奇心を彼が抱いていることが分かった。
「あ、いえ……その……」
私はまるで年頃の女の子のように動揺した様子を見せた。
それから、オドオドと、上目遣いで、相手の庇護欲をくすぐるような表情を浮かべる。……これは私が今までの人生で身に着けた技術の一つである。
「私は……平民で、それも、親もいないような人間なので、てっきり、怒られてしまうかと……」
私がそう言うと、ウィンチスコット閣下は「なるほど」と頷いて紅茶を口につけた。
閉ざされた心、その蓋から僅かな感情が漏れ出ている。
同情、感心、若干の蔑視。
……そんなところか。
「確かに私は貴族主義を掲げている。……が、すべての貴族は始めから貴族であったわけではない。功績を挙げ、社会に認められて、先祖代々業績を積み上げていったことで、初めてその血筋が認められ、貴族となるのだ」
ウィンチスコット閣下はまるで演説するかのように、饒舌に語った。
「だから私は決して、平民出身の魔法使いを排斥せよとは考えていない。平民出身の魔法使いを取り込むことは、リデルティア共和国の発展のためには重要なことだ。その受け入れに反対したりはしない。しかし……彼らは新参だ」
自分の支持者に語り掛けるように、否、実際私を自分の支持者に取り込もうとしているのだろう。
彼は演説を続ける。
「革命を成し遂げ、王による魔法と政治と富の独占を打破し、この国に輝かしき共和制を打ち立てたのは誰か? それは我々貴族だ。共和制を転覆せんとする王党派や、そして共和制を滅ぼそうとする諸外国を打ち倒し、撃退し、この国を守り続けてきたのは誰か? そう、我々貴族ではないか!」
この人、私が十歳、日本ならば小五くらいの年だってことを忘れているのではないだろうか?
いや、私は政治にはそれなりに興味があるから分かるけど。
「良いかね、エレナ君。貴族主義を差別などと言うものはいるが……それは違う。私に言わせてみれば、これは区別だよ。この国は、我々貴族の魔法使いが積み上げてきた歴史と文化と伝統の上に成り立っているのだ。平民に魔法使いの社会に入るなとは言わない。が、平民出身者が我々魔法使いの社会に入るのであれば……新人として、先輩である我々に相応の敬意を表するべきであり、そして古くから積み上げられてきた、魔法使いとしての歴史と文化と伝統を、尊重するべきだと思わないか?」
それからウィンチスコット閣下は少し興奮しすぎたことに気付いたらしい。
紅茶を飲み、一呼吸入れた。
「権利を主張するならば、まず始めに義務を果たすべきだ。そして魔法使いとしてのマナーを覚えるべきだ。私が嫌っているのは、『これが我々平民のやり方なのだ!』などと言い、魔法使いの伝統と文化を踏みにじる連中だ。やつらは我々が生み出してきた、魔法使いの社会の利益を享受しながら、その社会を蔑ろにしている。このようなものは魔法使いとして、認めるわけにいかない。そう、まさに言うなれば『レムラに入りてはレムラ人のようになせ』だ」
とりあえず、彼の主張は終わったらしい。
ウィンチスコット夫人とジャスティン・ウィンチスコットは、そんなウィンチスコット閣下を「カッコいい!!」という目で見ている。
しかしウィンチスコット閣下個人は、さすがに十歳相手に熱く語り過ぎたと、今頃になって気付いたらしく、急に不安の内心を漏らし始めた。
私にドン引きされていないか心配しつつ、しかし表情だけは笑みを浮かべて言った。
「その点、君は礼儀を弁えているし、マナーもよく分っている。加えて、敵に立ち向かう勇気を持っている。これはまさしく貴族的な精神だ。その上、リデルティア魔法学園での成績で一位だとか。私もあそこに在籍したから分かるが、あそこでトップに立つことは難しい」
実はリデルティア魔法学園は、リデルティア共和国でもっとも入学するのが難しい学校である。
入学するのに必要な魔力量・質の基準値は極めて高い。
そして成績不振ならば、容赦なく退学させられる。
無理に例えるならば、日本で言う東大だな。
「君は血筋的には貴族ではないかもしれない。だが……その心と能力は貴族として、申し分ない」
ウィンチスコット閣下の回答は、私が予想していた通りのものだった。
まあ、基本的に差別主義者は自分で「差別主義者です」とは名乗らない。みんな口を揃えて、「区別」だと口にする。
彼もその手のパターンなのだろう。もっとも……伝統や文化を踏みにじられる怒りは分かるがね。
「そしてすべての貴族は始めから貴族であったわけではない。代を重ねることで、初めて貴族となるのだ。君は言うなれば、貴族の卵。まあ、そうだな。名誉貴族と認めても良い」
名誉貴族。
あれか、名誉白人とか名誉アーリア人とか、そういう感じのノリか。
まあ、ウィンチスコット閣下のように「特定の社会集団を敵視する一方で、その特定の社会集団に属する個人に対しては親しく接し、仲間に迎え入れようとする」態度は決して珍しいものではない。
美大落ち伍長だって、エミール・モーリス――曾祖父がユダヤ教徒――と友情を結ぶことができたのだから。
このような態度、つまり「〇〇人は嫌なやつらだが、〇〇君は○○人だけど良い人だ」というような思いは大なり小なり全人類が抱いている感情である。
私だって……まあパッと思いついたりはしないが、そういうところがあるかもしれない。いや、たぶんあるのだろう。人間である以上は。
しかしそこで諦めてしまわず、差別を肯定せず。それを乗り越えていくことこそが神から与えられた人類の使命なのではないか……
などとちょっと、神学・哲学的なことを考えつつ、私はウィンチスコット閣下に返答した。
「かの誉れ高きウィンチスコット閣下に、そのように目を掛けていただけるとは、光栄です。期待を裏切らないように、頑張りたいと思います」
彼が差別主義者なのか、区別主義者なのかは、私はまだこの国の政治事情にはさほど詳しくはないので置いておくことにして……
私のことを高評価してくれていたことは事実なので、お礼を言っておく。
私は確かに貴族ではない。
が、同時に平民でもない……そもそもこの国からすれば外国人なのだから。
だから“平民”としてのアイデンティティなど持っていないので、“名誉貴族”と言われても不快に思う要素はない。
「ふむ、君は話が分かるようだな。せっかくだから、もっとよく話を聞きたいのだが……明日以降、何か予定はあるかね?」
どうやら大層私のことをお気に召してくれたようで、彼は上機嫌にそんなことを言った。
「予定、ですか? いえ、特にありませんが……」
「よろしい。では、しばらくここに泊まると良い。寮で生活しているのだろう? 着替えや、夏季休暇の課題を持ってきなさい」
……気に入られ過ぎるのも考え物だな。