第22話 郷に入れば郷に従え。……でも「こいつは郷の人間じゃないから大目に見てやろう」くらいの広い心もあって良いじゃない。
リデルティア共和国、首都の貴族街。
その一等地にその屋敷は存在した。
「本日はよろしくお願いします。エレナ・ベレスフォードです」
私はジャスティン・ウィンチスコットのご両親に頭を下げた。
ジャスティン・ウィンチスコットの父親――ウィンチスコット閣下――は非常にジャスティン・ウィンチスコットに似ており、(非常に失礼ではあるが)何だかゲームにありがちな悪役貴族っぽい雰囲気を身に纏っている。
……まあ、実際ゲームではシナリオ展開次第では悪役になるのだろう。
一方母親――ウィンチスコット婦人――の方は割と普通な感じである。
若い頃は美人だった――無論だが、今は美人ではないという意味ではなく、より美しかったに違いないという意味――んだろうな、という印象を抱いた。
「よくいらっしゃった、Miss.ベレスフォード。息子がお世話になっている」
ウィンチスコット閣下はそう言った。内心は……聞こえない。さすがは大貴族の政治家。精神閉蓋程度は心掛けているようだ。
「こちらこそ、よろしくね。Miss.ベレスフォード」(あら、可愛い女の子。あの子もやるじゃない)
一方ウィンチスコット夫人の心は聞こえる。
本当に私が女であることを伝えていなかったらしい。
どうやって私の話をしたのか……ああ、「ベレスフォード」としか言わなかったのか。
「ベレスフォード、上がってくれ。昼食を用意してある。学生食堂の食事なんかよりも、ずっと美味いぞ!」(平民出身のベレスフォードは高級料理なんて食べたことがないはず。……うちの料理を気に入ってくれたら、俺のことを……)
こいつ、人のことを飯で釣るつもりか。
失礼なやつだな。
普段ならここで皮肉の一つや二つを言ってやるものだが、ここはぐっと堪え、私は笑みを浮かべた。
「それは楽しみです」
……気が重い。
私が日本に来たのは母親が首を吊った後で、小学一年生ほどのころだ。(もっとも一年近くたらい回しにされていたため、最終的に養父母に引き取られ、まともに通えるようになったのは小学二年生からだが)
当然、いくつかのカルチャーショックを味わったわけだが、その一つに「ご飯粒を残してはならない」というものがある。
無論、「なぜご飯粒を多少残したくらいで日本人はイライラするのか」は理解できずとも、「ご飯粒を残せば大多数の日本人はイライラする」ということは読心能力のおかげですぐに分かったので、すぐに改めたわけだが……
私は疑問に思ったことを疑問のままにできない性分なので、その理由を落ち着いた頃合いにさり気なく尋ねた。
帰ってきた返答としてだが……
・目が潰れる
・作ってくれた人に失礼だから
・もったいないから
・米粒は洗うのが手間だから
正直、納得できなかった。
なぜなら(目が潰れる云々は論外だから置いておくとして)、その他三つは米粒に限らないからである。
例えばサラダを食べる時、どうしてもキャベツやニンジンの千切りがドレッシングの水分を含んで皿にへばりつき、残るだろう。
だがそれを残すことは日本ではとやかく言われない。少なくとも米粒並みに、神経が尖らせられるということはない。
「サラダのお野菜は、一本、破片一つたりとも残してはいけません」と言っている人はあまり見たことがない。米はあるけど。
ほかにも魚の血合いや皮は米粒ほどうるさく言われない。
エビフライの尻尾は意見が分かれる。
リンゴの皮は捨ててしまうことがある。
などなど、米粒だけに妙にこだわっているように感じる。
洗うのが手間だからというのも納得できない。
米粒だけが、洗うのが大変ということはあるまい。
カレーやシチューなんて、油モノだからかなり面倒なのではないか?
にも拘らず、「カレーを食べる時はできるだけ、最後まで(カレーの)茶色い部分がなくなるまでスプーンで掬うように努力しましょう」とは言われない。
つまり、説明できているようで、実は全く説明できていないわけだ。
まあしかしこういうことを聞くと、大抵の大人は「屁理屈を言っている」だとか「言い訳している」だとか「うるさい」と言って怒る。
だから大人の私は大人の対応をして、その場では納得したフリをしつつ、本で調べたり、自分で考えることにした。
私が気になっているのは「残してはいけない」理由ではなく、「ご飯粒を」の部分である。
つまりなぜ、“米”にこだわるのかということだ。
ところでここで少し話が逸れるのだが、私が感じたカルチャーショックの一つとして、こんなクラスメイトの会話がある。
「今日、朝ご飯、何食べた?」
「トースト」
日本人はパンだろうがウドンだろうがピザだろうが、breakfastで食べたら、朝ご飯なのだ。当然、昼ご飯も夕ご飯も同様だ。
つまり日本人にとっては、食事=米なのだ。
たとえ、パンだろうがピザだろうがパスタだろうがウドンだろうが、riceだ。
ここから分かることだが、日本人は米を神聖視している。
キリスト教徒が、パンと葡萄酒をイエスの血肉として神聖視するように。
ヒンドゥー教徒がコブウシに神が宿っていると思うのと同様に。
だから「米粒を残してはいけない」理由は、ヒンドゥー教徒が牛肉を食べないのと大差はない、宗教・文化上の理由であり、それ以上でもそれ以下でもない。
理由は正反対だが、イスラム教徒が豚肉を「穢れている」として食べないのと、根本的には同質のものである。
米には「神が宿っている」という神道的な考えで、だからこそ残すと「目が潰れる」わけだ。
ではなぜ「神道の教義に反するから」とは言わず、「作ってくれた人に失礼だから」、「もったいないから」、「米粒は洗うのが手間だから」などというそれっぽい理由が語られるのかと言えば、まあただの後付けだ。
神道にはコーランや聖書に相当する、宗教の基準書が長らく存在しなかった。
そしてまた、日本人は自分たちの生活が宗教的行為に満ち溢れているという自覚が薄く、そして一部の宗教集団の行動のせいで宗教や神を「危険なもの」としてみる傾向が強い。
だから「米粒を残してはならない」という行為が宗教・文化上の理由であることに気付かず、宗教性を排した合理的な説明をしようとして、逆に非合理的な説明がされるようになった。
と、そういうわけだ。
まあ、できれば「なぜイスラム教では豚が忌み嫌われるのか」と同様に「なぜ日本的な宗教・文化では米が神聖視されるのか」まで掘り下げたいのだが、それについてはより賢くなった未来の私に託し、私はこのあたりで考察を一時取りやめたのだった。
私はプロテスタントだから米に神が宿っているとは思ってはいないが、しかしだからといって「米粒を残してはならない」という宗教・文化を馬鹿にするつもりも、否定するつもりも毛頭ない。
When in Rome,do as the Romans do.
郷に入れば郷に従え、だ。
というか、意地でも米を残す人間の気持ちが理解できない。
残したら不快に思う人間が一定数いるんだから、そこは納得できずとも大人になって残さず食べておくべきではないだろうか。
無論、だからといって一々指摘する人間の気持ちも理解できないが。
さて……ここからが話のオチであるが、ローマに入ったらローマ人にならなければならないように、日本に入ったら日本人にならないといけないように、リデルティア共和国に入ったらリデルティア人にならないといけないし、魔法使いになったら魔法使いにならないといけないし、貴族の食卓に招かれたら貴族にならないといけないわけで……
「ほう、学年一位か……本当に優秀なのだな」
ウィンチスコット閣下は感心したように言った。しかし……彼が実際に注目しているのは、私の話ではなく食事のマナーである。
なぜなら時折、私の手元をまるで採点するかのように見ているからだ。
息子に付き合う友人として、相応しい人物かどうか値踏みされているのがはっきりと分かる。
「ウィンチスコット閣下にお褒めいただけるとは光栄です」
そのせいでものすごく神経を使う。
緊張のせいで食べ物の味が感じられない……ということはないが、物が飲みこみにくい。
「それでジャスティンちゃんは三位ね……Miss.ベレスフォードを見習わなければダメよ?」(綺麗に食べるわね……エレナちゃん。上流階級の出身って言われれば、信じちゃうわ)
「つ、次は勝ちますよ……母上」(べ、ベレスフォードの前ではちゃん付けしないでって言ったじゃん!)
ジャスティンちゃん、お願いだから笑わせに来ないで。
吹き出しちゃうから。
「ところで、Miss.ベレスフォード。ジャスティンちゃんとどうやって、いつから仲良くなったのか、教えてくれないかしら? ジャスティンちゃん、教えてくれないのよね」(何か、恥ずかしい理由でもあるのかしらね?)
……これは正直に言うべきなのだろうか?
私はチラッと、ジャスティンちゃんの顔を見た。
ジャスティンちゃんは目で「言わないで」と訴えている。
次にウィンチスコット夫妻の表情を確認する……興味津々だ。
うん、決めた。
「Mr.ウィンチスコットが意地悪をしようとして、ボールを私の顔面に投げつけてきたので、投げ返して逆に彼の顔面にボールをぶつけたのがきっかけです」
「べ、ベレスフォード!!」
ジャスティンちゃんは顔を真っ赤にして立ち上がった。
……そんな露骨な反応をすると、本当だと肯定しているようなものだぞ。
「あらあら、まあ……」(大人しそうだけど、気の強い子なのね。……もしかして、エデルディエーネ家のご令嬢と入学早々に殴り合いをした平民の女の子というのは、この子なのかしら?)
「それはまた……うちの息子がご迷惑をおかけした」
高評価だった。
日本では「うちの息子の顔に傷をつけてくれたな!」となりそうなものだが、リデルティア共和国の貴族は少し尚武的な気風がある。
だから喧嘩は肯定的に受け止められやすい。
そういう目論見もあって話した方が印象は良くなるだろうと思っていたが、こうして本当に印象が良くなるのを目のあたりにするのはカルチャーショックだ。
文化や価値観というものは本当に所によって変わるものなんだなと、しみじみと感じるのであった。