第2話 殴り合いで友情って、よくあるけど現実ではあり得ない、そう思っていた時期が私にもありました
『リデルティア・ストーリー』の舞台はリデルティア共和国と呼ばれる架空の国、世界にある、リデルティア魔法学園という架空の学校だ。
世界観は……そうだな。十八世紀の産業革命初期に魔法をぶち込んだような感じだろうか?
そんな“異世界”に迷い込んでしまった“あなた”が、リデルティア魔法学園で過ごす。
それがこのゲームのあらすじだ。
まあ、一応“恋愛”ゲームではあるが、恋愛以外にも様々な楽しみ方があるということで大ヒットした。
さて問題は……私がその『リデルティア・ストーリー』の女主人公になってしまったことである。
入学式の日、私は教授に頼まれ、自分のクラスへとプリントの山を運んでいた。
身を包んでいるのはリデルティア魔法学園の女子制服だ。ブレザーにタータンチェックのスカートを合わせたものである。
小学校は私服、大学も無論私服で、今後一生学生服を着ることはないだろうとほんの少し残念に思っていた私には、僥倖だった。
気付けばこの世界に来て半年、もう四月となり私は“あらすじ”の通りに入学することになった。
倒れていた私を助けてくれたのがこの学園の校長であったことが不幸中の幸いと言える。
取り合えず学園に入学できれば寮での生活が可能になり、最低限の衣食住は保証される。
もっとも、学園への入学は非常に大変だった。
如何に天才女子大生である私も、半年間ではこの国の言語と一般常識を覚えるだけで精一杯だった。
読心能力で言葉は分からずとも意図だけは読み取ることができたことと、やや文法が英語に似ていたことが唯一の幸いだろう。
新たな学問を学ぶことができるのは、大きな喜びだ。
もっとも……
これからの学生生活に懸念がないわけではない。
そして教室のドアを開けた途端、その懸念は目の前に現れた。
「それでね……」
「へぇー」
「あはははは!!」
「……」
開いているドアから入ろうとするが、それを邪魔するように三人の生徒が談笑していた。
そのリーダー格の女子生徒は私より一回り背が高く、少し太り気味、目つきの悪い金髪縦ロールで……それは『リデルティア・ストーリー』に登場する、悪役令嬢様の特徴と一致していた。
反対側のドアから入ろうにも、手に書類の山を持っているので私はドアを開けることができない。
つまりここからしか入るしかないが、しかしそれには悪役令嬢様に「どいてください」と言うしかないのだ。
……私の記憶が正しければ、それがきっかけで女主人公と悪役令嬢の関係は悪化し、場合によってはいじめられたりするんだよね。あーあ、面倒だ。
しかし声を掛けないと入れない。このまま突っ立っているのは、あまりにも間抜けだ。
「……すみません。どいて貰えませんか?」
私は悪役令嬢様と愉快な仲間たちに声を掛けたが、しかし彼らは移動する気配はない。
気付いていない……わけではない。
気付いた上で、気付かないふりをしているのだ。
心を読むことができる私には分かる。
彼女たちの心の声曰く、基本的にここの生徒たちのうち貴族出身者はすでに社交界で顔を合わせているので、自分たちが知らないということは、つまり平民出身者かそれとも社交界に出ることすらできない貧乏貴族。
と判断できるらしい。
彼女たちは私を平民出身であると、一目で見抜いた。
だからちょっとした意地悪をしているのだ。
……面倒だ。
「どいてください!」
私は少し大きめの声で言った。
するとさすがに無視し続けることはできないと悟ったのか、三人はこちらを向いた。
「やだ、ずいぶんと大きな声ね」(背、小っちゃいのね)
「これだから教養のない平民は嫌だわ」(……平民のわりには、肌がきれいね。生意気だわ)
取り巻き二名がまず私に嫌味な言葉を投げかけてきた。
気付くと、教室中の視線が私たちに向けられてる。
好奇、悪意、同情……様々な感情が渦巻く。が、誰かが救援に来る気配はなかった。
「そうですか、それはすみません。聞こえていな……」
すると悪役令嬢様は私の声を遮って言った。
「口を開かないでくださる? あなたの息、臭いのよ。芋みたいな臭いがするわ。ねぇ、おチビさん」(まぁー、別に臭くはないし、芋の臭いもしないけど)
そしてクスクスと三人は笑った。
それにつられるように、教室内にいる私に悪意の感情を向けている生徒たちが笑い声をあげた。
……これは良くない雰囲気だな。
このままだと、イジメの対象になる。
あーあ、やっぱり異世界人ってのは文明レベルが低いから、民度も低いのだろう。
臭いとか、チビとか、「チクチク言葉」を使っちゃいけません、「フワフワ言葉」を使いましょうって習わなかったのか?
私は小二で習ったぞ。
お前たちは小二の時の私以下の民度だな。
やれやれ、仕方がない。
ここは世界的にも道徳意識が高いと評判な日本人代表として、手本を見せつけてやろう。
「それはきっと、あなたが蓄膿症だからでしょう。病院を受診することをお勧めします。何なら、腕の良い獣医がいる動物病院を紹介しましょう。きっと、豚の病気も治せるはずです」
悪口を言われたのにも関わらず、その相手の体調を気遣うなんて。
私はなんて優しいのだろうか。
これぞ、日本的な「和の心」というやつだね。
「ぶ、豚? この、クリスティーナ・エデルディエーネを、エデルディエーネ家の子女である私のことを、豚と言ったわね? この平民!!」(高貴な血族の私を家畜扱いだなんて!! ぜ、絶対に許さないわ、この平民! この報いは必ず……)
「おっと、あまり顔を真っ赤にして、大きな声を出すのはやめた方が宜しいかと。ご実家の名誉を損なうことになりますよ? クリスティーナ・エデルディエーネお嬢様」
私がそう言うと、周囲から笑い声が漏れた。
どうやら彼女も味方ばかりというわけではないようだ。
(ぶ、豚……い、いや確かにそうだけど……っぷ)
(本当のことだからってよく言うわねー、あの子。タダじゃすまないことになりそうね)
あらら、取り巻きからも内心では馬鹿にされていたらしい。
思ったより人望がないな、悪役令嬢様。
クリスティーナ・エデルディエーネはますます顔を赤くし、私に詰め寄った。
「い、言わせておけば……このチビ!」(この私を侮辱して、この学園で無事に過ごせると思っている!?)
彼女の脳内の言葉に答えるならば、「YES」だ。
エデルディエーネ家は名門だが、敵も多い。
上手く立ち回れば、学園から孤立してずっといじめられ続ける……などという間抜けな事態は回避できる。
だからこそ、私は言った。
「Fuck you! 人の言葉が分からないのか、この豚! デブ女、Bitch、髪の毛ロールパン! 頭に脳みそちゃんと詰まってるの? 家に忘れてきた? 私はどけって言ってるんだよ! ああ、豚だから人の言葉は分かりませんでしたね。これは失礼」
彼女がコンプレックスにしているであろうことを、私は口にした。
……チビチビ、言った仕返しだ。背の低さはちょっと気にしてるんだぞ。
私の罵倒は効果覿面だったようで、彼女は茹蛸のように顔を赤くした。
怒りが屈辱という感情が、彼女の心の中を渦巻いているのが、手に取るように分かる。
しかし……どうやら効きすぎてしまったらしい。
彼女は手を振りかぶった。
心を読むことができる私は、クリスティーナ・エデルディエーネが私の頬を打とうとしていることが分かった。
運動神経には自信があるので普段の私ならば避けることができるが、しかし不運なことに私は書類の山を手に持っていた。
だから避けることはできなかった。
私は平手が当たるのと同時に、平手と同じ方向で首を回し、衝撃を緩和させた。
しかしそれでも痛いものは痛い。
何しろ、彼女は少し太っている。
質量が大きければ大きいほど、力は強くなる。
口の中が切れてしまったようで、少し鉄の味がした。
「き、君たち! 何をしているんだ!!」(まさか、クリスティーナが平民イジメをしているのか?)
背後から声を掛けられた。
現れたのは長身の少年だった。
私よりも少し年上に見える。
「ら、ラインハルト様!?」(ま、まずい……ら、ラインハルト様に見られた!)
ラインハルト……ラインハルト……
あー、そんなキャラがいたな。
確か、クリスティーナ・エデルディエーネの婚約者で、一つ年上の先輩だ。ルートによっては悪役令嬢様を見限って、女主人公と結婚するキャラクター。
序盤のチュートリアル展開で、悪役令嬢様に虐められている女主人公を救う役割を担うイケメンだ。
しっかし、いくら婚約者が悪役令嬢様だからといって、家同士が決めた婚約を一時の劣情でひっくり返すなんて、理解できないな。
私は好きになれそうもない。
だが、こいつの登場は丁度良い。
「これ、持ってもらえませんか?」
私は書類の山を悪役令嬢様の婚約者に押し付けた。悪役令嬢様の婚約者は私を心配しながらも、それを受け取った。
「え? い、良いけど……」(頬が腫れてる? まさかクリスティーナに殴られたのか? 保健室まで連れていってあげた方が良いのかな?)
保健室には自分で行けるから結構だ。
それよりも先に私にはすることがある。
書類を渡して身軽になった私は悪役令嬢様の目を見つめながら、距離を詰めた。
「何よ! 悪いのはあなた……」
彼女は最後まで言うことができなかった。
なぜなら私の右ストレートが彼女の頬にめり込んだからだ。
周囲の雰囲気が凍りつく中、私は敢えて空気を読まず、ポーカーフェイスを浮かべて言った。
「一発は一発ですから。これでお相子ですね」
私は自分自身を文明人であると自認している。
だからできれば暴力で解決するようなことはしたくない。
だが私はプライドが結構高い方なので、やられたままというのは性に合わない。
それに、サバンナにはサバンナのルールを、だ。
十歳の子供なんて、チンパンジーかそれ以下の知能しか持ってないのだ。
暴力には暴力で答える必要がある。
「よ、よ、よ……良くもやってくれたわね!!」(この、平民が!!)
すると彼女は唐突に私に掴みかかってきた。
いかに人の心を読むことができるといっても、感情に流されるままの、思考と行動を一緒にしたような動きには対応し辛い。
私はクリスティーナ・エデルディエーネに胸倉を掴まれた。
彼女は体格に相応しい腕力で私を強引に振り回す。
「この、放せ!!」
私は大きく頭を引いた後、思いっきりクリスティーナ・エデルディエーネの頭に頭突きを食らわせた。
すると彼女は痛みからか、胸倉をつかんでいた手を離した。
私は勢いよく後ろに吹き飛ばされる形になり、机に背中を打ち付ける。
地味に痛い。
「よくも、やってくれたわね!」(お母様にも打たれたことないのに!)
そう叫びながらクリスティーナ・エデルディエーネは私に飛びかかってきた。
無論、私も拳を構えて応戦する。
私はクリスティーナ・エデルディエーネよりも運動神経が良いし、それに心を読むことができる。
しかし一方でクリスティーナ・エデルディエーネは私よりも体が大きく、腕力も強かった。
結果……
「全く、入学初日からこんな大ゲンカをするなんて! 信じられません!!」
二人して保健室のお世話になることとなった。
医者は怒りながら、私たちに消毒を施し、薬を塗っていく。
ちょっと染みるな……
「あの、この程度の傷ならば治癒魔術で……」(うう……染みて痛い! このヤブ医者!!)
クリスティーナ・エデルディエーネの苦情に対し、保健室の医者は鼻で笑った。
「それじゃあ反省しないでしょう? このことは保護者の方にも伝えておきますからね!」(全く……しかし大貴族の子女に殴りかかるなんて、随分と度胸のある子だわ)
お褒めの言葉、ありがとうございます。
「ガーゼが切れたので、ガーゼを取ってきます。……良いですか? おとなしくしているんですよ!!」(願わくば、目を離した隙に喧嘩をするほど二人が野蛮ではないことを祈るしかないわ)
そう言って医者は保健室を出て行った。
私とクリスティーナ・エデルディエーネは二人で取り残されることになった。
さてどうするか……ちょっと気まずいな。
「……少し、やり過ぎました。そこは謝っておきます」
とりあえず、最終的に拳を入れた回数は運動神経の差のおかげで私の方が多かったので、謝罪をしておくことにした。
すると屈辱と罪悪感、そして若干の好意を交えながらクリスティーナ・エデルディエーネは口を開いた。
「……先に手を出したのは私ですわ。ごめんなさい」(暴力に訴えるなんて、エデルディエーネ家の人間としては恥ずべき行為でしたわ)
むむ……それを言われると、暴力で反撃した私も大人気なくなるな。
それに……
「……まあ、それについては私が、酷いことを言ったのもありますから」
「それを言うなら、切っ掛けは私ですわ」(彼女に悪口を言ったのは私ですし……)
まあ、六四くらいかな? 彼女と私の非の割合は。
売ったのはあっちだが、買ったのは私だ。
「……私はエレナ・ベレスフォードです。エレナ、と呼んでください」
“ベレスフォード”という姓は私の父親のものだ。
こっちの方がこの世界では違和感がないと判断した。
「クリスティーナ・エデルディエーネですわ。クリスティーナ……いえ、クリスで構いません」(この呼び方は家族以外には許していませんけれど……)
少し驚いている私に対し、クリスティーナ・エデルディエーネは笑みを浮かべて言った。
「あなたは下賤な平民だけど、その勇気と気高さは、認めてやらないこともないわ」(悪口を言われて引き下がるようなものは、貴族とは言えないものね)
「そう、ですか……ありがとう、ございます」
ん……又従姉から聞いていたクリスティーナ・エデルディエーネのイメージとはちょっと違うな?
まあ、しかし……友好的に接してきている相手に対し、友好的に返す程度の社交性は私にもある。
「……何か楽しみにしている教科はありますか?」
「そうですね……」
私たちは医者が戻ってくるまでの間、これからの学校生活について、会話に花を咲かせたのだった。