2-3
――夕日に染まった海辺に、静馴と幸島の姿が見える。
静馴は膝まで水に浸かり、濡れるのも気に留めずバシャバシャと歩き回っている。数歩進んでは海水を舐めてしょっぱいしょっぱいと大はしゃぎだ。
幸島は並べた買い物袋の間に腰を下ろし、静馴の様子を見守っていた。
(実は不思議ちゃんだったのか……?)
などと胸の内で呟いてみたが……本当のところは見当がついている。
「よいしょっと……」
静馴は幸島の隣に腰を下ろし、息を整えた。流石に疲れたようだ。
「もう少し暖かくなったら泳ぎにこようか?」
「うん!」
「……あのさ、ムリに答えなくても――」
「私ね、病院と自宅以外殆んど知らないんだ」
切り出した幸島を遮り、静馴はゆっくりと語り出した。
「小さい頃はね、わりと元気だったんだ。運動とかはできなかったけど……二、三日置きに学校にも通えて、それなりに友達もいて……」
「……」
「小学校の三年生ぐらいになると、お家にも帰れなくなって……。でも、毎日お見舞いに来てくれるひとつ上のお友達がいて、学校であった出来事とか行事の話を聞かせてくれて……」
ふと、静馴は幸島を振り向いて尋ねた。
「幸島くん、夢に入ると方法って知ってる?」
「入る? 見る方法じゃなくて……?」
「うん。夢に入る方法」
「ん~、夢の中に入る……どういう意味?」
「そのまんまだよ」
考え込む幸島の顔を見つめ、静馴は楽しげに微笑んだ。
「夢を見ている時に、『これは夢だ』って気が付いた事無い?」
「ああ、それはあるね」
「その時にね、思ったように動いてみるの。夢の中で好きなように振る舞うの。最初の頃は、勝手に場面が変わってしまったり、夢だって気が付いた事を忘れやすいんだけど……慣れるとね、結構成功するようになるんだ」
「へえ」っと驚く幸島へ、静馴は得意げに続けた。
「夢の中だとね、なんでも出来ちゃうんだ。空だって飛べるんだよ。私はね、お友達に聞いた話の中に自分を登場させてた。少しだけど、運動会や遠足にも参加したんだよ」
懐かしそうに笑みを浮かべ、水平線を見つめる横顔に――ふと影が差した。
「四年生に上がる直前に両親が離婚して……原因は私。私の事でよく口論してたから。
私は母に引き取られて、遠くの病院に転院して……その直後から体の調子が凄く悪くなって、学校には全く行けなくなったの。だからから友達もいなくて……。
数日置きに母が来てくれてたけど……なにか、母との間に溝を感じるようになってて……。
毎日毎日、夢の中へ入る事だけを考えてた……」
幸島は口を挟まず、俯いた静馴の声に耳を傾けた。
「中学生になった頃に少しだけ体調が良くなって、月に一、二回だけど学校にも行けるようになって、会いに来てくれるお友達もできて……」
その先は、幸島も知っている。
「夏休み明けに、レンゲちゃんはもう来ないんだって知って、ショックを受けた男は結構居たんだよ」
「ホントに? それは……幸島くんも?」
「まあ……。……はい」
「ホントに~?」
楽しげな声にくすぐられながら、幸島は続けた。
「ウチのクラスだけじゃないよ。レンゲちゃんのファンは結構居たからね。たましか会えない幻の美少女的な。男だけじゃないよ、女子にもファンが居たんだから」
「私の事を気にかけてくれてる人は結構居たんだ……」
安心したように呟き、ニマニマと微笑む彼女は、それを誤魔化すように言葉を続けた。
「転院した直後ぐらいからは、殆んど覚えていないんだ。ずっと意識が曖昧で……体も動かせなくって……。何かの製造ラインを流れてるような……そんな夢を見てた気がする。
ベルトコンベアで運ばれる私に、お医者さんとナースさんが管を差したり体を拭いたり……たまにお母さんが顔を覗き込むの」
そして気が付いたら――52番の方ーっと呼ばれてたそうだ。
「ここに着いて暫くはね、その夢が現実になったんだって思ってた。
静馴は徐々にトーンを上げ、興奮気味に続けた。
「流されるようにサインして、指されるままにお家や家具を選んで……そしたら幸島くんが居て!」
振り向いた静馴は瞳を輝かせ、捲し立てるように語った。
「それでね、幸島くんの顔を見た途端にね、なんだか夢から覚めたような気がしたの。
今までの何もかもが夢で、目が覚めたら目の前に幸島くんがいた! みたいな感じがして、可笑しくって……嬉しくって」
「それであんなに笑ってたのか。俺も、まさかまた会えるなんて思ってもみなかったから驚いたよ」
すると、静馴はふと顔を俯けた。
「ごめんね……幸島くんは死んじゃったって事なんだから、とても悲しい事なのに……。
でも本当に嬉しくって……。ごめんね、あんなにはしゃいじゃって……」
「それを言ったら俺も……」
驚くと同時に、再会したこと以上の喜びを感じていた。
「まぁ、おあいこで良いんじゃない?」
笑顔を向け合った二人の向こうで――紅い夕日が海へと沈み、月が上った。穏やかに微笑む月が上り、満天星空が広がった。