2-1
急遽休みを取った幸島は、起きるや否やいそいそと身支度を調えた。ナナさんの食事を準備し、布団の上で丸くなっている彼女に声をかけた。
「それじゃ、俺は出かけてくるね。外に行く時は玄関に言えば開けてくれるから。それと、ご飯は台所に用意してあります。っと、それから――」
大きなあくびと共に、ナナさんが口を挟んだ。
「外から中に入るときはマットで足を拭いて」
そう言って、ナナさんはちょいちょいと顔を洗った。
「コージマしつこーい」
「すみません……」
ナナさんはもう一度大きなあくびをすると、何時もと装いの違う幸島をじっと見つめた。
「コージマ、デーとぉー?」
「……言い方に気をつけて下さい。違う言葉に聞こえる……」
咳払いで誤魔化し、幸島は続けた。
「その約束を取りつけられればと……」
「そう、応援してるねー」
そう言うと、ナナさんはモゾモゾと体勢を変え、キュッと丸くなった。
靴を履く幸島へ、玄関が声をかけた。
「おう。気合い入ってんな」
そう言って、まじまじと幸島を見つめた。
「さっき聞こえたんだけど……お前、でぇーとぉーなんだってな」
「なんスか……その言い方。デートの約束を取りつけられればいいなーという話をしていたんです」
「そうか、卒業出来るといいな」
「――ッ!!」
ニタリと笑う玄関に背を向け、幸島はツカツカと歩いた。
◆
玄関をノックすると、近くの窓から弾んだ声が聞こえた。
「幸島くん。いらっしゃい」
真っ白なワンピースを纏い、頭にタオルを巻いた静馴がニコニコと幸島を出迎えた。
ワンピースもタオルも、インフォメーションセンターが支給する質素極まりない代物なのだが……彼女が身に付けると、何やらとても洒落たアイテムに見えてしまう。
(やはり……正義はカワイイにありか?)
部屋へ入ると、粗方の家具類は運び込まれていた。
「場所を変えたいのが幾つかあるんだけど、手伝ってもらってもいいかな?」
「もちろん。その為に来たんだから」
「ありがとう」そう微笑む笑顔が眩しかった。
――彼女は本当によく笑った。ニコニコと、眩しい笑顔を惜し気もなく振り撒いた。家具を運んできた連中も、さぞやドギマギしていた事だろう。
生前の彼女からは想像のできない変化に嬉しい戸惑いを覚えつつ、インフォメーションセンター運送係の面々を思い浮かべ、幸島はほくそ笑んだ。
トコヨへ住む事を決めると、住む場所や家やらの希望を聞かれ、ある程度それに即した物が貰える。住居や家具など、住み着くのに最低限必要な物が支給され、当座の生活資金も貰える。
「――まあ、お金はあって無くてもどうとでもなるんだけどね」
家具の設置が終わり、ちゃぶ台を挟んで二人は腰を下ろした。
「そうなの?」
「追々分かるよ」
静馴が運んできた水に口を付け、幸島はホッと息をついた。
「ごめんね……本当に何にも無くて。お水しか……」
「いやいや、俺が何か持って来るべきだったのに気が利かず……」
それを聞き、静馴はクスクスと嬉しそうに笑った。
「私が知ってる幸島くんのまんま」
「そう……?」
「うん。私が最後に学校に行った日、幸島くん教科書忘れて――」
隣の席が彼女だった。
何の授業だったかは覚えていないが、机を寄せて――
「すみません……。って、こんなっやて体を避けて……」
「そ、それは……あの、何か照れ臭くて……」
興味無しと装いつつ、携帯を片手にチラチラとシャッターチャンスを窺っていた。
「私も、幸島くんの視線が痛くて……」
「……すみません。――って分かってた……?」
「恥ずかしくって……ドキドキして、どうしたら良いのか分からなかったんだ……」
少しはにかんだ彼女はおもむろに席を立ち、隣に腰を下ろした。
「幸島くんは、もしも生き返れるとしたら――」
緊張を誤魔化すように、最後まで聞かずに答えた。
「ムリかな。ここが気に入っちゃったし……」
「そっか……」
ホッとしたように呟く静馴へ、幸島は尋ねた。
「ここは好きになれそう?」
「うん!」
「そっか。良かった」
笑顔を湛え、生き生きとした彼女と――遠い記憶に在る彼女を、どうしても重ねる事ができなかった。
彼女の生は、それ程までに苦痛なものだったのだろうか……。
頭をかすめた暗い物が顔へ辿り着く前に、幸島は声を上げた。
「そだ、買い物に行かない? ついでにここら一帯を案内するよ」
「ホントに? お願いしてもいいの……?」
「糸葉さんに教えてもらってるかもだけど……」
「そうしてもらえると嬉しいな」
幸島はコップの水を一気に流し込み、ひょいと立ち上がった。
「よし、じゃあ行こう」
つられるように立ち上がった静馴は、ハッと何かに気がついた。
「あ……。お洋服もこれしかないんだった……」
あなたは、どんな格好しても許されます。どんな物も良い物へ変える……そういう才能をお持ちなのです。はにかんだ静馴を眺めながら、幸島は胸の内でそう呟いた。
2022/08/15微修正