1-4
ゆっくりと室内を見て回る静馴へ、ムサシが声をかけた。
「すぐに越すのか?」
返事はなく、彼女はぼうっとムサシを見つめていた。
「どうかしたか?」
「あっ、いえ……まだ慣れなくって……」
「ああ、トコヨへ着いたばかりか?」
「はい……」
「そうか、そうか」
ヨシヨシとでも言うように、ムサシは静馴の頭を撫でた。
彼女の表情から察するに、どうやら彼女の方がムサシを撫でたかったようだ。
「長いこと放置されていたが、特に問題は無さそうだ。何か注文はあるか? 扉の向きぐらいならすぐにでも直せるぞ」
「いえ、大丈夫です。まだ何にも決めてなくて……」
「そうか。手を入れたい所が出てきたらインフォメーションセンターへ依頼すればいい」
「はい」
そう言って、ニコニコと頭を撫でるムサシの耳に、わざとらしい咳払いが聞こえた。
「あらかた終わったぜ」
「おう」
「いつまでやってんだよ……」
幸島は、頭をなで続けるムサシをジトッと見つめた。
「ん? ああ――すまない。ついな」
一方、その間……静馴はジッと幸島を見つめていた。
「……幸島くん?」
「ん?」
「幸島くんだよね……?」
首を傾げるその仕草が、遠い記憶をくすぐる――
「えっと……。どちら様で……?」
「中学生の――」
「あっ! レ、レンゲ……ちゃん?」
「やっぱり! 幸島くんだ!」
「なんだ? 知り合いか?」
レンゲ――蓮花静馴。
「ああ……中学の時の――ってここに居るってことは……」
「うん。結局よくならなかったんだ」
「ちょっと早すぎじゃ……」
幸島の言葉に、静馴はクスクスと笑った。
「それは幸島くんもでしょ? わたしより元気だったのに」
「俺は事故で……詳細は覚えてないんだけど」
「そうなんだ……」
そう言いながら、静馴は楽しげに微笑んでいた。
幸島の記憶とは随分と違う笑顔だ。彼女が見せるのは、何処か影のある――苦しそうな笑顔だった。
だが、今目の前にある笑顔は――
「ごめんね、悲しい事なのに……幸島くんの顔見たらなんだか嬉しくって」
見ている方も、つい頬を緩めてしまう。そんな笑顔だ。
◆
「で、実物を見た感想は?」
荷台からムサシの声が聞こえた。
「初めて知った人間に会ったけど……妙な気分」
「そうじゃねぇよ。ボケッと見とれてたみてぇだけど? 引っ越しの手伝いまで申し出て……」
「……言いふらすなよ」
「さーなー。それよりよ、確かに飛び抜けてカワイイと思ったよ。思わず頭を撫でちまったからな……」
「……で?」
「糸葉と甲乙つけがたいと思ったんだけど……どの辺が勝ってたんだ?」
「糸葉さんは美人。レンゲちゃんはカワイイ」
「……何か具体的な……見分ける基準はあるのか?」
「そこはそれぞれなんじゃないか? パッと見の印象でいいと思うぞ。ちなみに、俺からみるとお前とリリィさんはどっちもカワイイだ」
「はぁ? 目大丈夫か? 俺をリリィと同列に置くなんて、リリィに失礼だぜ」
「そんな事ないさ。もし道にお前が落ちてたら、俺は拾って帰るぜ」
帰りにムサシの運転用のクッションを買い、この日は家路についた。
――帰りのバスを降り、暗くなった道を歩きながら、幸島は静馴の事を考えていた。
蓮花静馴……。
同じ中学に通っていた女の子だ。彼女とは二年の時に同じクラスになった。何か重い病を患っていたらしく、殆んど学校へは来ていなかった。
彼女が登校するのは月に一、二度。幸島の記憶が正しければ、彼女が学校に来たのは六回だ。そして夏休み明けに、転院に伴い引っ越したと、担任が言っていたのをよく覚えている。
たった六回だが、直接話す機会はあったし、彼女の事は何度も話題に上った。
しかし、彼女が何を抱えていたのか……結局聞くことができなかった。
聞いたところで自分達に解決できるような事ではない。その程度の事は聞かずとも分かった。彼女にとって命がけの事を、好奇心で尋ねるようなまねは慎むべきだ。
今にして思えばだが……彼女と接する時、彼女の事を話す時、皆喉の奥でそう言っていたような気がする。
そして……それが、あの苦しそうな笑顔の正体だったように思う……。
「コージマおかえりー」
玄関に寝そべっていたナナさんは身を起こし、大きな伸びをして手すりに飛び乗った。
「今日は遅かったのね。お腹すいたー」
「ねぇ、ナナさん」
「なあに?」
「……俺さ、死んだ時の事覚えてないんだ。それどころか、一年分ぐらい記憶がないんだ」
「そうなの?」
「うん。俺は、生前にナナさんと会ってるのかな? 全然思い出せないんだ……」
「そう……」
ジッとナナさんを見つめ、幸島は記憶の中にナナさんの姿を探した。
(やっぱり……何処にも居ない。でも、ナナさんは俺を知っている)
そう確信していた。
「コージマはね、わたしが殺したのー」
「……それはない。あんな事、ナナさんにはムリだよ」
「わたしを助けようとして、あんな事になったんだよ」
「なるほど……」
「……思い出した?」
いや、っと幸島は首を振った。
「それで、俺に会いに来てくれたってわけか」
「コージマのおかげでー、近所の人達に面倒をみてもらえるようになったのー」
「そりゃ良かった」
「あの時、わたしはまだ子供だったから。ちゃんと育った姿を見せたかったのー。コージマのおかげで、わたしはそこそこ長生きできたのよー」
ふと、幸島は玄関を開けてナナさんを促した。
「じゃ、続きも見たいな」
「……足洗わない?」
「ん~……お絞りで、もちろんホカホカの」
フワリと手すりを飛び降りたナナさんに続き、幸島も家へ入った。
2021/03/19:微修正 2022/07/28微修正