8-3
じっと見つめる糸葉を探るように、マスターの目が小刻みに動いた。
「……マジで言ってんのか?」
「ええ」
ふと、糸葉の後ろから睦美が割り込んだ。
「買いたいと言っているんだ、別にいいんじゃないか?」
ゆらりと振り返った糸葉は睦美と向き合った。
「これは貴方の発案かしら?」
「予期せぬハプニングが、なんて事もあったり……なかったり、なかなか楽しいものになると思うぞ」
「でも良いのかしら? もし彼が上手く立ち回って完全に射止めてしまったらどうするの?」
「私はその方が燃える」
「ふ~ん。それで、幾らなの?」
――カランと鳴った鈴の音と、マスターの声が重なった。
「まいど」
店を出る糸葉の背を見送り、マスターはポツリと呟いた。
「ってっきり没収に来たのかと思ったんだが……」
それを聞いた睦美はフンッと鼻を鳴らした。
「あれはなかなかの曲者だぞ」
そう言って、ニヤリと意味深な笑みを浮かべた。
一方――店を出た糸葉はチケットを眺め、ポツリと呟いた。
「悪趣味だけど……興味深いわ。チェリー&チェリー……処女と童貞の初デート」
◆
日が沈み、月が昇った。
窓から月を目にした静馴は、裏口から外へ出た。
ウッドデッキの端まで進み、改めて月を眺めた。
瞳を閉じた優しげな顔は、微笑えみかけられているような気がした。
それは、幼き日の遠い遠い記憶をくすぐった。
眠りに落ちるその直前――枕を並べた母も、こんな表情を浮かべていたように思う。
胸に添えられた手が、トン、トンと一定のリズムを刻んで――
不意に、記憶と現実が混ざり合った。
胸の下あたりを引っ張るような、ノックするような……。
ハッと静馴は我に返った。視線を下ろすと、手すりに登ったシマリスがクイクイと服を引いていた。
「ビックリした……」
「すいやせん、何度かお声をかけたんですが……」
声を聞いた瞬間、静馴はこのシマリスの事を思い出した。
「前にバス停で会ったよね?」
「へい、権太と申します」
そして、餌台の件も思い出した。
「ごめんね、せっかく来てくれたのに……。餌台はまだなの……」
そう言って悲しそうにハの字を描いた眉が、フッっと弧を描いた。
お店の常連用に買った種類の存在を思い出したのだ。
「待ってて、ヒマワリとかならあるから」
そう言って踵を返す静馴を、権太は慌てて呼び止めた。
「ま、待ってくだせぇ!」
ヒラリと肩に飛び乗り、室内を窺うようにヒソヒソと囁いた。
「あの、家の中に誰か……いや、ミネシマさんというお方は……?」
「……? 睦美ちゃんならセンターの宿舎に住んでるよ」
「つまり……今ここには居ない?」
「うん……」
権太はホッとしたように息をつき、庭の茂みを振り返った。
「兄さん、大丈夫ですぜ。ミネシマって人は居ないそうです」
「??」
っと疑問符を浮かべていた静馴は、ガサゴソと茂から這い出た幸島に驚きの声を上げた。
「こ、幸島くん……!?」
「あの……こんばんは」
続けて、幸島は潜んでいた理由を語った。
「今日は先輩と一緒に帰ったって聞いて……。もしも先輩がいたら絶対面倒を吹っ掛けてくるから……」
初めはポカンと聞いていた静馴だったが、やがて――クスクスと笑みを溢した。
「お茶入れるから。玄関からどうぞ」
手すり越しに向き合う幸島に手を伸ばし、頭に乗った枯れ葉をつまみ上げた。
――室内は若干物が増え、生活感が増していた。
「どうぞ」
「ありがとう」
差し出された湯飲みも、以前より可愛らしい物に変わっている。
「ごめんね……ちょっと散らかってて」
静馴はバツが悪そうに、部屋の隅を振り返った。
自身で仕入れた物なのか頂きものなのかは分からないが、置場所が定まらないインテリアや空のプランターなどが積まれていた。
(なにか植えるのかな……?)
その時、お茶をすする幸島の袖を、権太がクイクイと引いた。
(そうだった……)
「レンゲちゃん、あの……」
静馴は皿にヒマワリの種を空け、権太の前にコトリと置いた。
「どうぞ」
「これはどうも……遠慮なく」
ガジガジとヒマワリを齧る権太を見つめ、静馴は嬉しそうに微笑んだ。
「あ、明日、なんだけど……」
「明日?」
幸島を捉えた――何処か期待をはらんだ、しっとりとした瞳が彼の胸をドキリと締め上げた。
「え、ェエサァ……」
素早くお茶を含み、裏返った喉を鎮めて仕切り直した。
「え、餌台を、作ろうかと思って……」
「幸島君が作ってくれるの?」
「まあ……」
っと頼りない返事を返し、早口に続けた。
「でも、出来は、あんまり期待しないで欲しいかな……。それで、その……庭で作業をしてもいいかな、と、その、確認と……置く場所を、場所の、確認を……」
と、静馴に言ったのか湯呑みに言ったのか判断が難しいところであったが……チラリと上げた視線の先で、静馴は嬉しそうに微笑んでいた。




