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トコヨのクニ  作者: 立花 葵
5 睦美と幸島
17/50

5-1

「幸島くん。それに嶺洲(みねしま)さん。そういう事はプライベートな空間でお願いします」

 艶のある……それでいて冷たい声が響いた。

 廊下に寝そべる二人を、鈴端すずはし糸葉(いとは)は冷ややかに見下ろした。


「いや、これは――」

 慌てて起きようとする幸島へ、睦美は足を絡めてぶら下がるように引き戻した。

「いや、すまない。盛ってしまった幸島を静めていたんだ。気にしないでくれ」

「あっそ」

 糸葉は呆れたように聞き流し、眼下の二人へ付け加えた。

ここ(トコヨ)を追い出されても知らないわよ」

 と、冷たく言い放ち、ツカツカと去って行った。


「ちょっと先輩!」

 幸島は身を捩り、睦美の手を逃れて不機嫌な声を出した。

「誤解を受けるような事をしないで下さい」

「なんだ? あの女に誤解を受けるとマズイ事情でもあるのか?」

「なんで糸葉さんに限定するんですか……」

 幸島はため息を漏らした。

「先輩は――」


 言いかけた幸島の口に指を当て、睦美はズイと顔を寄せた。

「私も、先輩ではなく睦美と呼んで欲しいな」

 この調子で付き合っていては、またいいように弄ばれてしまう……。

 睦美の手を払い退け、幸島は反撃に出た。

「俺をからかって遊んでるんでしょうけど、もう通用しませんー。あの頃の俺とは違うんですぅ」

 と、精一杯強がる幸島の姿を、睦美は微笑ましげに見つめた。


「そんなに頬を染めて強がられると、からかい甲斐があるというものだ」

「そ、そんな事、あ、赤くなんて……」

 たじろぐ幸島に目を細め、睦美は耳元で囁いた。

「名残惜しいが私はそろそろ仕事なんだ。後で是非お店に顔を出してくれたまえ」

「残念でしたー! もうあそこには二度と行きませんー!」

「それは残念だ……」


 と、背を向けた睦美は、ぽつりと付け加えた。

「来てくれたら全裸でもてなそう思っていたのに……残念だ」

「そんな幼稚な手は通用しませんー。残念でしたー」

 口を尖らせる幸島を振り返り、睦美は思わせ振りに呟いた――

「いや、君は必ず来るさ」


 ◆


 ――数時間後、とある喫茶店の側に幸島を見る事ができる。

 言うまでもなく、睦美が勤める例の喫茶店だ。もっとも、この村で喫茶店といえばここしかない。

 幸島は少し離れた場所に立ち、じっと入り口を窺っている。


 店の扉が開く度に、ビクッと身を震わせて物陰に隠れた。

(チクショウ……なんてこった……!)

『君は必ず来るさ』

 そう言った睦美の顔が、目の奥でニヤリと微笑んでいた。

(クソッ! クソッ! クソぅ……)


 今朝、睦美と別れてすぐの事だ。幸島の前に一匹の猿が現れた。

 窓から身を挿し込み、クイクイと幸島の袖を引いた。

「あの、幸島はん? 幸島大はん?」

 ねじり鉢巻にニッカを履いたこのニホンザルに、とても嫌な予感を覚えた。だが無視するともっと厄介な事になりそうな気がした。


「そうですけど……?」

「私、アレクサンダー・ザンダー三世と申します」

 アレクサンダー・ザンダー三世はねじり鉢巻を外し、会釈してまた戻した。

「……」

「太陽はんから伝言を預かってまして。今、よろしおますか?」


「は……はい」

「取り敢えず今日中に一度誘えと。ダメやったらアドバイスするさかい、今日中に行けと」

「……」

「何のこっちゃわかりまへんが、確かに伝えましたで。ああ――あと、今日乾燥しとるさかいよう燃えるやろなと。ほな」

 っとアレクサンダー・ザンダー三世は木に飛び移り姿を消した。


(あの放火魔め……)

 そして何より……『使命を果たせぬ者に用はない』甦ったその言葉が幸島の心に突き刺さっていた。

(クソが! 吠えずらかかせてくれる!)

 っと、都合の良い妄想を描こうとした、その時――

「何してんだ?」

「ッ、ファぇッ!!」

 突然背後に沸いた気配と声に、幸島は飛び上がった。


 振り返ると、ムサシが立っていた。肩にはネクタイオウムの紋次郎が止まっている。

「なにやらとても怪しい行動をなさっていたようですが……」

 紋次郎は目を細め、頭の飾り羽根をワサッと立ち上げた。

 対する不審者幸島は、ビクリと身を震わせ目を泳がせた。

「え、いや、あ、ああの……ちょっと……」


「思い返せば……今朝、蓮花(はちすか)さんの勤め先をお尋ねに見えました時から挙動不審でしたな」

「いや、べ、別に、変な事を企んでいるとか、そういうのじゃ……」

「まだ何も尋ねておりませんが?」

 と、職務質問を行う警察官と犯行目前だった小悪党のようなやり取りに、ムサシが割り込んだ。


静馴(しずな)ちゃんもここで働いてんのか?」

「蓮花静馴さんの事であればそうです」

 あぶら汗を垂らす幸島に代わり、紋次郎が答えた。

「へぇ、そいつは楽しみだ。早くいこうぜ」

 ブンブンと尻尾を振り回し、ムサシは幸島の手を取って歩き出した。


「――ちょっ、ダメだ! 待て!」

 っと、幸島は足を突っ張り慌ててムサシを引き戻した。

「んあ? どうして?」

「それは、その……」

「ああ、睦美ちゃんか?」

「……絶対に顔を合わせるわけには行かないんだよ……。今日は、特に今日だけはなんとしても避けなきゃならないんだ!」

「へぇ、そう」


 と、素っ気ない返事を返し、ムサシは幸島をひょいと肩に担いで歩き始めた。

「待て! 止めろ! 下ろせ!」

「俺は早く癒されに行きたいんだよ」

「じゃぁ一人で行けば良いだろ!? 俺を連れて行く必要はないだろ!」

「癒しの中にお前も入ってるんだよ」

 バタバタともがく幸島へ微笑ましげな視線を送りつつ、ムサシはすたすたと店へと向かった。

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