上司の規範
「あーいたたたたたた…。三葉の奴、結構容赦なかったな」
怒りの全てを出し切ったカズミさんがこの場を去り、その場に置き去りにされた睦原艦長はそんな言葉と共に起き上がった。
打擲され、罵られ。暴虐の限りを尽くされたにしては堪えた様子はない。
「舌の根も乾かんうちにふざけてたらそらそうなる」
今まで話をしていたアルフォンス中尉が睦原艦長に対してそう言った。そこには何の感情もなく、そんなことは常態化して何も感じていないことが伺えた。
「ほれ、さっさと喰え」
「おう。サンキュ」
アルフォンス中尉が睦原艦長にトレーを渡したのを見て、私は彼らがここに食事を摂りに来ていたことを思い出していた。
カズミさんをからかいに来たわけではないのだ。
「あの、睦原艦長。少々、御戯れが過ぎるのではないでしょうか」
私は艦長に声をかけた。カズミさんに対する一連の行動についてだ。
私はここに来たばかりで内部の事情も船乗りの常識も把握できてはいないが、それでも一連の行動は少々度が過ぎていると思わざるを得なかった。
艦長としての威厳は、船の士気にもかかわる。それを貶めるような行動を注意できるのは、他所からやってきた私だけ。
私はそう思ったから、艦長にそう言った。
「戯れ?」
「三葉に対して悪戯しすぎってよ」
「ああ……」
アルフォンス中尉の助言もあり、私の言葉の意味を理解した睦原艦長。
「艦長としての立場を自覚してください」
続けた私の言葉を聞いた艦長は、そのままの姿勢で軍用糧食の封を切り、一口食べた。
たまらず私が言葉を続けようとしたときに、艦長は口を開いた。
「有沢中尉。君は今、シフトはどうなっている?」
今までの話とは関係ない話だと頭では思ったが、しかし艦長の問いである以上、答えないわけにはいかなかった。
「………暫定ですが。平時勤務は終え、通常待機になっています」
本来の仕事をこなす通常勤務、有事になるまでは雑務をこなす予備待機、休むのが仕事の通常待機。
私はその中でも通常待機だと言った。つまりはフリーだ。
「そうか。じゃあ、有沢さん。腕のベルトは外していいよ」
私の言葉を聞いた睦原艦長は、私の腕にあるバンドを指さしてそう言った。
彼らに渡され、巻いておけと言われて巻いていたそれだ。
腕に当てれば自動で巻き付くそれは副長の腕章替わりではないのかと思ったが、見れば睦原艦長もアルフォンス中尉もバンドを外している。
「どういうことですか?」
私の疑問にアルフォンス中尉が応えた。
「それは船の役職を現すのと同時に、勤務状態を示してるからです。通常待機中は皆外すんですよ」
「それは何故でしょうか?」
「通常待機中の船員を縛らないようにするためですね。普通なら多少長い勤務でも、帰る家があればそこで羽を伸ばすことができます。ですが、海賊だった私達には帰る家がありません。私たちにとって、船とは家と同じなんです。」
私はアルフォンス中尉の言葉を頭の中で考えた。
船は家と同じという言葉は、今まで移民船で過ごしてきた私達と同じだ。だが、その言葉の意味は多分それとは違うだろう。
その言葉の意味はつまり、『環境の隔離』だ。
仕事の場所、時間と、プライベートの場所、時間。
それらが隔離されていないという意味だ。
つまり、職場を家として過ごすのかという意味だ。会社で働き、会社で寝泊まりする。
自分の上司と常に同じ場所にいて、扱いも常に同じ。
プライベートが存在しない。いや、公と私がごちゃ混ぜになる。
彼らが過ごした環境はつまりそういうことだった。
「つまり、今は睦原艦長ではなく睦原さんというわけですね」
「まあ、半分はそう言うことだね。あまり逸脱はできないけど、多少は羽目を外しても大目に見ないとストレスで戦闘どころじゃないから」
私は私の考えが間違っていなかったことに安堵した。
「…半分?」
そして、その言葉に気が付いた。
艦長としての行動をとらず、カズミさんに悪戯を行うその理由。
今までの話はその理由の半分だと彼らは言ったのだ。
では、残りの半分はどこに行ったのだろうか?
「有沢さん。この船のクルーとしてみた場合、三葉少尉は貴女にとってどう見える?」
睦原か…さんが口を開いた。カズミさんについてだ。
突拍子もないが、しかしその言葉の意味を考えてみる。
彼女の階級は少尉で、船務科を束ねるリーダー。
通常勤務中もそつなくこなし、何かしらの問題を起こしたりもしていない。
「大変優秀に思いますが」
「優秀か」
「はい。」
「まあな。あいつは確かに優秀だ。ミスも出さず、他の年上の船務科の船員を押しのけて船務長を務めるんだ。優秀じゃないわけがない」
睦原さんは私の言葉に同意したが、しかしその言葉には言いようのない棘のようなものが含まれていた。明確に非難はしないが、不満はある。そんな感じ。
「そこに何か問題があるんですか?」
「その実績そのものに問題は無いけどな。その実績の根底にあるものが『捨てられるかもしれない』って恐怖心から来るなら問題と言わざるを得んだろう」
睦原さんのその言葉に、私は強い驚きを隠せなかった。
「捨て……どういうことですか、それ」
「俺たち全員孤児だからな」
私の言葉に、睦原さんは何の感情もなくそう言った。
「孤児…ですか?」
「そ、孤児。親無し籍無しのスターダスト。それが俺達。三葉の恐怖心もそこからだな。失敗すれば後が無い。ここから放り出されてもどこにも行く宛て無いからな。死ぬしかない」
「そんな……ステーションは受け入れたりしないんですか?」
「国籍ないからな。俺達の身分を証明するものが何もないし、それを保証する国家もいなかった。受け入れる訳もない。国籍がないってことはそう言うことなんだわ」
私はその言葉に強い衝撃を受けた。
移民船時代は何よりも人命が優先された。彼らのように海賊やテロリストであったとしても、死を伴う刑罰を受けることは滅多に無かった。
国籍がないくらいはどうという罰にならない。
そんな環境で生きてきた私からすれば、彼らの環境はとても冷酷に感じた。
そして、そんな背景があったうえでのカズミさんの実績と、睦原さんたちの行動を考えて、そしてその行動の意味を理解する。
「睦原か…さんがカズミさんに悪戯をするのはつまり、“ガス抜き”ということですか?」
「理解が早くて助かるよ。恐怖心で動くあいつの場合、気が休まる時が無いからな。ストレスをため込むばかりで吐き出すことができないなら、いずれ潰れるのは目に見えてる。そうなる前に不満を掃き出させる必要がある訳だ」
睦原さんは私の言葉にそう言った。そして、睦原さんは私に言葉を続ける。
「というわけで、君さえ良ければ、三葉と仲良くしてやってほしいんだ。気の置けない友達が増えりゃ、あいつも多少は落ち着くだろうし」
「それは…そうですね」
「そうだろう。まあ、有沢さんが嫌ならそれでもいいけど」
「いえ。その程度でしたら」
元々先ほどまで仲良く話ができたのだ。それをすればいいだけ。否定する理由何か無かった。
「よろしく頼んだ」
そう言った睦原さんの軍用糧食は、いつのまにか空になっていた。
もう随分時間が経っている。そろそろ休憩を取った方がいいだろう。
「もういい時間ですし、そろそろ解散しますか」
アルフォンスさんの提案に同意し、席を立つ。
そして、いざ解散しようとしたときに、私の頭にふとした疑問が浮かんだ。
「あの、睦原さん。最後に一つ教えてほしいのですが大丈夫でしょうか」
「なにか?」
「カズミさんのストレス発散ですが、別に悪戯以外でもいい方法はあったのではないでしょうか」
「……」
「あの、艦長?」
「まあ、俺もストレス発散の手段は必要だからな」
「艦長……」
「そう呆れなくてもいいじゃないか。それくらいしか思いつかなかったのも事実なんだ。仕方ないじゃないか」
「理解はしましたが、もう少し加減をお願いします」
「善処するよ。だから相沢さんも通常待機中くらいはもう少し気を抜いてもいいんじゃない?」
私が最後の言葉に何か言おうとしたのを遮り、睦原さんとアルフォンスさんは自室へ向けて帰って行った。
私は最後の言葉を反芻する。
「気を抜いてもいい…か」
確かに、ここにきて一日も経っていないが、少し気を張り詰め過ぎた気がしないでもない。
通常待機中くらいは、確かに気を抜く必要があるのかもしれない。
「艦長もあんな感じだし」
艦橋と、食堂での一連の騒動を思い出す。たぶん、この船の乗員では艦長が一番ふざけているかもしれない。
「……もしかして、それが狙い?」
上司がきっちりしてるのに部下がだらけるというのは抵抗がある人間もいるだろう。
艦長は、だからこそ率先して気を抜いているのかもしれない。
「……本当かな………」
ただし、アレが艦長の素である可能性も否定できない。
「……んんー……?」
結局、どちらか答えの出ないまま、私は自分に割り当てられた部屋へと帰って行ったのだった。