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第五話 敵は英雄だゾ

ともかくも、本隊(といっても人数的な物であり、大将軍の僕が別の軍団を率いているのだから、そういう意味では分遣隊と言った方が正しいかもしれない)の目処が立ったので、僕は一万の軍団を率いて出陣する事にした。

「そなたの大将軍としての初陣だ。油断なく励め。とは言えよもやそなたに抜かりなぞあるまいがな。」

王様の言葉に、僕は胸を張って答えた。

「はい、顧問官もついていてくれるんで、大丈夫だと思います。気を付けて行ってきます。」

出征式が終わると、軍勢はそのまま都の城門を出て進んでいく。

僕の馬はその先頭を進み、顧問官はむっつりと黙ったまま、その横に一歩下がってついて来ている。

やがて、城壁が見えなくなった頃に僕は、振り返って尋ねた。

「で、何が気になってるんですか?」

「この辺まで来れば、言っても大丈夫でしょう。カエサロス軍は既にアルピア山脈を越えつつあります。」

「予想より大分早いですね。」

「はい、投石機や破城槌の様な攻城兵器や補給列を全て切り離して、歩兵と騎兵だけの全兵士が銃と数日分の食糧だけという軽装備で全速で進んでいるそうです。まさか、そういう手に出るとは、予測できませんでした。」

顧問官は申し訳無さそうにそう言った。

「そうですか。」

「あまり驚いていないご様子ですな。」

意外そうな表情で顧問官が聞いてくる。

「ええ、まあ。」

「閣下が出陣を二ヶ月後ではなく一ヶ月後にするとおっしゃらなければ、一気に王都まで攻め込まれる恐れすらあった訳ですが、もしかして閣下は、何かカエサロスについてご存知だったんですか?」

「いや、別にカエサロス将軍について特に知っている訳じゃありませんが、『兵は神速しんそくたっとぶ』という言葉があります。カエサロス将軍が話に聞くほど優秀なら、その辺を理解しているんじゃないかと思ったから、取り返しの着かない事にならない内に早めに手を打とうと思っただけです。」

「『兵は神速を貴ぶ』ですか。なるほど。」

まさか、顧問官が地球ガイアの中国古代の兵法家である孫子について知っているはずはないけど、それでも何の説明もなく理解できたらしい。

やはり、大した人ではある。

「とにかく、こっちも急ぎましょう。」


やがて、主戦場想定するカンネア平原が近付く頃、浮かない表情で顧問官が言った。

「申し訳ありません。カエサロスが何かを企んでいると思われる節がありますが、察知が遅れてしまいました。」

「遅れたって、どういう事ですか?」

「カエサロス軍が途中から少しづつ数を減じていた事を察知出来ませんでした。今、カエサロスのいる本隊は、二万人程度になっています。」

「残りがどこにいるかは、判らない訳ですね。」

「はい、本当に申し訳ありません。」

「まあ、遅れたと言っても、取り返しの着かないところまで気付かなかった訳じゃないから、そう深刻に考える事も無いですよ。」

僕は慰めたけど、顧問官の表情は変わらなかった。

「残りの軍がどこにいるのか、今全力で探させています。」

「ところで、もしかして、カエサロス軍は騎兵の割合が特に多かったりしますか?」

顧問官は、少し驚いた様だった。

「ご存知でしたか。向こうは全軍の三分の一強が騎兵です。」

「なるほど。カエサロス将軍って、本当に凄い人ですね。」

顧問官は、不思議そうな顔で尋ねる。

「奴が何をしようとしているのか、お判りになったんですか?」

「ええ、多分。とりあえず僕らは、軍の真ん中に居るようにしましょう。」

「なるほど。向こうは背後を突こうとしている訳ですか?」

「まあ、ある意味ではそう言えない事も無いけど、その程度で済むんならそんなに心配はいらないんですけどね。」

「と言うと?」

「ただ背後を突くだけなら、とにかく気付かれない様にこっそりやる筈だから、そんなに沢山の兵を割いたりしないでしょ。いくらこっそりやっても、人数が多くなれば隠せなくなります。」

「つまり向こうは、気付かれる事も想定内だと?」

「うん。」

ますます判らない表情の顧問官に、僕は尋ねた。

「アルピア山脈を越えてカンネアに入る大きな道は、何本ありますか?」

「おい、地図を。」

顧問官の言葉に、参謀将軍が地図を拡げた。

「これとこれとこれで、三本あります。」

思った通り、その道はそれぞれ北西、真北、北東からカンネアに入っている。

「で、この内の一本を、今カエサロス軍が通っている?」

「ええ。これですね。」

顧問官は真北の道を指差した。

「なら多分、消えた残りの軍は、それ以外の二本を進んでますよ。」

「まさか?」

戦場内で戦闘を優位に進めるために講じる様々な手段を『戦術』と呼び、戦場の外で同じく戦闘を優位に進めるために事前に行う手段を『戦略』と呼ぶ。

その一例として、戦場内で敵に対して優位な位置取りをするための機動を戦術機動と言い、一般的な用兵の能力はこれがどれくらい素早くかつ的確に行えるか、また、敵の戦術機動とその意図をどれだけ早く読み取って対応できるかで量られる。

これに対して、戦場にたどり着く以前に、来るべき戦場での優位な位置取りをするために戦場外で行う機動を戦略機動という。

そして、この機動を含む戦略で犯した失敗を、戦術で取り返す事は、基本的には出来ない。

多分この世界で、今それを理解しているのは、カエサロス将軍だけだろう。

さすがのミルティアスさんも、戦術機動は理解できても戦略機動は理解を越えている様だ。

「この機動は、『分進合撃』と言います。進むときは複数のルートに分かれて、戦場で会合して一気に攻めかかるという物です。」

「何のために?」

「大規模な行軍はとかく時間がかかります。だから、軍の規模が大きくなるほど進軍速度が遅くなる訳ですが、こうやって軍を分割して別ルートを進めば、その遅れを小さく抑える事が出来ます。それに、三つのルートから戦場に入る事で、戦場に入った時点で、こちらを三方向から包囲する位置に着ける訳です。」

「理屈はそうかもしれませんが、そう上手くいきますか?」

さすがに歴戦の将軍だけあって、理論と実践の差が感覚として身に付いているみたいだ。

「これを実現する上でのきもは、『全軍が同時に』戦場に入る事です。それが出来なければただの逐次投入になってしまいます。」

戦力の逐次投入は各個撃破を招く、というのは戦闘の基本だから、有能な将軍なら何としてでも避けようとする。

「だから、個別に進軍する各軍は、綿密な計画に沿って、互いに緊密な連絡を取り合いつつ微調整を重ねながら、進軍する必要があります。」

「なるほど、だから騎兵の割合が多いのか、と仰った訳ですか。」

騎兵は、機動力の主体であると同時に、有効な連絡手段でもある。

「まあ、それも無くはないですが、騎兵の割合が多いかどうかはもっと別の意味もあります。それに、連絡だけなら、人面鳥だって居ますしね。」

「ふむ。」

顧問官の顔にはそれでは何で騎兵の割合を気にするのか?とかいてある。

僕は、良い機会なんで全部まとめて説明しておく事にした。

「一般には、包囲する側とされる側で言えば、包囲する側の方が有利です。しかし、戦略レベルの規模で相手を包囲するとなると、戦場での戦術レベルどころか実際の戦闘に入ってからの作戦レベルでも大きな機動力が必要になります。こういう風に相手を包囲する・される形での作戦機動は、それぞれ外線機動・内線機動と呼びますが、外線機動は必ず内線機動より機動線が長くなるんで、どうしても後手に回りがちです。」

「ふむ。大規模な包囲戦なら、内線機動すなわち包囲される側の方が有利な訳ですね。」

「ええ、軍の主体が歩兵、つまり足による機動に制約されていれば、ですが。」

僕の言いたい事が見えた顧問官は、恐る恐る尋ねた。

「もしかしてカエサロスは、大規模な騎兵部隊を持つ事で、その外線機動の速度的な不利をカバーするつもりなんですか?」

「多分そうでしょう。歩兵部隊の機動が間に合わない事で発生する隙間を、騎兵部隊の投入で塞ぐ事が出来ると踏んでるんでしょう。」

僕達の置かれた状況を理解した顧問官は、青ざめた。

「つまり我々は、カエサロスのしつらえた煮えたぎる大釜に、自分から飛び込もうとしている訳ですか?」

中々適切な例えだ。

「そうなりますね。」

「今から退却するわけには・・・」

「出来ますか?」

顧問官は泣きそうな顔になった。

そりゃそうだろう。

てぐすねを引いて待っている敵の前で退却を始めれば、背後から猛追撃を喰らう事になる。

そして軍隊は、前向きに戦う事は出来ても後ろ向きに戦うのは中々難しい。

「申し訳ありません!全ては私の怠慢による失態です。ここは私が殿しんがりを引き受けますから、閣下はすぐに全軍を率いて退却願います。」

ああこの人も、責任感が強いけど、すぐに命を粗末にしたがる人なんだな、僕がいればそんな事は何とでもなるのに、と思うと、ちょっと腹が立った。

「大丈夫です!カエサロス将軍がどれくらい凄い人でも、絶対に勝てます!」

思わず力を込めて言ってしまったんで、顧問官はそのまま黙り込んでしまった。

僕は、もう面倒になったから、そのまま黙って進んでいった。


やがて、カンネア平原に出たところで鳥瞰すると、予想通り向こう側の三つの入口にそれぞれ大軍が陣取っている。

つまり、このまま前進すれば、三方向からの攻撃を受ける事になる。

「どう進めますか?」

顧問官に僕は答えた。

「どの敵にも側面を見せない様に、半円形に陣を組んで、前進しましょう。」

「まだ向こうの陣は分かれていますから、騎兵部隊を全力で走らせて、その隙間を突破させては?」

なるほど、それが出来ればこちらが包囲されてもその背後を突けるから、勝機は残る。

「いいアイデアですけど、これだけ周到に準備が出来る相手が、それを予想しない筈がありません。突撃すればすぐにその隙間を塞いで撃滅する用意が出来てるでしょう。むしろ、出だしでこっちの騎兵戦力を叩くために、それを誘っているのかもしれません。このまま行きますから、全軍に射撃準備をさせておいてください。」

その指令はすぐに各将軍に伝えられた。

そうして僕達が前進を始めると、向こうも平原の中央に向かって前進を始めた。

そうして僕達は、三方向の敵と向かい合う事になった。

向こうの兵士達は、油断なく銃を構えながら進んでくるけど、その足取りはこれから戦闘をするとは思えないくらい軽かった。

まあ、それはそうだろう。

向こうは五万でこっちは一万、しかも、向こうの思う壺にはまって包囲の中心に向かって真っ直ぐ進んでる訳だから、もう完全に勝った気でいる。

こっちは逆に足取りは重く、まるで葬列みたいだ。

兵士達はなにも知らされてないけど、煮えたぎる大釜に自分から突っ込んで行くのを知っている将軍達は、どうしても沈痛な面持ちにならざるを得ないし、将軍がそうならその空気は兵士達にも感染する。

今や、僕達は完全に包囲されていて、互いの最前列同士の距離が、五スタディオンほどになった。

「そろそろ、みんなに射撃準備をさせておいてください。僕が合図したら、全員が目の前の敵に向かって、一斉に撃ちます。その後は、僕が止め、と言うまで撃ち続けてください。」

参謀将軍が命令を伝えた。

みんなは、とりあえず気力を振り絞って前進しながら銃を構える。

やがて、三スタディオンまで近付いた時、敵の様子を改めて確認した。

銃を油断なく構えてはいるけど、まだ撃つ気配はない。

銃の射程距離は、精々一スタディオンだから、当たり前だ。

僕は言った。

「よし!撃って!」

顧問官は、驚いて言った。

「まだ遠すぎます!」

「大丈夫です!目の前の敵の頭を越えるつもりで上ぎみに撃って!」

参謀将軍が高く挙げた手を振り降ろすと、各隊の隊長が一斉に叫んだ。

「撃て!」

向こうに比べれば少ないとは言え、こっちも一万人いる。

だから、最前線だけでも三千人以上が一気に撃った訳で、その凄まじい音は空気を大きく揺さぶった。

そして、三千丁の銃の硝煙は僕ら全体をすっぽりと覆ってしまい、敵が見えなくなった。

視界が遮られている内に向こうが大きく前進してくるとまずいので、僕は慌てて風を吹かせて、硝煙を追い払った。

でも、それは取り越し苦労だった。

あんなに勇んで進んで来てた軍勢は、足がすくんだ様に動きを止めている。

まさか、この距離で撃った弾が当たるとは思いもしなかったらしい。

まあ、そうだろう。

向こうの銃の弾が、普通に狙って当てられるのは精々半スタディオンだ。

視界が開けると同時に、こちら側が個別射撃を始めると、向こうも撃ち返してきた。

でもその弾は、みんな僕らに届くことなく、地面に落ちた。

といっても別に魔法で払い落とした訳じゃない。

向こうの銃では、弾の飛距離自体が精々二スタディオンしかない。

実は、こっちの銃をカートリッジ化した理由は、連射速度を上げるためだけじゃない。

銃を発射するとき、銃身の中には物凄い高圧の燃焼ガスが発生するから、しっかりと底を塞いでおかないと、後ろ向きに燃焼ガスが噴き出して大変な事になる。

だから、銃の後ろを開ける事は出来ないんで、弾丸は銃口から込める事になる。

だけど、金属カートリッジにする事で、撃った時の無茶苦茶に高いガス圧でカートリッジが膨れ上がるから、それが銃の後端を塞ぐんで、銃の後ろを開け閉め出来る構造にしても問題なくなるんだ。

そうする事で、銃の後ろから弾を込める事が出来る。

更にこっちの弾丸は、縦長で先端を尖らせてあるから、球よりずっと空気抵抗が小さくなる。

ただし、飛んでる最中に横を向かなければ、だけど。

で、銃身の内側には螺旋状に浅い溝が切ってあって、弾丸の側面がその溝に食い込み、弾は猛烈な勢いで自転しながら進んでいく。

こうする事で、弾はジャイロ効果で真っ直ぐ前を向いたまま進む。

この溝の事をライフリングと呼ぶんだ。

で、この溝が切ってある銃がライフルなんで、それが切られていない向こうの銃は、形は似ていてもライフルじゃない。

その結果、こっちの銃の弾は五スタディオンくらい飛ぶ。

まあ、狙って当てられるのは三スタディオンくらいだけど、今回はそんな訓練をしてる暇は無かったんで、誰もそんな長距離で撃った事が無いから、自分の銃の射程も良く判って無かったんだ。

だけど、何千丁も一遍に撃てばいくらかは当たる訳で、まずはそれで十分だった。

向こうがとても撃ち返せない距離から一方的に撃たれるという事に気付けば、攻めてこなくなるんじゃないかと当てにしていた。

ただ一つ心配だったのは、カエサロス将軍がユーコポスみたいに前列の兵士を盾にして距離を詰めようとしないか、という事だったんだけど、話で聞く限りでは、カエサロス将軍は兵士にとても人気がある人だそうなので、あんな嫌な作戦は立てないだろうと期待していた。

はじめのうちは仰角が足らなくて、手前に落ちる弾も沢山あったけど、すぐにみんなコツをつかんだみたいで、十分に仰角を取って撃つようになったから、敵の先頭どころか真ん中辺りまで銃弾の雨が降る様になった。

そうやってしばらく、こっちが一方的に撃ち続けていたら、こっちを包囲する様に横に繋がっていた敵軍が、元の様に三つに分かれた。

こっちの将軍達は、何が起こっているのか判らず不審そうな表情になったけど、僕はワクワクして次の動きを待っていた。

すると、その三つの軍団は、整然とした動きで元来た道に引き上げ始めた。

顧問官も参謀将軍も、あっけにとられてそれを見ていた。

みんな、敗けて散りぢりに逃げ出す敵は嫌というほど見てるけど、敗けが決定的になる前に、戦力を温存するために整然と引き上げる敵ってのは、見た事が無いんだ。

僕は、カエサロス将軍の凄さを自分の目で見て、本当に嬉しかった。

出来れば、こんな人と一緒に世界を廻して行ければ良いのに、とおもったくらいだ。

見る間に、空っぽになった戦場を前に、僕以外はみんな呆然と立ちすくんで、誰も声を出そうとしない。

静寂に耐えきれなくなった僕は、お約束の台詞を吐いた。

「あの、僕また何かやっちゃいました?」

勿論、返事は無かった。


みんなが我に返った頃には、もうローメア軍は遥かに遠ざかっていた。

「しまった!すぐに追撃をしましょう。」

顧問官がそう言ったけど、僕は答えた。

「いえ、それは止めておきましょう。」

「何故です?敵の敗走は、撃滅のための千載一遇のチャンスですよ!」

参謀将軍が言ったけど、僕は追撃をする気は無かった。

「あれは、敗走じゃなくて戦略的撤退です。」

みんなが不満そうなのは無理もない。

みんなは、敗走と戦略的撤退の区別が着いて無いんだから。

「向こうは、陣形を維持しながら整然と引き上げてます。つまり、戦闘能力を保ったままなんで、追えばすぐに戦闘を再開します。そして、今僕達が有利なのは、向こうの射程距離外から一方的に攻撃できているからですけど、追撃すればこっちから距離を詰める事になるから、必ず手痛い反撃を受けます。」

みんなの不満を代表する様に、顧問官が言った。

「お言葉ですが、敢えて犠牲を出してでも戦うべき時もあるのではありませんか?」

相変わらずこの人の言葉は厳しい。

「まあ、そういう場合もあるかもしれませんが、今回の目的はカエサロス軍の侵攻を止める事で、その目的は達成しました。ここで、カエサロス軍を更に叩く事に、犠牲を出す程の価値はありません。」

「しかし、あれがその『戦略的撤退』とかいう物なら、奴らはまた出てくるのではありませんか?」

理解の早い顧問官は、もう戦略的撤退の意味を掴んだらしい。

「そうですね。だから僕達は、補給を待ってここの布陣を維持します。そうすれば、カエサロス軍は再度の侵攻をする事が出来ません。そして、もうすぐスキピオス将軍が侵攻を始めれば、カエサロス軍はそれこそ大慌てで引き返さざるを得なくなるから、追撃はそれからで十分です。」

将軍達は、驚きの表情になった。

戦術より大きな戦略という観点に、ようやく気付いたらしい。


そうして僕達は、カエサロス軍の南下に備えてカンネアに留まり続けた。

勿論その間、カエサロス軍の動向を全力で調べ続けていた。

カエサロス軍は、本隊を大きく退がったアルピア山中に置いたままで、決して出てこようとはしなかった。

時々小部隊を送り出して挑発的な小競り合いを仕掛けて来たけど、こっちが反撃するとすぐに後退した。

ただし、その速度は最初に見た見事な退却とは段違いに遅かった。

それを見たみんなは、追うべきだと口々に言ったけど、僕はそれを全て却下した。

向こうは、負けているのは射程距離の差だけだって事を十分理解しているんで、見通しの良い場所では勝ち目がないから、距離を詰めざるを得ない山岳戦に引き込もうとしているのが判ってたからだ。

お互いの本隊同士が相手の姿を直接見る事の無いにらみ合いが続いた。

その間に、互いに斥候を出して、相手の様子を探りあう持久戦は、中々神経がくたびれる物だった。

本来なら、この状況だと背後の策源地との間に山脈を挟む向こう側が圧倒的に不利な筈なんだけど、撤退する様子が見えない事にみんなは、頸を捻った。

「山中で五万人となると、食糧が続く筈が無いんですが・・・」

参謀将軍がそう言うと、顧問官が続けて言う。

「報告を見る限り、全く窮乏の兆しが窺えません。」

みんなの発想では、食糧は常に源地調達だ。

だから、五万人分の食糧を生産する余地の無い山岳地帯で、長期滞在なんて有り得ない訳だ。

「軍隊は胃袋に乗って行進します。」

僕がナポレオンの言葉を引用すると、みんな頷いた。

「その事が判っている指揮官なら、食糧の目処が立たない限り進軍を始めたりはしません。ガリオンの穀倉地帯から継続的に補給が出来るルートが確保できたから侵攻を始めたんでしょう。」

「つまり、あっちは食糧を、山脈の向こうから運んできていると?」

「そうです。それも継続的に。」


やがて、スキピオス将軍の艦隊が出発したという報せが入った。

「これで、膠着状態は終わるでしょう。あっちの動きを見落とさない様に、注意していてください。」


「やられました!全軍が夕べの内に陣を引き払って撤退しました!。すぐに追撃を!」

参謀将軍は、僕を叩き起こすなりそう叫んだ。

「まあ、落ち着いて。慌てて追い掛けて、山岳地帯で戦闘になったら、こちらも損害が出ます。」

僕は、眠い目をこすりながらそう言ってなだめた。

「しかし・・・」

そう言い募ろうとする参謀将軍に、顧問官は言った。

「閣下の戦略では、最終的にローメアを包囲して降服に追い込めれば良いのだから、ここで慌てる事はない。」

そして、僕の方を向いて続けた。

「それでは、追い付いてしまわない様に調整しながら、軍を進めますか。」

「はい、そうしましょう。」


そうして僕らは、アルピア山脈に入って行った。

ここまでのカエサロス将軍の戦術は、僕らを山中に引き込んで射程距離のメリットを無効にして叩く、という物だったから、もしかしてこの撤退自体がそのための偽装という可能性も否定できなかったんで、出来るだけ慎重に進んでいった。

そのうちに、最も急峻な峠に差し掛かった。

これを越えると、後はガリオンまで下り坂になるんだけど、とにかく峠は狭くて、僕らはとんでもなく長い一列縦隊になって、ひたすら岩だらけの足許を見ながら進んでいる。

その時僕は、首筋にちりちりと嫌な気配を感じた。

その 気配の元に目をやると、岩影に張り付く様に、二人の兵士がうずくまっていた。

二人はこっちに向いて縦に並び、後ろの兵士が構えた銃の銃口は、前の兵士の肩に載っていて、僕の頭に狙いをつけている!

そう思った瞬間に、銃口が跳ね上がって、銃声と共に、大きな鉛の弾が飛んできた。

それは、十ペーキュス程手前の空中で、粉々に砕け散った。

みんなは、大慌てで僕の前に出て、盾になろうとして混乱が起こった。

「ああ、良いです。もう大丈夫。」

僕がそう言うと、みんなの動きが止まった。

その間に、二人の兵士は銃を棄てて逃げて行った。

様子を見に行った参謀将軍は、銃を手に戻ってきた。

「申し訳ありません!奴らを取り逃がしてしまいました!」

しきりに恐縮する将軍に、僕は言った。

「大丈夫です。僕はあんなくらいの事でどうにかなったりはしません。それより、その銃を見せてください。」

その銃は、恐ろしく長くて、五ペーキュス程もあった。

銃自体の構造は、今までのカエサロス軍の物と同じ前装填で、連射機能は無いんだけど、中を覗くと、ちゃんとライフリングが切ってある。

この溝に食い込む大きさの弾を銃口から押し込むのは、大変だったろう。

大きすぎてとても一人では操作できないし、一発撃ったら次の装填をするのは何十分も掛かる代物だったけど、見事に狙撃銃としての機能を備えていた。

みんなの銃を調べて貰ったら、二丁程どこに行ったか判らなくなっていた。

多分、闇に紛れて盗んでいったんだろう。

で、それを見て、この銃を作ったんだから、凄い話だ。

カエサロス将軍は、これだけの間にライフリングの意味を理解して、狙撃だけに特化した銃を作った訳だ。

本当に凄い人だと、感心した。


僕らは、更に警戒しながら進んで行ったけど、それきり何も起こらなかった。

カエサロス軍としては、あとはもう、ひたすら帰還を急いでいる様だった。

山岳地帯を抜けて、ガリオンの平野に向かって下りながら、僕は少々気が重かった。

出来れば、このままローメア軍を追い立ててエトルスコン半島に入りたいんだけど、追い立てるところまでは行けても、そこからもう一度アルピア山脈を越えるには、どうしたって、大規模な補給が必要だ。

ところが僕らは、既に策源地であるヘラシアからアルピア山脈を隔てているので、本国からの補給を待つとなると、かなり時間がかかる。

でも、そんな時間を掛ける余裕はない。

だから、ここで補給をするには、住民からの徴発に頼るしか無いんだけど、勿論喜んで差し出してくれる訳がない。

僕は、ここにタレラノスさんが居てくれれば、と痛切に感じていた。


ガリオンに出てみると、そこは裳抜けの殻だった。

ローメア軍の本隊どころか、元々ここに居たはずの大規模な補給部隊すら、どこにも居ない。

ローメア軍は、山と積まれた補給物資を放置して、きれいさっぱり撤退していた。

物資を廃棄する手間も惜しい程に、大急ぎで移動した様だ。

随分と思いきりの良い話だけど、時間が最優先と決めたら、その他の全てを棄てるというのは、間違ってはいない。

失った物資は取り返しが着かない事も無いけど、失った時間を取り戻す方法は無いからだ。

とはいえ、理屈は判っていても中々そうするのは難しいけど。

なにしろ、持って行きたいのは山々だし、駄目でもせめて敵に利用されない様に火を掛けるなりなんなりしたいのは間違いない訳でね。

だけど、そうやって一つ余分な作業を始めると、それならあれもこれもと、次々にやりたい事が出てきて、最終的に大きな遅れに繋がるんだ。

「閣下、この様な物が置かれていました。」

そう言って参謀将軍が、羊皮紙の筒を差し出した。

立派な金泥で封印されている。

僕が手に取ると、自然に封印の金泥に切れ目が入り紐がほどけた。

つまり、これは僕宛の手紙だという事だ。

拡げて見ると、ごく短い文章が書かれていた。

『ヘラシア軍司令官殿

これらの物資は貴殿らに進呈申し上げるので、当地における徴発は無用に願いたい。

ローメア共和国ガリオン遠征軍司令官 カエサロス拝』

タレラノスさんが居ない以上、銃と剣で脅して沢山の徴発をしなきゃいけないんで、そうなれば、ここの人達を飢えさせるのは間違いないし、色々な行き違いが起こって血が流れるのは避けれらない筈だった。

それが、この物資の山と手紙で一気に片付いた。

この緊急撤退の中で、不利を承知で住民の生活を守ろうという姿勢には、感心するしかなかった。

僕は、心の底からこの人は本当の英雄だと思った。


物資は残り物とはいえ、なにしろ五万人分だったから、僕らには十分な量だった。

お陰でここでは、略奪(いけない事だけど一万人もいれば、どうしてもそういう人が混じる)どころか、軍としての話し合いに基づく徴発もしないですんだ。

とはいえ、銃弾だけは補給しないわけにいかないんで、人面鳥に手紙を持たせて、弾丸だけを届けてもらった。

銃弾は、食糧ほどはかさ張らないから、思いの外スムーズに届けられた。


そうして僕らは、山と積まれたローメア軍の物資を補給して、そのまま南に向かって軍を進めた。

顧問官が、僕と馬を並べて話し掛けて来た。

「あの『狙撃銃』を見ると、もうこちらの銃の秘密は漏れているのは間違いありません。今後の進め方に再検討が必要なのではありませんか?」

「今のところは、多分大丈夫です。」

顧問官は、意外そうな表情になった。

「いくらカエサロス将軍が凄い人でも、退却しながら五万人分の装備の改編は出来ません。あの銃が精一杯でしょう。」

「なぜ、そう思われるのですか?」

「ライフリングと長銃身は、狙撃銃として必須の物なんで、頑張って実現したんでしょうけど、後装化するまでの余裕はなかったんでしょう。そうでなければ、あんな長い銃身で後装化しない理由はありません。多分、あの銃だと、一度装填するのに二・三十分は掛かりますからね。一発逆転を狙った秘策でもそこまでなんだから、一般の兵装までは手が回りませんよ。」

「なるほど。」

「あ、ただし、一丁作れたって事は、もう少し作れるだろうって事ですから、前線に立つ将軍には、盾を持った兵隊を二・三人着けておいてください。」

「ふむ。」


あとはもう、拍子抜けするほど順調だった。

カエサロス将軍は、スキピオス軍に包囲され掛かっていたローメア防衛のために全速で引き揚げたんで、こっちに何か仕掛けてくる余裕は無かったみたいだ。

そして、ローメア郊外で僕らは、スキピオス将軍の分遣隊と合流した。

「申し訳ありません。包囲が完了する前に奴らが戻って来たので、ローメアに突入して防衛軍と合流するのを止める事が出来ませんでした。」

「ああ、大丈夫です。むしろ、カエサロス軍が郊外で活動される方が、腹背に敵を受ける事になるんで厄介だった訳ですから。ていうか、カエサロス将軍なら、そうするだろうと思ってたんですけどね。」

いくらローメア防衛軍が少数でも、ここで、強力なカエサロス軍を内部に引き込むのは、どう見ても得策じゃ無い。

むしろそのまま郊外に陣取って、包囲軍の背後を衝く方が戦力の有効活用なんだけど、この判断には頸を傾げざるを得なかった。

「ともかく、このまま包囲しましょう。ただ、今度は城塞ですから、大砲なんかがあるかもしれないんで、そこは気を付けないと。」

「大砲?」

「ええと、物凄く大きな銃です。」

「その点は、心配ないでしょう。」

「え?」

「ローメアで銃を持っているのは、カエサロス軍だけです。」

「何で?」

「向こうから銃が全く出てこないんで、不思議に思って捕虜を訊問したんです。そうしたら、ガリオンのカエサロスからそっちでも銃を作れという手紙が来たのに、元老院は一笑に付したんだと、大変に悔しがっていました。」

「なぜなんでしょう?」

「元老院は、そんな物は邪道だ、と言っているそうです。」

まあ、いつだって頭の固い人達は居るんだ。

「今でも、カエサロスは元老院を説得出来ていない様で、むしろ銃を棄てろ、と言われて、抵抗している状態ですね。」

「なるほど、わかりました。ただし、向こうには狙撃銃があるから、前面には、必ず大楯を立ててください。」


そのあと、何故か向こうから積極的な攻勢が無くて、そうなるとこっちもやりようが無く、そのまま散発的な小競り合いを挟んだにらみ合いが続いた。

その間の補給は、ヘラシアから届けられてたんだけど、包囲が三ヶ月を過ぎる頃には、段々と滞る様になってきた。

まあ、三万人分の食糧となると、ヘラシアにとっては大きな負担なんで、そういつまでも送り続ける訳にもいかない。

このままだといずれは、包囲から攻略に切り替えなきゃなんだけど、そうなると、双方に沢山の死者が出る事になる。

顧問官も、将軍達も、口には出さないけど、方針を転換して欲しいのは明らかだった。

そして、僕が憂鬱な気分で攻略への切り替えをしようかと思い出した頃に、大量の物資が届いたという報せが入った。

何で今ごろになって、と港まで見に行ったら、そこにいたのはヘロノスさんの作った煙突つきの輸送船じゃなくて、大きな帆船だった。

僕の姿を見て、船長らしき人が、タラップを降りてきた。

「大将軍閣下、総督代理からのお手紙です。」

差し出された羊皮紙の筒を受け取ると、それは自然に開いた。

『ようやく風向きが変わりましたので、ペルシオンの物資をお送り致します。

ご不自由はおさせ致しません。当面の補給は、小官にお任せください。

アルキビアス 拝』

さすがに抜け目の無い人だ。


そうして包囲が四ヶ月を越えた頃、唐突に城内から大きな騒ぎが漏れて来た。

その声は散発的に三日ほど続いていたんだけど、また唐突に静かになった。

そして、白旗を掲げた軍人が、城門から出てきた。

司令官と話したい、と言ってるそうなので、僕は顧問官と二人で出て行った。

その人は、僕に向かって掌を斜め上に突き出す敬礼すると、手紙の筒を両手で差し出した。

『ヘラシア軍司令官殿

これ以上の流血は、双方にとって好ましからざる物と愚考するゆえ、会談の場を設けたく。

貴方きほうの望む日時・場所に赴く用意あり。

ご一考願いたし。

ローメア臨時政府代表 オクタウィオス拝』

差出人がカエサロス将軍じゃないのは引っ掛かったけど、話し合い自体はこっちとしても望むところだった。

「わかりました。いつでも良いですよ。そっちの準備が出来次第話し合いましょう。場所は・・・そうですね。ここで。」

「かしこまりました。帰ってそう伝えましょう。」

そう言いながら使者は、明らかに肩の荷を下ろした様に力が抜けた。

「あの・・・ところで一つ良いですか?」

僕が尋ねると、その人は警戒しながら尋ね返した。

「はい?何でしょうか。」

「いえ、あの、この手紙を書いたのは、カエサロス将軍じゃないんですか?」

その人は、言いにくそうに答えた。

「その点については、オクタウィオス代表にお尋ね下さい。」


僕らは、両軍の中間地点にテーブルと椅子を並べて、テントを張って待つ事にした。

すると、テントを張り終わらないうちに、城門から別の一行が出て来た。

一行は、僕らがテントを張り終わるのを待って入って来た。

「どうぞ、掛けて下さい。」

すると、行列が左右に別れて、三人が進み出てきた。

そして、真ん中の人が微笑みながら手を差し出した。

「ローメア臨時政府代表オクタウィオスです。」

僕も、手を差し出して言った。

「オリュンポシアのベネディクトスの子のダミアノスです。」

オクタウィオスさんが、おや?という顔をしたんで、横から顧問官が言った。

「こちらは、ヘラシア軍総司令官のダミアノス閣下です。」

オクタウィオスさんは、軽く驚いた様子だったけど、すぐに笑顔に戻って、僕の手を握った。

まあ、驚くのは無理もないけど、オクタウィオスさんも、僕ほどじゃないにしても随分と若くて、いっても二十代半ばにしか見えないから、おあいこだと思って少し可笑しかった。

「まず始めに、ここで開城したら戦闘行為を即時停止し、入城後に略奪その他狼藉行為を行わない事を確約頂けますか?」

いきなり本題に入ってきたんで、僕は少し面喰らったけど、まあ、別に問題のある話でもないんで即答した。

「勿論です。」

「それでは、ローメア共和国はヘラシアに対して、降服致します。」

恐ろしく思いきりの良い態度だった。

「良いご判断、ありがとうございます。」

こうして、ローメア戦役は終った。

そのあと、詳細な降服条件は顧問官と向こうの副官に任せる事にした。

これで両方が肩の荷を下ろしたんで、僕は気になっていた事を尋ねた。

「あの・・・カエサロス将軍は、何故出てこないんですか?」

その質問に、オクタウィオスさんの顔が曇った。

「義父は・・・」

そこで言い澱んだ。

「義父って?」

「私はカエサロスの姪アティエラの子ですが、カエサロスの遺言状で、養子として後継者に指名されたのです。」

なるほど、だからこんなに若いのか。

態度を見ると思慮深そうなんで、二十代半ばかと思ってたけど、幼さの残る顔の造作や頬のつやからすると、もしかしたら十代かもしれない、と納得しかけたところで、もっと重大な事を言われていた事に気付いた。

「遺言状!?」

「はい、順を追って説明しましょう。まず前提として、今の元老院は主に二つの派閥に別れています。」

やっぱり、どこに行っても派閥はあるんだなぁ、と僕は軽くため息をいた。

「全市民が参加する民会と異なり元老院の議席は世襲ですから、ある意味で貴族階層とも言えます。その内で、古くから議員を輩出してきたいわゆる名家を中心として、元老院は民会に対し優越する存在であると信ずるのがパトリコスで、民会と協調する事で市民との調和を目指すのが、プレビオスです。義父は、パトリコスの議員と、プレビオスの議員の娘の間に生まれ、双方に地盤を持っている立場でしたが、プレビオス寄りの姿勢を取りました。義父から見れば、今のローメアは、元老院による合議制では時間が無駄に浪費されて、もはや運営が回らなくなっているのです。」

「元老院のみんなで話し合うのが時間が掛かるのはわかるけど、それで民会まで巻き込んだら、もっと時間が掛かるんじゃありません?」

「義父が目指していたのは、全市民の代表である民会の支持で、元老院を越える権限を得る、という事でした。」

「それって、つまり・・・」

「他国で言えば『王』ですな。」

カエサロス将軍は凄い人だと思ってたけど、みんなで話し合うのをやめて王様になりたいと考えてたって言われて、ちょっとがっかりした。

それを見てとったオクタウィオスさんは、真剣な顔で言った。

「これは義父の名誉のために言わねばならんと信じますが、義父は、決して王になりたいという野心を抱いていた訳ではありません。」

僕は、何が言いたいのか、よくわからなかった。

「共和国が大きくなった事で、決定すべき事項は多岐にわたり、またその多くは時を措く事が出来ない喫緊の物ばかりとなりました。つまり、この国は、意思決定に時間を要する合議で運営して行くには、大きくなり過ぎたのです。勿論、皆が国家の運営に責任を持つという共和国の理想は崇高な物であり、それを打ち棄てる事は出来ません。しかし、世襲化して特権階級となっている元老院は、その失策の重なりもあって、市民達の支持を失っていました。もはやこの国を動かすには、全市民の支持に基づいて全責任を追う少数の、究極的にはただ一人の人間が必要なのですよ。」

まあ、何となく判らないでもない。

「しかし、それが出来る、そもそも権力欲とは無縁でありながらこの国の運営の全責任を一人で背負う覚悟が出来る人間が、他に居そうも無かった、というだけの事です。」

「ふむ。」

「しかしその考えは、元老院を至高の存在と信じるパトリコスには、到底理解出来ませんでした。だから義父は、その影響力を増すために、外征で斯々たる戦果をあげる必要があったのです。」

「なるほど。」

「そして義父は、ガリオンをほぼ平定し終えたのですが、元老院はその成果に満足せず、更にヘラシアの征服を求めました。と言うのは表向きの話で、実際には、元々政治的な意味で人気者であった上に、ガリオン平定の英雄として更にその名望を高めた義父を、ローメアに置いておきたくなかったのです。」

それで、侵攻してきたのか。

「ところが、そちらの軍団が半島南端から破竹の進撃を開始した時点で、元老院は恐慌をきたして、方針を転換しました。つまり、止むを得ず義父を呼び戻す事にした訳です。」

どうやら、今回の戦略は予想以上の効果を上げた様だ。

「義父は、前に言った通り銃を作って対抗しろと言ったんですが、元老院は聞く耳を持ちませんでした。矢の様な帰還の催促の末に、とうとう即時帰還せねば、ガリオン遠征軍総司令官を解任する、と言い出したのです。止むを得ず義父は引き揚げて来たのですが、その時点で既にローメアは半包囲状態となっていました。そして、双方の装備の差を見れば、その包囲を阻止する事は明らかに困難でしたから、それを更に包囲するいわゆる二重包囲とする事で膠着状態に持ち込んで撤退を余儀なくしようと考えました。しかし恐慌状態の元老院は、それを、首都を見棄てて独立するための口実と受け取ったのです。包囲を破って即刻入城し防衛軍と合流しなければ、司令官解任に留まらず全ての役職と名誉を剥奪する、と言い出しました。」

それで、こんな無意味な籠城戦をする事になったのか。

「義父は、突入に成功すると、後は消極的姿勢に終始せざるを得ませんでした。元老院の愚策のために、勝機はとうに喪われていたからです。」

僕は、カエサロス将軍が可哀想になってきた。

「そうして、貴殿方がやって来た段階で、義父は元老院に対して和平交渉を提案しました。しかし、元老院の多数派であるパトリコスは、ローメアの降服という現実を受け入れる事が出来ませんでした。それを受け入れれば、戦争指導の不味さを認める事になり、責任を問われるからです。彼らは、最後の一人まで命を棄てる無意味な徹底抗戦を主張し続けました。」

そう言うオクタウィオスさんは、実に悔しそうだった。

「もはや義父は、責任回避のために国を滅ぼそうという元老院、いやパトリコスの愚劣さに愛想が尽きて、元老院からパトリコスの主要メンバーを、・・・排除する決意を固めました。」

排除の前で少し言葉が引っ掛かったのは、多分そこに『暴力で』という言葉が入る筈だったのを、意図的に省略したからだろう。

「ところが同じ頃、元老院は不安に苛まれていました。」

「不安?」

完全包囲された状態なんだから、不安どころの騒ぎじゃ無さそうなんだけど。

僕の疑問を読み取ったオクタウィオスさんは、軽く笑った。

「ああ、貴殿方に対する不安じゃありません。ガリオン平定の英雄が城内に居て、それも自分達と意見を異にしながら軍を率いている、という事実に対してです。」

そりゃまあそうだろうな、と思いつつも、そこから出てくる結論は、どうみても楽しい話では無さそうだった。

「そうして、同床異夢のまま、危ういバランスで籠城が続いていたのですが、ついに双方がほぼ同時に決断を下しました。」

そうして一呼吸置いて、話は続いた。

「結果から言うと、クーデターの相討ちとなったのですが、不幸な事にパトリコス側の方が、わずかに決断が早かったのです。我々がパトリコス主導者の拘束に踏み切る直前に、パトリコスの刺客が義父を襲ったのでした。」

僕は、思わずため息を吐いた。

「この出遅れの大きな原因は、こちらの目標はパトリコス主導者達の拘束だったのに対して、向こうははじめから義父の殺害を目指していた事でした。まさか彼らが、金の卵を産む鵞鳥を殺すほど愚かだとは予想していなかったためです。」

「それで、どうなったんです?」

「こちらが動き出した途端に、パトリコスの主導者達は血相を変えて逃げ出そうとしましたが、何とか拘束しました。その上で、義父の葬儀の席上で遺言状が公表され、私が後継者に指名されたのです。葬儀では市民と、パトリコスを除く元老院議員達が義父の死を悼み、更には今回の愚挙に憤激しました。そこで私は、あえて拘束した議員達を解放した上で、義父の功績を称える演説を行いました。」

なるほど、正当性を確立する千載一遇の機会を見出だしたって訳だ。

「向こうも対抗して、暗殺の正当性を主張する演説を行いましたが、聴衆の投石にあって、ほうほうの体で逃げ出しました。」

これで、勝負あった、というところだろう。

「そして民会は、市民に元老院の打倒を呼び掛け、それに応じた市民が元老院を包囲するに至って、プレビオス陣営の発議で元老院の権限を一時的に私に委譲して臨時政府を組織する事を要請をすると決議しました。」

「なるほど、経緯はわかりました。」

演説する前にあえて政敵の拘束を解くというのは、相手に反論の機会を与えるという事だから、中々出来るもんじゃない。

勿論その勝算があったからだろうけど、それにしたって危険な賭けである事は間違い無いだろう。

英雄と言われるためには、必ずしも公明正大である必要は無いけど、公明正大であると思われる事は是非とも必要だ。

後ろ暗い人間には、人がついて来ないから。

この人も、カエサロス将軍が選んだくらいだから、間違いなく英雄だった。

「すみませんが、このあとヘラシアまで同行してください。ともあれ貴方は、ローメアを任せられる人だと思います。王様には、そう言っておきます。ただ一つだけ残念なのは、カエサロスさんに会って話をする事が出来なかった事です。」

そう言うと、オクタウィオスさんは、寂しそうな顔をした。

「あの・・・僕またなんかやっちゃいました?」

オクタウィオスさんは、穏やかな表情で答えた。

「もし貴方がおられなければ、義父の高邁な理想の許でローメアは世界を覆い、世界は全く新しい局面での平和を享受していたでしょう。貴方は、ローメアの運命を、いや、恐らく世界アルカディエラの運命を変えました。それが世界にとって、良い事か悪い事かは判りませんが。」

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