第一話 村で暮らすゾ
「ええ、その、ダミアノスさん。」
「はい、何でしょうか?」
「今日は何をしますか?」
上司と部下が仕事の予定を確認している会話というわけじゃなく、友達同士でこれから何の遊びをするかを決めようとしているだけだ。
僕はたった五歳で、友達の中でも最年少だし、今話し掛けてきているハーデオスは一番歳かさの十歳なんだが、僕が一緒に遊ぶ様になった途端に彼はリーダーとして振る舞うのを止めて、自発的に僕の子分になり、他の子達もそれに倣った。
悲しい事に、僕を『ダミちゃん』と呼んでくれる人間は、ここにはいない。
父母ですら、僕が三歳の時にそう呼ぶのを止めてしまった。
そして、毎日みんなが集まる度に、こうして今日は何をして遊ぶか僕にお伺いを立てるのだ。
僕たちの遊びは色々と制約があって、簡単にはいかない。
特に、鬼ごっこやかくれんぼは、事実上不可能なんだ。
僕が逃げると追い付ける子はいないし、僕は隠れる事が出来ない。
僕は自分のオーラを見た事がないんだけど、みんなが言うには百スタディオン先からでも見えるんだそうで、百スタディオンといえば、大人が早足で歩いても三時間くらいかかる距離だから、隠れても全く意味がない。
なら、鬼になれば良いんじゃないかと思って試してみたら、鬼ごっこで僕から逃げられる子もいないし、隠れている子は、僕のオーラが近付くと怯えて泣き出してしまうんで、これも駄目だった。
ままごとをしても、どんな設定ではじめてもすぐにみんな、王様に仕える召し使いの様に振る舞ってしまうので、全然面白くなくなる。
「うーん、確かこの前の雨で峠の切通が大岩で塞がっちゃいましたよね。」
「そうですね。みんな切通が通れなくて、ぶつぶつ言いながら大回りしてますね。」
「それを見に行きましょうか。」
それは、百年くらい前に村中が総出で何年もかかって岩を開削した細い道なんだけど、大きな岩が落ちてきてはまりこんでしまい、完全に塞がっていた。
手の空いてる人達がかわりばんこにやって来て魔法で何とかしようとしてはいるんだけど、あまり大きい上にがっちりと嵌まり込んでいるので動かす事も出来ず、みんな困っているらしい。
峠に来てみると、石屋のイアペトソスおじさんが一人で頑張っていた。
呪文を呟きつつゆっくりと両手を振り上げては、一気に降り下ろすという動作を繰り返している。
その度に、指先から光が迸って岩の表面が少し弾ける。
「こんにちは。」
声を掛けると、おじさんは手を止めて振り返った。
「やあ、ダミアノスさん。」
「壊すんですか?」
「もう、どうにも動かせないんで、何とかして割って動かせる大きさにしようかと思ってね。それで日の出からずっとこうやって叩いてるんだけど、物凄く硬いから少しずつしか削れなくてね。」
そう言う顔は、水を被った様に汗みずくになっている。
「やれやれ、とりあえず、ひと休みしようか。」
そう言いながらおじさんは、手を降ろして後ろに下がると、路傍の石に腰掛けて、袋からパイプを取り出すと、香草を詰めて口にくわえて掌で覆った。
すると、すぐに指の間から小さな煙が上がった。
口火の魔法で、火を着けたんだ。
といっても、別に特別な魔法なわけじゃない。
炎の魔法は、魔法スキルの中でも基本中の基本だから、誰でも火は簡単に出せるんだけど、少し大きい火を出そうとすると、途端に難しくなるんで、出来る人は限られている。
だから、それなりに大きな火を出す魔法だけを炎の魔法と呼んで、誰でも出来るごく小さな火を出す魔法は、口火の魔法と言う。
これがあるんで、この世界には火打石を持ち歩いたり火種をとっておいたりする習慣はない。
「僕らがやってみても良いですか?」
「え?ああ、良いけど怪我には気を付けて下さいよ。」
その言葉に、退屈していたハーデオスがちらりと僕の方を窺ってから前に出た。
「じゃあ、まず僕が行きます。」
そう言うとおじさんと同じ様に破壊の魔法を使った。
ただし、おじさんがやった時よりずっと近くに寄ってから両手を振り上げて、掛け声と共に降り下ろした。
おじさんの時程じゃないけどそれなりに表面が弾けて、小さい欠片が飛び散った。
破壊は見えないハンマーを叩きつける魔法で、魔法力の大きさで、基本的なハンマーの大きさが決まるが、距離が離れるとそれだけ勢いがなくなる。
ハーデオスは、攻撃系の魔法にはそこそこ才能があるようで、子供にしては威力があるが、おじさんに比べると大分その有効範囲が狭いんで、それだけ近付かなきゃならない。
それにまだ呪文を唱えられないから、 おじさんと違って掛け声だけでやっている。
正しい呪文を唱えると、より大きな効果が出るし、コントロールもしやすくなるんだけど、子供にはあまり呪文を教えてもらえないんだ。
そんなこんなで、とにかく近付かなきゃ効果が薄れるから、飛び散った破片が本人の顔にまで当たっている。
顔をしかめながら魔法を繰り返しているが、目に入るとかわいそうなので、こっそりと防壁の魔法を掛けてあげた。
防御系の魔法は、大きく防壁と障壁に別れている。
防壁は、護ろうとする対象に当たりそうな『運動』をする物体を跳ね返す物で、障壁は対象に害を与える『意図』のある物を押し返す物だ。
だからもし対象の近くを通る物や人があっても、防壁は当たりそうにない物ならそのまま素通りさせるし、障壁は、害を与える気の無い物をそのまま通り抜けさせる。
仮に蜂が障壁に入っても、ただ飛んでいるだけならそのまま通り抜けて行くが、気が変わって対象を刺そうとした途端に弾き飛ばされるんだ。
自分の顔に向かってきた欠片が空中で跳ね返されたのを見たハーデオスは、軽く驚いてこっちに顔を向け、僕と目が合うとニヤリとして頭を下げた。
やがて、岩の表面にちょっとした窪みが出来る頃に、彼は疲れきって手を降ろした。
それから、みんなが交代しながら叩いていった。
何しろ、大人が壊して良いと言ってくれる事はまず無いんだから、大喜びだ。
次々に子供達が入れ替わって岩を削るのを見ながら、僕はこの岩をどうするか考えていた。
遠くに移動させるのは簡単だけど、それじゃおじさんの苦労が無駄になってしまう。
だから細かくする事にしたんだけど、こんなに大きいと砕いても後片付けが大変そうだ。
しばらく思案した結果、踏んで歩けるくらいに細かく分けてから、このまま道に敷き詰めてしまおうと決めた。
ここらへんは泥道なんで、雨が降るとぬかるんで馬や荷車が通れなくなるから、丁度良いだろう。
一番小さな(それでも僕より一つ上だけど)ドロテオスは、三回くらい叩いたところで、疲れて退がった。
おじさんがそれを見て立ち上がったんだけど、僕は声を掛けた。
「僕にもやらせてください。」
「あ、ああ、良いですよ、どうぞ。」
「じゃあ、ちょっと一度離れましょう。」
みんなは怪訝そうな表情になったけど、それでも僕の後に続いて、切通から脱け出した。
僕は切通の入口を避けて岩壁の脇に立つと、両手を軽く差し出した。
僕は、破壊じゃなくて切断の魔法を使う事にした。
切断は、見えないナイフで切るという魔法で、魔法力の大きさで、その刃がどれくらい鋭いかが決まる。
つまり、どこまで細かい結合が切り離せるか、という事だから、おおむねどれくらい硬い物が切れるかが決まるといえる。
僕の力だと、分子レベルで切る事ができるから、この岩でもバターでも全く差は無い。
切断なら、平たい板の形に切り出す事が出来るから、敷き詰めたら歩きやすいだろう。
それに、切断なら破片も飛び散らないから、周りのみんなも危なくない。
で、どうせならついでだから少し道自体も拡げる事にした。
村から街に行くにはここが一番近道なんだけど、岩山を切り開くだけで大仕事だったから、荷車をぎりぎりで通せる幅しか出来なかったんだそうだ。
それで、作物を街に売りに行くのにも、満載の荷車を通すのに随分と時間が掛かるし、その間は誰も通れないんだ。
僕が手を差し出した瞬間に、塞いでいた岩とその両側の岩壁ははもう細かく切断されたんだけど、拘束の魔法を掛けてそのまま形を保つ様に押さえておいた。
次に、岩の真ん中から両側に向かって圧迫の魔法を掛けると、岩は二つに分かれて峠の両側に向かって倒れ始めた。
二つの塊はそのまま峠のむこうとこっちに向かって転がって行く。
邪魔物の岩がなくなった所から、両側の岩壁の拘束を順に解くと、それは次々に剥がれて薄い板になって、ぱたぱたと倒れ込みながら、きれいに道を覆っていった。
その間に岩壁の間を抜けて転がり出た岩は、そのまま転がりながら、これも表面から順に薄い板になって剥がれて、その先の道を覆って行く。
転がり出た二つの塊は、そこから巻物を拡げる要領でその形が完全になくなるまでに、道を一スタディオンくらい覆ってきれいな石畳になり、切通は荷車がすれ違えるくらいの広さになった。
さて、これで片付いてみんな喜んでくれるかと思ったのに、みんなは呆然として突っ立っている。
しばらくすると、小さい子供達は手を打ってはしゃぎ出したんだけど、年長の子達とおじさんは、口をぽかんと開いたまま立ち尽くしていた。
「えーと、僕、またなんかやっちゃいました?」
返事は無かった。
結局、岩の始末にはもう一手間かかった。
石畳の表面があまりにも滑らかすぎて、滑って歩けない事が判ったんだ。
翌日は、村中総出で石畳の表面に刻みを付けていったんだけど、これが一日仕事になった。
それからみんなは、そこを『ダミアノス峠』と呼ぶ様になり、いつの間にかそれが名前として定着してしまった。
今日は、人面鳥の墓を見に行く事にした。
人面鳥は、大雑把に言えば人の顔をした鳥なんだけど、その大きさは馬くらいある。
飛ぶスピードも凄く速くてしかも百スタディオンくらい一気に飛べるし、中々頭も良いから、伝書鳥としてよく使われる。
特に大きなやつなら、二タラントンくらい載せて飛ぶことができるんで、小柄な大人なら乗って空も飛べる。
といっても、そんなに重いと精々十スタディオンくらいしか飛べないけど。
ただし、野生の人面鳥はかなり危険な生き物で、ときどき小さな子供を拐って、巣に持って帰って食べたりするから、大人は人面鳥の巣に近付いてはいけない、といつも言っている。
僕が居ると警戒して近付いて来ないから、一応大目に見られているけど、あんまりいい顔はしない。
だけどここしばらくは、あちこちで戦争が始まっているとかで、みんなそれどころじゃなくなってるみたいで、今日も村中の男の人達が集まって相談してるから、今ならうるさく言われなさそうだった。
人面鳥は何千羽もいて、僕達の村が出来るずっと前から一つの山を丸ごと巣にしていて、みんなはそこを人面鳥の山と呼んでいる。
この山はほとんどの石灰岩でできているんで、雨に浸食されて洞窟が一杯出来てるから、巣穴には事欠かないらしい。
人面鳥は、巣穴の一番奥に仲間の死骸を並べておき、巣穴の入口に糞をするんで、何十年か経つうちに巣穴の奥に死骸がたまり、入口が糞で盛り上がって狭くなるんだ。
そうしてあんまり狭くなると、その巣穴を捨てて別の洞窟に移るんだそうだ。
そうやって何万年もかけて、山の麓から段々上に上がって行ったから、今は中腹から上の穴にしか棲んでいない。
僕達は、麓近くの一つの巣穴の入口で、立ち止まった。
その穴は、入口のほとんどが糞でふさがっていて、もうずっと昔に棄てられたみたいで、糞の山の表面も石みたいにカチカチで臭いもしない。
人面鳥は、糞で出入り出来なくなって巣穴を棄てても、しばらくは元の巣穴で糞をする。
多分、元の巣穴を墓として遺すために塞いで隠したいという本能なのだろう。
この穴なら人面鳥が中にいる事もないだろうと思ったので、入って見る事にした。
みんなは、その辺の棒を拾い上げて、糞の山を突いて崩し始めた。
表面はわりと簡単に剥がれた。
その一段下は、化石化して白い岩みたいな結晶になっている。
もう多分何百年も前に棄てられた巣穴なんだろう。
今度はハーデオスが、拳くらいの石を拾って叩いてみた。
そうして結晶にひびが入ると、またみんなが棒で突いて崩す。
何度も繰り返していると、体が一番大きいハーデオスでも四つん這いになれば通れるくらいに穴が拡がった。
ハーデオスが先頭になって、僕らは一列で入って行った。
「おい。」
みんなが中に入ったところで、ハーデオスが顎でしゃくる様に命じると、ヘリオソスが前に出た。
ヘリオソスは、灯りの魔法が得意なんだ。
彼が両手で何かを包み込む様に差し出すと、その開いた指の間から光が出て洞窟を照らした。
足許に注意しながら進んで行くと、一番奥が一段高くなってて、その上に骨がきれいに並んでいた。
別に人面鳥の骨を見に来たわけじゃないんで、僕らはその間にあるはずの物を捜す。
あちこちで、小さく光が反射しているのが見えた。
人面鳥は光る物が大好きなんで、ぴかぴか光るきれいな石なんかを集めて、仲間の死骸と一緒に並べておくんだ。
水晶や、もっときれいな宝石みたいな石が見つかって、みんな歓声をあげる。
今日は中々大漁だった。
そうやって広い集めた石をハーデオスが袋に詰めていた時、僕の頭の中に赤ん坊の泣き声が響いた。
とっさに僕は、洞窟の入口に向かって全力で駆け出した。
暗視の魔法を使ってるんで、灯りがなくても問題ないし、僕の反射神経なら、足許のでこぼこなんか、全く障害にならない。
入口の光が近付いた時、糞の山を越えるために這いつくばって進んでいる隙はないと思ったんで、僕は前方に向かって走りながら両手を差し出すと、爆発と破壊と圧迫の魔法をいっぺんに放った。
物凄い音がして、入口はきれいに開いた。
続いて、圧迫の魔法でたちこめる土埃を吹き飛ばしながら、そのままの勢いで走り出た。
空を見上げると、半スタディオンくらい上空を飛んで巣に戻ろうとしている一羽の人面鳥が見えた。
望遠の魔法を通して見ると、その鉤爪にしっかりと掴まれている赤ちゃんが見えた!
あれは、クレシオスさん家の赤ん坊だ。
赤ん坊は、泣き叫びながら必死にもがいているが、爪の締め上げはびくともしない。
僕はすぐにその人面鳥ごと拘束の魔法を掛けて、こっちに引き寄せた。
するとそいつは、怒って大声で叫びながらその子を握り潰しそうになった。
その爪を無理矢理に開くと、赤ん坊はもっと激しくもがく。
鉤爪を無理に拡げられたままそいつが空中で暴れる上に、赤ん坊も更に激しく手足をばたつかせるんで、ついに赤ん坊は爪の間をすり抜けて落下し始めた。
僕はそれを支持の魔法で下から優しく掬い上げるとそのままゆっくりと降ろした。
気が付くとみんなも回りに立ってて、恐々と赤ん坊を見上げている。
血まみれで泣き叫ぶ赤ちゃんが目の前まで降りてきた時、ペルセポニアが進み出て、服が血で汚れるのにも構わず、その子を優しく抱き止めてくれた。
彼女は、ハーデオスの次に歳上の女の子なんだけど、とっても優しい人で、みんなのお姉さんなんだ。
ペルセポニアの腕の中でもその子は、激しく泣きながら仰け反って暴れるが、彼女は両腕で優しく包むように抱いてあやした。
「見せて。」
僕が声を掛けると、彼女はこっちに来て赤ん坊を見せる。
鉤爪のせいであっちこっちから血が出てるけど、幸い見た感じ大きな怪我はしていない様だ。
まあ、命さえ無事ならなんとでもなるんだけどね。
彼女の腕の中の赤ん坊に治癒の魔法を掛けた。
見る見る内に血が止まって、傷が消えていった。
すっかりきれいになったその子をペルセポニアがあやすと、安心したらしくさっきまでの大泣きが嘘のように大人しくなり、やがて眠った。
そこへ大勢の大人が息せき切って走って来た。
全員が目を血走らせて、刀や鋤とか棒を振りかざしている。
どうしたのか尋ねようとしたが、その前に先頭の村長のクロノソスさんが息を切らしながら尋ねてきた。
「ああ、ダミアノスさん。人面鳥がこっちに飛んできませんでしたか?」
「えーと、それは、この子に関係がある話ですか?」
「え?」
僕がペルセポニアの腕の中で眠っている赤ん坊を指すと、クロノソスさんは状況が把握できず言葉に詰まった。
その時、人垣をかき分ける様にして、女の人が飛び出してきた。
それは、クレシオスさんの奥さんだった。
奥さんが駆け寄ると、ペルセポニアはにっこり笑って赤ん坊を差し出した。
赤ん坊を受け取った奥さんは、そのままへたりこんでしまったが、やがて、その安らかな寝息を確認すると、わあわあと声を上げて泣き出した。
そこへクレシオスさんも出てきて、当惑しながら尋ねた。
「あの・・・何があったんでしょうか?」
ハーデオスが何か言おうとしたんだけど、僕は、たまたま上を飛んでいた人面鳥が、赤ん坊を落としたのでみんなで受け止めたという話にしたかったんで、ハーデオスに目配せをした。
それに気付いた彼は、空気を読んで言葉を呑み込んだ。
だけど、僕が話す前に、興奮したプロテオスが叫んでしまった。
「ダミアノスさんが、助けたんだよ!」
プロテオスは千里眼が使えるんで、全部見ていたみたいだ。
その一言で、辺りは静まり返った。
奥さんも泣き止んでいた。
「あ、あの・・・それは、一体・・・」
村長が尋ねると、すっかり興奮しきったプロテオスは、僕のうんざりした様子に気付かず一気にしゃべってしまった。
大人達は一斉に僕の前に跪き、両手を組んで頭を下げた。
クレシオスさんに至っては、両肘を地に付けた上に額まで地面に擦り付ける様な勢いで、まるで谺の魔法を止め損なった時みたいに、ひたすらありがとうございますを繰り返していた。
みんなのあまり真剣な様子に、僕は恐る恐る尋ねた。
「ええーと、僕またなんかしちゃいました?」
誰も、答えなかった。
それからしばらくは、大人達がみんな愚痴っていた。
言うことを聞かない子に「悪い子は人面鳥に拐われて喰われちまうぞ。」と言うと、判で押した様に「ダミアノスさんが助けてくれるから良いもん。」と言い返されてしまうんだそうだ。
そしてその子は、生後一年経って本当の名前が付けられたたんだけど、その名前は最初の『ダミアノクレス』になった。
今日は、新しい畑の開墾の仕上げをするというんで、みんなで見に行った。
最近は、次々にこうやって新しい畑が出来る。
なんでも、とうとうこの国も戦争に巻き込まれたとかで、食糧を増産せよ!という王様の命令と、都に納めなきゃならない小麦の量を来年から倍にする、という大蔵大臣の命令が一緒にこの村にもやって来たんで、秋の播種までに農地を拡げるしかなくなったんで、今まで放置していた野原も開墾する事になったんだそうだ。
そこは、ちょっと前まで雑草の茂る草原だったのに、きれいに耕されてすっかり畑らしくなっている。
でも、集まってる大人達はみんな浮かない顔だ。
これでも足りそうにない(なにしろ戦争には物凄い量の食糧が要る)んで、これから播種までにもっと沢山開墾しなきゃならないから、みんなうんざりしてるらしい。
後は、種子を蒔く前に、豊穣の魔法を掛けて開墾は終わりだ。
村長のクロノソスさんの指示で、大人達が順番に入れ替わりながら、ややこしい呪文を唱えつつ両手を差し上げて魔法を掛ける。
細かくいうと『豊穣』という一つの魔法があるわけじゃなくて、色々な魔法を組み合わせると、全体として稔りをもたらす魔法になるんで、それぞれの魔法が得意な人が、順番に掛けていく。
大体掛け終わって、ついに最後の落雷の魔法を掛ける事になった。
これはとても派手なので、僕達はみんな楽しみにしている。
クロノソスさんの息子のゼウソスさんが進み出て、難しい顔で呪文を唱えながら両手を上げると、勢いよく降り下ろした。
ぱちぱちと弾ける様な音と共に、ちょっとした雷が次々に畑に落ちていく。
僕らはその度に飛び上がりながらはしゃいでいたんだけど、大人達はみんな浮かない顔で見ていた。
掛け終わったゼウソスさん自信が一番渋い顔なので、気になって尋ねてみた
「なんで、そんなに浮かない顔なんですか?」
ゼウソスさんは寂しそうに笑いながら言った。
「爺さんは落雷の名手だったから、そりゃあ凄かったんだけど、私の力じゃ、こんなもんなんですよ。」
「そうかな?けっこう凄かったと思いますけど?」
すると、クロノソスさんが昔を思い出す様に言った。
「親父のはこんなもんじゃ無かったんですよ。それで、雷がしょぼい分だけ、収穫も大した事が無いんです。」
なんで雷の大きさで収穫が左右されるのか、と疑問に思ったんだけど、ちょっと考えたところで、転生前の経験を思い出して理由が判った。
窒素が足らないんだ。
窒素はどんな生き物の成長にも沢山必要だけど、これが中々面倒な代物だ。
勿論、空気の六割以上は窒素なんだから、いくらでもあると言えない事はない。
でも、ほとんどの生き物は、空気の中の窒素をそのままの形で利用する事は出来ない。
それは、水素や酸素とくっついて化合物になって、はじめて利用できる様になる。
でも、窒素は他の元素と物凄くくっつき難いから、微生物が長い時間をかけて作るのを待つか、雷みたいな大きな力で無理矢理くっつけないといけない。
簡単に出来ないだけにその効果は大きくて、雷が落ちた水田は特に稲の稔りが良いので、落雷の事を稲を助ける物という意味で『稲妻』と呼ぶんだ。
理由が判ったところで、僕がやればもっと凄い雷も落とせない事はないけど、それよりも誰でも簡単に持ってこれる窒素の心当たりがあった。
「あの・・・」
「はい、なんでしょう?」
「雷の代わりになる物を使いませんか?」
クロノソスさんは、不思議そうな顔になった。
「雷の代わり?」
「ええ。」
翌日、僕達は人面鳥の山の麓に居た。
相変わらず大声で威嚇しているが、こちらに近付いては来ない。
「これが、雷の代わりなんですか?」
入口がほとんど塞がった古い洞窟を前にして。つるはしを担いだままクロノソスさんは尋ねた。
「うん、この固まってる糞の層を剥がして、その下の硬い石みたいになってる所を粉々に砕いてから畑に撒けば、雷の代わりになるんです。」
なんであれ僕がやりたいって言えば逆らえる人は居ないから、クロノソスさんも付いて来たけど、勿論信じてはいない。
僕が破壊の魔法で表面の糞の層を砕いてから圧迫で押し退けると、白い岩の表面が表れた。
ちょっと削って、嗅いでみる。
すっかり結晶化して、いい感じになっていた。
「大丈夫みたいです。」
「じゃあやりましょうかね。」
そう言ってクロノソスさんは、つるはしを振り上げた。
そうして結晶を砕くと、袋一杯に詰めて持って帰った。
昨日の畑に来ると、みんなが待っていた。
クロノソスさんは袋を肩から降ろした。
「やれ、重かった。で、これを撒くんですか?」
「はい、畑全体に薄く撒いてから雨で流れてしまわない様に耕せば、雷より効き目があると思いますよ。でも、あんまり沢山撒くと逆効果になるんで気を付けてください。」
そうは言っても、普通にやると効果が判るには春まで待たなきゃならないんで、とりあえず畑の隅っこだけに撒いてからクロノソスさんとゼウソスさんがそこだけ耕して、僕は、粉を撒いたところとその隣の同じくらいの広さに小麦を蒔いた。
その後デメテラおばさんが前に出て、今小麦を蒔いたばかりの一角に向かって両手をあげると、真剣な顔で呪文を唱えた。
成長の魔法が得意なデメテラさんは、ペルセポニアのお母さんなんだけど、同じくらい優しい人で、収穫を早めなきゃいけない時なんかにお願いすると、気軽に畑に魔法を掛けてくれる。
といっても、普通は収穫を一週間早くするとかなんで、今回みたいに明日の朝までに収穫するとなると、とても畑全体には掛けられないから、隅っこだけで試す事になった。
勿論、デメテラさんも村長と同じで信じてないんだけど、それでも大汗を流しながら全力で掛けてくれた。
「これで、明日の朝には春の収穫期になってますよ。」
「ああ、ありがとう。」
「ただね、村長。」
「何だね?」
「明日の朝までぶっ通しで、一時間に一回水をやらないと、すぐに枯れちゃいますよ。」
その点は村長も気が付いていなかったみたいで、辺りを見回した。
やがて、目指す顔を見つけて声を掛けた。
「おぅい、ゼウロソス。悪いが、徹夜に付き合ってくれ。」
ゼウロソスさんは雨の魔法が得意なんだ。
ちょっと嫌な顔をしたけど、それでも頷いた。
「じゃあ、他のみんなは、明日の朝もう一回集まってくれ。」
翌朝僕は、母さんに揺さぶられて起きた。
「ダミアノスさん、起きてください。村長さん達が来てます。」
眠い目をこすりながら出てみると、村長とゼウロソスさんが立っていた。
二人とも汗びっしょりで息を切らしているんで、畑から走って来たんだろう。
「おお、ダミアノスさん。凄いですよ。とにかく見てください。」
急かされて畑に急ぐと、麦はもう穂を付けていた。
肥料を撒かなかった所は、普通に穂が上に向かって伸びてそよ風に揺れてるんだけど、撒いた所は穂が大きく垂れ下がって、このくらいの風じゃ重すぎてほとんど揺れない。
「こんな凄い実の入り方は、親父の頃でも見た事がない!」
集まっている大人達は、みんな目を見張っている。
「よぅし、収穫しよう。」
そう言って村長は、鎌を手に畑に入ると、ざくざくと麦を刈っていった。
刈られた麦は、すぐに脱穀台に載せられ、それをみんながから棹で叩き始めた。
やがて脱穀台の上に、撒いた所と撒かなかった所の分の二つの籾の山ができた。
量も粒の大きさもぜんぜん違ってるのは一目で判ったんだけど、重さを比べてみた。
みんなが固唾を呑んで見守る中で、重さにして三倍以上の差がある事が判ったところで、どよめきが起こった。
「ありがとうございます。これで、もうこれ以上開墾しなくてすみます!」
村長の言葉に続いて、大きな歓声が上がった。
開墾は物凄く大変な仕事だし、開けている場所の残りはほとんど無いから、この前からとうとう森を拓く作業が始まっていたんだ。
森を拓くとなると、その大変さは野原とは比べ物にならない。
木を切って運び出すのもそうだけど、その後で残る切り株を掘り返して平らにするのが、本当にきついんだそうだ。
あまりみんなが興奮しているんで、僕は少し怖くなって尋ねた。
「あの・・・僕またなんかしちゃいました?」
僕の質問は、歓声にかき消されて、誰も聞いていなかった。
その一帯は、大蔵大臣の名前をとって『ケルビノス新田』と呼ばれる筈だったけど、誰かが『ダミアノス新田』にしようと言い出して、そのまま名付けられた。
翌年の春は大変な収穫で、増税分を賄ってもまだ大量に余ったから、みんなお腹一杯食べて、更に街に売りに行く分も増やした。
戦争が始まってから、どこも食糧が足らなくて困ってたんで、小麦が大幅に値上がりしてて、村中が豊かになった。