七話「真面目に話聞いてよ?」
六月の中旬、室内の湿度が高まり本格的に夏の猛威が牙を剥いて人々を襲う時節。路鉈高校二年生は、土曜日に登校し、全国模擬試験を受験していた。
進学校とあって早々に学力状況を調査したいのだろう。
元来、偏差値の高い路鉈高校に俺のような人間が入学できたのは、謎の同居人さんによって貼り出された受験対策計画に則った生活を送っただけだ。
……最初から路鉈高校に目標が定められていたのは疑問だが、梓ちゃんと出会う前で特に熱中するモノが無かった俺は、この先に何かあるのだと漠然とした期待を胸に従った。
完璧な計画性に充ちた生活で、路鉈高校には補欠合格を果たしたのである。
この時ばかりは、幼馴染の春が風の噂で聞き付けたのか、顔は見せずともプレゼントをくれたのが懐かしい記憶。
模擬試験を終了し、俺は颯爽と教室に暇乞いを告げて保健室に直行していた。
梓先生は大抵を校内で生活しているらしく、決死の覚悟で何度も懇願して入手した連絡先で電話し、試験後に話を聞いてくれるそうである。
鼕々と叩扉の音を鳴らすと、室内から応答する声が返ってくる。
ああ、聞き慣れていて、然れど渇かせるこの声――ッ!
「梓ちゃぁぁぁあッんぶぇあッ!?」
開口一番、名前を呼ぼうとして顔を殴られた。
しかも、この殴打は正面ではなく側面から放たれた兇手。
入室する俺を待ち構え、既に引き戸が開く内側――即ち扉の横という死角に配置していたのだ。
俺は奇声と共に吹き飛び、室内の中をもんどり返って壁に激突した。膂力がやはりボクサーの位階で済む話ではない。
梓ちゃんを受容し、愛している俺だからこそ受け止められるが、常人ならば致死の一撃だ。
あたかも発砲後の銃口に煙り立つ硝煙を口で吹き消すかの様に、教え子を強か打擲した拳に細く息を吐いてポケットに納める。
「待ち構えてるってどういう事!?」
「いや、鍛埜が正面からすぐ飛び掛かって来そうだと想定したけど、予想の範疇を超えて来なくて助かるよ」
「そこまで俺を理解するほどに愛してくれてるんだね☆」
「日本の情操教育でも、鍛埜の脳は正常に育成出来なかったのか……」
かなり哀れまれた。
どうやら、俺は重症らしい。
切花梓先生は、薄いスウェット一枚に白衣とジーンズ姿だった。体の線が見えるから、ひどく艶かしく見える。
「梓ちゃん、この拳撃……かなり本気だったでしょ」
「試してみるか?」
やなこった。
試行だろうと本気だろうと、いま二度も打撃を喰らったら、それこそ保健室のお世話になってしまう。話に来たのに、訪ねて早々に失神とか冗談にもならない。
まあ、梓ちゃんから耳許で愛してるって言ってくれたら、意識を繋ぎ止めるのも容易いんだがね。でもこの人、生徒でも容赦なく顎を打ち砕いて来そうだな。
俺は腫れた頬に湿布を貼り、梓ちゃんに促されて椅子に腰かける。正面のベッドで彼女が腰を下ろし……え、エロ。
保健室の先生+ナイスプロポーション+美人+梓ちゃん、その解は――――生涯の隷属を誓約させる。
「お嬢様、服従を誓う証として、卑しい私に貴女様の爪先に口付けをさせて下さい、靴でも舐めます」
「そんなにキスしたいなら、させてやろうか?――保健室の床と」
「梓ちゃんが毎日踏んでる保健室の床なら、有り難くッ!」
「手が付けられんね、この変態」
梓ちゃんに絶賛引かれてる。
さて、おふざけもここまで。俺は姿勢を正し、改める(改めても繕えないけど)。
模試について解らない点を事細かに聞いたりとかしたが、どうあっても彼女は正確な答えをくれる。正直、森先生よりも解りやすいのだ。
一連の疑問を解消してくれた梓先生は、自分の膝の上に頬杖を突くと、嫣然と微笑んでみせた。何だか貴重な物になりそうなので、取り敢えずスケッチ取ろうかとメモ帳を取り出した。
取り上げられた。
「鍛埜、これは好感触だよ」
梓ちゃんは自身の胸を指差す。
……いや自然と深い谷間に意識が吸い込まれる。すみません、ウチの目って思春期真っ盛りでして!堪忍してやって下さい!
「本当ですかね?」
俺は胸元にいきそうな視線を堪えながら、どうにか応答する。
いかん、強い、強すぎる!魔力が半端無い!
これ、もう見てもおかしくないよね?
一男子として、凝視したって。
「そんな血走った目で見られても困るぞ」
「ならもう少し露出度の低い着衣で職場に臨んで下さい」
「君はそれで良いのか?」
「全身全霊を以て現状維持を所望します」
やっぱり人間は欲望の塊や。
獣やで、獣。
「絶好調なのかな……俺、実は最近可愛い女の子と遊びまして」
「そういう夢を見ることもあるさ」
「あれ……本当なんだけどな?」
「仕方ないさ、特に君なんかは私以外の女性とは交流が少ないからね」
「人の話は聴かないとせんせー怒るよ?」
「黙れ」
「だが断っちゃう」
……あれ、全部妄想?
俺はこの前まで美少女と買い物デートしてたよな。もしかして、いつの間にか幻想世界に入門したのかな。
「それで、何ですけど」
「何だ?」
「実は今まで疎遠だった友達とその時に遭遇しまして。その子から凄い睨まれたんですよ」
あの琴凪さんの顔。
素が美少女だから許容できるが、あのときの顔を証明写真に使ったらアメリカの刑務所入監の写真ですか、ってレベルの迫力あるぞ。
軽く俺みたいなの二、三人は手にかけてる感じの。
「梓ちゃんは、そういう事あった?」
「あるよ――何度も」
煙草を銜え、先端を火で焼く。
クーラーを停止させ、窓を開け放って喫煙を始めた。初夏の青々とした空を背景にする彼女は、どこか憂いなどの暗い物を覗かせる。
「そういう時は、いつもある対処法を取ってた」
「どんな?」
「新しい友達を作る」
「逃げとるやん」
梓ちゃんは両手を叩いて鳴らし、話を打ち切ると俺の頭を鷲摑みにするように髪を掻き乱した。乱暴な手つきだが、親しみが感じられたので耐える。
また何かあれば相談しよう。少なくとも、梓ちゃんは俺の味方だ……愛しいッ!!
「さて、模試は終わったんだ。今日の手応えや至らぬ部分を顧みて、しっかり苦手分野にも対策すること。今後も勉学に励めよ、少年!」
「付きっきりで教えて下さい。そりゃイロイロと」
「人の大腸がどれ程に伸びるか、そこを先ずは勉強して貰おうか」
「帰りますね☆」
アクセスして頂き、誠に有り難うございます。
梓ちゃんは正規?か悩みますね。
次回も宜しくお願い致します。