三十一話「これが子供の特権だ!」
それは幼稚園の卒園を控える年だった。
よく蝉が鳴く夏空の下で、俺は父親から言われた。
「雄志、ごめんな」
「父さん、もういいよ」
「え、まだ言ってないのに何を察したの!?」
顔を蒼くして狼狽する父親を笑いながら、俺はどこかで怯えていた。ここ最近、両親の仕事が忙しかったこともある。よく家を空けるようになっていたのだ。
一人の時間が増え、独りを怖がるようになった。
幼稚園の送迎も遅いときがある。
正直、幼稚園の先生に申し訳なかった。
そして父親から話がある、と言われた途端に悪寒が背筋を走った。その先の言葉に、幼い俺でも予想がついていた。
俺は手元の玩具を床に置いた。
そして腕を組んで父親を正面から睨む。
「さ、言ってごらん。白状しなさい」
「ああ、うん、実は……何か、おかしいよね。パパ後ろめたいことしてた感じになってるけど」
「アナタ、浮気かしら!?」
「ママ違うからね!?」
何度も脇道に逸れながらも気を取り直す。
そうして父親は本題に入った。
「父さんと母さん、これから外国にお仕事に行かなくちゃいけないんだ」
「亡命?」
「どこで覚えたの、そんな言葉。……だから、父さんたち家を出るんだが、雄志……ここに残ってくれないか?」
「どうして」
「知らない土地に引っ越せば不安だろうし、それに父さんたち仕事でそんな雄志を支えてやれないと思うんだ」
「なら、俺はどうするの?」
無垢な瞳で問いかける。
たぶん、俺史上でも世界一純真無垢な表情だったと思う。今はタールなみに濁りきった目と顔と心をしているので、控え目に言っても犯罪者だと自負できるレベルだった。
父親はこの表情に酷く辛そうな顔をした。
自分の子供を置いて行くのだから、ここで無情になれるのだったら、余程の子嫌いである。
そもそも、この時点ですでに海外に発つ予定日を二日もオーバーしていたらしい。俺を置いていくのが、さぞや堪え難い辛苦だったのだ。
後日、父が忘れた予定表として使用していた手帳を見て、一身上の都合で置き去りとはいえ、俺は嬉しくなったのを憶えている。
父親はぐっと涙を堪える。
目元は歪んでいるのに、口だけは達者に口角を上げて笑みを作った。
「隣の家に預かって貰うんだ」
「と、なり?」
「琴凪さんの家だよ。琴凪さん夫婦はとても優しいし、あっちにも君と同い年の女の子がいるから楽しいと思うんだ。…………どうかな?」
「…………わかった」
俺はそれを渋々承諾した。
それから直ぐだった。
俺は隣の琴凪家へと預けられる日が来た。
両親はもう日本を発っていたが、事前に説明は両家で行われていたらしく、すんなりと琴凪家は俺を迎え入れてくれたのである。
それに、やや面食らった俺が家へ入ったとき、玄関先で琴凪の奥さんの足に隠れていた女の子がいた。
「ほら、春。挨拶しなさい」
「…………」
警戒心たっぷりの睨み顔だった。
たしかに、他人が勝手に自分の家に入ってくるのだから、これを睨まない方がおかしい。
小さいながらに達観していた、悪く言えばすべて下に見ていた俺は、相手の心情を了解して春へと近付いて行った。
「ごめんな、お前ん家なのに」
「ううん、別に」
驚いて春が目を見開く。
よし、手応えありだ。
「俺の名前は鍛埜雄志。好きな物は琴凪家の琴凪春さん。嫌いな物は琴凪家に図々しく入ってきた鍛埜雄志!……よろしくな!」
「え、好き?え、え?」
「まあ、雄志くんってプレイボーイなのね!」
「鍛埜さんの家の教育ってどうなってるんだ…………?」
春は混乱していた。
母親の足に縋りついて、親と俺の顔を交互に見ている。どう接していいか判らないようだった。
やれやれ。
どうやら、ここは鍛埜雄志くんの人心掌握術の力量が試されているな。だが舐めるなよ、将来やったら怒られることも、子供なら大概が許されるって知ってるからな!!
俺はセクハラ覚悟で、春の手を強引に握った。
引っ張られて、春が俺の前に出てくる。
そこでようやく、二人で正面に向き直った。
白いワンピースと、小麦色の肌をした長い茶髪、愛らしい瞳と小さい口が印象のかわいい女の子だった。
俺は春の小さな手に口付けする。
「ええっっ!?」
「よろしくな、ハニー?」
「よ、よろしく……かじのゆうし、くん」
これが春との出会いだった。
ちなみに、この後に春の両親からどういう教育を受けたか、柔らかく(目は笑ってなかった)尋ねられたのは今でも忘れられない。
アクセスして頂き、誠に有り難うございます。
久し振りの更新ですね。雄志くんは子供の頃から捻くれている、というより普通に特殊な子です。次回も明日には投稿します。
次回も宜しくお願い致します。
↓
三十一話の後。
雄志「え、あれで良かったの?」
春「うん」
雄志「今なら事案物だぞ?」
春「うん」
雄志「今やってもオーケー?」
春「うん」
雄志「……昨日、何食べた?」
春「冷やし中華」
雄志「あ、はい(適当に返事してたわけじゃなかったのね)」




