黒雲に覆われて
『うわ、急がないとっ!』
荷物を持ち壁掛けの時計を見て、そう声をこぼす。前世のわたしが慌ててかけだすと、行ってらっしゃいと後ろから声がして、行ってきますと返している。
そんな日常は前世のわたしにとって、当たり前だった。
『あーもー、だから、ねぇ!?』
場面がパッと切り替わり、わたしの机をバン、と叩く前世の友人の姿。いったぁ、と自身の手のひらを揉みながら彼女が言う。
『悪役令嬢ちゃんが可愛すぎるのがいけないと思うの!』
一体何のことだよわけがわからない、と冷静に前世のわたしがツッコミを入れていた。机が傷ついたらどうすんのよと文句を言いながらも手は大丈夫かと心配している。
『ヒロインとの友情エンドがね!もう、最高すぎて!』
はいはい、と投げやりに答える前世のわたしはとても疲れた表情をしていた。どうやらわたしはこの手の話を嫌というほど聞かされているらしく、もうウンザリしているようである。なぜなら、早く終われ終わったら本でも買いに行こうと考えているのが伝わってくるので。
『でもねー、ハッピーエンドって言ってるのに脇役とかは全然幸せじゃないんだよ。いや幸せなのかどうか難しいところって感じなんだけど』
一体どこから話がそこまで飛んだのか分からないが、それはそうだろう。物語に描かれているのは主人公の目線であり、脇役の話ではないのだから。けれど彼女は納得できないようだった。
『でもさぁ、脇役にお気に入りのキャラがいてー』
また、場面が切り替わる。すこしだけ、もう少しその様子を観ていたかったのに、と思った。
『雨かぁ、傘持ってきてないなぁ』
窓の外を見つめながら、わたしが言う。
わたしは仕方なく走って帰ることにしたようで、学生カバンを持って教室を出た。
『わぁー、傘持ってくればよかった!』
朝、母に言われたとおりにすればよかったと心のなかで後悔しながら走っていた。ぱしゃりぱしゃりと水たまりをこえていく。雨がだんだん強くなる。
激しい雨で前が見えなくなってきたころ。
わたしの横で道路を走っていたトラックが後ろの車とぶつかる。
キキッーと嫌な音がして、わたしの視界が暗くなった。
そしてまた、場面がかわる。
『あやめちゃん、だいじょーぶ?』
『だ、いじょう、ぶです、なんでもありませんよ』
耳を塞いでうずくまる私。
今度は、これは、幼馴染と初めて顔を合わせた日のことだ。
顔合わせのあと、だんだん雲行きがあやしくなってきて、雨が降り出したあの日。ごろごろという音とピカッと光っては消える光。降り出した雨から逃げるように書庫へ走り窓から距離をとって体を抱いた。
そんな私を追ってきてくれたのだ。あの幼馴染み様は。
『うそはだめ!かみなり、こわいんでしょ?』
すぐいなくなるよと上着を広げて私の視界をおおってしまった幼馴染み様は、みなくていいよと背中を撫でてくれた。
けれど私はただ無言で首をふるのだ。
雷ではなく雨が怖いんだよ、だから大丈夫っていうのは嘘じゃないの。それに、あなたの友人にならないと、私は。
『じゃあ、ボクがまもってあげるよ!それにぼくたちはもうともだちでしょ?』
雨が落ちつき、立ち上がれるようになってから私はお礼の言葉と心配いらないことを伝え、見苦しいものをみせてしまい申し訳ありません、と謝罪を述べる。それをきいて彼はぽかんとした表情でいらないよ、というのだ。
『だってぼくたちはおともだちでしょ!』
私に手を差し出して彼が笑う。
『だからね、あの、ないしょなんだけど、ぼくうちにかざってあるえがこわくて…だからあやめちゃんがうちにきたときはいっしょにえのまえをとおってくれたらなって』
その言葉に私は驚いて、彼のその気遣いが優しくて。
『…はい』
『ありがと!じゃあぼくはあやめちゃんのことまもってあげるね!やくそくだよ!』
そのキラキラした瞳が曇らないで欲しいと思ったのだ。それは私が、私の意思で彼の友人になりたいと思うのに十分な理由だった。たとえほんとうの友人にはなれなくとも。それでも。
『やくそくは、おもたいんですよ』
『じゃあかぜにとばされたりしなくていいね!』
彼の友人であること、彼のサポートをすること。
それが、私が父から言われた条件。
きれいでまっすぐな彼が必要以上に変化しなくていいように、ありたいようにあれるように手を尽くすこと。
友達という言葉にどれほどの意味を背負うのか、彼はまだ知らないのだろう。
自身の立場というものの重たさを。
私はその日から、彼の友人(仮)になったのだ。
友人なんておこがましいけれど。
彼が家に遊びに来たときのこと。
『あやめちゃん!あれなに?』
『ふじのき、です』
『へー!ぶどうみたい!あやめちゃんはものしりだね!』
急に走り出した彼を追いかけてから、私は答える。
すこし調べればすぐにわかることでも、彼はそう言って笑っていた。笑ってくれた。
彼と関われば関わるほど、印象はかわり、抱く思いも変化した。
力になりたいという思いはより強くなり、憧れに近い気持ちを持った。憧れは少しづつ変化して、形を変え。
それを私は知らぬふりをして、見ないようにすることにした。私にそれは必要ないから。
私は彼を利用しているのだから、それ以上の願いは、認められないのだから。