ばあちゃんの鯉のぼり
心地よい爽やかな風がバスの窓から吹き込んできた
異常気象が取りざたされているここ数年、4月でも
雪が降ることもあり得るので、念のため暖かいパーカーもはおり
1番後の席に小学4年の息子とゆったりと座って景色を楽しんでいた
心地よい爽やかな風がバスの窓から吹き込んできた
異常気象が取りざたされているここ数年、4月でも
雪が降ることもあり得るので、念のため暖かいパーカーもはおり
1番後の席に小学4年の息子とゆったりと座って景色を楽しんでいた
まさか、この路線がまた復活するなんて思ってもみなかったな
確か最後に乗ったのは、中学1年13歳の時、その後高校1年から東京に出て
夏休みに遊びに来た時は、すでにバスの路線はなくなっていたからね
あれからもう約40年が経ったなんて、月日の経つのが早すぎるよな
そう、このバスの窓からちょうどこの位の時期だった、俺はまだ小学校3,4年
母と一緒に同じようにバスの窓からこの景色を眺めていたっけ
毎年夏休みは母の実家がある八ヶ岳麓に1,2週間ほど預けられていた
うちは父が平日休みの仕事だったし、年老いた祖母もいたため中々家族で旅行も
行けないため、母の兄家族の元で農家の暮らしを体験していたんだ
昭和40年代なんて街中でもまだコンビニやファミレスもない時代、山間部の田舎には
食料品から衣料、雑貨まで生活に必要なモノを売っている店なんて、たった1件
バス停近くの確か名前は和生件、ほっぺを赤くした丸々太ったおばさんがいつも笑顔で
迎えてくれたっけ。
母の実家は専業農家で、お米、野菜を作り出荷して生計を立てていた
山に入れば山菜、キノコ、ハチの子、カエルなどや川にはヤマベなどの魚を取ったり
自然の食料が豊富にあり、おっかなびっくり食べた記憶がある
また、かぶと虫やくわがたも沢山いてね、山に入れば虫かごに入りきれないほど採取できたよ
いつも夏休みだったんで、春に母と一緒に行ったのは1回、なんの用事か忘れたけど鮮明に覚えている
川沿いにその地方ではちょうど鯉のぼりが沢山なびいていてね、なんのコンテスト?って感じにすごい数
昭和40年代当時では、なんもない田舎道からの景色ではとても華やかに見えたよ
正直あんな大きな鯉のぼりを見たのは初めて、家にあったらいいなあ~って思った…けど、
街中だから出す場所がないか
そんな事を考えていたとき母が口ずさんだ歌が今も忘れられない
「いらかの波と雲の波~高く泳ぐや鯉のぼり~」
なぜだかわからないが、その時のバスの窓からの風景、バスの中の席の状況など鮮明に覚えている
そして母がこういった事も…「大きくなったら鯉のぼりみたいに高く泳ぐんだよ、落ちる時が
あってもいいまた登ればいいのよ、自分の力で上がって泳いで行くんだよ」
子ども心にはわからなかったが、今になればよくわかる
実際、それから40年くらい俺の人生は落ちたり上がったりの繰り返し
でもいつしか自分で考え自分の力で行動できるようになっていた
今あの頃の母の年齢に近い自分、子供も大きくなってきた
そんな時、ふとした事でまたあのバス路線が復活したことを知り
小学4年の息子を連れてこのバスに乗り込んだ俺、時代は変わったが
風景はなんとなく変わらない気がする
4月も終りなんで鯉のぼりが見れるかな?もう市町村合併でなくなったかな?
そんな事を考えていると息子が大きな声で教えてくれた
「パパー、でっかい鯉のぼりが見えるよーすごいよー」
はっと思い窓をみると数こそ少ないが、大き鯉のぼりが風に元気よくなびいていた
なぜか込み上げるものを飲み込み、俺は覚えてるフレーズを息子に聞かせようと口ずさむ
「いらかの波と、雲の波~高く泳ぐや、鯉のぼり」
「何その歌、知らないよ~でもいいねえ」
「うん、ばあちゃんがパパがお前位の頃、ちょうどこの辺の景色を見ながら歌ってくれたんだよ」
「そっかあ、ばあちゃんの鯉のぼりの歌なんだね、僕も覚えて大きくなって子供がいたら歌ってあげよっと」
「そうだよー、教えてあげな!約束だぞ」
「忘れちゃうかも!だから歌を書いておいてね」
何か微笑ましかった、こうして後の世代まで伝えていけるものがあったら嬉しいな
今はもうない母の実家を通り過ぎ、懐かしい裏山を2人で散歩しながら
俺と息子は、ばあちゃんの鯉のぼりの歌の知ってる短いフレーズを何度も、何度も
繰り返し口ずさんだ
偶然見つけた復活したバス路線が、小さな出来事かも知れないけど
自分の人生の1つの大切なものを与えてくれた、そんな出来事になった気がする
偶然見つけた復活したバス路線が、小さな出来事かも知れないけど
自分の人生の1つの大切なものを与えてくれた、そんな出来事になった気がする