七話 元獣は悪戯を覚えた
目的地はに着いたヒデは辺りを見渡した。組合から少々離れた位置に建てられた家の他の家々とは全く大差はないが、家の周りを囲うようにある柵の中には小さな庭園があった。
庭園と言ってもそこには青々とした草が生い茂り、申し訳程度に咲いている花がある程度で、庭園と言っていいかと聞かれれば少々困るぐらいの物だった。
再び依頼書に書かれていた目的地を確認し間違いないと思ったヒデはその家の扉を開けた。
「こんにちはぁ! 依頼主さんいますかぁ?」
ノックをせずに開け、大声で挨拶したヒデは靴を脱ぎずかずかと家の中に入り依頼主を探した。まだまだ常識がかけているヒデを叱る保護者はいるが、しかしここにはいなかった。
ヒデが次々と扉を開けて依頼主を探していると二階から物音がしたので階段を使用して上へと移るとそこには椅子にもたれかかった老人がいた。
首輪をネックレスのように首から垂らし、自らの左手の薬指にも指輪をはめている老人の体は皮と骨ばかりになっており、見るからに衰弱している。
「あなたが依頼主さん?」
「そうだ……まったく、近ごろの若いもんは常識がかけておるのか。嘆かわしい」
そう言って目だけでヒデの姿を一瞥した老人は嘆息した。
いったいどういった生活を少していたんだ。
そんな様子の老人にヒデは依頼ということで視界の中に入れながら辺りを見渡していると、棚の上に飾ってある幾つから小物に目がいった。
「ねぇ、おじいさん。この人達は?」
再びため息をついた老人はヒデがさした者に視線を向けるとそこには若い頃に家族とともに撮った写真があった。
「それは儂と、妻と子供達だ。皆儂より先に逝きよった。ま、今日儂も逝くんだがな」
「どうしてわかるの?」
本当に疑問を持っているヒデに老人は首を掲げたがどうせ最後だからと自分の手首についている腕輪を見せた。
「この腕輪は付けた本人の生命力を見ることができる。つまりは寿命だ」
腕輪に書かれている数字の数はとても少なくそれが今刻一刻と減り続けている。
「これから分かるように儂の寿命はあと少しだ。だが、やはり一人は辛くてな。最後の賭けと思って依頼を出したが、まさかこんな常識しらずのお嬢ちゃんとはな」
老人の言葉に少しムッとした。あれだけ監禁されて常識を叩きこまれたのにまだ常識知らずと言われることに少しばかりの怒りを覚えたが、ふと、報酬のことが気になった。
「ねぇ、そういえばこれの報酬って何?」
ヒデの言葉にさらに顔を顰めた老人はフタタ溜息を吐きながらも説明を始めた。
「依頼書に書かれた通りだ。儂が持っていてお前が欲しいものをいくらでも好きに持っていけってことだ」
「ふ~ん」
納得したヒデは相槌を打ちながらヒデは遠くに置いてあった椅子を引っ張り出して老人の椅子の近くに置き座った。そして、そこから全く動かず話もせずただ老人をじっと見つめ続け始めた。
「……」
「……なぁ、茶と茶菓子を持ってきてくれないか?」
しばらくたっても全く視線を逸らさず、訪れた沈黙に耐えられなくなった老人はヒデに一つの要求を言った。
「それは依頼?」
「依頼だ」
「りょ~か~い」
ヒデはお茶を汲む依頼を受けてお茶があるという一回の台所へと向かい、再び老人は深い溜息を吐いた。
それから、ヒデと老人はよくわからない会話がいくつも繰り広げられた。
お茶を持ってきたヒデは老人がお茶を飲んでいる姿を永遠と見続け、茶菓子を食べているとまるで御馳走を目の前にして我慢を強いられているような子供のような表情をしているヒデに溜息を吐いた老人は茶菓子を渋々渡した。
ヒデはすぐに顔をパァっと明るくしながら差し出された茶菓子を頬張った。それを本当に子どものようだと老人は苦笑した。
老人があまり見続けるなというとヒデは椅子を前後揺らしているとバランスを崩して転倒してしまい、それを見た老人は笑い声を漏らし、ヒデは床で撃った後頭部を摩った。
そこらに散らばっている小物をヒデは暇つぶしにとバランスよく積み上げていき、途中で崩れると本気で悔しがり、老人も同じくらいに悔しがった。
常識がないヒデに老人が常識を教えてやろうと提案するとヒデがものすごく嫌そうな顔をしたので再び老人は笑みを零した。
不意に机の上に置いてあったトランプを見つけたヒデはやり方を教えてもらいながら遊ぶことにした。
「うがぁああ! ずるい! きっとインチキだ!」
「インチキなどしとらんぞ。お前が弱いだけだ」
「うがぁああ! またババ~!」
トランプを繰り返して行っていたがヒデは一度も勝つことがなく、遂には悔しそうに呻き声を上げ、それを老人は笑いなが見ていた。
トランプに飽きたヒデはまた違うものを見つけ老人と共に将棋をした。
「ほい、王手」
「これで十一敗……うがぁああ!」
頭を抱え空を仰ぎそしてまた本日二十二回目の呻き声を上げた。
「チェックメイトだ」
「う~、なんで~勝てないの~」
「頭を使っとらんからだ」
チェスで何度も負けて最後に身もふたもないことを言われ更にヒデは落ち込んだ。
それからヒデは教えて貰ったトランプタワーを何度も挑戦して作り上げ声高らかに完成した喜びを声に出して宣言したり、コツを掴んだヒデは将棋の駒を縦に重ねる技を老人に見せて驚かし、それに味を占めたのか次々にある者を幼子の遊ぶ積み木のように重ねていきいつしか部屋中に歪なインテリアがいくつも出来上がった。
「お前さんは面白な」
「うん?」
三段に積み上げられた小物を指に乗せるという努力をしている最中に話しかけられたヒデはその作業をやめて老人の話に耳を傾けた。
「常識を知らんのに人の引き付け方を知っている。大人のようにおとなしい時もあれば子供らしい時もある。何とも不思議な奴だ」
「それって褒めてるの?」
もちろん、と笑いながら答えた老人の腕輪の数字は残りあと僅かとなっていた。
「最後がお前さんでひやひやしていたが、これならいいかもしないな」
その言葉にヒデは唸りを上げながら体を左右に揺らしながら考え込んだ。
「おじいさん、やっぱり見るのは私じゃない方がいいと思うんだけど?」
「じゃあ、他に、いったい誰が儂を見ていてくれる? 今から依頼を出してもきっと間に合わん」
ヒデは徐に立ち上がり、窓を開けた。陽光に暖められた気流が柔らかく長いヒデの髪をたなびかせ、椅子に座っている老人に届いた。
「やっぱり、動物でも人間でも番と共にありたいと思うんだよ。だから私は」
深く座っていた老人をいたわり手をさっと伸ばしてゆっくりと立ち上がらせ、窓の外を見せた。
「彼女が、きっと適任だと、私は思うよ」
そこは何気ないいつもと変わらないただの庭。老人にとって八十年以上の付き合いとなる思い出がたくさん詰まった庭。だが、老人はその乾き年老いて皺がれた顔を上げ、目を見開き、有り得ない光景を見続けた。
外で元気よく遊ぶ二人の子供を微笑ましく眺めている若く緑の髪をした女性。惚れて、愛を誓って、自分が娶って、分かたれるまでずっと共にあり続けた人。
「そんな……ばかな……」
窓に手をかけ身を乗り出しその姿をいつまで覗いても彼女達の姿は消えない。
馬鹿な。有り得ない。彼女は死んだ。息子達も儂を残して死んでいった。みんな先に死んでいった。だが、今目の前にある。もっと見たい。もっと近くに見たい。もっとそばで君を感じたい。
老人は窓から手を放し老いて衰退しきり死を待つばかりの己に鞭を討ち、死を近づけながらも、それを承知でそれを分かっていて重りのついたような皮と骨だけの足を上げて階段を下りていく。一段一段ゆっくりとしか降りれない貧弱な体を強制して動かして一回に向かう。
階段を下りきって扉に手をかければ見飽きた居間があった。碌に使うことが無くなった台所、一人では落ち着かない広い空間。だが、今日は賑やかだった。
「さぁみんな。御飯ですよ」
「は~い」
若い緑の髪の女性が机に数々の料理を乗せて二人の子供達を予備、子供達は元気よく返事をして遊びを中断して机に向かった。
とても豪華とは言えない質素な料理。それでも二人は目を輝かせ今にも食いつきそうなのを必死に我慢している。
「ほら、早く来てよ。子供達が待ってるのよ」
「ああ、すぐ行くよ」
どこからともなく聞こえてくる低い男の声音。
八十年の人生で共にあり続け聞き続けてきた変わり映えしない特徴のない声。
それを発したのは若かりし頃の自分。髪は黒く肌には張りがあり、何よりその特徴のない声には活気や生気が満ち満ちている。
「お、お父さんを待っていてくれたんだな。嬉しいぞ」
「だって~お父さん待ってないとお母さんが怖いんだもん」
「ハッハハハ。そうだろう!お母さんは怖いよなぁ」
「そうだよ! お母さんが起こると頭から角が生えるんだよ! きっと鬼だよ!」
「あなた達、それはどういう意味かしら?」
「ハイ! すみませんでした」
女性が顔に笑みを浮かべながら怒っていると悟った三人の男達は息の合った動作で頭を下げて腹から出したような大きな声で謝罪した。
よくやった昔の他愛のない会話。あの時はただただ面白くて楽しくて子供達とよく母さんを一緒になって怒らせていた。
「残念な結果となり、申し訳ありませんでした」
老人がたまらず声をかけようとすると歯が少し抜けてしまった口を開けると、それを遮るように別の男の声が奥の廊下に響いた。
そこにいたのは銀の鎧を着た若い青年と、それを見ている二人の夫婦だった。
男の髪には白髪がちらほらと目立つようになっており、女性の髪の色は美しい緑だった物が少し暗い色になってしまっている。
「あの、馬鹿野郎どもが! 親より先に逝きやがって……」
「あなた、あの子達が、私達の子が……ああ、ああ……」
男は憤りを解消しようと怒鳴り、女性は嗚咽の混じった声音を出して男性の腕の中で泣き続け、男の袖を濡らしている。男はただ女性を腕の中で温めることしかできないもどかしさと子供達の蛮行に対する憤懣が混ざり合って困惑してしまっている。
「ごめんなさいね」
突然の謝罪の声に老人が気づきその声がした場所へと向かう。
そこは風通しがよく寝るのに相応しい場所。そこには年老いて体の動かせなくなった女性が一人と、それを見守りそっと手を握っている白髪に黒が数本混じっている老人の姿。
「気にするな。お前は何も気にする必要はない」
今にも細めた目から雫が落ちそうなのを懸命に堪えている最愛の人を見た女性は生一杯の笑みを浮かべながらもう片方の手で老人の頬に手を置いた。
「ありがとうね。こんな私といてくれて」
「気にするな。お前は……何も、気にする必要は……ないんだ…‥ありがとう……こんな俺を……選んでくれて……ありがとう……」
老人のせい一杯の笑顔に満足したかのように女性は最大の笑顔を見せてから伸ばした手を地面に落とした。
老人の笑顔は崩れ涙でその握っている皺だらけの指にはまっている指輪を濡らしている。己が娶ると決めた時に渡した指輪、彼女がそれを了承した時にはめた誓い。
死が二人を分かつまで、死で別れてもなお愛し合うことの誓いを形にした指輪。それが涙で濡れている。
いつの間にか立ち尽くしその光景に何も言えなくなってしまっている老人は己の首にかかっている指輪にそっと手を伸ばした。
「父さん!」
再び後ろから声がする。二つ重なった声が後ろから聞こえる。
そこには成長しきった我が息子達。再び幻影かと思われたそれらはそっと自分に知和樹手を取ってくれた。
「来て、父さん。合わせたい人がいるんだ」
「きっと驚くよ。いや、絶対驚くね」
そう言って無邪気に笑うその顔を見ながらついていく。いつの間にかそこは家の中ではなかった。どこまでも続く草原で所々に咲いている達が自分達を迎え入れているような美しいどこにでもありそうで、これほどに美しい場所はないと思える場所。
その最奥には、見慣れた老婆が立っていた。その美しさは甥によって失われ、その体は甥によって衰弱している。
「あなた……」
だが、その顔だけは、その顔に浮かび上がる笑顔だけは、どんな宝石よりも美しく、どんなものよりも価値がある。その笑顔だけは若かりし頃と何一つ変わらない綺麗なままだ。
「……遅くなって……すまない……どうも儂は、生き汚いようだ」
「本当にねぇ。でも……楽しかったかい」
「……ああ……楽しかった……とても……いい日々だったよ……」
一歩前に踏み出せば、妻も一歩前へと踏み出してきてくれた。儂はそっと手を伸ばし、彼女はそっと優しくその手を掴んでくれた。
「お互い、老いたな」
「ええ、老いましたよ……その分だけ、老いた分だけ……貴方との思い出が詰まっているでしょうね、きっと……」
乾いた笑みしか出ない。歯が減ってうまく喋れない。体が衰弱して元気が出せない。
「そりゃぁ……いい、もん……だな……」
最愛の人を目に焼き付けながら、迫りくる睡魔がとても心地いい。
老人はひざを折り草原のベットに寝そべりながらもその握られている手は離さず、また女性もその手を放しはしない。
「もうすこしだけ……」
もう少しだけ、この一時を味わいたい。もう少しだけ彼女の姿を見続けていたい。
そして、老人は睡魔に身を委ねて目を閉じた。一粒の雫を頬に垂らしながら笑顔を顔に刻んだまま眠りについき、数字はゼロを示し、息絶えた。
「……プ……アハハ! アッハハハ! おっかしいぃ! 全部ウソなのに! いや~毒ってすごい! アハハハハ!」
静寂が支配する中で場違いに明るい息が零れた。
我慢が決壊したヒデは涙を浮かべ満足して充実感に浸りながら死んだ物を見下ろしながら腹を抱えて悪気が全くなく、盛大に笑った。
ヒデが使ったのは森の中でギデに刺すように薦め投げ捨てられ二度と使うなと言われた筈の棘。それに刺さると楽しい気分になって辛くなくなり、いい夢が見られる不思議な棘。
彼女は四人に言われたことを絶対的に守っていた。
女、子供や老人には優しくする。仕事は無理でなければ最後までする。人間はなるべく殺さない。
ヒデは言いつけ通り優しくしようと老人を観察し、老人の家族の話をしていた時の目の中の涙を見つけた。涙は悲しい時にしか出ないと知っているヒデは、四人の言っていたことを思い出して老人に優しくした。ただ、それだけのことでしかないヒデは、仕事が終わったことで盛大に優しく騙した屍を見て盛大に笑い転げた。
「さて、報酬は、何貰おうかな~♪」
そして報酬はしっかりと貰うという言いつけを守るべく、目が覚めなくなった老人をベットに寝かせ、部屋を物色し始めると写真の女性が首に付けていたネックレスを見つけ、ヒデはそれを選び首にかけた。
「うん。こういうのって、〝可愛い〟っていうんだったよね」
愛をイメージしたかのような、大小二つのハートが作られているネックレス。
それを付けたヒデは気分よく依頼成功の折を組合に伝えに行った。
四人は教え損ねたのだ。
人で遊んではいけないということを。