三十話 元獣は人間に興味を抱く
貫かれた者達に痛みはない。だが、自分は刺されたという現実に意識が持っていかれ、貫かれた人々はその場で意識を失い、碌に抵抗もできずに引きずり込まれていく。何とか意識を保ち抵抗を試みる者もいたが、それはなにか意味を成す事はない。
家の中にいた者達も、全くの区別なく採取され取り込まれていった。
「嘘、でしょ……」
「まさか、一瞬で……」
「あれだけの数を、マジかよ、笑い話にもなりゃしねぇ」
「これは、悪夢か……」
未だ目の前で起きたことに整理ができていない四人は茫然と仲間たちが、今迄良くしてくれた人達が喰われていくところを何もできずに眺めていた。
「な、なんてことだ……民が、私の国の民達が……」
「うん? なに恐がっているの、エギル?」
目の前で自分が将来国王となった時、最も重要とする国民が目の前で捕食されている。人が喰われるという瞬間だけでも衝撃だというのに、こうも立て続けに悲劇が舞い込む現状にエギルは額に手を当て、乾いた笑みを瞳から流れる液体で湿らせながら嘆く。
そう、この場に残ったのは、たったの五人と一匹。この街に残ったのはたったの五人と一匹しかいない。
ふと、そこで疑問が浮かぶ。
「……なぁ、どうして私には、あれが襲ってこないかったんだ」
その場のほぼ全員があの肉塊によって取り込まれていくというのに、今この時になってもヒデの近くにいる自分達に襲いかかってきていない。いや、できていないのだ。
「え? 私がいるからだよ? よかったね皆。辛い思いしなくて」
本当にうれしそうに、何も悪いことが起きていないと言わんばかりの笑顔をヒデは表に出している。
「ねぇ、どうして襲われなかったと思う?」
どうしてそんなに明るくできるのだと、憤慨して口から出そうになるのをリル達は唾と共に呑み込み、ヒデの言ったことに思考する。
「……偶然ってなわけないよな」
「うん。そうだね。あれはね、弱いものしか狙わないんだよ。弱者しか狙わず、弱者しか食わない。私は少なくともあれよりも強者。そして、その私が睨みを利かせていたから襲われなかった。だから、私の周りはとっても安全なんだよ。なにせ……」
まるで子供が褒められることをしたのだから褒めてくれると期待している笑みをヒデは顔に浮かべている。浮かべながら、子供らしく、大人では直視できない理を言う。
「この世界はね、強いもののための世界なんだから」
最初は何も知らない世間知らずの赤子だった少女が、真理を口にする。
少女は一欠けらも悲しみを覚えることはない。若干の寂しさは残るが、悲しみ涙することは決してない。
例え肉親がいたとして、それが殺されてもヒデは悲しまない。仲間が殺されても、長い間一緒にいた友達を殺されても、和気藹々と会話を楽しんだ隣人が殺されても、獣は悲しまず、こう考える。
あれらはただ、肉になっただけである、と。
「私はみんなのおかげで賢くなった。だから聞くの。ねぇ、人間って何?」
その問いにうすら寒さを覚えた。
「法律が何? ルールが何? 人権って何? 残酷って何? 悲惨って何? 酷いって何? 王様って何? 兵士が何? 冒険者が何? お金が何? 財力が何? 権力が何? そんなの、この強い者のための世界になんて、何の意味もないんだよ、人間」
それは真であって、この世界の自然そのものの答えであった。
弱肉強食。ありとあらゆる世界で通用する絶対の理であり真理。人間も例にもれず、強い者が蜜を吸い、弱い者が密ない樹木を舐め、最弱の者達が死に絶える。
しかし、この自然の中で人間が最も最弱である。その最弱を脱すると目にコミュニティを作り、自分達を保護し合うことで自然界での強者であることができるようになった。
これが破壊されれば人間は意図も容易く根絶する。しかし、人間には唯一普通の獣とは違う所があった。
強いものが弱いものを守るということ。
そこには愛情があり、友情があり、親愛が、慈愛が込められている。
しかし、ヒデには分からない。そんなもの、何の意味があるのか、理解ができない。
だからヒデは、そんな束縛する『愛』を持っていないために自由に生きていられる。
「ねぇ、どうしたい? やっぱり助かりたい? なら私から離れないことだね。そうだなぁ、これからどうしよう。東に行こうか、南に行こうか、悩むなぁ。ねぇ、レティはどこか行きたいところとかない?」
「ヒデ、あんた……」
「ヒデさん」
「ヒデ」
「……」
まるでこれから旅行にでも行くような気軽さでヒデは純粋な眼差しをレティに向ける。
問われたレティは根本的に考え方が違うのだと悟り、苦悩する。話を聞いていたエルはそんなヒデを悲しみの目で見やる。会話を聞きながら黒の肉塊を警戒していたギデは憤怒が込みあがる。現状の最適な方法を感情を捨てて思考していたリルは今まで一緒に過ごしてきたリルの姿を思い返した。
「うん?」
分からない。どうしてそんな顔をしてこちらを見るのか、全く理解できない。私は特に変なことは言っていないはずである。なのに、彼らは悲しそうな瞳でこちらを見ている。
理解に苦しんでいる時、エギルがスッとその場から離れ肉塊の方へと歩いていった。
「何してるの? 辛い思いはしたくないんじゃなかったの?」
突然のエギルの行動に首を掲げるが、エギルは振り向くことはない。
何故自分がこんなところにいるのか理解できない。何故勝手に安全な場所から離れ一人足を一歩踏み出したのかが分からない。
あの王城の中が安全圏だったのは納得していたつもりだった。しかし、ここまでこなければまったく理解できなかった。自分の無能ぶりに呆れ果てる。
ヒデの言う通り、辛い思いはしたくない。痛いのも嫌いだし、辛いのも嫌だ。どうして自分がここにいるのか分からない。それでも、自分が人間であることを、後ろにいる幼子に伝えなければならないと使命感からか、王族だからか分からない何かがこみあげてきた。
意を決し、エギルは口を開く。
「いいかヒデ。いや、獣。お前達に何を言ってもわからないだろうが、一応言っておく。人間という者は、仲間を大切にするものなのだ。例えそれが自分とは関係のない者でも、自分とは血の繋がりがなくても、助けてやれる優しさを持つのが人間なんだ」
ヒデにとって仲間は存在しない。友達はいない。親友はいない。何もいない。ただそこにあるのは同じ姿形をしている何かである。自分以外誰の同種を見たことがなかったヒデにとって興味を引いていたにすぎない有象無象の群れ。
自分以外の者はいったい何をしているのか。どういったことをしているのかという興味はこの数ヵ月でなんとなくで理解し、面白いと感じた。
しかし、こんな人間は見たことがない。強者に遊びを求める者はいれども、強者に戦いを求める者はいなかった。
勝ち目がないと思っているからだと考えていた。しかし、目の前の人間は自分の意志で絶対的な強者に向かって歩みを進めている。分けが分からない。
首を掲げていると、リル達も同時に歩みを進め、立ち止まっていたエギルの隣にまでいき、横に並んだ。
「ひゅ~、カッコいいねぇ、さっすが王子様。庶民であらせられる俺達とは威厳が違うねぇ」
「でも、あんまり前に出てもらうとこっちが困るわ。護衛対象は後ろにいなさいよ」
「そうですね。守る者のこともよく考えてください」
「お前達……」
「いっときますが、俺達は王族が前に出たからっていう理由で動いたんじゃないですよ。あなたは俺達の依頼人ですからね。お礼ならいりませんよ。それに、お礼がいらない理由ならもう一つ」
もう一つの理由を言う前に、リルは剣を、ギデは斧を、レティは二本の剣を、エルは杖を掲げ、同時に全員が不敵な笑みを浮かべる。
「俺達の大切に手を出したあいつを俺達が許せないだけですから」
圧倒的に強さが足りていない。だというのに彼らは強敵に戦いを挑む。そんな必要もないのに殺傷にとんだ武器を手にしている。
その姿を見ていたヒデはいつの間にか見えるようになっていた二本の尾を左右に振る。
「……ふ、バかばっかり。人間には馬鹿しかいないのかな。でも……そこが面白い」
人間の事を馬鹿にしながらヒデはその場で跳躍し横に並ぶリル達の前面に躍り出る。
「もうちょっと人間らしさっていうのを理解したくなっちゃった。だから、私も、人間みたいに動いてみるとすることにしたよ」
「ヒデ……まったく、相変わらず自由な奴ね」
呆れたとレティは肩を竦めて言う。だが、ヒデはそれに笑顔で答える。
「うん! だって私は、自由が好きな獣だから、ね!」
その場で笑み浮かべていたヒデの姿が一瞬だけぶれたと同時にギデの隣りから肉を鋭利な刃物で切り裂いた音が鳴り響く。
驚嘆と同時にそん場から姿を消したヒデは下での隣に並んでいた。
左でにある鋭くとがった爪や指に赤く染めた状態で、ひたひたと地面に赤いインクを垂らしている。
「話の途中だったんだけどなぁ……まぁ、いいんだけどねぇっと」
ヒデは左手に付いた液体をはらいながら並ぶ五人の前に躍り出る。
「この人間達は面白い。私がこの数か月の間に身に着けた……常識? だっけ、を教えてくれた恩? もあるし、まぁ、仇で返してもいいんだけど、やっぱりここは人らしさを知りたいと思うから、うん。やっぱり仇は駄目だね。だから、私は君にこの人達は渡さない」
『ぎゃあぁあああああああ!』
まるで刃物に切り裂かれたような悲鳴がそれぞれの口から吐き出される。あまりの怨霊に思わず見えるようになっている耳をヒデは抑える。
「うるさいなぁ、そんな五月蠅い子には、私からお仕置きしてあげるよ!」
ヒデが終わるのを見計らったかのようにそれは再び触手を伸ばしてくる。その数は数十を超すと思われた。しかし、その全てが強者であるヒデには向かわず、後ろにいる餌に向かう。
強者には逆らわず、危害を加えない。勝てない、だからこそ強者には挑まない。故に自分よりも弱い人間に向かって捕食しようとする。
鬼気迫った状況下で、しかしヒデハ先ほどまでやっていた悪役の事を思いだす。
「ねぇ教えてあげるよ。リル、エル、レティ、ギデ、そして、エギル」
数重にも及ぶ襲撃に全く動じる様子がないヒデは後ろを振り向くことなく話を続ける。
「矮小で愚かで貧弱でちっぽけな肉如きが幾ら集まろうが、餌は餌のままだってとをね」
悪役のようなセリフを言うヒデは獲物を見つけた野獣のような鋭さを宿した金の双眸を相手に向けながら舌なめずりをする。
そこからの光景は獣の如く、人間には理解できない戦闘であり、人間の目には留められない逃走であった。
後ろから襲い来る肉塊をその鋭爪で切り裂き、前から襲い来る触手を食い千切り、咀嚼し吐き捨てる。地面から不意打ちとして迫る物にはその獣の勘と嗅覚によって察知し出てきた瞬間に握り潰し、踏み潰す。
返り血を気にしない獣はその青さを赤に変え、吸血鬼の如く血を浴びるその自由奔放な戦い方は、正に人ならざる者、獣が人の形をっただけの存在。
『ぐぉおおおおおおおおお!』
一匹の狼の頭がその場の全てを振動させるほどの大音量を響かせる。その音にヒデの動きが止まる。その一瞬の隙をついて横からエルを襲いかかる触手が一本。
それを視界の片隅でとらえたヒデは人間らしさとはこういう時どうするのかと思考し、絵本の王子様は仲間を救うために庇ったと書いてあった事を思い出す。
唖然として立ったままのエルはヒデに突き飛ばされた。そして、その一本はヒデの左腕を貫いた。血は出ておらず、痛みはない。すぐにそれを切り離せば助かると思われた。
しかし、それはあろうことかヒデの腕に巻き付き、折ったのだ。一カ所だけではなく、数か所を少しの誤差をおいて順番に折っていった。
「ヒデさん!」
折られた箇所から血を流している。触手はヒデの腕から離れようとした瞬間、折られていないもう片方の腕がそれを掴んだ。
「ニヒ」
腕を折られながらも笑みを零すヒデはその場で高く跳躍し、掴んでいる触手を引っ張る。すると巨大な肉塊がその場から徐々にヒデに近づいていき、ヒデと肉塊がぶつかる時、ヒデは触手から手を放し、肉塊に手を突っ込んだ。
「さぁ、今引っ張り出すから、存分に発散しなさい」
何かを掴んだヒデはゆっくりと腕をそこから引き抜く。引き抜かれた腕の先には、大通りで一番初めに肉を売りつけていた男の姿があった。