二十一話 元獣は冷や汗をく
忙しすぎる…
胃に穴が開くかもしれない……
それでも小説は書く
「あれすぐ割れてあんたじゃ危なっかしいのよ。それに、ポーションって沢山使うから無駄にできないのよねぇ。だから私達が預かるわ。ほら、出して」
手の平を上にしながらレティは手を出す。出された手を直視したヒデ再び動かなくなりその額からは冷や汗がだらだらと流れだした。
「……」
「……どうしたのヒデ? 早く出してちょうだい」
「……」
無言。ひたすらに無言。そして現れる無音。聞こえるのは馬車を引く馬の息、手綱が引き絞られる音、車輪が土を踏む音、石を踏み砕く音、誰も声を出さずにじっとしているせいで、馬車の中に奇妙な静寂のみが支配していた。
「あ……え~っと、ポーション。ポーッションねぇ……確か、赤い奴だったよねぇ」
「そうよ。だからそれを渡して?」
「あ~うん。ちょ、ちょっと、ままま、まってね」
ぎこちなく動くヒデの手をスカートにあるポケットに入れる。震えながら取り出されたそれは試験管。ただし、中身がなく、その試験管の中間から無くなっているただのガラスと成り果てていた。
「……ヒデ? これはいつどこで壊したんだい? 怒らないから正直に答えなさ~い」
もし、傷が出来たのだとしてそれを直そうとするなら栓を取ってそれを呑むなりかけるなりすればいい。だが、今レティがヒデから渡された試験官は真ん中から歪に割れている。
ポーションの存在でエギルはヒデとエルクとの戦闘中の出来事の中で不可解に思っていたことが解消された。
尻尾を二本出した時に傷が無くなっていたのはポーションが割れてそれが偶然にもヒデの傷口にかかったからだと考えた。そして、それが分からなかったのは、その時がちょうど土煙が出ていたからだとすれば合点がいく。
「本当に怒らない?」
一方ヒデは上目遣いで瞳を潤はせながら満面の笑みで座っているレティに尋ねている。
頭の中ではどういったら許してもらえるかを必死に考えている最中であったが、嘘が得意ではないヒデではいい案が出るはずもない。
レティの言った言葉は本当に救いだった。
「ええ。遊んでいて割れたとか、王宮を襲ったときに割ったとかじゃなかったら怒らないわぁ」
「……」
救いの言葉が犯罪者を裁く刃となり替わった。
再び無言。下を見ているヒデは自分の足元に水たまりでも作ろうとしていると思えるほどに冷や汗をかいている。
「……て……」
「て? なにかしら?」
「……てへ」
下を出して片手を頭の後ろに持っていき、片目を閉じて必死にかわいさアピールをヒデはした。
ある日小さい女の子がそれをして怒っている父親らしき人物から許されたことを思い出したが為の行動。因みに、その女の子が父親に見えないようにほくそ笑んでいた顔は残念ながらヒデは見逃していた。
だが、笑顔を張り付けていたはずのレティの背後から何故か黒いオーラが悶々と足しあがっている姿を幻視してしまったヒデの顔は徐々にその色を失っていった。
「ご、ごめんなさ、ひぎゃああああ!」
急いで謝ろうとしたがその判断は最初にするべきだった。
馬車の中っから聞こえてきた悲鳴に自然達は静かに黙祷する。
うららかな陽気をため込んだ空の下にそびえる都市。王族が駐屯する国の中枢、ブルーノ王国首都【アリステイル】。
人々が頻繁に生き騎士活気に満ちた首都。外敵から自らを守るために建造された城壁は都を取り囲むように作られている。内側から間諜を散り逃さない意味としての用途もある。
遠方から覗けばそれは不格好な円。しかしm近づけば誰もが見上げ感嘆する。国防に注力していることが一目でわかるほど強められた城壁。門から一直線にしか進まない道の先には王城へとつながっている。
絶対防御の構えをとる国の中止たる首都、そしてその更に中心に位置する巨大な建造物である王城。誰もが一度は夢見るだろうその絢爛豪華な双眸は王族の権威が示されている証拠と言える。
王城への入り口は巨人が通る様な扉で一度開けるのに数人の兵士が必要になる。だが今はその必要が無くなっており、扉を開ける役割を持つ兵士以外の兵士も集まっている。 ヒデが侵入したときに破壊された扉を修繕するために集められた兵士達は一刻も早く修繕するために材料の運搬と雇われた大工達に指示を仰いでいる。
王城内はそれほど壊れてはおらず、扉の次に酷いのがヒデとエルクが死闘を繰り広げた謁見の間のみである。
謁見の間の修繕も急がなければならないがこのままだと外敵から無防備なためと、国民への見栄えの悪さが目立つために急いで修繕する。
「しかし、どうしたものか……」
王の個室、そこでそこで現国王は先ほど起こった出来事を思い起こし苦悩していた。
たった三人、厳密に言えば戦闘をしたのは一人のまだ成人していない程の少女一人に王城内の全戦力が無力化されたのだ。ここまでされたというのに捕らえることができず更には最愛の人と共に愛した息子が攫われた。この程度の虚無感でおさまっているのは彼が国王である所以である。
国王という肩書が彼、アゼルバルド・フォン・ブルーノを支えている。肩書とそれに付きまとう責任という重しがなければ彼はその場で惨めに泣き出していただろう。
いちも国王という肩書を忌み嫌っていたアゼルバルドはこの時ばかりは救われたと感じた。
「この国最大の戦力を無力摩るだけの存在。その存在に偶然捕らえられたルーク。そして、あの謎の移動方法」
表向きに張り付けている冷静さを使いこれからのことをアゼルバルドは思考する。
「もし誘拐が偶然ならばすぐに返しに来るはず。戻ることを恐れる可能性はあの者の態度からして有り得ない。ならば、偶然ではなくそれを狙っていた。いや、移動した先で利用価値を見出したということか。それとも、あの者の仲間が……」
ヒデについての事を少しでも考察しようと謁見の間で会いまみえた際の事を思い出し、その一挙手一投足、言動から考えられる性格などをヒデに当てはめ、その後にルークの身に何が起きる可能性があるのかを思考するその姿からは今迄に染み付いた貫禄が垣間見えた。
「ルークを直接探すわけにはいかない。ならばあの者、ヒデを探そうとしても一体どうするか」
王子を捜索しているなどと言った文書を出せば王子がいなくなったということを公言することになる。その時に王子は我々が預かったなどということを言われればそれが真実かどうかわからないために無暗に襲うことはできなくなる。そうなれば政務が滞らなくなる。
「指名手配に……門を破壊した罪としていくらかの賞金を……」
捜索手段を検討した王はその事をこの後開かれる議会で提案するために座っていた椅子から腰を上げ、豪華に装飾された扉に手をかける。
ノブを回し扉を開ける手をふと、王は止め、自分の部屋を除く。
誰もいない部屋。書類やペン、仕事に必要なもの以外は全て別の場所に仕舞ってあるために、とても広く遊び心のない殺風景な場所。
無邪気に遊びに来る子供も、それを窘める母親も来ない自分だけの空間。仕事ばかりに集中する何の面白みもない男の領域。
寂しさを漂わせる、少しは温かみがあったはずの部屋を見渡した王は、今度こそ扉を開け、閉じる。
部屋の中では扉が閉まる音しか残らない。
大理石でできた床と壁、両脇に飾られた芸術的な作品達に一瞥もせずに決意の籠った瞳を持ちながら、王は、父親であるアゼルバルド足音を響かせながら歩く。
「……そういえば、あの少女は人の名前を言っていたな。確か……レティだったか」
アゼルバルドの呟いたこの時、レティの運命は決まった。