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一話 元獣は生誕する

 木と木が鬩ぎ合い(せめぎあい)ながら我先にと光を食い尽くし喰い尽された過酷な世界の最奥、それでも尚輝きと清さを留める泉は真赤な月華を映し出し自らも紅に染めている。


 魚も草も何もない悲しい泉に一つの生命が浮いている。


 青い服からはみ出た四肢は、生れたばかりと聞かされれば納得しそうなほどにその体には、もともとその体になるまでに必要であろう経験が積まれている様子がまるでない。未だ見つけられていない宝石のような輝きには、誰をも魅了するほどの美しさが宿っている。


 しかし、本来ならばそれだけの筈が、そこには奇妙な光景が存在していた。


 青空をくりぬいたような長い髪と同じ空色の獣の耳と尾をその人間の少女はその体に宿していた。


「……」


 体を起こし、辺りを確認するために金色の獣の瞳を開けた少女は真っ直ぐに水面下に浮かぶ月を覗き込み、木々の狭間を覗き込んだ。


 薄月夜というのもあり、幾多の木々によって作られた深淵は人の目には何一つ見せるものはないが、少女の目にはその先にいる数匹の獣よりも歪で嫌悪の対象の気配も匂いも姿も見えていた。


 それが泉の存在に気が付き喉の渇きを潤そうと近づいてきた時点で泉には小さな波紋が残されているのみだった。


 豚のような汚らわしいそれは泉に近づき手を伸ばした瞬間にそれの頭は奥に押し込まれ体は仰向けに転げそのまま頭は潰れた。


 その瞬間に出血し、自然の摂理のごとく地面に飛び散り、数滴が泉に入りかけた途端に、少女の尾が受け止め泉は清いままで留まった。


 後ろを着いてきていた豚は仲間の頭の欠けた同属の肉塊に思考を停止させた。それがそれらにとって恐怖を感じて死ぬという事を免れる要因となった。


 腹を蹴られ穴の開いた腹部から血を流しながら木々をなぎ倒して平衡に飛行するもの、鋭利な爪で殺傷を刻まれ肉塊にさせられたもの、心臓を抉られ死という現象すら理解することなく凍える体を抱えながら倒れ伏すもの。


 辺りは血に染まり、木々はその血を栄養として、大地という皿に盛られた肉料理でその場は赤く塗られているが、泉まで伸びる赤の手は一つたりともありはしなかった。


「――」


 少女は言葉でない言の葉を繋ぐと泉の水面が波立ち少量の水量が浮かび上がり少女にこびりついた汚れを取り除き植物の養分となって消えた。


 彼女は特に泉を守らなければならない義務があるわけでも、責任があるわけでもない。ただ、彼女はなんとなくいつの間にか泉に浮かんでいた。その泉はとても清んでいて曖昧な愛着がわいて独占欲が出て、暇つぶしの一環として守ろうとしただけだった。


「……どうしよう……」


 そうして彼女が初めて声に出したのは目の前の豚モドキの血肉をどう処理するか悩む声だった。


「遠くに捨てよ」


 そう言うと二体片手に持ち、ずるずると引きずり痕を残留させながら散策も兼ねて歩いて行った。

 ここがどこだか不明。何故いるのか不明。記憶も無い。だが、経験という名の無意識領内にはいろいろと知っていることがある。


 まず、自分が生きていた物を殺すのが初めてだということが、手の震えで理解した。そして、自分についている尻尾と耳はわかるが、見慣れない手足で立っていることに違和感がある。


 そして最後に一つだけ知識としてある言葉がある。


「……自由に生きる」


 その言葉に心を震わせているのが、腰まである髪と共に左右に揺れている空色の二本(・・)ある尾でわかり、口角がわずかに上がっていることからも判断できる。


「どうしようかなぁ~」


 先ほどの悩んでいたせいで出てしまった情けない声音とは違い、それには嬉々とした感情が含まれ僅かばかりに声音が高くなっていた。












深淵の森(しんえんのもり)】そう呼ばれている森はただ木が無数に生えている場所とは決定的に相違点が存在する。

 それは黒々として生い茂っている木々から発せられている〝元魔体〟という物質によって周りにいる〝亜獣〟もしくは〝魔物〟という化物が力をつけてしまうという点である。


 魔物は大地から自然現象のごとく発生し増殖する。それら全ては全ての物を喰らう悪食である。


 魔石という物を中心として構成された肉体は、生物としての本懐である骨や肉をまとっている物もいれば、陰のみで構成された物、その種類は数多存在する。


 しかし、本会は全て統一されている。あまたもの種類を持っていても擦れ等は全て魔石から放出されている〝魔力〟によって構成されているために、構成されている肉体が死を迎える時、そこに屍はなく黒霧となって世界に溶けるように消える。


 亜獣とはもともと生きていた動物が元魔体をその体内に取り込みすぎたために心臓が魔石と変化し発生してしまう現象。魔物と同じく悪食であり、尚且つ獣本来の獰猛さに拍車がかかるほど。


 目の前に敵が現れればすぐさま敵対行動をとり殺し合い、勝利したものが敗者を喰らう。弱者は強者の糧となる弱肉強食の世界の体現者達の総称。


 ほとんどの亜獣は一般の人々にとっては最弱の者でも脅威となりえるが、鍛えられた者達にとっては簡単に殺すことができる。


 そしてそれを生業とする『冒険者』という職業の者達。


 其処に所属する四人の男女が【深淵の森】の中を瀕死の状態でさ迷い歩いていた。


 血を流しながら意識が朦朧としている屈強な男を同じく血を流しながらも立派な剣を腰に差している青年が肩を貸しながら歩き、元は長いローブだったが、今やボロボロになりはてた物を着た女性は杖を突きながら二人について歩き、もう一人の女性は二本の剣を持ち最後尾で警戒をしている。


「ギデ……大丈夫か?」


 青年が肩を貸しているスキンヘッドの屈強な男、ギデを心配して声をかけたがいくら待っても返事は帰ってこない。これをもう何度も繰り返している。


 思えばここに入らなければならない依頼を受けようなんて言った自分が愚かだった。


 自分達の実力を計ろうなんて甘い考えでここに入って、初日はまだよかった。だが、奥に進むごとに亜獣の強さが普通じゃなくなっていった。あれは異常だ。


 気が付けば食料を囮にして逃げる行為が日常になっていき、やがて食料は底をついた。水も遠い昔に無くなっている。せめて亜獣を殺してその血や肉を食べようとしてもその亜獣達の方が俺達よりも強い。捕食される方は間違いなくこちらだ。


 この森では朝や夜などは解るぐらいにはなっている。だが、それでも暗い。毎日毎日暗い中にいてもう方向感勘が無くなり、いつ襲われるか分からない恐怖で狂いそうだ。


「リッチェル……そろそろ休憩しましょう。ギデの包帯を交換しないといけないし……それにそろそろエルの魔力も少しは戻ってるはずだし……」


 癖のある赤い短髪で二本の剣を持つ白い服に革製の胸当てしか防具を付けていない女性は黄土色の髪をして手や足に鎧を纏っている青年に声をかける。


「……そうだな。レティ、辛い仕事をすまない」


「これぐらいしかあたしにできることないしね。でも、ありがとう」


 このパーティの中で一番精神をすり減らしている二本の剣を持つ女性、レティはそう言うとギデに肩を貸すのをリッチェルと交代し、逆にギデは辺りの警戒を始めた。


 レティはギデを木にもたれかけさせると、手を上げてエルを呼ぶ。


 エルという女性は薄桃色の短髪をして、白をアクセントにした服を着ており、その服についているフードを被っている。傷だらけの手に先端が欠けた宝石がついている杖を持ちながらギデに近づく。無造作にまかれ真赤に染まった包帯をほどき、その下の肉が抉られている体を見て顔を痛々しく歪めた。


「『彼の者に清浄なる癒しヲ』『彼の傷を彼方へト』【癒シ乃波】」


 魔法を使う引き金となる言霊を言うと、ギデの傷口がみるみる治っていくが、やはり完全には治らない。


 エル自体に魔力が枯渇している状況、更には辺りに魔法を乱す元魔体が多すぎる。


 元魔体は魔法を使うために必要な魔力を使う行為を隔ててしまい、魔法を使う魔法士に対して天敵ともいえる物質であり、これの発生経路や対抗手段などはすでに確立している。しかし、その手段である宝石が砕けているせいでエルは魔法をうまく使うことはできない。


「ごめんない」


 自分の無力さに謝罪の言葉を口にするが、誰もそれに応えてくれる者はいない。


 黙々と包帯を巻きギデの様子を覗くが、開かれ続け虚構を見続けた瞳は乾き血か滲んでいる。


 疲労困憊で精神をすり減らし続けた四人はその場に座り込み警戒しているリッチェル以外は軽い睡魔に襲われていた。


「……ッ!」


「どうし……」


「しっ!」


 そんな時、突然立ち上がったレティに驚いたリッチェルは声をかけようとした途中に人差し指を口の前に立ててそれを遮り、今度は目を閉じ耳に手を置き周りの音を聞き始めた。


「……水……水の音がするっ!」


「本当か!」


 その言葉を拾ったギデ以外の二人は残った元気をこの時点で全て出し尽くしそうな程にはしゃぎたい勢いに駆られたが、それをぐっと抑えて冷静さを忘れずにまず、リッチェルとエルがギデに肩を貸し、レティが先導する。


「こっちよ」


 最後の足掻きのように必死になりながらも当たりの警戒を怠らず、なるべく音を出さないように移動し始める。数秒間が数分間に感じる距離は四人にとっては地獄だった。


 その地獄を随分と過ごした四人は遂に幻想に辿り着いた。


「……」


 暗い森の中で唯一光り輝き、更には途轍もなく澄んだ泉に誰もが喉の渇きを忘れて息を呑む。ここまでの者とは思っていなかったが故の動揺。


 一枚の木の葉が泉の上に落ちたのをきっかけにやっと正気を取り戻した四人は直接顔を泉の中に入れ勢いよく呑み込んでいった。


 意識のなかったギデには水を頭にかけて強制的に目を覚まさせ、自分から飲ませた。その甲斐あって生死の境を彷徨っていたギデは何とか持ち直すことができた。


「あ~生き返ったぁ!」


「本当ですね。こんなにお水がおいしいなんて思ったの、初めてかもしれませんね」


「まったくだな。あ~俺は本当に生き返ったんだと思えるなぁ」


「そうよねぇ。あんた本当に死にかけだった物ねぇ。ほら、さっさとお礼いいなさいよ」


 喉を潤すことができて少なからず余裕が出てきた四人は他愛無い話で盛り上がりここが非常に危険な森であることも忘れて玉響の安息に安堵の笑みを零した。


 しばらく休憩して何度もエルがヒールを唱えることでギデの傷はほとんど完治の域に達したのを区切りにし、現状の打開する話し合いを始めた。


「落ち着いたところでだ。まずここはいったい何処かということからだが」


「って言われてもねぇ。あれだけ彷徨ったんだ。もうここが何処だかあたしには分からないよ。もう夜だから辺りは暗いし」


「それに……静かすぎて、不気味です」


 普通の森ならば草木に隠れた虫の合唱だが、ここではそれがない。耳が喰われたかのような静寂が身を包み込む。誰かと話さなければ音が喰われてしまうと錯覚されてしまうほどに音がない。


「だが、いつまでもここにいるわけにはいかねぇ。何とか食糧だけでも手に入れんとな」


 ギデの言葉に空腹を思い出した三人は泣き喚く自らの腹を押さえた。


「そうね。そこら辺の木の実でも採ってこようかしら?」


「そうだな。ギデは病み上がりだからここにいてくれ。エル、ギデを……っ!」


 まだ動かすのは危険だと思ったリッチェルはエルに頼もうと声をかけたが唐突に自分達以外の静寂を破る者によって途絶えさせられた。


 深い暗闇の先から聞こえてくる草を踏み仕切る音。ただそれだけでその場の四人は警戒する。見えないという恐怖、それは人を焦燥に掻き立てるのは容易。


 額から汗が流れる。いつ襲われるか分からない。ここの亜獣や魔物は素早く、剛腕で、鋭利な牙や爪を持つ。一体ならまだ助かる可能性はある。現に四人とも生きている。だが複数現れれば人間という脆弱な生き物はそこらにいる蝿と大差ない。


 いや、蝿とは違い体も大きく素早さに欠けている人間の方がよっぽど殺りやすい。それに悪食である奴らにとって人間は皿に盛り付けられた餌でしかない。


 無論抵抗するが、個々の奴等は別格。


 一歩一歩と近づいてくる足跡に二足歩行であることから魔物の可能性が高いと考え更に危機感が高まった。


 亜獣は理性をなくしたただの四足歩行の獣であるが、魔物は違う。


 理性を持ち、時には統率する個体も発見されており、二足歩行の個体が多いため人間と同じく武器や防具、魔法までも使うものが現れることが多い。亜獣もごくまれに魔法を使う個体が見られる武器や防具は使わず、魔法も本当に極稀である。


 理性の有無だけでも戦況はがらりと変わる。それを知っているからこその警戒。


 ギデに至ってはリッチェル達が運ぶに至って重すぎるギデの武器であるアックスを捨ててしまっているために手持ち無沙汰となっていると共に心のよりどころがない。


「……ッ」


 どこからともなく聞こえてくる息を呑む音。緊張が限界に達してもなお魔物は距離があるせいか姿を現さない。草を踏み躙る音に精神を削られながらもその時を待つ。


「……なん……だろう……?」

「ッ!」


 耳を澄ませていたら聞こえてきた音、否、声に我が耳を疑ったレティは他の三人に視線を向けるが誰もが首を横に振り否定する。


「いた……のかなぁ……?」


 今度こそ確かに聞こえた人の声。同業者という可能性があるが、この森を目指そうとする輩やここに行かなければならない依頼を受ける猛者達はほとんどいない。それでも、ここにしかない珍しい花や魔物の素材などの珍しいものを求める者達がいるために依頼が尽きない。


 自分達はそれなりに実力あると思い込んで慢心していた。驕っていた、傲っていた、うぬぼれていた。自尊心に値打ちがあると勘違いをしていた。だからこそ、こんな現状に陥ってしまっている。


 世の中には人の言葉を理解する魔物も存在している。一部分だけ人の姿形をしている魔物もいる。故に四人は未だに警戒を怠らない。


「泉は……大丈夫かなぁ……」

誤字脱字が多分に含まれている可能性があります

出来る限り修正しますので、よろしくお願いします

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