ルチア、逡巡する
告げられた言葉にびっくりしてしまって言葉が出てきません。こんな気持ちは二度目です。一度目もセレスさんでしたけれど、まさか二度目もセレスさんだとは思いませんでした。結婚? わたしが?
「いきなりだし、びっくりして当然だと思う。けど、君を誰にも渡したくないんだ。殿下にも、他の奴らにも。君はまだ若いし、結婚なんてって思うかもしれない。これは俺のエゴだと思う。でも、もし君さえよければ、俺を君の家族にしてくれないか?」
真剣な面持ちでセレスさんはわたしの手を取りました。家族──家族? わたしに? わたしの?
「俺は、君じゃなきゃダメなんだ。側にいるのは君じゃなきゃダメだ。他の人じゃダメなんだ。そして、同じくらい君の隣にいるのが他の奴なんてイヤだ。答えは今じゃなくてもいい。バンフィールドに帰るまで、ゆっくり考えてくれていいから」
セレスさんの言葉を聞きながら、わたしは腕に嵌められた腕輪を見つめていました。丁寧に丁寧に作られた腕輪。一日二日じゃ作れなかったでしょう。どれだけ前から考えていてくれたんでしょうか。そう思うと、嬉しくて泣きたくなってきます。
けれど……嬉しいのに、怖くなりました。他の人じゃダメで、他の人に渡したくない。その気持ちは同じで、プロポーズはすごく嬉しいのに、怖いんです。
だって──また失くしてしまったら。家族になった途端セレスさんがいなくなってしまったら。お父さんやお母さんと同じように、いなくなってしまったら。
そう思ったら、怖くて仕方なくなってしまいました。側にいてほしい。ずっとずっと。その気持ちに嘘はないけれど、でも、それが家族になるという明確な形を持つと、途端に怖くなってしまったんです。
だって、失いたくないんです。ひとりは嫌だけど、でも、セレスさんがいなくなるくらいならひとりの方がずっといいです。
どうしよう? どうしたらいいの? 頷いてしまったらなにかが変わってしまいそうで、わたしは腕輪から目を逸らすことができませんでした。
「……戻ろうか」
わたしが黙ったままなのを見て、セレスさんは優しい声で言いました。もしかして結婚が嫌だと思われた? そうじゃないのに、言葉が出てきません。未来を希んでもらって嬉しい。そう伝えたいのに、咽喉が締め付けられるように痛くて声が出ません。違うの、そうじゃないの。イヤなんかじゃないんです。
出ない声の代わりに、わたしは去っていこうとするセレスさんの腕にしがみつきました。わたしがそんなことをするのは初めてで、セレスさんがびっくりしたような顔で足を留めます。
「ルチア?」
どうしよう、なんて言えばいいの? 待ってもらって、わたしは答えを出せるんでしょうか?
「どうしたの?」
指先で頬を掬われて、わたしは自分が泣いていることに気づきました。気づいた途端、嗚咽が咽喉から漏れ出ました。セレスさんの腕にしがみついたまま手で押さえたけれど、治まってなんてくれません。
「怖くなった? ごめんね、急だったから」
「わたっ……わた、し」
「うん、ごめん、ルチア。ごめん」
「違、ちが……そ、じゃ……」
ちゃんと伝えないとダメです。誤解されたままなんて嫌だから。悲しませたいわけじゃないんです。嬉しいのに、失うかもしれない未来が怖くて頷けないなんて恥ずかしいけれど、それでもそれを伝えて怒る人じゃないから。頷くのは怖いけれど、せめて気持ちだけでも伝えないといけません。同じ気持ちなんだって、わたしもセレスさんじゃないとダメなんだって、伝えなくちゃ。
言葉にならないまま駄々っ子のように首を振るわたしに、けれどもセレスさんは静かに付き合ってくれました。
「嬉しいんです。わたしも、セレスさんがいいの。でも」
怖い。怖い怖い怖い。
セレスさんの顔が見れません。今、どんな表情をしているの? 静かな呼吸からは気持ちは読めなくて。
ぎゅっと目を瞑って言葉を探します。なんて言えば伝わるの? 胸の内をそのまま見せれればいいのに。
「でも──」
「俺はいなくならないよ」
あったかい声とともに、掌が頭に乗せられました。そのまま優しい手つきでわたしの頭をなでると、セレスさんはそっと言葉を継ぎます。
「ルチア、家族になったら俺がいなくなるなんて思わないで。たしかにこの先なにがあるかなんてわからないし、怖がるのもわかるんだけどさ。俺、こう見えて結構図太いし、かなり健康だし、剣の腕も生半可な奴には負けないし……えっと、あとなにがあるかな? あ、貯金もだいぶあるよ。俺が騎士を続けるのが不安なら退職して二人で店やってもいいし、うーんと、あと他には……」
思わず視線をあげると、セレスさんは真面目に悩んでいるようでした。どうすればわたしの不安を取り除けるのか、そう思ってくれているのが伝わってきます。
わかってもらえている。そう感じたわたしは、瞼が再び熱くなるのをとめられませんでした。なんでしょう、セレスさんといると、涙腺が緩んで仕方ないです。今まで平気だったのに。
泣きじゃくるわたしを、セレスさんはそっと抱きしめてくれました。背中をさすられながら、わたしは子どもみたいに駄々をこねました。
「いなくなっちゃ、嫌です」
「うん、全力を尽くして側にいます」
「いなくなるの、怖いです」
「おじいちゃんとおばあちゃんになるまで一緒にいるって誓います」
「怖いんです。嬉しいけど、怖いんです」
「俺自身が怖いって話じゃなきゃ大丈夫です。どんとこい!」
おどけて言うセレスさんに、つい吹き出しました。あんなに怖くて仕方なかったのに、笑ったらふっと気持ちが軽くなりました。
「俺がなにより守りたいのは君だけど、君のためにも自分の安全も守ります。絶対ひとりにしないし、必ず幸せにするから」
「おじいちゃんになるまで死んじゃダメですからね?」
「はい、誓います」
「なら、いいです」
泣き笑いの顔を見られるのが恥ずかしくて、わたしはセレスさんの胸に顔をうずめたまま、大きく頷いたのでした。
お父さん。お母さん。
いつか失うかもしれない恐怖はなくなってはいないけれど、わたしにも新しい家族ができそうです。
どうか、この幸せが続くよう、見守っててくださいね。