ルチア、マリアと夜歩きをする
マリアさんと作った夕食は、とても好評でした。
不寝番のガイウスさん以外はそれぞれ天幕に引き上げたあと、わたしとマリアさんはしばらくおしゃべりに興じていましたが、それもそのうち途切れ、わたしは毛布にくるまったまま寝てしまったようでした。
「ねぇ、ルチア」
うとうととまどろんでいると、遠慮がちに肩を揺すられて目が醒めます。
目を開けると、薄闇の中、マリアさんがわたしを覗き込んでいました。
「どうしたんですか?」
「ごめん、トイレ付き合ってほしいんだけど……。暗くて、ちょっと一人では行きづらいっていうか」
目をこすりながら起き上がると、マリアさんは恥ずかしそうに言いました。
たしかに宿と違って1人では行きづらいですよね。魔物も怖いですし。
「野宿ってさぁ、虫とか地面が硬いとかお風呂がないとか色々あるけどさ、なにが1番イヤかって、トイレが困るとこなのよね。小さな天幕張ってくれてるけど、要は地面に穴掘ってるだけじゃん? すっごく原始的っていうか、イヤなんだけど。なんで魔法があるくせにそういうとこは不便なの?」
野営の際のトイレは、マリアさんの言う通り基本穴を掘ってあるだけです。使ったら土の魔石で蓋をしているので臭いなんかは気になりませんし、肥料として大地に還るので特に問題はありませんが……たしかに下水道の発達した王都の水洗トイレに慣れてしまっていると、これには抵抗があるかもしれません。
「消せればいいのにね」
「消せちゃうと肥料に困りますよ」
「……そっか、魔法ではそこはクリアできないんだ。変なとこで中世よね、あんたんとこの世界」
「マリアさんの世界では肥料は違うんですか?」
「動物のを使ってるところもあるっぽいけど、あたしが見たことあるのは化学肥料よ。こっちは科学とかの理科系の発展が遅れてるよね」
魔法に頼りすぎなんじゃない?とマリアさんは笑います。
たしかに、わたしたちの世界は魔法で成り立っています。お水ひとつとっても水の魔石ですませてしまいますし、魔法はなくてはならないものでしょう。
「魔法が使えなくなったらどうするの?」
「魔法が使えなくなったら……ですか?」
マリアさんの問いかけに、わたしは首をかしげました。魔法が使えなくなったら、この世界はどうなってしまうのでしょう?
「魔法は便利ですけど、使えなくなったらまたどうにかするんじゃないでしょうか。水は汲みに行けばいいし、火は熾せばいいです。洗濯だって手でできますし、灯りだってろうそくがあります」
「まぁねぇ……でも、なんかこの世界があたしたちのとこみたく機械で溢れるのは想像つかないのよね。なんかのんきっていうか、銃とか爆弾とか、出てくる気がしないわ。火薬とかなさそう」
そんな話をしているうちにトイレへつきました。
「ごめんね、ちょっと待っててね。先帰っちゃダメだからね」
「はい、大丈夫です。待ってますよ」
わたしは空を仰ぎました。セレスさんといつか見たような、満天の星空。もう、雨雲はどこかへ行ってしまったようですね。
「明日は晴れるでしょうか……」
明日は山を越えます。雨だと危ないですし、ここでやむのを待つことになるんでしょうか。
早くフォリスターンの天晶樹に着くためにも、青空が待ち遠しいです。
※ ※ ※ ※ ※
わたしたちはそのまま天幕へとは戻らずに、少しお散歩をすることにしました。わたしももう眠気は飛んでしまっていましたし、なにより星がとても綺麗だったから、マリアさんと見たくなったのです。
「あれ、どうしたの?」
皆さんの天幕から少し離れたところに、セレスさんがいました。隊服を脱いでいて、下のシャツだけになっています。珍しいその姿に、マリアさんも目を丸くしていました。
「寒くないの、その恰好」
「いえ、特には」
「上着脱ぐと結構普通っていうか、シンプルな感じよね、その服。上着はいかにも軍服っていうか、詰襟だしカチッとしてるけどさ。でも、なんで脱いでるわけ?」
「不寝番でないときは、こんな感じになることもあります。寝づらいですからね、上着着てると」
落ち着いたグレイと黒を基調とした隊服はかっこいいですが、ちょっとラフな印象のシャツ姿もセレスさんはかっこいいです。
「それで、聖女様はどちらへ?」
「うん、あたし寝れなくてさ、悪いとは思ったんだけど、ルチアに付き合ってもらってちょっと散歩。セレスも来る?」
「そうですね、そうしましょう」
セレスさんはマリアさんの誘いに頷くと、わたしの側へやって来ます。
「今日も星が綺麗ですね」
「そうだね」
「あんだけ雨が降ったから曇ってるかと思ったけど、そうでもないのね。洗い流されたみたいな感じの空」
3人で連れ立って歩いていると、突然マリアさんが立ち止まりました。
「ね、あれってエドじゃない? 一緒にいるのは……フェル?」
「ですね。殿下と団長のようです」
「こんな夜更けになにをされているんでしょうか?」
たしかに木々に隠れていますが、視線の先には殿下と団長様がいらっしゃいます。殿下はフード付きのマントをかぶっていらっしゃいますが、ちょうどこちらを向いているせいもあって誰だかわからないということはありません。
「こんな夜中に、こんな人目のつかないところで……なにをやってるの?」
おふたりはわたしたちには気がついてはいないようでした。深刻そうになにかを相談されているようです。もう少し近づけば聞こえるでしょうか?
そう思ったのはマリアさんも一緒のようでした。
「なに話してんだろ?」
思えばこのとき、そっと近づくマリアさんを止めておけばよかったんです。
ですが、わたしたちはひそやかに交わされる会話に気を取られ、それがわたしたちになにをもたらすかなんて思いもしなかったのでした。
「……そうだな、”聖女”として使えるならば、マリアでなくても構わないだろう。身分は低いが、王太子妃として立てるには、我の強くないルチアの方がいいかもしれない。もとより、僕の妻は”聖女”であれば誰でも構わないのだから」
静かな殿下の声は、どんな魔法よりも強く、闇を切り裂きました。