ルチア、シロを観察する
村人さんたちに別れ告げると、わたしたちはまた出発しました。
「この様子だと、今日はイーレスで宿泊かな」
馬車の中で、殿下は地図をご覧になりながら そうおっしゃいました。
「どれくらいで着くの?」
「昼過ぎ……うーん、午後に入るかな。イーレスを過ぎると山を越えることになるから、しばらく宿泊できそうなところはないね」
地図を見ると、たしかにアドミナ、イーレスときて、村の名前は一旦途切れます。
イーレスから多少離れたところにシュノー山という山があって、山を越えると城門を構えるような少し大きめの街があるようです。
「野宿はできそうなところはあるの?」
「シュノー山の麓が平原になってるよ。どうしたの?」
殿下は形のいい指で地図を指すと、マリアさんを不思議そうに眺めました。
「あのね、今まで野宿やだーってあたしが言ったから、ゆっくり進んでたじゃない?」
「そうだね」
「考えたの。あたしが魔物怖いように、普通の人は皆怖いんでしょ? そしたら早く浄化を済ませたほうがいいし、そうなるとできるだけ早く到着する必要があるのよね?」
マリアさんの発言に頷くと、殿下はにっこり笑いました。
マリアさんはそんな殿下を見つめると、はっきりとした声で言います。
「野宿しても構わないから、早く行こう。あたし頑張るし。ベッドじゃないと眠れないなんてもう言わない。天幕に1人じゃないし、もう怖くなんてないから」
マリアさんはこちらをちらりと見ると、照れ臭そうに笑いました。はにかんだような笑顔が、とっても可愛いです。
「へぇ、マリアがそう言うなんてね。ルチアが来てから変わったね、マリア。うん、君がそういうなら先へ進もう。行程は厳しくなるけどいいね?」
「うん、頑張るし。エドには悪いけど」
「こう見えても僕は野宿も好きだよ。解放感あっていいよね」
「王子様なのに野宿平気なの? おかしい!」
マリアさん、なんだかどことなくですが、なにかふっきれたというか、前より変わった気がします。
それは殿下も感じられているようで、終始機嫌よくにこやかでいらっしゃいます。
「フェルナンド、マリアが先へ進むことを希望している。イーレスで宿泊せず、そのままシュノー山の方へ進もう。これからは宿泊を主とせず、まっすぐバチスの王都ハーシュを目指すぞ」
「わかりました」
殿下は身体を捻って御者台に繋がる小窓を開けると、大きな声で団長様にそう告げました。
「次の天晶樹があるのって、そのハーシュって場所じゃなかったよね?」
「フォリスターンだ。だが、バチス公国では大公に、ダル・カント王国では国王に、それぞれ挨拶が求められている。国境を越えても天晶樹へ直行はできない」
殿下の指示を聞いてマリアさんが訊きました。
どうやら政治的ななにかがあるようですね。
「王子様も大変よね」
「……まぁ、考えなければいけないこと、やらねばいけないこと、決断しなければいけないこと、たくさんあるね。国のためなら致し方ないことだが」
目元を優しくゆるませて、殿下はマリアさんに微笑みます。
「国のためになにを捨て去るか。以前は迷うことなどなかったけどね」
そう、静かに呟く殿下は、なんだか困ったようなご様子です。
個人ではなく、国としての決断をしなければいけないというのは、とてつもない重責に思えます。
以前は……とおっしゃるには、今は迷われているということなんでしょうか?
「ぷすぅ〜」
「ところでその竜だけど、心なしか大きくなっていない?」
膝の上でころりと転がったシロを見て、殿下が話題を変えました。
シロはお腹を上に向けて、ぷすぷすと鼻を鳴らしながら、安心しきったように寝ています。
たしかに……殿下のおっしゃる通り、少し大きくなったように思います。
実際、もうポケットには入りきらないというか、入れるとポケットが破けそうなんですよね。
「なに食べてるの?」
「なんでも食べるんですけど……たしかに大きくなりましたよね」
「“シャボン”は毎日かけてるのよね」
「はい。なので今のところ凶暴化する気配はありません」
たまにぴこぴこ動く尻尾を見ながら、わたしはシロの様子を思い出しました。
シロは“シャボン”が気に入ったのか、かけるととても上機嫌になるんですよね。
「ふぅん。凶暴化してないのならいい。定期的に魔法をかけるのを忘れないように」
「はい」
「きゅ〜ぁ」
幸せそうに上下するお腹をなでると、シロはのどかな声を出しました。
この子を守るためにも、暴れさせないように“シャボン”をかけ続けなきゃですね。