ルチア、水晶に触れる
わたしたちは、フォリスターンの天晶樹を目指して、バチス公国へ向かうことになりました。
バチス公国はエドアルド殿下のお母様、この国の王妃様の母国でもあります。10年ほど前にお亡くなりになりましたが、とてもお美しい方だったといいます。
「バチス公国はいいところだよ。きっとマリアも気に入る」
「そう?」
「ああ。1600年前にこの世界を救った聖女はバチス公国に降り立ったという伝説がある」
「降り立ったって……」
「君と同じ、異世界の聖女だ」
殿下のお話に、わたしとマリアさんは目を見開きました。どちらともなく顔を見合わせます。
「……その、聖女様は、その後どうなったんですか?」
「さぁね。僕が母上から伺ったのは、過去、バチスの人々は異世界から聖女を招び、その聖女は天晶樹を浄化した。……それだけだ」
そうおっしゃると、殿下は脚を組み替え、もうその話に興味はないとばかりに窓の外をご覧になられてしまいました。
つまり、その聖女様は帰られたかどうかもわからない。そういうことでしょうか。
もし、その聖女様が帰還できたとしたら、きっとマリアさんも帰れるのに。
「詳しくはわからないの?」
「僕はバチスの人間じゃない。バンフィールドの人間だ。聖女の話でバンフィールドまで伝わっているのはそれだけだ。その後の話など聞いたこともない」
マリアさんには必ず優しい言葉をかける殿下が、珍しくも冷たい言葉を返します。まるでその話に触れられるのを嫌がるみたいに。
「--やっぱり帰れないんだね」
隣で、小さくマリアさんが呟くのが聞こえました。
その呟きはわたしの胸にも冷たく広がります。
--帰れない。
それは、マリアさんに最初に言い渡された言葉なのでしょう。帰れるなら、きっと殿下との婚約話など表に出ては来ないはずです。
無理矢理この世界のために招ばれ、帰る手段はない。そんな横暴な話はおとぎ話などではなく、今現在、マリアさんに降りかかっているのです。
「そっかあ……」
殿下のお話に、マリアさんも言葉を切ると窓の外へと視線を逃がしました。
そうして、馬車には、ただ沈黙だけがしばらく降りたのです。
※ ※ ※ ※ ※
「さあ! ルチア、約束だよ! 実験してみようよ!」
休憩のために馬車から降りると、待ち構えていたようにエリクくんが駆け寄ってきました。
「はい、まずは魔力量を測るよ! どんな影響があるかわかんないから、一旦シロはどいてね」
わたしはエプロンのポケットからはみ出ていたシロをエリクくんに渡すと、引き換えのように手渡された計測器をおずおずと口に咥えます。
「魔力量はフル回復してるね。んじゃ、魔法を使ってみて」
“魔法”の一言に、どきりとします。
大丈夫、今回は特になにかの影響はないはず。これはわたしに及ぼす影響を調べるためのものだから、このせいでマリアさんを傷つけたりはしないはずです。
でも、やっぱり少し怖くて、わたしはちらりとあたりを見回しました。
すると、こちらを見ていたセレスさんと目が合いました。
力づけるように頷くセレスさんを見て、わたしは決意を固めました。
怖くなんてないです。大丈夫、ちゃんと使えます。
「《シャボン》!」
呪文とともに、ふわっと七色のシャボン玉が現れました。青空にふわふわと立ちのぼるシャボン玉は、お日様の光を弾いてキラキラと光りました。
「なるほどね〜。んじゃ、コレ持っても1回唱えて」
エリクくんは胸の水晶を外すと、無造作にわたしへ手渡してきました。大切なものなので、慌てて両手で受け取ります。普通は、媒介である水晶がないと魔法は発動しないのです。
魔力がなくても魔法が使える魔石は磨きこんだ水晶の欠片に魔力を込めたものなので、水晶を使って魔法を使うとしても、魔石を使って魔法を使うとしても、どちらにしろ水晶は必要とされます。
なので、なぜわたしの魔法が水晶なしに使えるのか、たしかに不思議なんですよね。小さいときはそんな仕組みなんて知らずに使っていたので、水晶なしに使うのが当たり前になっていましたけど。
「《シャボン》!」
お借りした水晶に手をやり、もう1度唱えます。
先ほどと同じく現れるシャボン玉を見ながら再度魔力量を測ると--
「え、変わんないの?」
目盛りを確認したエリクくんは、驚いた声をあげました。
「待って、もう1度最初からやってみよう」
「はい」
けれど、何度やっても結果は同じでした。
水晶があってもなくても、わたしの魔法には変化がないみたいです。
「おかしいなぁ。媒介なしで発動してるんだから、媒介使えばその分の負担が軽減されたりするかと思ったんだけど……」
「あたしと一緒じゃないの?」
「マリアさん」
計測器を眺めていたわたしたちに、マリアさんが声をかけてきました。
「うーん、やっぱりそうなのかも。聖女様の力とルチアの力は似てるのかな? ボクらの力の発動とは違うみたいだ」
なんでだろう、とエリクくんは考え込んでしまいました。
「なんで他の人の魔法は水晶を介さないと使えないわけ?」
「天晶樹が水晶で出来てるでしょ。ボクらの魔法は、天晶樹と共鳴してはじめて発動するんだ。仕組みはよくわかってないんだけど、水晶は天晶樹の欠片と見なされるのか、水晶を媒介にして天晶樹から力を引き出してるって言われてるよ」
「なんでよ?」
「研究したくても、天晶樹の近くは魔物が多いから、近寄れないんだよ」
「それなのに天晶樹と共鳴することはわかってるの?」
「大昔、少しだけ研究が進められたことがあったんだ。天晶樹の浄化が果たされたら、その研究を進めたいんだよね、ボク。ロマンじゃない?」
お返しした水晶を陽に掲げて、エリクくんは満面の笑みを浮かべました。
本当に研究が好きなんでしょうね。