ルチア、前を向く
少しはやれることがある。そう思うと、まだ頑張れる気がしました。
魔法を使うことはまだ怖いですが、やれることがあるのは幸いです。
わたしはやんわりセレスさんの腕を押し戻すと、背の高いセレスさんの顔を見上げました。
「セレスさん、ありがとうございます。少し元気が出てきました」
「よかった」
「はい、2人でマリアさんを元の世界へ還してさしあげましょうね」
笑顔を向けると、セレスさんも笑ってくれました。
ですが、ふとその微笑みを引っ込めると、真剣な眼差しをわたしに向けます。
「あのさルチア、さっき“シャボン”を使うのが怖いって言っていたね」
「…………」
思わず漏らしてしまった弱音。
誰にも言うつもりはなかったのに、セレスさんの顔を見たら気が緩んでしまいました。
わたしは恥ずかしくて、再びうつむきました--が、すいと顎を掬われ、上を向かされます。
青いまっすぐな瞳に、不安げなわたしの顔が映っていて。
それを見ているわたしの目にも、セレスさんが映っている。それがわかるくらい静かに凪いだ瞳でした。
「使わなくていいよ」
「え?」
視線を外さずに、セレスさんはそう言いました。
使わなくていい。その意味がわたしの中に浸透するのに、少し時間がかかりました。
「怖いなら、無理しなくていいんだ。俺が守るから、無理して魔法を使わなくていい。怖いのは当たり前なんだ。だって君は戦いとは無縁だったんだから。戦うのは俺がする。怖いなら守る。もう、ひとりで頑張らなくてもいいよ」
「セレス、さん……」
「だから、君は君のままでいてほしい。君が君でいてくれることで、救われる人がいるんだ。俺とかね」
ああ。
わたしはマリアさんの気持ちがわかりました。
あのときは守りたい一心で必死になっていてわかりませんでしたけど、思いつめているときに差し伸べられた手は、寄り添ってくれた心は、本当に本当にあったかくて。
「これは--泣いちゃいますよね」
「え?」
崩れるように泣いたマリアさんを思い出して、わたしは笑みを浮かべました。無理矢理にでも笑わないと、声をあげて泣いてしまいそうです。
ねぇマリアさん。
わたしも同じです。泣きたくなるくらい嬉しいです。
守ってくれる人がいるって、こんなにも安心できるんですね。
もう、ずっとわたしは誰かを守る側で、わたしを守ってくれる人なんていなかったから、こんな感覚忘れてました。
お母さんが元気だった頃みたいに、頑張らなくてもいいんだって、守ってあげるって言ってくれる人がいるのは、泣きたくなるくらい幸せでした。
「ありがとうございます、セレスさん。すごく嬉しかったです。怖いの、どっか行っちゃいましたよ」
そう言うと、セレスさんはすごく嬉しそうに笑ってくれました。
その笑顔を見ていたら、胸のあたりにいた冷たくて重い粘土みたいなものが、すとんとどこかに行ってしまいました。
代わりに詰められたのはあったかくてふわふわした気持ちで。
やっぱり好きだなあと思うんです。この、優しい気持ちをくれるこの人が。
叶わない恋だと思います。釣り合わないって言われるのはわかってます。
でも、好きでいるのは止められないみたいです。
想うのは自由です。だから、こっそり好きでいることくらいは許されますよね?
旅が終わってしまえば、セレスさんはきっと“竜殺しの英雄”とだけでなく、“救世の英雄”として名高くなるでしょう。
そうなると、もう手が届かないというか、言葉を交わすことも難しくなるかもしれません。今までみたいに、お昼を一緒に食べてお話するなんて、叶わない夢になってしまうかもしれません。
だけど、旅の間くらい、親しく言葉を交わすことは……許されますよね?
せめて、せめてこの旅の間だけでも、側にいたいんです。
だって、初めて好きになったんです。
気にしないように、忘れよう忘れようって思って過ごしてても、こうやってすぐに気持ちが揺さぶられるなら、もう見なかったことになんかできないです。
だったら、側にいて少しでも想い出を増やしたいって思うのは、いけないことですか?
初恋は実らないって、昔近所のお姉さんから聞きました。実らないから、なおさら記憶に残るのよって。
記憶に残すなら、笑顔のセレスさんがいいです。側にいて、お話して、そのひとつひとつを大切にして、そして笑顔でお別れしましょう。
「セレスさん」
「うん?」
大好きです。
言えないその一言を飲み込んで、わたしはセレスさんが手にしていたランプを取りました。
「ささっと行っちゃいましょう。早く寝ないと、きっと明日も早いですしね」