ルチア、天晶樹の浄化にチャレンジする
3本ある天晶樹は、それぞれの場所の名前を冠して、“キリエストの天晶樹”、“フォリスターンの天晶樹”、“メーナールの天晶樹”と呼ばれています。
天晶樹のある地は魔物の発生地でもあるので、まず近づく人はいません。なのでわたしも初めて見ました。
天晶樹は、ねじれた透明な幹を天を衝くようにして広げ、硬く光る水晶の葉を生い茂らせています。ところどころに大きな果実みたいな結晶が見えていて、その中に黒い煙が凝っているのは……もしかして、魔物の元、なんでしょうか⁇
「なにこの黒いの……」
光を浴びたらさぞや綺麗だろう天晶樹は、全体的に黒いもやみたいなものをまとっていました。
天晶樹を取り巻き、まるで生きているみたいにゆらゆら揺れるもやは、よく見ると黒い煙を内包する結晶に向かって流れています。
「瘴気だよ。この瘴気を吸って、天晶樹は魔物を生み出すんだって。何故この瘴気が現れるのかは、さすがのアカデミアも把握してないけどね」
「聖女様には、この瘴気を浄化していただきたい」
エリクくんと団長さんは、マリアさんの方を向くとそう告げました。
「まずはルチアが試すそうだ」
「えっ!? そうなの⁇」
「それは……っ、何故ですか、殿下」
「聖女様は……?」
「おう、嬢ちゃんがやるのか」
「…………」
殿下の発言に、皆さんは驚いたようでした。そうですよね、驚きますよね。わたしもこの決断に驚いています。
ですが、マリアさんが怖がってる以上、わたしたちが頑張らなきゃいけません。見ててくださいね、マリアさん!
「エリクくん」
「うん?」
「魔力回復薬をいただけますか?」
あのものすごい味は思い出さないようにして、わたしはエリクくんにお願いしました。ためらったら飲めない気がします。
「飲むの? そしたらまず計測しよっか」
エリクくんは、馬に乗せた荷物からいそいそと計測器を取り出しました。一見するとガラスの棒ですが、側面にメモリが刻んであるのが特徴的です。
「アカデミアの計測はいくつだった?」
「3,500くらいって言われました」
「へえ! 意外とあるんだね。ではでは……」
メモリは長いものと短いものが、1本ずつ交互に記してありました。あまり細かい計測はできないということなんでしょうか?
口に咥えると、青い線が動き始めます。どういう原理なんでしょう、これ。
「今は2,,500から3,000の間くらいだね。さっきの魔法で結構使ったってこと?」
線の動きが停まったのでエリクくんに手渡すと、真剣な顔でメモリを確認しました。いつものニコニコしたエリクくんとは違いますね。
「そうなんですか?」
「あの規模で1,000近く使うって、効率悪いのかな?」
「エリクくんの1,000だとどうなんですか?」
「ボクだと……あれ? ルチア水晶は?」
メモリとにらめっこして首をかしげるエリクくんは、ふとわたしの姿を確認して目を丸くしました。
「ないです」
「えっ、なくて発動するの⁇ 信じられないけど……そうなると効率の悪さはそのせいなのかな。カタチとしては聖女様の力に近いね」
そういえばディ=ヴァイオ学園長にも驚かれましたね。すっかり忘れていましたが、やはり媒介の水晶なしで魔法を使うのは珍しいんですかね?
「んじゃ、1瓶飲めばいいかな。あまり持ち合わせがないからさぁ、次からは飲まずに挑めるといいんだけど」
そう言って、あの青い瓶を渡してくれます。よし、無心です。なにも考えずに飲みますよ!
わたしは目をつぶって瓶を呷りました。途端に脳みそが痺れるような、あのとんでもない味が広がります……!
「ルチア、水」
心配げな表情のセレスさんが、涙目なわたしに、革袋に入ったお水をくれました。
ありがとうございます……準備忘れてました。ないと死にそうです。あっても死にそうです。
次からはこれを飲まないでも挑めるようにしましょう。そうしましょう。じゃないと身が持ちません! 気力ではカバーできない味です!
「俺としては、あまり無理しないでほしいよ」
「セレスさん。ですが……」
「うん、君のことだし、異世界人である聖女様に負担をかけたくないとか、そんなところなんだろうけど。俺が手助けできればよかったんだけど、浄化ばっかりは手出しができないし……」
心底気遣っているといった様子のセレスさんの言葉に、胸がツキンと痛みました。
セレスさん……浄化を手伝ってあげたいと願うほど、マリアさんのことを気遣っているんですね……。
ついそんなことを考えてしまって、わたしは唇を噛み締めました。
セレスさんは騎士様です。誰かを守ることはセレスさんにとって大事なことなのでしょう。
なにより、人に優しくないセレスさんは嫌です。もとより、異世界からいらしたマリアさんに平気で押し付けて、気にも留めない人ではないですしね。
本当にわたし、なにを考えているんでしょう。情けないです。こんなことを考えているときではないのに。
「ルチア、大丈夫?」
「はい、頑張ります」
改めて見ると、天晶樹を取り巻くもやは不気味に揺れています。あれに近寄りたくないと、わたしのどこかが訴えていました。
わたしは殿下に支えられているマリアさんを振り返りました。
青ざめた顔をこちらへ向けるマリアさんは、今にも倒れそうです。頼りなげな肩を、優しく殿下が包んでいるのを見て、少し安心しました。
わたしにもできることがある。それは、ともすればくじけそうになるわたしの心を支えてくれます。
わたしに天晶樹の浄化ができなくても、マリアさんがいてくれるので心強いです。この樹は、必ず浄化できるんです。
それを信じて、わたしは天晶樹に近づきました。
ゆらゆら揺れるもやは、服についた汚れのようです。汚れを落とすのは、わたしの得意分野のはず。やることはいつもと一緒ですよ、ルチア!
小さく息を吸うと、わたしは天晶樹に意識を向けました。大丈夫、今綺麗にしますからね!
「《シャボン》!!」
唱えた瞬間、あのお城で感じたような感覚がわたしを襲い、わたしは--意識を手放しました。
最後に、シャボン玉に包まれた、小さな竜が見えた気がしました。