ルチア、別離の日を迎える
翌日は快晴でした。窓から覗く雲ひとつない青空を見上げながら、わたしは喜びとさみしさが綯交ぜになった複雑な気持ちを抱いていました。
今日、マリアさんはこの世界からいなくなります。元の世界へ戻ることはとても喜ばしいけれど、やはり大好きな人との別れは、再会を約束しているとはいえ、さみしいのには変わりがありません。
ですが、永久の別れではないんです。笑顔で送り出してあげたいと、強く思います。マリアさんが向こうで思い出すわたしが、泣き顔のわたしでは恥ずかしいです。
マリアさんは、聖女として国の人たちに挨拶をした後、最初に現れた部屋から帰るそうでした。最初の部屋以外で帰還の魔法陣を動かすと、戻る先がずれるかもしれないということで、皆さんの前で帰るということはしないんだそうです。
彼女が来たときと同じ時間、同じ場所で、わたしたちはマリアさんとお別れをします。
あと数刻。ちょうど午前の最後の一刻に、マリアさんは帰るのです。
「支度はできた?」
部屋の扉が三回ノックされて、セレスさんが顔を出します。整ったその顔を見た瞬間、わたしの顔が火を吹きました。な、なんだか気恥ずかしいですね! 今まで毎日顔を合わせていたけれど、こう、関係性が変わってしまったせいか、ちょっとというか、だいぶ照れくさいです!
わたしが照れてしまったせいか、つられてセレスさんも赤面しました。二人で顔を赤くしながら、しどろもどろに会話をします。
「は、はい。さきほど着つけてもらいました……」
「に、似合ってるね! あ、うん! なんか、お化粧した君は新鮮っていうか! なんかさ、うん、その……照れるね! あ、ドレス似合ってるよ! ルチア、ピンク似合うね!」
セレスさんに褒められたドレスは、マリアさんと一緒に選んだものです。
有り難いことに花嫁衣装と一緒にいくつかドレスも仕立ていただいたわたしは、マリアさんが選んだこの一着を、彼女が帰るこの日に着ようと決めていました。ドレスなんて着慣れていないので、違和感があるというか、この格好で人前に出ることにどうしても照れがありますね。
「それじゃ、行こうか」
「はい」
セレスさんにエスコートされて、わたしは皆さんの待つ部屋へと急ぎます。
「ルチア!」
部屋へ入ると、一番最初にマリアさんが名前を呼んでくれました。いつもドレス姿だったマリアさんは、今日は元の世界の衣装を着ています。脚が、脚ががっつり見えちゃってますよ!
マリアさんは自分の格好が気にならないようですが、部屋にいた男性陣は皆さんマリアさんからそっと視線を外しています。だって、太ももまで見えちゃってるんですよ!? 女のわたしでも目のやり場に困ります!
「見て~! 制服! 結構可愛いでしょ?」
「マリアさん……脚が」
「あんたまで脚気にしてるのぉ? 別に見られたからって減るもんじゃないし、気にしなければいいのよ! それより、名前!」
襞が入ったチェックのスカートを広げて見せたマリアさんは、いつもの明るい笑顔を浮かべました。気にしなければいいって……無理ですよ!
「マリア、だから言ったろう? ルチアですらびっくりするんだから、せめて脚だけでも隠してほし……」
「隠してどうするの。あたしはあたしよ! 髪もそうだけど、“女性はこうであるべき”っていう制限が多いのよこの世界。もっと自由になってもいいんじゃない? 誰もやらないならあたしがやるし、あたしがやったことで追従する人がでたならそれでいいでしょ。理由がある文化ならまだしも、相手を縛るための不自由な文化だったりするなら、一石投じるのもありじゃないの」
肩先で切り揃えられた黒髪をさらりと掻き上げて、マリアさんは自信たっぷりに笑います。マリアさんはいつでもどこでもマリアさんです。それが嬉しくて、わたしは自然に笑顔になっていました。
「マリアちゃん、よく似合ってますよ」
「でっしょ~ぉ? ほら、女子はわかるのよオシャレが! このあたしがいいっつってんだから、見なさいよ! ほらほらほら~!」
「マリアちゃん、それはなにか違う気がします」
「そう?」
暴走を始めようとしたマリアさんを押しとどめると、よくやったと言わんばかりに陛下が目配せをしてきました。たしかに大切な女性の脚は、他の男性には見せたくないですよね。
「それにしてもルチア、ちょっと色っぽくなってなぁい~? 愛されちゃって、まぁ。よっ、人妻!」
「マリアちゃん、まだ酔ってますか?」
「酔ってないわよ。さすがに抜けました! ジュースと間違えてうっかり口にしただけだから、すぐ抜けたわよ、あんなの」
テンション高く絡んでくるマリアさんに、違和感を覚えます。普段から快活なマリアさんですが、こんなにあたりに絡んだり暴走したままということは……さすがになかったような気がします。
「マリアちゃん、無理しないでいいですよ。わたしは、いつもの、自分の気持ちに素直なマリアちゃんが好きです。無理して元気に振る舞ってるなら、わたしたちの前でくらい無理はやめてほしいです」
こっそり告げると、マリアさんの動きが止まりました。綺麗な弓型の眉がへにょっと下がります。
「だって、そうじゃないと泣いちゃうもん」
「泣いたっていいじゃないですか。わたしたちの前で無理に笑顔を作ったり、聖女様の顔や王妃様の顔になんてならなくていいんですよ。いつもの、素のままのマリアちゃんでいいんです」
「ルチアぁ~」
ぎゅっと抱き着いてきたマリアさんを抱きしめていると、四回のノックと共に時間を知らせる文官の方が部屋へやってきました。
「……行きましょうか」
「そだね」
顔を上げたマリアさんの長い睫毛に、小さな雫がついています。ですが、マリアさんはそのままにっこりと笑うと、ひとつ伸びをしました。
「さって、行くか!」