ルチア、探される
家に籠りがちになるとはいっても、毎日水瓶に水を満たすため、村の共同井戸のまわりは早朝人だかりができます。皆さん、そこで多少お話をしたりしてから再び帰宅するのです。
リウニョーネ村は辺境にあって、外からの情報はほぼ入ってきません。魔物に怯える村の人たちは、グイドさんから魔物の脅威は去ったと聞かされてもいまいち信用できていないようで、お年寄りになればなるほど、かたくなに家からでようとはしませんでした。
ですが、ここ数ヶ月魔物の姿が見えないことから、本当に聖女様が浄化してくれたのだと、ようやくここに至って理解してくれたようでした。
「まさか、本当に魔物に怯えなくていい日がくるなんてねぇ」
「ばあちゃん、だからオルガが言ってたじゃないか。グイドくんがそう言ってたって」
「聖女様々だねぇ。本当に、亡くなったうちの旦那も喜んでるだろうよ」
目に涙を浮かべつつ、おばさま方は手を取り合って喜んでいます。浄化のその場に居合わせた身としては、早々に大丈夫だと太鼓判を押してあげたかったのですが、ルチアであったことは秘密にしなければいけないわたしにはなにも言えなかったので、ようやく皆さんが愁眉を開いたのを見てほっとしました。
「そしたら、他の村に行っても大丈夫なのかね」
「私、それなら王都にいる娘のところに行ってみたいわ。婿さんがいるとはいえ、子どもがいちゃ危なくてなかなか里帰りひとつできやしなかったからね」
「あたしも生きてるうちに王都へ行ってみたいね。皆で乗り合わせていくかい?」
「そのためにはまず馬を手に入れなくちゃ」
「ヤギしかいないからねぇ。ヤギに牽かせるわけにもいかないかねぇ」
離れていた家族に会えるかもとあって、オルガさんはとても嬉しそうです。アールタッドからキリエストまで馬を飛ばして一週間でしたが、同じ北方にあるとはいえ、山越えが必要なリウニョーネ村はさらに日数がかかるようでした。
そんな風に話していると、ふと村の入り口の方が騒がしくなります。見ると、見たことがない馬車の姿がそこにはありました。
死者となって逃がしてもらったものの、ある意味お尋ね者なわたしは真っ青になりました。まさか、生きてここにいることが陛下にバレたのでしょうか?
ですが、その心配も馬車から降りてきた人物によって掻き消されました。馬車から現れたのは、小さな子どもを抱いた女の人だったのです。
「かあさん!」
女の人は、井戸を囲むわたしたちのところへ飛ぶようにして駆けてきました。彼女の姿を見たオルガさんが顔を輝かせます。
「ビーチェ!」
子どもごと女の人を抱きしめたオルガさんに、彼女が王都に嫁いだという娘さんだというのがわかりました。
「ああ、ああ、よく来たね! ジュストが生まれてからは里帰りできていなかったから気になっていたんだよ。元気にしていたかい?」
「私は元気よ。ジュストも元気いっぱいだし。もう歩くのよ? とうさんは?」
「家にいるよ。あら? グイドはどうしたんだい? まさか」
ビーチェさんとお子さんを下した馬車が行ってしまうのを見て、オルガさんは困ったような顔をしました。そんなオルガさんの様子に、ビーチェさんはおかしそうに笑います。
「やぁだ、あの人は元気よぉ! ただ、年末からずっと任務で飛び回ってて、今は外国に行ってるんじゃなかったかしら? なんでも屋っていやよね、本当になんでもやらされるんだから。ジュストの初めての新年なのにパパがいないなんて信じられない!」
「そうなのかい?」
「オルガ、ここで立ち話もなんだ、赤ちゃんもいることだし、家に帰んなよ」
オルガさんとよく似た笑顔のビーチェさんは、ケラケラと明るい笑い声をあげました。グイドさん、わたしを送ってからすぐ外国へ行ってしまったのでしょうか? それとも、いったんアールタッドに戻ったのでしょうか。確かめてみたかったけれど、それを訊いてしまうわけにはいかないわたしは、ぐっと言葉を飲み込みました。
「そういえば、王様が代わったのってここまで聞こえてる?」
「ええっ!?」
オルガさんに抱いていた子どもを手渡しながら、ビーチェさんはびっくりするようなことを言いました。ビーチェさんの発言に皆さん驚きの声を上げましたが、それはわたしも同じでした。
新しい王様。それは王太子であったエドアルド殿下に他ならないです。つまり、わたしはもう、隠れていなくても……いい?
胸が締め付けられるように痛くなって、わたしは両手を胸元に引き寄せました。ノッテではなく、ルチアとしてアールタッドに戻れるかもしれない。その考えはひどく甘いものでした。夢かもしれません。でも夢だとしても、悪夢よりよっぽどいいです。
「やっぱりここまで情報来てないのね。王様が代わるなんて大事なのに、情報網が発展してないって困るわね。でも、聖女様が魔物を退治してくださったから、辻馬車の本数も増えたし、行先も増えたわ。多分手紙やもののやりとりもそのうちできるようになるはずよ」
「まぁ、王様が代わっても、あたしらの生活には関係ないからねぇ」
「そうさ、税率が代わるなら話は別だけどね!」
頬に手を当てて嘆息するビーチェさんに、他の奥様達が大きな笑い声を響かせました。
「あら? 見ない顔ね?」
不意にビーチェさんがわたしに目を止めて首を傾げました。たしかに、突然故郷に見知らぬわたしが現れたのは不審にしか思えないのでしょう。
ビーチェさんの疑問に、オルガさんが笑って答えました。
「グイドの恩人だよ。行く先がないって連れてきたんだ。……もしかして聞いてないのかい?」
「聞いてないわ。あなた、名前は?」
眉根を寄せて、ビーチェさんはわたしの全身をじろじろと眺めました。旦那さんが見知らぬ女性を自分の母親に託したと聞いて、不審に思わないはずはありません。
「あの、ノッテ、と申します。グイドさんには命を救ってもらって、行先がなくて困っていたのでオルガさんのところへお世話になりました」
「まぁ……かあさんに預けるってことはやましい間柄じゃないんだろうけど。あの人の恩人? あなたが? ごめんなさいね、なにも聞いてなくて、私」
内心汗だくのわたしに、ビーチェさんは困ったような声を出しました。
「ノッテさんっていうのね。はじめまして、私はビーチェよ。夫がお世話になったようで、どうもありがとう。それにしてもあなた、どこからきたの?」
「あの……えっと」
「年頃は王都で探されてる人に似てるけど、髪の色も違うし、名前も違うから、違うのかしら」
「探されてる?」
ドキリ、と胸が高鳴りました。死んだと聞かされても、もしわたしを探し続けてくれているとしたら。甘い考えかもしれませんが、それはわたしの気持ちを高揚させるには十分でした。
わたしは思わず短くなった髪に手をやりました。薬草で染めたそれは、元の栗色ではなく、今は赤みがかったオレンジ色をしています。
「そうなの。なんでも、天晶樹を浄化したもう一人の聖女様で、“竜殺しの英雄”様の婚約者なんですって! しかも聖女様の親友だとか。もう、アールタッドは彼女のお話でもちきりよ! 今王立劇場で彼女と英雄の恋物語をやっているんだけど、先代王に引き裂かれた恋人たちの話は事実だって、聖女様も新王陛下も口をそろえておっしゃったっていう話よ」
王様の交代も聞こえてきてないここに、その話が来てるはずもないわよね、と笑うビーチェさんでしたが、最後の方はよく聞こえませんでした。
だって、それはわたしのことです。皆さんが、わたしが死んだことを信じずに、探してくれているのです。
わたしは震える手を握りしめて、ビーチェさんに尋ねました。
「あのっ……その話、本当なんですよね?」
「そうよ? 英雄が今、国中を駆けずり回って探してるらしいわ。恋人を探してさまよう騎士。素敵なシチュエーションよねぇ」
うっとりとしたビーチェさんの返事に、わたしは言葉を失います。だって。
セレスさんが、わたしを、探している?