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ルチア、過去を懐かしむ

 わたしの気持ちを置き去りにしたまま、日々は無情にも過ぎて行きました。

 空気も水も冷たさを増して、身を切るようです。風景は白一色と化して、厚い雲からは絶えず雪がちらついています。

 ここでは、冬の間の食料を貯蓄したら、もうほとんど人々は外に出ることが少ないんだそうです。キリエストに近いここでは、過去日常的に魔物が跋扈していたこともあって、皆さんあまり外に出ることはお好きでないみたいでした。

 魔物の脅威が去った今でもそれは風習として残っているようで、一見自由を謳歌している風でも、村の人たちは自分の家にこもりがちです。できるだけ籠っていたい気分のわたしは、そういった風習を有り難く甘受して、今日もお借りした家の中にいました。


「あっつ!」


 この日、わたしは部屋で洗濯をしていました。この時期、外に干すと洗濯物は凍ってしまうそうなので、わたしもそれに倣います。

 部屋に干すとどうしても臭いが気になるので、洗う前に熱いお湯に浸けておきます。しばらく浸けた後、普段通りに洗濯すると臭いが違うのだと、洗濯婦になってから、わたしはキッカさんに習いました。

 アールタッドで過ごしたのは半年ほどの短い時間でしたが、そこでの日々は、たしかにわたし・・・の中に残っていました。今のわたしはノッテだというのに、日常のそこかしこに、ルチアの過去が顔を出します。

 お洗濯をしていたら洗濯部の皆さんが、お料理をしていたら旅の仲間が。魚を見たらエリクくんの笑顔が浮かびますし、眠るときはマリアさんと話した日々を思い出します。

 だって、わたし・・・は生きているんです。

 ルチアは死んだのだからと、ルチアとして生きてきた過去を忘れようと努力しましたが、ルチアだったわたしが生きている以上、過去は切り離せないのだと、わたしはようやく理解しました。

 人は、過去を失くしては生きていけません。記憶を失わない限り、過去は自分の中に間違いなくあるんです。過去を忘れたふりをしても、自分自身は騙せないんです。


 わたしはお湯からあげた洗濯物に石鹸を塗り、洗い始めました。今はもう、どんな汚れでも綺麗にすることはできませんが、それでも教えてもらった技はわたしの中に残っていて、日常でつく大抵の汚れは自力で落とせます。

 こうしていると、なにも変わらない気がします。ここで過ごした“ノッテ”の時間もたしかにわたしの中に蓄積されていっていて、今は呼び掛けられても普通に反応できるくらいです。ですが、同じくらい──いいえ、それ以上に“ルチア”として過ごした日々は濃く残っているのです。


 最近、ようやくわたしはアールタッドにいるだろう、懐かしい人たちのことを思い浮かべられるようになりました。

 キッカさん、ロッセラさん、ジーナさんにジーノさん。皆さん元気にお仕事をされているのでしょうか。

 聖女様がご帰還なされたというお話は、この村まで届いていませんが、マリアさんはまだこの世界にいらっしゃるのでしょうか。

 そうやっていろんな人のことを思い浮かべますが、最後に思うのは、後悔の念でした。

 果たせなかった約束が多すぎて、自分がどれだけ当たり前のように未来が来るのだと思い込んでいたのかを知ります。お母さんが死んだとき、明日が当たり前にくるわけでないと知ったはずなのに、いつの間にかわたしはそれを忘れていたようでした。

 また一緒にお仕事をしようという約束。

 帰るときには見送るという約束。

 魚のパイ包みを作ってあげるねという約束。

 お家にお邪魔するという約束。

 いろんな約束が心に引っかかっていますが、どうしても一番苦しい気持ちになるのは、未来を共にするという約束でした。


 一緒に過ごせないなら、もっとそばにいる時間を大切にすればよかったです。

 名前を呼べなくなるなら、望まれるままの呼び名で呼べばよかったです。

 想いを断ち切られる日がくるなら、もっとたくさん大好きだって、伝えればよかった。


 わたしを好きになってくれて、

 わたしが好きになった人。

 わたしを守ってくれて、

 わたしの家族になるって決心してくれた人。


 取りこぼしてしまった流水のように、それはわたしの掌から失われてしまいました。


 わたしは、唯一“わたし”に残された品に触れました。左腕に嵌るそれは、あの日と同じすべらかさを指に伝えます。

 いつか、王都にいる彼のその後を聞いても笑える日が来るんでしょうか。

 だとしてもそれは今ではなく、また、果たしてそんな日が来るのかどうかもわかりませんでした。

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