ルチア、目を閉じる
長いことお待たせしました。ようやく主人公再登場です。
待っていてくださった方、ありがとうございます!
リウニョーネという村は、山間にある小さな集落でした。
人々は畑を耕し、川で魚を捕り、ヤギを飼って過ごしている。そんな小さな村です。
だから、わたしを隠すのにはちょうどよかったのでしょう。
わたしがここに来てから、一月ほど経ちました。
あの日からは一月半? 二月経たないくらいです。
季節は新しい年を迎えて、今は霧月の半ば。もうだいぶ秋も深まっています。
北は冬が来るのが早いのだと、ここに来て初めて知りました。わたしが生まれ育ったハサウェスはこの国の中でも南の方にありますが、ここは北の方にあるそうです。まだ霧月くらいでは寒くはないはずなのに、もうここでは涼しいを通り越して寒いんです。なんでも、霜月には雪が降り始めるのだとか。
わたしは空を仰ぎました。厚い雲に覆われた鈍色の空を見て安心します。今は、晴れが怖い。お日様も、青空も、見たくないです。まっすぐに、見れません。
この村の人たちはとても優しいです。訳ありだと見た目からしてわかるわたしを温かく迎え入れてくれて、なにくれともなく世話を焼いてくれてます。もちろん、それはわたしをここへ連れてきてくれた人のおかげでもあるのですが。この村は、その人──グイド・アラリーさんの故郷なのだそうです。
あのとき、アストルガ副団長はわたしを殺すことなく、“ルチア”を死者として報告することにすると、髪を切り名前を奪うことを赦してくれと頭を下げてくださいました。
アストルガ副団長は、“わたし”が生きていることが国王陛下に知られれば命が危ういかもしれないと、名を替え、所縁のない遠い地に逃がしてくれたのですが、たまたまその道中往き合ったなんでも屋さんにわたしの身柄を預け、副団長に関係のない地に送り届けろと命じたのです。
わたしを生かすために何人もの人が骨を折ってくださったのです。わたしは、わたしにできることは、“ルチア”を忘れ、日々を懸命に生きることだけでした。
死ぬわけにはいきません。前を向いて、できることから始めて、生きなければ。
そして、生きるためには“ルチア”の記憶は邪魔でした。記憶に蓋をして見ないようにしなければ、わたしは一人で立てなかった。わたしは弱くて、振り向くには“ルチア”の記憶は生々しすぎて……忘れるしかなかったのです。
お日様から目をそらして、青空を見ないようにして、わたしは懸命に生きていました。
「ノッテ!」
不意に名前を呼ばれて、わたしは雑草を抜く手を休めると、声のした方角を振り向きました。
ノッテ。それはわたしの新しい名前です。あの日、わたしは命の代わりに髪と名前を失い、“ノッテ”という新たな名前をもらいました。あの日……実月の最後の日。それまで生きてきた“ルチア・アルカ”は死に、わたしは“ノッテ・セグレート”という新しい人間に生まれ変わったのです。
「オルガさん、どうしました?」
今、わたしに呼び掛けてくれたのは、オルガさん。わたしをここに連れてきてくれたグイドさんの奥さんのお母さんなんだそうです。
オルガさんは突然現れたわたしの出自を不審がることなく、色々面倒を見てくださっています。
「ノッテ。チーズを作るから手伝ってくれるかい? アンタのも一緒に作るからね」
「わかりました。手を洗ってくるので、先に行っていてください」
オルガさんのお願いに首肯すると、わたしは抜いた雑草をひとまとめにして、肥料を作っている樽の中へ入れました。そのままお借りしている家の脇に置いている水瓶から柄杓で水を汲むと、土で汚れた手を洗います。
ひどく冷たい水は、冬の訪れが間近だと告げていました。