セレスティーノ、絶望する
「ガイウス、アストルガを捕らえろ! 父上に会わせるな!」
エドアルド殿下の命に、鬼の形相のままガイウスが動く。膂力のあるガイウスと、多少鍛えてるとはいえ、第一線から退いた副団長とでは、勝ちは決まっていた。
「セレスティーノ」
殿下の手から差し出された栗色に、俺は剣を取り落とした。ゴトン、という鈍い音が妙に耳につく。
剣の代わりに手渡された彼女の欠片に、全身の力が抜けた。
ルチア。
さらりとした手触りは、旅の間幾度となく触れたときのままだった。かすかに涼しい香りがする。
赤くなった顔。愛らしい笑顔。怒った顔。泣いた顔。
記憶にある彼女の顔がぐるぐると回る。
──わたしも、セレスさんがいいです。他の誰でもなくて、セレスさんが好きなんです。わたしでいいって言うのなら、側にいてもいいですか?──
うん、俺も君がいい。他の誰でもなくて、君がよかった。
──いなくなっちゃ、嫌です──
俺だって、君がいなくなるのは嫌だ。
──いなくなるの、怖いです──
ルチア。
大切な人がいなくなるのが、こんなに怖いなんて知らなかったんだ。
ひとり遺されることが、こんなに哀しいなんて。
こんなに、世界がなくなる方がつらいと思うんて、思わなかった。
ルチア。
「……っ、うぁあああああああッ!!」
遺された彼女の髪を握りしめる。
守るって誓ったのに。
ひとりにしないって約束したのに。
君を幸せにしたかったのに。
君と、幸せになりたかったのに。
──彼女とでは釣り合わぬ。
しゃらり、と胸元で音がした。揺れる騎士団章に、苛立ちが募った。
「なにが英雄だ……なにが騎士だ! 俺が欲しかったのは、そんなものじゃない!」
俺が騎士じゃなかったら、きっと君とは出会わなかった。
俺が英雄ともてはやされていなければ、きっと君は死ななかった。
君がすべてを失ったのは、俺のせいだ。
力任せにむしり取り、床に騎士団章を投げつける。
「アストルガ、ルチアの亡骸をどこにやった」
「……言えぬ。殿下には言う必要を感じない。私が仕えるのは王だ。貴方はまだ王ではない」
「僕が即位すれば言うというのか?」
「仮定の話には興味はない。私が仕えるのは王だ。陛下のところへ通してもらおう」
「──そうか」
エドアルド殿下の声が低くなった。凍り付くような声だった。
「僕が、王ならばいいんだな。……ガイウス、連れていけ。父上には会わせるな」
「了解」
「フェルナンド、ついてこい。レナート、マリアを頼む」
引き立てるようにして副団長を連れていくガイウスと、怒りの形相のまま団長を率いて出て行くエドアルド殿下がいなくなると、部屋には聖女様とエリク殿の嗚咽の声だけが響いていた。
二人の泣き声を聞きながら、俺はなにも考えられなかった。
「どこ、行くの」
エリク殿に問われて、ようやく自分が立ち上がったことに気づいた。どこに行くのかと問われても、わからない。鈍い頭を巡らせて、どこに行きたいのかを考えるが──考え付く先は、ただ一つだった。
「ルチアを、探しに」
「探しにって……ルチアは、もう──いないのに」
エリク殿は俺の手にあるルチアの髪を見て、言いづらそうに告げた。
「死んじゃダメだよ。隊長さん、ダメだよ! ルチアはそんなこと望まない!」
「ルチアを見つけるまでは死にませんよ」
「死ぬ気あるんじゃん! ダメだよ!」
「彼女がいないのに、この世界になんの価値があると?」
「セレス」
縋りつくエリク殿を鬱陶しく思っていると、聖女様がゆらりと立ち上がった。
「ルチアは、もういないの? 間違いないの?」
「聖女さま」
「エリくん、教えて。あいつが持ってきたのはルチアの髪だけだった。死んだって言ってたけど、嘘よね? 嘘だって言ってよ、ねえ」
ふらふらと生気の抜けたように、聖女様は俺のところまで歩いてきた。ルチアの髪に手を触れると、ポロリと再び涙を流す。
「嘘だって言ってよ。だってあたし、見てないもん。見てないものは信じない。そんなの信じたくない。ルチアの守った世界がこんな汚いものだったなんて聞いてない。あの子がなにしたの? あの子、手の届くもの全部守って、頑張ったのに、こんなの嘘。こんなの夢だって、ねえ、言ってよ!」
「聖女さま、何度も言わせないでよ! この世界じゃ、女性の髪を切るのは、死んだときか未亡人になったときなんだよ! ルチアの髪があるってことは……もう」
「髪だけじゃん! 髪切ったって死なない! あたしの世界は髪くらい切るもん!」
「ここは……っ」
泣きすがる聖女様に向かって、エリク殿が、ひどくつらそうに叫んだ。
「ここは、あなたの世界とは違うんだよ! ごめん、聖女さま。でも、この世界の女性にとって、髪を切られるということは重いことなんだよ。……こんなつらいこと、何度も言わせないでよぉ!」
ボロボロと泣きながらエリク殿は言うが、聖女様は頑なに否定する。乱れた髪をさらに振り乱して、聖女様はイヤイヤと頭を振る。
「重くても、死なないもん! 髪を切っても死なないもん! 死んだなんて信じない! 嫌よ! ルチアは生きてるもん! あたしが帰るの見送ってくれるって約束したもん!」
髪を切っても、死なない。
俺は手の中にある髪を見た。女性が髪を切ることと、その死は直結していると思っていた。それが現実の死であれ、社会的な死であれ、彼女たちは髪を切ることによって「死者」となる。それはこの世界の常識だった。
だが、俺たちの誰一人として、彼女の亡骸は見ていない。
──副団長が嘘をついていたら?
あの人が嘘をついてまで王命に背くとは思えなかったが、それでも一度胸に芽生えた疑問は消えなかった。
それが希望の芽だったから、消したくなかった。
もしあの人が、陛下の、一族の命令に反してまでルチアを守りたいと思ってくれたとしたら。
彼女が生きている可能性はあるはずだ。
絶望の中に一筋の光が射したように思えた。
俺は、彼女の髪を胸に抱きしめる。
諦めない。諦められない。
ルチアに、必ず守ると誓ったんだ。
俺は床に落ちた剣を拾って鞘に納めると、今度は明確な意志を持ってドアに向かった。
ルチア。
世界を回ることになろうとも、必ず君を探し出す。
めちゃくちゃシリアスな展開のときにこんな報告をするのもなんなのですが……
実はこのお話の書籍化が決定しました!
詳細は追ってお知らせします。