セレスティーノ、戻る
闇色だった空が、柔らかな菫色に染まる。彼女の瞳に似たその色を仰ぎ、俺は苦しくなった。
違う。俺が見たい色は空じゃない。そう思ったのが伝わったように、菫色はあっという間に青に変わっていく。
夜が明けたのだ。
「一度戻るべきでしょうか」
隣で副官殿が途方に暮れたような声音を出した。いつも冷静な彼に似つかわしくない声だった。
「そうだな……」
副官殿の呟きを受けて、苦いものを吐くように団長が眉を顰める。細めた新緑の瞳の先にはあたりを照らし始めた太陽があった。
「これ以上進むには、我々は軽装すぎる。一度態勢を整えるためにも戻った方がいいかもしれない」
そういうと、団長は馬の首を撫でた。
団長の指摘は的確だった。水すら持たずに飛び出してきた我々が、このままそう遠くまで行けるとも思えない。また、長旅を続け、昨日王都へ戻ってきたばかりの馬の疲労を考えると、これ以上の無理は重ねられないのも事実だった。
気持ちだけは先へ先へと急くが、現実はそれに追いつかない。
「セレスティーノ、きみの気持ちもわかるが、いったん戻って情報をまとめよう。もしかしたら戻っているかも入れない」
瞬間的に嘘だと感じた。団長もわかっている。彼女が戻っている確率は低い。
アストルガ副団長の負う業は重いものだ。代々そういったことに手を染めているかの人が、今更王命に歯向かうとも思えない。副団長は王命こそ至上のものだと常々公言していた。王が命じたなら、何事も拝命するのが自分のやり方だと。
だが、その希望にすがりたい自分もいるのは確かだった。
諦める気はない。諦められるほど彼女への気持ちは軽くない。
態勢を整えないと捜索は無理だと告げる理性に、嫌だと感情が噛みつく。
「我々とは違い、第二隊は探索に特化した隊だ。彼らに捜索を続けもらって、いったん戻ろう。馬を換え、糧食を持ってから再び出よう。──急げば、間に合うはずだ」
俯く俺に、団長が言葉を重ねる。頷きたくない。
「……団長、もうしばらく探しましょう。まだ夜明けです。せめて、あともう少し」
俺を慮ったのか、副官殿が口添えしてくれた。
「……そうだな」
副官殿の助言に、団長が頷く。
重苦しい空気が、三人の間に漂った。
そのまま、俺たちは捜索を続けた。無理を重ねていることは重々承知の上だったが、見つかるかもしれないというかすかな希望が、ギリギリまで俺たちを駆り立てた。
夜が明けたことで街や村に人々の姿が現れ、探索が進んでいく。
だが、二人の姿を見たものは誰もいなかった。
ルチア、君はどこにいるんだ。
「向かったのはガリエナの方角ではなかったのかもしれませんね」
「見込み違いだったか。やはり、領地の方へ向かったのかもしれないな」
頭上に移動した太陽が、足元に濃い影を作っている。灼けつくような暑さの中で、風だけが冷たさを運んでくる。
明日は、葡萄月。収穫の喜びを祝う新しい年がやってくる。
魔物の脅威から解放された、特別な年。
共に祝おうと約束したのに、何故彼女はいないんだろう。何故俺はここにいるのだろう。
俺は隊服の胸を押さえた。その奥に潜ませた、彼女のリボンを想う。旅の当初、このリボンの先がルチアに繋がっていると思えた。今もその気持ちに変わりはない。
リボンを手繰り寄せた先に、君が現れればいいのに。
どうか頼む。君の持ち主を俺のもとに返してくれ。
そのままいくつかの村々を回った後、俺たちは手ぶらでアールタッドに戻った。戻らざるを得なかった。
そのまま馬を換えようと逸る俺のもとに、エリク殿が駆け寄ってくる。カルデラーラの方へ向かっていた彼らもまた、アールタッドに戻ってきていたようだった。
「団長さん! 副官さん! 隊長さん! 早く!」
「どうした!?」
切羽詰まったその声音に、団長が気色ばんだ声を上げた。
「副団長が戻った!」