ルチア、失う
その後わたしたちは言葉少なにメーナールの地を後にしました。天晶樹の浄化を終えて気分は高揚しているものの、同時に言葉は喋れなくとも間違いなく旅の仲間の一員であったシロを失って、重く苦しい気持ちを持て余したわたしたちは、自然と交わす言葉を失っていたのです。
本来なら一度ダル・カントの王宮へ足を運んで報告をし、またお祝いのパーティをしていただく予定だったそうなのですが、ファトナ城の一件で気まずくなったのか殿下はファトナにきちんと寄ることはせず、天晶樹の浄化を終えたことを手紙にしたためると、それを門番の方に渡してそのまま先を急ぐことにしたのでした。
「バチスにも寄るの?」
「いや、ハーバート陛下に連絡を託けたので、このままバンフィールドに戻ろう。もとから最後のメーナールのあるダル・カントには寄る予定だったが、そこですべての連絡をお願いする手はずだったんだ。僕らがいちいち寄り道するより、早馬を出す方が手早いからね。もう魔物もいないことだし、すぐにでも全土に広まるだろう」
マリアさんの質問に、殿下は首を振りました。ファトナに寄らなくて済むと知って、なんとなく皆さんの間にホッとした空気が流れます。それくらい、後味の悪い事件でした。
「そしたらまっすぐ帰るんだね」
「ああ。帰ったら、きみを還すための魔石の作成をアカデミアに依頼するよ」
「それなんだけど、もしかしたら、あの……シロの魔石が使えるかもしれない」
殿下とマリアさんの会話に、エリクくんが割って入ります。“シロの魔石”という単語に、マリアさんが胸元に細い指を這わせました。そこには、紐で包み込むように編んだシロの石が揺れています。
マリアさんが帰還するために必要な“天晶樹の雫”は殿下が、そしてシロの遺した魔石はシロが懐いていたマリアさんが持っていて、マリアさんに乞われて首飾りにしたシロの石は、今までと同じく寝るときもずっとマリアさんと一緒です。
それにしても、シロの石がマリアさんの帰還のために使える石になる?
「うん、機具がないからちゃんとは調べられないんだけど、結構強い魔力が感じられるんだ。だから、多分これ一個で帰還に必要な魔力は賄えると思うんだよね」
エリクくんの説明を聞いて、マリアさんがぎゅっと石を握りしめました。シロの力を使えば、マリアさんは時を移さずして元の世界へ帰れるんですね。マリアさんとの別れの時間がすぐそこにある。そう思うと、胸がいっぱいになりました。シロと別れたばかりなのに、またすぐ大切な人とお別れをすることになってしまう。マリアさんを笑って見送りたいのに、笑えるかどうか自信がありません。
エリクくんの話を聞いて、わたしはうまく表情を作れていなかったのでしょう。それに気づいたマリアさんが殿下のお傍を離れてこちらへやってきました。
「ルチア! あのさ、お願いがあるんだけど、あたしに“シャボン”かけてくれない?」
「“シャボン”……ですか?」
「そうよ。もう、気分爽快!って感じになりたいの。ここしばらくお願いしてなかったしさ。ね? いいでしょ?」
片目をつぶっておねだりするマリアさんに、ガイウスさんが笑い声をあげます。
「そういやだいぶご執心だったもんなぁ! ここしばらくご無沙汰だったんか?」
「イヤな言い方するわね、ガイ! いいじゃないの。ね、ルチアぁ。いいでしょ?」
「あ……はい。それじゃ《シャボン》!」
断ることでもなかったので、わたしはメーナールを離れてから初めてとなる魔法を使いました。
「?」
「え?」
呪文を唱えてもなにも起こらないことに、わたしを含め全員が唖然とした声をあげます。あれ? ちゃんと唱えましたよね? 魔力切れ? いえ、その割に身体に問題はありません。元気そのものです。
「しゃ、《シャボン》……」
戸惑いつつ、慎重に唱えなおしても、なにも起こらないままです。まるで、魔法が使えなくなったみたいに──
「ちょ、ルチア、これ!」
エリクくんが慌てて鞄から計測器と魔力回復薬を取り出します。渡されたそれを咥えても、メモリは以前のようには動いてはくれず、うんともすんとも言いません。不安な視線をそのままエリクくんへ向けると、無言で魔力回復薬の瓶を手渡されます。
味も気にせず一気にそれを呷ると、再び計測器を口にしますが……やはり、メモリはゼロを指したまま。ピクリとも動きませんでした。
「どうして……」
動揺するわたしを、セレスさんが黙って抱き寄せてくれます。
どうして? どうして突然使えなくなったんでしょうか? 物心ついたときにはすでに使えていたこの力は、どんなときもわたしの中にありました。まさか使えなくなる日がくるなんて思ってもいなかったのに。
「──天晶樹が浄化されたから、なのか」
「え?」
ぽそりと頭上に落ちたその言葉に顔を上げると、大好きな青色がわたしを見つめています。
「君の力は浄化のためにあったと。そう考えるなら」
「役目を果たしたから、消えた?」
セレスさんの言葉を、エリクくんが引き継ぎます。
「じゃあ、あたしの力も?」
視線をわたしから自らの両手に移したマリアさんが、かすかに眉根を寄せて独り言ちます。
「《光の球》!」
高らかに響くその声とともに、まばゆい光の小球が現れました。
「あ……」
「聖女さまの力は、まだ使えるんだ……」
「聖女様のお力がまだ使えるのは、あちらの世界でのお役目をまだ果たされていないからということなんでしょうか?」
現れた光の球を見つめつつ、エリクくんとレナートさんが同時に発言します。
消えたわたしの力と、消えなかったマリアさんの力。目の前にはっきりと示されたその違いに、わたしは息を飲みました。