ルチア、事件の真相を聞く
門番さんの無事は判明したけれど、何故わたしが狙われたのか、王女様がわたしに危害を加えてなにがしたかったのかまではわかりませんでした。休憩のために馬車を降りても、殿下は誰とも口を利かずにいましたし、馬車に同乗していたマリアさんに訊いても、それは教えてはもらえなかったとの返答があっただけです。
「エド、なんか変なのよ。ずっと黙りこくって、上の空だし」
ファトナも遠くなったし、馬車にいても気詰まりだからあたしも馬に乗る!と、マリアさんはガイウスさんのところへ走っていきます。
そんなマリアさんの背中を見つめながら、わたしは殿下の心中を思いました。事件の引き金になったのは自分だったと、つらそうに瞳を揺らす姿が思い起こされて、やるせなくなります。まだ、ベルナルディーナ姫のことを気に病んでいらっしゃるのでしょうか。
気になるけれど、誰もが触れられない。そんな時間を数日過ごした日のことでした。
「皆、ちょっといいだろうか」
もはや手慣れたと言ってもいい野営の準備が終わった後、ずっとふさぎ込んでいた殿下がわたしたちに声をかけてきました。もう夜でも気温が高くて、皆焚火から離れたところにいたのですが、殿下の号令に久しぶりに焚火を囲んで丸くなります。
「僕の話を聞いてもらえるだろうか」
「一体どうしたっていうんですか」
隊服の上着を脱いで、さらに下に着ているシャツもボタンを開けて腕まくりをしているガイウスさんが、汗を拭きつつ尋ねます。
「ファトナ城の事件のことだ」
うすうす感じていたとはいえ、殿下の言葉にわたしたちは顔を見合わせました。ファトナを出てからというものの、ベルナルディーナ姫のことは触れてはいけない暗黙の了解のようなものになっていたので、殿下の話を聞くことに躊躇いがあります。
そんなわたしたちの様子は目に入っていないのか、はたまた気にしないことにしているのか、殿下は全員を順番に見ていきます。そうして最後にわたしを見ると、殿下は瞳を伏せました。
「……改めて詫びよう。すまなかった」
「殿下!」
「これは王太子としてではなく、旅の仲間として、エドアルド個人として詫びているのだ。他に誰が見ているわけでない。いいだろう、フェルナンド」
咎めだてる団長様を手で制すと、僕はきみたちに迷惑をかけてばかりだな、と、殿下はマリアさんとわたしに薄く笑いかけました。
「ベルナルディーナ姫は、僕の婚約者になる予定だったのは知っているね。ああ、マリアには話したことはなかったかな。彼女との婚約はほぼ決定だったんだ。ただ──」
「あたしがやってきたから、破棄された?」
言いづらそうに口ごもる殿下の言葉を、マリアさんが掬いあげました。
「王太子妃は、つまりは次期王妃だ。その選定基準は単純に政治的なものになる。父上は、ダル・カント王国の第一王女より、救国の聖女がもたらすものの方が大きいと判断されて、決まりかけていた彼女との婚約を白紙に戻した」
わたしは、フォリスターンに向かう途中で聞いた殿下のお話を思い出しました。ただただ“役に立つかどうか”だけで決められていると、そういうお話でしたよね。
「彼女──ベルナルディーナとは、僕がダル・カントの学びの塔へ留学していた五年前に知り合ったんだ。あのときはイルデブランド王太子がまだ生まれていなかったから、当時王太女だった彼女は、慣例として学びの塔に通っていた。学びの塔への入学は男子ばかりだったし、塔に入学できるほど特に学問に秀でていたわけではなかったから、彼女はひどく浮いていてね、留学生だった僕とよく一緒にいたんだよ」
過ぎ去って日々を懐かしむような光をそのエメラルドの瞳に宿して、殿下はベルナルディーナ姫のことを語りだしました。
「婚約の話がハーバート陛下から持ち込まれたとき、僕は彼女なら王太子妃としてやっていけると思ったんだ。彼女は努力家だった上に気心は知れていたし、ダル・カントはアクイラーニやガリエナよりは大きな国だ。僕の相手はバチス以外から迎えることは決定していたから、婚約の話はどんどん進んでいったんだが──そこでアクイラーニの襲撃が起こって、聖女を召喚することが決まった。そしてバンフィールドが聖女召喚国となったために、その話は立ち消えたんだ」
以前殿下のお話を伺ったときのように、誰もなにも言いませんでした。虫の声と薪がはぜる音だけがしているところまで以前と同じだな、とぼんやり思いながら、わたしは殿下のお話に耳を傾けます。
「婚約が流れたことに関して、薄情にも僕は特になにも思わなかった。父上から命じられた件もあったし、それがなくても破天荒なマリアは見ていて面白かったしね。──でも、彼女は……ベルは違ったんだ」
殿下はうなだれると、膝の上で組んでいた両手を額に押し当てました。軽く嘆息して、再び言葉を継ぎます。
「すべては僕のせいだと、僕が彼女を選ばなかったから、こんな事件を起こしたのだと詰られたよ。多分、彼女が本当に狙いたかったのは、僕か、もしくはマリアだろう。ルチアが狙われたのは側杖を食らった形だと思う。本当にすまない。きみたちに、僕は……僕の国は迷惑をかけてばかりだね」
力ないその姿は、いつもの殿下らしくありません。“バンフィールド王国の王太子”の仮面を取った殿下は、ひどく疲れて頼りなげに見えました。
「ねぇ……その、お姫様やその他の人たちはどうなったのか、訊いてもいい?」
遠慮がちに、マリアさんが尋ねました。それはわたしも気になっていたことだったので、身を正して殿下の返答を待ちます。
「ベルは、ハーバート陛下がおっしゃっていたように、セオトルという辺境の地にある修道院で生涯を過ごすことに決まった。修道院とはいっても、ここの修道院は王族や貴族の子女のための幽閉場所でしかない。まわりになにもない場所だと聞いた。実行犯は前科が多数あったため死罪。一族は死罪は免れたものの、当主は蟄居の上、領地は改易になったはずだ。共犯の侍女たちもそれぞれ任を解かれ、実家に戻るか、もしくは離縁されて修道院へやられた」
「そんな──」
思った以上の断罪に、思わず声が漏れてしまいました。発言したわたしを見ることなく、殿下はかすかに笑います。
「ひどいと思うかい? だが、これでもマシな方だ。僕らは単なる国賓じゃない。天晶樹の浄化を行う聖女一行に害をなすということは、魔物に怯える国民を保護する王族としては一番やってはいけないことだ。彼女がそれをわかっていなかったはずはないと思うが──もう、僕にはよくわからないな。ここまでするほど、婚約を破棄した僕が憎かったのかもしれない」
殿下は頭を振ると、顔を上げられました。その顔はすでに普段通りの様子で、さきほどまでの弱さはどこにも見当たりません。
「ダル・カントからは詫びとして、十年間学びの塔の学者を十名、バンフィールドに派遣する約定を交わした」
「学者を? よく借りられたね。だって彼らは塔から出ないで学問を探求するって話じゃなかったですか?」
学びの塔という単語に、エリクくんが驚きの声を上げました。学びの塔の学者は、アカデミアの研究者と同じく──もしくはそれ以上に、国外に出ることがないと聞きます。バンフィールドにおけるアカデミアと同じで、学びの塔はダル・カント王国の宝なのに、その彼らを十年も手放すほど、今回の事件は大事だったっていうことですか?
「僕はね、彼らを派遣してもらって、マリア、きみが話してくれたむこうの世界の学校をバンフィールドにも作りたいと思っているんだ。きみは学生だったって言ってたよね。誰もが学校に通い、文字や計算を習うと。学びの塔のような専門的なものでなく、もっと簡易的なものだけどね」
「学校を? あ、そういえばこっちって学校に通うってシステムないんだっけ?」
「うん、でもきみの世界の話を聞いて、作ってみたいって思っていたんだ。聖女の召喚をなくすことと、学校を作ること。きみと出会うまで、僕はただ漠然と王位を継いで国を守る将来しか考えていなかったけれど、きみと出会ってやりたいことができた。勝手を言うことを許してもらえるとしたら、僕はできたら僕の隣で、きみに導いてもらいたい。──ねぇ、マリア」
「エド……」
「きみは、帰りたい? それとも、この世界に残ってくれる?」