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ルチア、咄嗟に魔法を使う

 混乱しているときは、まずできることから始めましょう。

 今のわたしができることはなんでしょうか。やるべきことは生き残ること。そのためには、プロの方の指示に従った方がよさそうな気がします。少なくとも素人判断で動くよりはよさそうです。


 わたしは魔物のプロであるところの騎士様と兵士隊の皆様の指示を仰ごうと思い立ちました。どこへ逃げて、どう待機したら邪魔にならないのか。守るのも、バラバラよりは1箇所に固まった方がいいから街の方たちをお城の中へ避難させるのでしょうし、きっと「一般の人はこうしてくれると助かる」というイメージのようなものはあるはずです。


「あの、戦えない人間はどこに避難した方がいいですか!? それともなにかした方がいいことがありますか!?」


 わたしは、人込みの中で誘導をしている兵士隊の方に声をかけました。


「非戦闘員だな!? 平民はホールに集めているから、そちらへ!」


 訊くと、やはり1箇所にまとめているようでした。わたしとしても、ひとりでいるより皆と一緒の方が安心できます。


 他の誘導されている人たちと一緒に、わたしはホールへ向かいました。

 舞踏会などが催されるきらびやかなホールは、華麗な意匠がこれでもかと施されていて、普段ならば美しい音楽や、綺麗に着飾った貴族の方々が溢れかえるのでしょう。

 けれども今、そこは恐怖に支配されていました。美しい音楽の代わりに子どもの泣き声や、恐怖にすすり泣く声があたりを包んでいます。

 怯えた顔の人々は、いつもなら入れるはずのないそこには一切興味を持たず、ただただ親しい人たちと抱き合い、災禍が過ぎるのを待っているようでした。


 ホールはたくさんの人たちを収容するにはちょうどよいと判断され、解放されたのでしょう。王族の方のお住まいである後宮は、さすがにわたしたち平民へは解放できませんし、折からの雨のせいで庭園にいさせることもできません。かといって客室へ小分けにするには、王都には人がいすぎました。

 けれども、本来ホールは楽しむ場所。そこには気軽に夜風や美しく手入れされた庭園にふれられるようにと、大きなバルコニーが設えてあり、出入り口からはよく外が見えるようになっているのです。


 糸のような細くこまかい霧雨が、庭とホールを繋ぐガラスの扉を濡らしていくのを、わたしたちはただ見ていました。


 だから、それに気づくのは早かったのです。


「なあ、あれなんだ!?」

「まさか、竜!?」


 重く垂れ込めたグレイの雲の下、翼をはためかせ翔ぶ2つの姿が見えました。どんどん近づくそれに最初に気づいたのは誰だったのでしょうか。


「あれは……ルフだ!」


 悲鳴のような年配の男性の声は、先ほど食堂で起きたようなパニックを起こさせるには十分なものでした。


 ルフとは、白く大きな鳥の魔物です。あまりにも大きく、人や馬、牛などの大きな動物を餌とすると知られています。

 オーガやオーグリスは、城門で弾かれ、投擲武器や弓で退治されるかもしれません。

 でも、空から襲われたら、ひとたまりもないです!


 わたしたちは恐慌状態に陥りました。

 そんなわたしたちを嘲笑うかのように、1頭のルフがまっすぐこちらをめがけてやってきます。もう1頭は他のところを目指しているようでしたが、それでもどんどん近づくその姿は、いたずらに恐怖を煽るのでした。


「うわあああっ!」

「いやだあ! 死にたくないぃっ!」

「おかあさーん!」


 悲鳴が渦を巻くようにホールを席捲しました。怒涛のように人々はホールの出口に詰め寄ります。

 わたしも逃げなくてはと思うのですが、思うように脚が動いてくれません。壁際にいたのも悪かったのでしょう、人の流れから弾かれてしまい、身動きすら取れなくなってしまいました。


「皆さん! 危ないですから落ち着いてください! 城にはアカデミアによる結界がありますし、万が一突破されても、ルフなら騎士団が退治できます! 落ち着いて!」

「どいて! 逃げなくちゃ!」

「死にたくねえよお!」

「痛い! どいてぇえ!」


 ホールは恐ろしいことになっていました。


 怖い。やっぱり怖い。大丈夫ってたくさん言い聞かせたはずなのに、実際魔物を目にしたら、もう身体が動きません。縫い付けられたように、視線は外を向いたまま、剥がすことができません。どくんどくんと、心臓が耳元に移動したのかと思うように、自分の鼓動が大きく聞こえます。


 ガンッ!


 とうとうルフが目の前までやってきてしまいました。

 ルフはホールの中のわたしたちの姿に気づいて突進してきますが、なにかに跳ね返されるようにこちらに近づけません。


「……ルフが、ああ、アカデミアの魔法のおかげだ!」

「でも、怖いわ! 魔法は破られたりしないの!?」

「大丈夫だろう、きっと、俺たちは守ってもらえる!」


 様々な声が飛び交う中、窓越しに見えるルフは、ガツンガツンと突進を重ねています。

 アカデミアによる結界がありますって言ってましたし、きっと大丈夫……なんですよね?


 ホールから逃げる人の流れに乗り損ねたわたしは、壁にすがりつくようにして、ルフの鉤爪が窓をこする様を見ていました。


 ガン!

 ガン!

 ガン!

 ガン! パシャアアアンッ!


 何度目かはわかりませんが、突進を続けていたルフのたてる音が、突如変わりました。

 冬の初めの水に浮かぶ薄氷を割ったような、水をかけたような、ガラスが壊れたような、不思議な音がしました。

 なんの音、と確認する間もなく、それはやってきます。


 --ガシャアアアンッ!!


 窓が、破られました。鋭いルフの鉤爪が、磨き抜かれた床を抉ります。


「……ッ!!」


 人間、本当に怖いときって悲鳴が出ないものなんですね。初めて知りました。初めて知ったけれど、そんなこと一生知らなくてもよかったです!


 わたしはへなへなと床にへたりこみました。脚に力が入りません。ガタガタと震えるだけしかできないんです。


 ホールに進入した鉤爪は、ガリガリと床を抉っただけだったのが気に入らなかったのか、スッとまた外に退くと、再度体当たりをしてきました。

 今度は、何、と思う間もありませんでした。

 バリバリと窓枠が壊れる音とともに、ルフがその獰猛な嘴をこちらに向けてきたのです!


 セレスさん、セレスさん、セレスさん!


 わたしはお守りのようにその名前を抱きしめました。でないと、もう怖くて息さえできないのです。


 だって、目の前に死が突きつけられています。

 さっきまでホールを守って、皆さんに声をかけていてくださった兵士隊の方が、その爪に薙ぎ払われているのが見えました。

 悲鳴をあげて、蜘蛛の子を散らすように皆が逃げていきます。ホールの入り口に殺到して、どうにか逃げ出そうとしているのが見えます。

 わたしも逃げなくちゃ。そう思うのに、身体は動かなくて。


 そして、目の前にルフのギョロッとした瞳が現れました。


「キシャアアアッ!」


 ルフは、一声攻撃的な鋭い声をあげると、大きな鉤爪を今度はわたしに向かって振り下ろします!


「やっ……《シャボン》!」


 わたしは固く目をつむり、唯一持つ力を口にしました。シャボン玉が現れるだけのそれは魔物には効くはずもないですが、それでもわたしに残された力はそれしかなかったのです。

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