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林檎の木の下で  作者: 瑠樺
一章
9/207

Pomme de Discorde 【1】

Pomme de Discorde / 争いの種

 正午過ぎ、漸く客が引いた店内の後片付けをクロエはする。

 カジュアルな音楽が流れる店内には、挽いたばかりのコーヒー豆の芳ばしい香りが漂っている。

 普段何気なく過ごしているが店に置かれた調度には品があり、【クレベル】特有の豊かな空気がある。下町育ちのクロエにはやはり別世界のように感じられた。


「メイフィールド、使いを頼めるか」

「はい、仕事ですね。何でしょう?」


 レヴェリーが軽食を取っている厨房で手を洗い、再び店へ戻ると、カウンターにいるエルフェから声を掛けられた。

 手動式のコーヒーミル(グラインダー)を前にする店主はタイなしのホワイトシャツに、ブラックのスラックスと腰エプロンという極々シンプルな装いをしている。それでも鈍い光を放つ銀髪や、優美な線を描く睫毛に縁取られた双眸からはそこはかとなく気品が漂っている。

 ヴィンセントを前にした時のように怯えることはないものの、それでも緊張しながら近寄ると一枚の紙を渡された。


「レヴェリーと、【ロートレック】まで品を取りに行って貰いたい」

「私が出歩いても良いんですか?」


 【ベルティエ】の住民が【クレベル】やその上の【ロートレック】へ上がる為には手続きをして、相応の格好をしなければならない。

 中層部と呼ばれる【クレベル】と【ロートレック】は金持ちしか住めない場所だ。それなりの格好でないと検問で煩く言われるやら何やらと、【ベルティエ】で暮らす時に小耳に挟んだ。そんな場所に自分が行っても良いのだろうかとクロエは不安になる。


「ずっと家に籠もってばかりでは気も滅入るだろう。気晴らしをしてくると良い」


 クロエの問うような視線に、エルフェはやれやれという表情を浮かべてそう言った。


「有難う御座います」

「使いを頼んだのに礼を言われるとは妙な話だな……」


 呆れの色を強め、コーヒー豆を挽く作業に戻るエルフェの前で頭を下げたクロエは感極まっている。

 クロエは借金の為に無給で働かされている身だ。本当なら休暇も寝食も与えられずに扱き使われても可笑しくない。それなのに未だに公平に扱ってくれるエルフェには本当に頭が上がらない。取っ付き難い雰囲気こそあるが、エルフェはやはり出来た大人だ。

 施設での暮らしが長かったクロエは大人の汚さも知っているが、同時に頼りにもしている。クロエにとってエルフェは施設の先生のような存在だった。


「でもお店番、大丈夫ですか? ローゼンハインさんもお出掛けになっているみたいですけど」


 外出できることを喜んでいたクロエは店のことを気にする。

 朝から機嫌が良かったヴィンセントは朝食が済むと何処かへ出掛けた。そんな中で自分とレヴェリーまでが出掛けてしまっては店が忙しくなるのではないだろうか。


「元々一人でやっていた店だ。従業員が居なくとも問題はない」


 煮え切らない様子のクロエに、エルフェは突き放すような宥めるような曖昧な声色で言った。

 昼食を済ませたレヴェリーが出てくると、エルフェは使いを言い付ける。


「【ロートレック】つったら、ディヤマン通りにある店のショコラ・ショーだな!」

「ショコラ……チョコレート?」

「あー、えっとなー、ココアみたいなやつって言えば通じる?」


 【アルケイディア】は塔に寄り添うように築かれた世界だ。そこには身分以外での区分けはなく、国境なども存在しないので様々な文化が入り混じっている。人々が地上を捨ててから長い年月が流れてもそれぞれの文化は残っていて、【アルケイディア】には様々な言語が溢れていた。

 下層育ちのクロエはかつて北陸に暮らしていたとされる者が使っていたこの世界で最もポピュラーな言語を使い、エルフェは西洋人と呼ばれていた者たちが使っていた言葉をたまに喋るので、レヴェリーも影響を受けている。例えば、林檎の森の別名であるラ・フォーレ・デュ・ポムもその言語である。


「うん、美味しいお店があるの?」

「超甘くて美味いんだ、そこの!」


 甘いものに目がないレヴェリーは貰った駄賃を菓子類に使う気満々である。

 ここに甘いもの嫌いのヴィンセントがいれば嫌味が飛んでくるところだが、今ここにいるのは甘党の子供たちと、自分で菓子作りもする大人だけだ。


「羽目を外すのは良いが、門が閉まる前には帰ってこい」

「分かってるって! ガキじゃねーんだからごちゃごちゃ言うなよ」


 エルフェとレヴェリーの遣り取りは心配性の兄とやんちゃな弟の構図を思わせ、じんわりと心があたたかくなったクロエは笑みをこぼすのだった。






 貴族の住まう場所は階級によって区分けされている。

 大貴族たちの邸宅は国の中心である支柱の塔に近く、位が下がれば郊外へと近くなる。

 煌びやかな貴族街である【ロートレック】市内にあるメインストリート・ディヤマン通り。

 西の大聖堂にあるエテルニーテ庭園と、東のレーヌ広場を結ぶように全長約二キロに渡って伸びたこの通りは、【アルケイディア】で最も美しいとされる通りだ。

 東西の両敷地内には天使の像と女王の像がある。その天使の像の瞳にはスターサファイア、女王の像にはスタールビーが嵌め込まれており、二つの像が対面するように繋がれた道がディヤマン(ダイヤモンド)通りである。

 舗装された煉瓦通りはマロニエの並木道。美しい通りを歩く人々の身形は上等なものばかりだった。

 クロエとレヴェリーがやってきたのは、西の大聖堂から更に西へ行った場所だ。

 この辺りは中級貴族の屋敷が立ち並んでいる為、下町のような雑多な賑やかさはない。閑静な空気に包まれていて近代的な建物も見当たらない。レヴェリーによると、景観を守る為に敢えて奥床しい造りにしているとのことだ。

 そんな閑静な住宅街の片隅に、とある店がある。

 こぢんまりとした外観の店へ踏み込むと、クロエがこれまで見たこともないほどに美しいものが飾られていた。

 凝ったデザインの机や衣装棚は艶やかで、繊細な装飾が施された姿見はその中に自分の姿を映すのがおこがましく感じてしまうほどだ。壁には名ある画家が描いたと思われる絵画や複雑なタペストリーが飾られ、ガラスに覆われた棚には見るからに高価そうな食器や花瓶、そして宝石が嵌め込まれた小箱が飾られていた。


「ブルーローズのデミカップ五客に、小花シリーズのコーヒーカップ五客だね。35,000ミラになるよ」


 レヴェリーから注文を受け取った女は商品を運んできた後、ヘッドドレスから垂れたチュールレースの陰で愛想良く笑った。

 クロエの感覚でいえば、カップなど30ミラ程度のもので良い。奮発しても100ミラが限度だ。

 庶民の約二ヶ月分の生活費が一瞬で消える様子に、クロエはくらりと目眩がした……が、倒れる訳にはいかない。

 ここでもし倒れでもして商品を壊してしまったらクロエは弁償できない。ただでさえ借金があるというのに、そんなことになったら間違いなく売り飛ばされる。

 容姿が冴えないから、売る際は髪と眼球と内臓というパーツに分けようと、空模様を語るような気軽さでヴィンセントは言っているのでクロエは怯えていた。


「ところで、そちらは見掛けないお嬢さんだけど、これかい?」

「違えよ! オレの姉貴みたいなもん」

「つまりあれだね。だったら非死人(アンデット)に友好の印としてドクロのコインをあげよう」

「あ……はい……」


 ただほど高いものはない。上手い話には裏がある。それを身を以て理解しているクロエは引き腰になるが、女は有無を言わさずコインを押し付けてきた。

 手の平の上で鈍い光を放つコインがにたりと笑ったような気がして、クロエはどきりとする。


「本当に貰ってしまって良いんですか?」

「貰っとけよ。このおばさんだって呪われたもんは寄越さないだろうからさ」


 呪いという言葉に益々困惑するクロエにレヴェリーは気軽に貰っておけ、と言った。

 店を出てからレヴェリーに聞いたのだが、彼女――メルシエ・メルネスはエルフェと【同業者】らしい。

 彼等の仕事は不定期なので、副業として自営業をやっている者が多いのだという。

 クロエは彼等の【仕事】とやらの意味も必要性もさっぱり分からないが、彼等はやはり映画の中の登場人物のような武器を持って人殺しをしている団体なのか。考えると、背筋に冷たいものが奔った。

 半ば強制的にとはいえ、クロエは彼等と共に過ごしている。人殺しと共に笑い、共に食事を取る。そうして馴染んでいる自分もまた死者であり、もう平凡な娘ではないのだろう。

 この生活が続いているのがとても不思議だ。

 クロエは記憶を取り戻せば、彼等との関係も変わってしまうと思っていた。元の生活に戻って、一度二度お礼の挨拶にきてそれで終わり。どれほど仲の良い友人でも、生活環境が変われば疎遠になることと同じだ。第一、彼等はクロエの友人ではない。それなのに今もこうして共に過ごしている。


(下僕なんだけど)


 ヴィンセント曰わく、下僕。エルフェ曰わく、従業員。レヴェリー曰わく、姉。三者三様の答えに、笑えないはずなのにクロエは内心苦笑する。

 死んでいるという事実を突き付けられ、永遠に従僕として生きろと言われた時には、それはこの世の終わりのような絶望感に打ち拉がれた。あのまま殺してくれていれば良かったとも思った。

 だが、ヴィンセントの小馬鹿にする言葉が頭の中でよみがえり、意地でも生きてやろうと思ったのだ。

 平凡で幸せな人生をさもつまらないもののように言い、不幸せだと決め付けられた。

 両親が離婚し、再婚した父親に邪魔に思われて施設に預けられた。数年が経ち、施設から連れ戻されてすぐに父親は死に、継母から八つ当たりも受けた。確かに他人から見ればクロエは恵まれて育ったとは言えないだろう。しかし、精一杯生きてきた人生を【つまらない】の一言で片付けられたくはない。

 クロエは不幸せだと決め付けられたくない。

 休日に絵を描きに出掛けたり、月に一度ケーキを食べることが幸せだった。施設の先生や兄弟たちと過ごす日々が安らぎだった。そういうことを含めて【つまらない】と言われたことに、クロエは腹を立てている。

 そんなこんなで彼等に生かして貰うことに決めたクロエなのだが、正直拍子抜けしている。

 あの日以降、中庭を挟んだ離れの部屋を与えられたので、今までのように足音に気を遣う心配もない。食事を毎日作るようになったことも苦痛ではないし、店に出ることも緊張はするが嫌ではない。

 クロエは今のところ健やかに従僕人生を送っていた。今のところはだけれど。






 お使いの帰り道。

 クロエとレヴェリーは貰った駄賃を使う為に、ディヤマン通りにあるショコラトリーにいた。

 マロニエの並木道に面した高級感漂う店。ショップ内にあるチョコレートがずらりと鎮座したガラスケースは圧巻の光景だ。ショップの様子は外からも窺うことができ、その贅沢な空間には道行く人が足を止める魅力が充分にあった。

 ショップ内を突き抜けて反対の通りへ出るとそこはサロンのようになっていて、オリジナルのチョコレート菓子を味わうことができる。クロエとレヴェリーはそこで噂のショコラ・ショーを味わっていた。

 オレンジ風味、ラム酒風味、キャラメル入り、キルシュ入り。ショコラ・ショーといっても様々な種類がある。初心者のクロエはオーソドックスなミルクを頼み、レヴェリーはラム酒風味を頼んだ。


「こんな美味しい飲み物、初めて飲んだ」


 クロエはほぅと感嘆の溜め息をついた。

 洒落た陶器のポットで運ばれてきたショコラ・ショーをそうっとカップへと注ぐと、とろりと濃厚だった。それなのに口当たりは軽くて、ふわっと溶けるように消えて口に残らない。

 ショコラ・ショーを楽しむ時は、チョコレートの香りに包まれる一時だ。

 濃厚なショコラ・ショーをゆっくりと啜っていると、身体の芯からぽかぽかとあたたまってくる。甘い香りを嗅いでいると気持ちも落ち着いて、とても安らかな気分になった。

 贅沢な空間に贅沢な香り。貧乏性のクロエは気付くと溜め息が零れ落ちてしまい困ってしまう。


「仕事後の一杯だとまた格別だよなあ」


 レヴェリーはスプーンでまた一口掬ってそう語る。

 この店のショコラ・ショーは【飲む】ではなく、スプーンで掬って【食べる】タイプだ。


「あはは、お酒じゃないんだから」

「ラム酒風味だし」


 その時、ちくりとした視線が横顔に刺さった。

 まただ、とクロエは妙な気分になる。視線が気になってそちらを見ると、そこにはただの通行人がいる。しかし、こちらを向いてはいない。

 他人を気にしすぎなのかとめげながらカップの中のチョコレートを掬って口に運ぶ。胸焼けをしそうなほどに甘いチョコレートが喉を通って胃を満たした。


「あんま気にすんなよ、クロエ」

「レヴィくん……?」

「オレ等の格好、どう見たって使用人のお仕着せだからな。こーゆー店で寛いでるのが珍しいんだろ」


 支配階級の証である手袋はしておらず、下町では小洒落た制服もここでは使用人の仕着せのようなものだ。そんな使用人と思しき少年少女が寛いでいては目立って当然だ。

 貴族たちの不躾な視線を気にするクロエに、気にするなとレヴェリーは慣れた様子で言った。


「うん。でもここでこんな感じなら、これより上に行ったらどうなっているんだろうね」


 【ロートレック】の上にはまだ三つの階層がある。クロエはここよりも上の街を想像できなかった。


「上層部は国の管理職の区域だから、そんな良い場所じゃねえよ」

「そうなの?」

「何つーか、鋼の機械都市って感じ? 家の壁も鉄板剥き出しだったりする」

「レヴィくん、上の街に詳しいんだね」

「オレを施設から引き取ってくれた家って上層部の人だったからさ」


 そうなんだ、とクロエは相槌を返す。

 相手の身の周りのことを聞いても必要以上に踏み込まないのは、施設で育った者特有の線引きのようなものだ。下手に踏み込めば自分のことも語らねばならなくなるので、クロエは差し障りがないように受け流す。

 レヴェリーはクロエに明け透けな態度だったが、長らく【施設育ち】ということで向けられる偏見に苦しんできたクロエは心を完全には開けていなかった。

 ポットには二杯分のショコラ・ショーが入っている。その二杯目を飲みながら、二人は世間話をした。

 そうしてカップが半分ほどに減った頃、ふと通りを眺めたレヴェリーは目を見張り、声を張り上げる。


「ヴィーンス! おーい、ヴィンセントー!」


 通りを歩く人々は何事かと怪訝な目を向けるが、すぐに興味をなくして去ってゆく。そんな忙しい通りの流れに乗っていた金髪の若者はおや、というようにこちらを振り向いた。


「ああ、レヴィくんとメイフィールドさんじゃない」


 いつものバーテンダーのような服の上に、フラノライナー付きの上等なトレンチコートを羽織っているヴィンセントは貴族の街にすっかり溶け込んでいる。


「ヴィンス、仕事サボって何してんだよ」

「そっちこそこんな場所で何してるの? 逢い引き(ランデヴー)? それともまさか駆け落ち?」


 美しい薔薇には棘があるように、瑞々しくも棘のある独特の声色でヴィンセントは訊ねてきた。


「主人と使用人の恋というならまだ物語(ロマン)があるけど、使用人同士ってのは面白みがないなあ」

「オレたちはエルフェさんの使いできてるんだ。逢い引きでも脱走でもねーし」

「だよねえ。お子様が色恋なんてませているし、何より身の程を弁えろって感じだし。君たちがもし逃げたら僕は下界(カノーヴァ)の果てまでも追い掛けて始末しないといけなくなるから、そういう手前掛けさせる真似は止めてよね、絶対」


 口許にはにこやかな笑みがあるが、暗緑色の瞳はまるで笑っていない。

 多少免疫があるレヴェリーも、まだ免疫ができていないクロエも恐怖から凍り付く。

 ヴィンセントは面白いものを見付けたとばかりに目を輝かせ、クロエとレヴェリーの間の椅子を引くと優雅に腰掛けた。


「ねえ、メイフィールドさん。何で逃げるのさ?」

「に、逃げてませんよ? 気の所為じゃないですか?」


 ヴィンセントは怖い人だ。ここに残ると決めてから今日までの三週間で、そのことを痛感した。

 あの日から嫌がらせを受けているクロエは、ヴィンセントに優しくされると悪寒を感じてしまう。散々弄られた結果、条件反射としてクロエは一歩椅子を引いてしまった。

 芳醇(ほうじゅん)な香りに包まれた高級感漂うショコラトリーにある珍味な光景に、通りを行き交う人々はちらりと視線を向ける。

 いかにも貴族といった上等な格好をした金髪の若者が長い足を組んでゆったりと座り、その両隣には従者と思しき仕着せ姿の少年と少女が二人。

 主をそっちのけでアフタヌーンティーを楽しんでいる使用人にでも見えるのだろうか、ヴィンセントが現れてから人々から受ける視線の鋭さが増した。


「その泥みたいなの何?」

「ショコラ・ショーだよ。ヴィンスも飲むか?」

「それってつまり砂糖の塊だろう? そんな味覚障害を起こしそうなもの飲める訳ないよ」


 ヴィンセントは不快そうに柳眉を寄せた。彼は甘味のある食べ物を死ぬほど嫌っている。味覚異常になると言っていつも菓子を食べない。それは甘党のクロエとレヴェリーには理解できない感覚だ。


「君たちさあ、こういう甘ったるいものばかり食べてるから頭の中もとろけてるんじゃない?」

「一々文句言わないと気が済まねーのかよ」

「文句じゃなくて素直な感想」

「だから、お前のそれが性質悪いんだって!」


 レヴェリーとヴィンセントの口喧嘩は挨拶のようなもの、もとい戯れ合いだ。

 そうは理解しつつも公衆の面前で、しかも貴族たちの通りで繰り広げられるそれは好奇の目で見られて堪ったものではない。

 クロエは話を変えようとヴィンセントに訊ねた。


「甘いものが苦手なのってどんな感じなんですか?」

「んー……そうだね、冷たいものを食べた時に頭が痛くなるのと似たような感じかな」


 突然振られた問いに気分を害することもなく、後頭部が痛くなるのだとヴィンセントは語った。


「甘いもの食べられないのは人生損してるって言いたげだね?」

「そういう訳じゃないですけど、誕生日やノエルにケーキを食べられないのは残念というか……」

「ケーキの代わりにお酒を飲めるから良いんだよ。お子様には分からないかもしれないけどね」


 未だに酒の美味しさというものを理解できないクロエはそういうものなのかな、と考える。その横でヴィンセントは微笑んでいる。更にその隣ではレヴェリーは面白くなさそうに唇を曲げ、むっとして口を挟んだ。


「つーかさ、お前こそそんな花束持って誰かと逢い引きか?」


 実はクロエも気になっていたのだが、ヴィンセントは花束を携えていた。

 清楚な白百合が六本ばかり、咽せ返るような爛漫とした香りを放っている。


「墓参りだよ」

「……墓、参り……?」

「アデルバートさんと、エレンさんのね」


 何処か歯切れの悪く言葉をなぞるレヴェリー。その一瞬で彼の表情が消えた。

 いつもきらきらと無邪気に輝いている紫色の瞳が(けぶ)るように陰りを見せる。クロエは息を呑んだ。

 瞬き少なに硬直しているレヴェリーを見つめるヴィンセントの目には、優しいような冷たいような曖昧な感情が籠められているように見える。


「君もくる? エルフェさんが今日、君を使いに出したのも――」

「いけねえ、忘れてた!」


 レヴェリーは突如として席から立ち、ヴィンセントの言葉は遮られる。


「オレ、エルフェさんに北のカフェの偵察してこいって言われてたんだよ! つーことで後は二人で宜しく頼むわ! 夕飯までには帰っから!」


 矢継ぎ早に並べられる言葉にクロエは勿論、ヴィンセントも言葉を返す暇がなかった。レヴェリーは何かに追い立てられるようにして人混みに紛れていった。

 一体何事だろうか。そんな使いを頼まれた覚えがないクロエは首を傾げる。

 ヴィンセントは決まり悪そうに肩を竦め、それからゆっくりと立ち上がると机の下に置いてあった花束を手に取った。


「じゃあ、僕も行くからね」

「……って、待って下さい! 置いて行かないで下さい」


 清算もまだ済ませていないし、こんな知らない街に置き去りにされても困る。


「君も墓参り行きたいの? 物好きだね」


 恐れも忘れて自らの袖を掴むクロエにヴィンセントは複雑そうな視線を送った後、仕方ないなあと言いたげな様子でそう呟き、近くの店員(ヴァンダー)にチェックを頼んだ。


「それじゃあ行こうか。ちゃんと付いてきなよ。迷子になっても探してあげないからね」

「気を付けます」

「うん、気を付けてね。花壇の肥やしになりたくないなら」


 探しはしないが、敵として処分はするらしい。物騒なことを言うヴィンセントにクロエは恐怖した。

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