迷いの森の赤ずきん 【14】
「わたしを捨てたのはあなたよ」
捨てられたのではなく、捨てたのだ。
そう訂正をしたディアナは沈痛な面持ちを一瞬で消すと、呪いめいた笑みを向けた。
瞳の色はどろりと赤く、恐怖を感じたクロエは思わず後退る。すると、ヴィンセントにぶつかった。
「うーん、可笑しいなあ。しっかり刺したはずなのに。純血の外法の力、侮り難しってことかなあ」
「そうだね。外法は身体が頑丈だから腹を刺したり、首を切った程度じゃ死なない」
「うん、そうだったね」
くすくすと忍び笑いをするディアナの前でヴィンセントはクロエの髪を掴み、引き寄せる。そしてクロエが爪先立ちになるほどに強く引っ張り上げた。
「さて、ディアナ。娘の命が惜しくば俺の言うことを聞くんだ」
「……ローゼンハインさん……?」
「言っただろう、【人質】の確保は済んだって」
借金の返済を迫られながらもクロエにはヴィンセントに助けられたという思いがあった。
実際は、クロエはディアナへの人質だったのだ。
ヴィンセントは宙吊り状態になってもがくクロエにナイフを突き付ける。
ぷつり、と刃が潜り込み、薄皮と肉が引き裂かれる。
「……いやっ……」
「無駄に頑丈なこいつを俺が殺す前に」
「手荒なことは止めて」
「じゃあ、得物を捨てて投降しろ」
「従えないよ。だって君、わたしが従ってもクロエちゃんのこと殺すでしょ?」
「お前の前でこいつのことをばらばらにしてやれなくて残念だよ」
不意打ちの裏切りだからこそ打撃を与えられるのであって、予想し得る裏切りは意味のないものだ。
そうはいってもクロエに人質としての価値がなくなった訳ではない。
ヴィンセントは髪を離す代わりに襟を掴んでクロエを拘束した。その様子を眺めながらディアナは嘆息する。
「ああ……どうしよう……。わたし、もう一度君を殺すなんて無理だな……」
もしかすると彼女にはヴィンセントと争う意思はないのかもしれない。
期待したクロエは、次に彼女の口から出た言葉に身を凍らせた。
「ねえ、クロエちゃん、お母さんのお願い聞いてくれない? ヴィンスくんを殺して欲しいの」
「…………!」
植物に水をやって、というような気軽さでディアナはヴィンセントを殺すように言った。
信じられない気持ちで唇を震わせるクロエに、ディアナは慈愛に満ちた笑みを向ける。
「その状態で狙える急所は足の甲よ。その靴で踏み付ければかなり痛いと思うの」
「ディアナ、お前も自分の子供に業を背負わせるわけ……?」
「あはは、家族ぶっ殺しているような君にわたしを説教する資格なんてあるの? まあ、両親を手に掛けたわたしも文句は言えないけどさあ、君に言われるのはムカつくんだよねー。非常識の塊に常識説かれたくないってゆーかさあ」
ディアナの言っていることはある意味、正論だ。ヴィンセントのような悪党に説教などされたくはないし、現在人質を取っているような輩に綺麗事を語る資格もない。
しかし、クロエはディアナに同意するよりも【両親を手に掛けた】という事実に恐怖する。
恐怖と怒り。顔を歪ませる二人の前で飄々と笑っていたディアナは頬に手を添え、小首を傾げる。
「うーん……まあ、利用するといえばそうだよね。でも、仕方ないよ。わたし、目的の為の手段は選ばない主義だから」
「なら、お前の目的は?」
「わたしの夢はね、クロエちゃんを幸せにすること」
暖炉の薪が爆ぜ、赤い火の粉が舞った。
「苦しみも悲しみもない世界でクロエちゃんを幸せにするの。だからね、クロエちゃんは安全な家の中で綺麗に笑っていてくれれば良いの。外に出られない代わりに欲しいものは何でもあげる。綺麗なドレスも宝石もあげる。美味しいお酒やお菓子も食べさせてあげる。お母さんもずっと傍にいるし、それでも寂しいならお人形を買ってきてあげても良いわ。クロエちゃんが辛い思いをしない為だったら、わたしは何だってするの。例えクロエちゃんに恨まれてもね」
まるで将来の夢を語る童女のようにきらきらと目を輝かせて、ディアナは無邪気に告げた。
いかれていると思うだろう。
ディアナが言っていることは独善が過ぎている。だが、クロエの安全に病的に拘り、幸せを願う姿勢は間違いなく母親のものなのだ。
クロエはディアナを詰ることも憎むこともできずに震えるしかない。
「最低の母親だな」
「うん、知ってる。だから、クロエちゃんはわたしが絶対守るの」
何も言えないクロエの代わりにヴィンセントが切り捨てると、ディアナの唇に笑みが浮かぶ。情念を乗せた仄暗い微笑だ。
吐息と共に淡く笑む瞳には婀娜っぽい光が滲む。
「外法嫌いのヴィンスくんがクロエちゃんのこと匿ってくれたのは吃驚したよ。本当なら、クロエちゃんも【アルカナ】に入って奉仕しなきゃならないところなのに、ヴィンスくんのお陰で上手く逃れてる」
意外だわ、と語る口調は朗らかかつ暢気だったが、クロエの心を容赦なく薙いだ。
(それじゃ、まるで……)
先ほどのヴィンセントの言った、腹を刺したり首を切った程度では死なないということと、ディアナの話を総合するとクロエは外法ということになる。
首を斬られたり二階から落ちても死なないのも、傷の治りが早いのも人間ではないからなのか。
「あ……、もしかして責任感じてた? それとも恐かった? クロエちゃんが自分の子供じゃないかって」
聞きたくないと思った。
それなのに、しなだれ掛かってくる声も眼差しも振り切れない。目も耳も閉ざせない。クロエの首に添えられた刃がヴィンセントの腕の震えを伝える。ナイフを伝う赤が増した。
どくりどくり、と耳許で大きな音が聞こえる。
自分のものかと思ったが、これはヴィンセントのものだ。
頭と背を胸に預ける姿勢だからこそ分かる。破れそうなほどに早鐘を打つ心臓の鼓動が直に伝わる。その動揺の大きさが、ディアナの語る内容が真実であることを物語っている。
「ふ……、あはははは……っ! それ最高の顔!」
ディアナは身を折り、けたたましく笑った。
心の底から可笑しいというように声を上げ、その勢いのまま続ける。
「もしそうだと言ったらどうするのかしら。這いつくばって謝ってくれる? お金で解決? わたしのこと殺す? それとも、わたしとクロエちゃんを幸せにしてくれるとか言う? 何にしても、どんな顔をするのか見物ねえ」
ディアナは噴き出しそうになるのを堪えるようにして、けれどそれに失敗して大きく笑った。
肩が震えると漆黒のドレスの胸元を黄金の髪が流れる。
クロエはただ立ち尽くす。
たった今聞かされた言葉に総毛立つ。血が沸騰したように身体が熱くなり、それでいて指先や爪先は凍えて動かない。身も心も、クロエの全てが理解を拒み、受け付けまいとする。
「冗談よ。そんな顔をしないで。……あなたじゃないわ、残念だけど」
冗談と聞いてもクロエもヴィンセントも何も言うことができなかった。
「ねえ、ヴィンスくん。何でそんな顔をするの? 泣きたいのはわたしの方なのに」
瞼を伏せ、憂えるような仕草をしながらディアナは笑っていた。
「……俺の、所為なのか……?」
「あなたがわたしを捨てたんでしょう? わたしは使い捨ての玩具なんでしょう?」
「捨てるも何も、俺たちには何もなかったはずだ」
「ああ……ああ……、そうね……。あの時もあなたはそう言ったわ。【エルフェくんと幸せに】って……。あんまりだわ。あの日、わたしの居場所は何処にもなくなっちゃったの」
「それはお前があいつを――」
「そうやって勝手に決め込んで何もなかったことにしようとした! わたしの気持ちも知らないで……!」
今まで笑みを絶やさなかったディアナの顔からその表情が消えた。代わりに表れたのは、愛情と憎しみがごちゃ混ぜになった泣き顔だ。それはまるで崩れ落ちる前の果実のような危うい表情だった。
「あなたにとっては不適切な夜だったかもしれないけど、わたしにとっては違ったのよ。どれだけ経っても諦められなかった。結局、わたしはあなたが好きだった」
「あいつの方がまともなのに?」
「そういうあなただから好きだったの。何処か欠けた人だから、わたしは傍にいたいと思った」
ディアナの本心を知った今、ヴィンセントには彼女を害する理由はないはずだ。
彼女が逃げたのではなく、彼が逃げられるような振る舞いをした。その時点でヴィンセントの恨みは完全な逆恨みだが、それでもディアナは彼を愛しているという。
無関心であるくらいなら恨まれる方が良いと語ったヴィンセントはそれ以上のものを得たのだ。
殺し合うほどに強い、【愛情】という繋がりを。
(……お母さん、ローゼンハインさん……)
クロエはヴィンセントとディアナを批難しなければならない立場だ。
けれど、クロエはこれだけ傷付けられても二人を恨むことができない。
(だって……私は……)
もしもヴィンセントがディアナを受け止めていれば、クロエはここにはいない。
二人が幸せになっていれば、クロエという存在は生まれてこなかったのだ。
クロエは二人の不幸の証そのものだ。そんな自分がどうして彼等を責められるというのだろう。
(私がいなければ……)
二人が幸福になる為にはクロエの存在は邪魔だった。
殺されるのかもしれない。ヴィンセントとディアナが両想いだと分かった今、ここにある異質な存在は処分に値する。
殺されるのだとしても仕方ない、そう思った。
だが、その期待を壊すのもディアナだったのだ。
「でもね、もうどうでも良くなっちゃった」
今までと口調をがらりと変えて言い切った。
「死ねば良かったのに」
「ディアナ……」
「君がいる限り、わたしは苦しいもん。だから、死んじゃえば良かったの」
ディアナは普段通りの表情と口調であっさりと言い放つ。そして、愉しげに笑った。
「ふふっ、わたしはいかれてるのかもね。もう自分じゃ分からないけど」
行き場のない憤りと哀しみを今までずっと一人で抱えてきたディアナの心は磨り減っていた。愛する男を殺し、永遠に自分のものにするという狂気に走るほどに壊れてしまっていた。
ディアナの瞳は明るく輝いている。それは暖炉の赤い炎を受けてのものではない。確然とした本心からのものだ。
「わたしは……もう、疲れた。ねえ、死んでよ」
自ら手を下すことはできないから自ら死を選ぶことを、ディアナはヴィンセントへ望んだ。
ヴィンセントがどのような表情をしているのかが知りたくて、クロエは彼の腕を逃れようする。
僅かに力を込めただけで呆気なく抜け出せた。再び腕が伸びてくる気配もない。クロエは恐る恐る見上げる。
彼の顔には僅かに笑みがあった。けれど、彼女に注がれる彼の視線は何処かしら危うい。冷ややかな愉悦の光がある。そして、ヴィンセントはクロエの血で汚れたナイフをディアナへ向けた。
「やっぱりわたしの為には死ねないんだ? まあ、そうだよね。あれは三十年も前のことだし――」
「いや、死ぬよ。お前もこいつも殺して俺も死ぬ」
既に燃え尽きた恋の為に死ぬはずがないと、口の端を吊り上げて笑うディアナの言葉を遮ったのは、夢のように現実感のない言葉だった。
クロエは耳を疑った。今、ヴィンセントは何を口走ったのか。
「……あたしと、一緒に死んでくれるの……?」
「あの約束とは違うけど、それでも良いよ。俺ももう疲れた」
「ほんとに……? うれしい」
ディアナは世の中の汚れを知らない乙女のように微笑んだ。
耳鳴りや目眩が酷くなる。聞き流すことも否定することも許されない。クロエは総毛立つ。
これが上々の幕切れだと喜んでいる二人が理解できない。何故、今からでもやり直そうとしないのだろう。死という完結を選ぶ理由がクロエは分からない。
クロエは二人に背を向け、部屋を飛び出した。
行き先など何処にもなかったし、逃げ切れるとも思わなかった。
逃げても何も解決はしない。それでもクロエはあの場にいることができなくて逃げた。
屋敷の廊下は長く、暗く、寒い。
終わりが見えない冷たい廊下を踏み締めるクロエの爪先には血が滲み、感覚もない。
足の力が抜けてよろめきそうになるのを堪えながらクロエは階段を駆け下りた。そうして二階と一階の間にある踊り場に到達したところで追い付かれてしまう。
「待って、クロエちゃん」
腕を掴まれ、クロエは足を止める。
頭半分ほど背の高いディアナはクロエの腕を離す代わりに肩に手を掛けた。
「クロエちゃん、どうして逃げるの?」
「いやだ……っ、もう……いや……」
「そう、この世に楽園はないわ。わたしたちには薔薇色の人生なんてものはないの。クロエちゃん、お母さんと一緒に逝きましょう。天国でずっとずーっと一緒にいましょう」
「……わ……私はまだ死にたくない……!」
心中に付き合わされるなんて御免だ。そんな自己完結、許される訳がない。何も救われないではないか。
どうしてもしたいというなら二人ですれば良い。愛し合う者同士、互いを胸に掻き抱き、口付けを交わした後に果てれば良いのだ。
そう考えて、クロエの心は悲鳴を上げる。
悲しくて、辛い。胸が痛い。もう何も考えたくない。
クロエはディアナを両手で突き飛ばした。伸びてくる母の腕を振り切り、足を一歩後ろへ下げる。そこに足場はなく、踵は虚しく空を切る。
クロエの身体は宙に投げ出された。
今までそこにあった景色が遠ざかってゆく。
どうやら落ちているらしい。そんなことを他人事のように理解した。
このまま落ちて、身体を強く打ち付けるのだろうか。だとしたら痛くない方が良い。
死ぬなら一瞬が良い。クロエは死を受け入れ、目を閉じる。
しかし、死の瞬間は訪れない。
床に倒れ込む瞬間に何かが下敷きとなり、落下の衝撃を和らげた。クロエは漆黒のドレスを纏う女性に抱き止められていた。
「だいじょぶ?」
ゆっくりと目を開くと、ディアナの顔がすぐ間近にある。
彼女の手はクロエの背に回されており、何度も撫でた。泣く子をあやすような手付きにクロエは放心する。
「怪我、してないね。よかった」
瞬くことしかできない娘の前で見せたのは、心の底から安堵したような笑みだ。優しい笑顔はクロエの知る母親のものだった。
漸くそこで我に返ったクロエは、階段から落ちた自分をディアナが助けてくれたのだと分かった。慌てて退けると、ディアナも起きる。
「……あーあ……年取るってやだなあ……。昔なら、これくらい着地できた、のに」
「おかあ、さん……」
「こんなの、平気だったのに……」
怒りを堪えるようでいて、涙を堪えるようでもある声が力なく響いた。
クロエが呆然と見守る中、ディアナは笑った。
不意にその身体がふらりと傾ぐ。
クロエが咄嗟に支えようとするものの、自分より背の高い彼女を抱き止められるはずもなく、縺れるように倒れた。ぺたりと座り込むクロエの膝に伏したディアナはぼんやりと呟いた。
「……あ……やばい……落ちる、か………」
「お、お母さんっ!?」
「……………………」
眠るように目を閉じたディアナの睫毛は下瞼に濃い影を落とし、微動だにしない。落ちた衝撃で切ったのか、唇は血で濡れていた。
嫌な予感が込み上げてくる。クロエは必死になって声を掛けた。
「おかあさん、おかあさん!」
酷い親だと感じた。親というよりも一人の人間として穢らわしい。おぞましいと思った。激しい嫌悪感に目の前が真っ赤に染まった。
だけど、どんなに最低の存在でも、クロエにとってはたった一人の母親なのだ。
共に死ぬというならクロエを救う必要などなかった。それなのにディアナはクロエを庇った。
クロエの幸せを願い、家に閉じ込めようとしたり、死を選ぼうとさえする。けれど、娘が傷付くところを見過ごせずに身を投げ出す彼女は母親だった。
このまま母を失いたくない。何も、誰も、失いたくない。
もう心が耐え切れない。
「やだ……、お母さんっ!!」
「騒がしいな。気を失っているだけだよ」
急に耳を突いた声にクロエははっとする。
顔を上げると、声の主が真正面にいることに気付いた。
突き刺すような視線を向けてくるヴィンセントにクロエは臆す。
「ち……近付かないで下さいっ!」
大きく開いた目に涙を溜め、クロエは叫ぶ。
ヴィンセントの眼差しは変わらない。それどころか益々冷めた表情になる。
「お母さんに、さわらないで!」
「黙れよ」
ヴィンセントが鋭く言い放つ。そして、動いた。
撲たれることを覚悟したクロエは、そのような脅しにも暴力にも屈しないと身構える。ヴィンセントの手が掴んだのは喉だった。
「あ――――――」
首を鷲掴みにされたと思った瞬間、膝は床を離れていた。
足から脱げ落ちた靴が、コンと床を叩いた。
首を絞められていると分かったが、どうしようもない。酸素の巡らない頭は回らず、手足は動かない。
時間がやけにゆっくりに感じた。
やはり、自分は彼に殺される運命らしい。
人形のように動かないクロエを見上げるヴィンセントの目には優しさもなければ、冷たさもない。悪魔のようで天使のようだ、と最後に思った。
頭が熱い、酷い耳鳴りがする、目が眩しい。見開いた目が捉えた世界は白く塗り潰されてゆく。
「人間って面白いよ。だけど、脆すぎるよね」
そう言ったヴィンセントはクロエの首を掴む手を突然離した。
支えを失った身体は落下し、床に崩れる。身体が焼け付くような感覚にクロエは激しく咽せた。
「……は……ぁっ、げほげほ……けほ……!」
空気を欲して喉が震え、それが却って正常な呼吸の邪魔をする。
酸欠の苦しみと、癒えぬ胸の痛みとで生理的に涙が浮かぶ。
「たった半世紀で人間は死ぬ。気に入っても、すぐ壊れるんだ。ずっと考えていたよ。どうすれば俺は永遠に色褪せないものを手に入れられるのかって」
咳き込むクロエから離れるヴィンセントはひとり語りながら、ディアナの傍へ膝を着く。それから眠れる姫へ触れるように恭しく手を取り、そっと抱き起こす。
「つまらなくて色々やったなあ。女も酒も薬もやった。最初は適度に楽しめたけど、欲は際限ないから段々つまらなくなって、どうでも良くなってくる。挙げ句に遊んだ女より、斬った男の顔の方が良く覚えていたりする。結局、俺の本質は化け物という訳さ。ディアナとレイフェルを一緒にして、その子供を見守っていけば永遠になるかとも思った。だけど、そんな聖人みたいな振る舞いは俺の柄じゃない」
クロエへ聞かせているとも、ディアナへ懺悔しているとも、ただ独白しているともつかない話を切った彼は振り返った。
「見なよディアナの娘、この顔を。背筋が凍るほど綺麗だろう?」
ヴィンセントの瞳が明るく輝く。
クロエは声も出ない。唯一を手に入れたヴィンセントは饒舌だ。
「ずっと思っていた。きっと世界で一番美しいのは、ディアナの死んだ顔だろうって」
「ローゼン、ハインさん」
「悲惨で美しい彼女を手に入れ、共に逝ける俺は世界一の果報者だ。上々の……上々すぎる幕切れだよ」
そうして、凄絶な眼差しの彼は奇妙なことを言った。
「お前は殺さないよ」
「え……」
「俺とディアナの邪魔は誰にもさせない」
「……わ……私に、どう……しろって…………」
「好きな男に縋るでも良いし、本当の父親を探すでも良い。みっともなく生きて幸福になれば? お前みたいなつまらない人間には無理だろうけど」
歌うように調子付いた口調で告げたヴィンセントはディアナの髪を撫でる。
指に絡めたり引っ張ったりすることもなく、ただ何度も優しく髪に触れる。ディアナのぬくもりから一時も離れない手がヴィンセントの本心を物語っているようで、クロエは胸が潰れそうになる。
待ち兼ねた悲願の成就の瞬間を間近にして深く輝く瞳は、ディアナしか映していない。
歪で、けれどとても澄んだ色だった。
やがて、二発の銃声が広間に高く長く轟いた。