迷いの森の赤ずきん 【6】
「クロエ、土産なー」
「うん、分かった。どんなものが良い?」
「それは勿論、下町流行りのバケツプリンだろ。サイズは一キロで!」
レヴェリーが甘党なのはやはり可愛らしい。ついつい年上目線になって緩んでしまう表情を引き締めながらクロエは訊ねた。
「トッピングの希望はある?」
「メロンとストロベリーは絶対な。あとはクロエに任せるわ」
「レヴィくん、一緒に行かない? バケツプリンもその場で食べた方が美味しいと思うの」
「行きたくねーって言ってるだろ」
「そんなに花を見るの嫌なの?」
「ルイと一緒に行くのが嫌なんだよ。お前等、ぜってー喧嘩するだろ。巻き込まれる身になれよ」
「別に喧嘩したくてしている訳じゃないんだけど……」
「したくて絡んでるなら変人だろ」
双子に揃って変人扱いをされたクロエはショックで硬直するが、ここ数日地雷を踏んでいるのは事実だ。
無自覚でクロエの心を抉ったレヴェリーはそれに気付いた風でもなく、ぼそりとこぼす。
「あいつ、最近施設にいた頃みたいな顔してんだよな」
それがどういうことなのか――良いことなのか悪いことなのか――分からないクロエは、レヴェリーの赤紫色の瞳を見ながら謝る。
「ごめんね。私、部外者なのに首突っ込んだりして……」
「あ……や、別にクロエのこと責めてるんじゃないんだからな? あいつが扱い辛いのは昔からだし、クロエがどうこうって訳じゃねえよ」
自分が何気なく発した言葉がクロエの心を傷付けたことに気付いたレヴェリーは慰めるようにそう言い、それから「あいつとオレの問題だから」と呼吸ほどに小さく呟いた。
「んじゃ、オレ出掛けるから」
「うん、行ってらっしゃい」
「お前も早く支度しろよー」
己のことがまだだったことに気付いたクロエは、レヴェリーを送り出すと慌てて支度をした。それからエルフェに再度外出許可を貰い、家を出る。目指すのはブエンディア市だ。
プエンディア市は【ベルティエ】の中心部であるオルグレン市に隣接した地区で、そこの喫茶店でルイスと待ち合わせをしている。
【ベルティエ】へ降りたクロエは、この町の交通手段であるトロリーバスの乗り場へ向かう。【クレベル】や【ロートレック】では鉄道と路面電車が主なので、トロバスを使うのは久し振りだ。
(あれ、プエンディアって一本で行けるんじゃなかったっけ?)
ターミナルでプエンディア行きのバスを探すクロエは、そこである重大な事実に気が付く。
(そうだ。私って十年前の人間だった……!)
クロエは十年間眠っていたのだ。その間に電車のダイヤも改正されていているだろうし、路線が増えていても不思議ではない。
「誰かに訊いてみよう」
半年前のクロエなら他人に声を掛けることなどできなかったが、最近は色々な意味で鍛えられた。クロエは停留所に並んでいる人に声を掛けた。
*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*
彼はもう待ってはいないだろう。
知らない店を、軽い気持ちで「分かると思う」などと答えなければ良かった。
【ベルティエ】は自分の庭のような気がしていた。何処でも自由に歩き回れるという慢心があったのだ。
あの時、思い知ったはずなのに、やはり何処かで現実を受け入れたくない気持ちがあった。けれど、どんなに否定し、拒んだところで十年が経ってしまった事実は変わらない。
夕暮れの微睡みにある街の中は奇妙に寂しくて、クロエは目頭が熱くなるのを感じた。
取り残されて、独りぼっちで、惨めで。
溶けてしまいそうなほどに赤い太陽が浮かぶ夕焼け空に散る、赤い落ち葉。秋の冷たい風に靡く母の赤い外套。故郷の夕焼けを見ると、母との別れの日を思い出してしまう。
押し迫る痛みから逃れるように夕陽から背を向けたクロエは、街角にある看板に目を向ける。
(八丁目の角の店ってここかな)
ティーサロン【マネージュ】。
クロエは入口前の階段を上り、店内へ入る。給仕に待ち合わせだということを伝えると二階へ上がるように言われた。
約束の時間からもう一時間半も時が過ぎている。
クロエは沈んだ気持ちで店内を見渡し、重い溜め息をつく。
「クロエさん」
その時、名を呼ばれた。クロエは驚き、駆け寄る。
「遅くなって済みません!」
「取り敢えず、疲れているようだし座ったら」
「……そうですね。失礼します」
顔色を悪くさせたクロエを座らせると、ルイスは飲み物を頼んだ。
給仕が下がるや否やクロエは再び頭を垂れる。
「待たせてしまって本当に済みません」
「忙しいなら無理に誘わなかったよ」
「そういうのじゃないんです。私が道に迷っただけです……」
「だったら連絡してくれれば迎えに行った」
「いいえ、そんなことの為にお手間を……ご迷惑をお掛けする訳にはいきません」
「訳も分からなく何時間も待たせられる方が余程迷惑だろ」
尤も過ぎるルイスの主張に、クロエは身を縮ませる。
相手のことを考えたはずが却って相手に不快な思いをさせていた。これでは本末転倒だ。
「オレは連絡もなく待たされるのは嫌だ」
何かあったのではないかと不安になる、とルイスはうんざりしたように吐き捨てて目を逸らした。
「ごめんなさい。今度からはそうします」
運ばれてきた紅茶は驚くほど美味しかったけれど、冷たくなった心をあたためてくれはしない。クロエが黙って紅茶を飲む前で、ルイスはテーブルの上に広げた参考書を眺めていた。
「今から野草園に行っても仕方ないですよね」
野草園は夕方に行っても花が閉じてしまっているので意味がない。
「ごめんなさい……」
何度目か分からない謝罪を聞いたルイスは嘆息し、ノート類をブリーフケースに片付け始めた。
「飲み終えたら出ようか」
「……そうですね。早く帰った方が良いですもんね」
「いや、出掛けるなら早い方が良い。夕方の駅は混む」
てっきり帰るものと思っていたクロエは【出掛ける】という言葉にどきりとする。
「ええと……何処へ行くんです?」
「今しか見られない花が咲いている場所があるんだ。折角出てきたのにそのまま帰るのもつまらないだろ」
「今から行ったら夜になっちゃいますよ」
「日付変わる前に帰ってくれば構わないと言われているから平気だよ」
「も、物凄く信用されてません?」
「オレはキミやレヴィとは違うから」
十八歳の青少年に対して理不尽とも言える門限があの家にはあるのだ。それは主に非行に走った過去があるレヴェリーに向けてのものなのだが、この扱いの差は何なのだろう。
そうしてティーサロンを出た二人は駅へ向かった。
電車がやっと通れる路地裏を、車輪を軋ませながら市電は走る。
帰宅ラッシュで混雑する駅を手を引かれて進み、何処行きかも知れない電車に乗る。
乗り換えたトロバスに揺られること小半時。バスは無秩序に並んだネオンの看板が垂れ下がる商店街を通り過ぎ、寂れた坂道を登ってゆく。
「次で降りるよ」
混雑したバスで立っていたルイスは、席に座るクロエに降りる用意をするように言った。
停留所でバスから降りたクロエは辺りを見回す。
空は夕焼けを通り過ぎ、藍色に染まっている。その景色の中にあるものを見付ける。
「これ、桜ですよね」
今しか見られない花――桜。
実物を見たのは初めてだ。クロエは思わず木に駆け寄る。
小さな葉と細い枝が特徴的で、一つ花芽から四、五ほどの花が付いている。香りは仄かに青い。林檎の花よりもずっと小さく繊細な薄桃色の花だ。
「ここはデ・シーカとハルユの文化が混ざった場所なんだ」
ゆっくりと歩いてきたルイスは桜を見上げるクロエに教えた。
つい我を忘れて桜を見入ってしまった己を恥じながら、ルイスに言われるがままに門の先の街並みに目を向けたクロエは再び息を呑む。そこにはクロエが今まで暮らしてきた世界とは全く違う景色が広がっていた。
傾斜に犇めくように店々が立ち並んだ街は、人の物とでごった返している。店からは活気に満ちた声と、何かを燻したような煙と芳ばしい香りが立ち上る。赤いランプ――提灯と言うらしい――が下がった街並みは、ジャイルズ文化とはまるで違うエキゾチックな雰囲気だ。これは昼に訪れるよりも陽が落ちてからの方が雰囲気が良いかもしれない。
「私、デ・シーカの言葉なんて分かりませんよ」
「オレも分からないから大丈夫だよ」
分からないのに大丈夫とは何事だろう。そのような行き当たりばったりで良いのかと心配に思いもするが、何となく平気な気もしてくる。
「埋め合わせになるか分からないけど、適当に回ろうか」
「はい!」
クロエは笑顔で返事をした。
薄雲の合間に、銀粉を淡く振り掛けたような月が浮かんでいる。
天鵞絨の上に転がるそれは研磨し立ての月長石のようで、仄かな光が地上を優しく照らす。
「気が利かなかったかな」
「いいえ、そんなこと。桜の花を見ながらご飯なんて最高の贅沢です」
もっと綺麗な場所に連れて行った方が良かったのではないかと言うルイスに、クロエは首を横に振った。
野草園の代わりに連れられたのは泥臭い街。そして、食事をと入ったのはレストランとは名ばかりのカフェ。
「でもその食事がこれだと……」
「これはこれで良い勉強になったじゃないですか」
ルイスの前には豆腐にスイートシロップを掛けただけという、クロエの知っている杏仁豆腐とは限りなく違う杏仁豆腐があり、クロエの前にはチョコレートでライスを煮詰めた粥がある。
デ・シーカ語もハルユ語も分からない二人にとって、料理の注文は頭を悩ませた。ジャイルズ語が多少分かる給仕にお勧めの品を教えて貰い、出てきたのがこの奇妙な料理だった。
食事が終わった後、運ばれてきた花茶を飲んで漸く人心地がついたクロエはほぅと息をつく。
綺麗な花を見て、花の香りがする茶を飲んで、腹の底からあたたまったような心地だ。
「そういえば、リビングに変わった本があったけど何か始めるのか?」
「はい、アレンジメントの勉強をしてみたいなと思っているんです」
ルイスが言う本とは、【初めてのフラワーアレンジメント】という題の雑誌のことだろう。
「花屋で少しかじったことはあるんですけど、勉強って何からすれば良いのか分からないんですよね」
「まずは趣味の一環として始めたら良いんじゃないか」
「趣味ですか?」
「プリザーブドフラワーでリースや置き物を作ってみるとか。堅苦しいことから始めたら息が詰まりそうだ。楽しむことから始めたらどうかな」
「そ、そうですよね……。最初から勉強だって張り切らなくても良いんですね」
最初から高い目標を掲げず、自分の手が届く位置で楽しむことから始めるという提案にクロエはっとした。
今までの無関心な自分を改めようとしているクロエはたまに行き過ぎてしまうことがある。その姿が焦っているように見えたのか、ルイスは静止を掛けた。
クロエはいつもルイスに励まされてばかりだ。
反対のことはできないだろうか。クロエは思いきって訊ねてみた。
「あの、話変わりますけど、音楽って楽しいですか?」
「花の他に音楽でも始めるのか?」
困惑というより、ただ単に興味を抱いていないだけと分かる平坦な口調だった。
だが不快に思われてはいないようなので、クロエは再度訊いた。
「ただの興味です。ピアノとヴァイオリンならどちらが面白いですか?」
「ピアノはソロでも楽しめるけど、ヴァイオリンは合わせてこそだと思っている」
どちらもそれぞれ面白さはある。ただ、音を取るのに必要になってくるので、弦楽をやるならピアノもやった方が良い。
クロエの興味本位の質問など適当にあしらうこともできたはずなのに、ルイスは真面目に答えてくれた。
「好きな曲を自由に弾けたらきっと楽しいですよね」
「讃美歌の曲くらいなら、初心者でも半日もあれば弾けるようになるよ」
「私はそういう才能ないですから無理ですよ。親も芸術系ではなかったし……」
「音楽は遺伝子や血で弾くものじゃない。芸術は魂で表現するものだと、ある人が言っていたよ」
生まれや育ちは関係なく、心で表現するのが芸術なのだとルイスは教えられたのだという。
その言葉を聞いてクロエは気が付く。絵に興味を持ったのも、始めたのも才能があるからではない。好きだからこそ続けているのだ。
「こういうのって自分が好きじゃなかったら長続きしませんし、才能とか素質なんて一々考えないかもしれません。好きだからやるんですよね」
「ああ、形に惹かれているだけなら三日で飽きる」
レヴェリーが良い例だと――ゲーマーを気取りながらも一本のゲームをクリアしたことがない――ルイスが言うので、クロエは苦笑いをする。
「三日で飽きますか」
「熱し易く冷め易いというのかな。レヴィは極端だから」
熱し難く冷め難そうなルイスも充分極端なのだが、こういうことは本人は分からないものだ。
(続いているってことは本当に好きだからなんだよね)
飽き性のレヴェリーが製菓の勉強だけは続いている。それは己の波長に合っているということなのだろう。
料理もある種の芸術だ。不器用でも失敗しても、真剣に取り組もうとする姿勢は格好良い。
双子はあまり似ていないが、こうと決めたら一途なところは案外似ているのではないだろうか。
「貴方は音楽が好きなんですね」
「どうしてそうなる?」
「だって嫌いだったら三日で飽きるんですよね」
才能は抜きにして、好きか嫌いかの話ならルイスもしてくれるのではないかとクロエは思った。だが、限りなく率直にぶつけた言葉に答える声はない。
茶が入った器に触れていたルイスは、質問の意図を窺う眼差しでクロエを射る。
彼は普段からあまり喋らない。口数が多くない代わりに、一つの言葉に多くの意味を込める。そうして彼は他人を認めてくれるが、自分自身のことは否定し続けている。
「多分、嫌いではないと思う。ただ、オレは音楽に向いていない」
「どうしてです。生まれは関係ないって言ったじゃないですか」
「だからこそだよ。音楽や絵や文……そういった創作物は自分の心を映し出す。醜い罪を背負っている人間に美しい芸術は生み出せない。人の価値は生まれではなく人生で決まるものだというのなら、そういう意味でオレはこの世界に向いていない」
言い聞かせるようにゆっくりと紡がれる言葉にクロエは異論を唱えたが、ルイスは真顔でそう答えた。
価値がないのだと、心の底から思っているというように淀みなく云う。
けれど、どうにも真実味が足りない。
紡がれた言葉も注がれる眼差しも真っ直ぐなのに、彼が自分自身を偽っているように見えてしまう。この違和感は言葉では言い表せないものだ。そして初めて感じたものでもなかった。
「罪を犯したら人は終わりなんですか?」
クロエは堪えきれず、声を張り上げた。
「間違えたら終わりなの? 貴方は私がどんな生まれや育ちをしたのだとしても、頑張っているなら幻滅しないと言ったけどそれも嘘なの? 貴方の言い方じゃ、人はやり直せないように聞こえるよ」
クロエは苛立ちのまま一気に捲し立てる。
ルイスは撲たれたような顔をして沈黙する。やがて謝罪した。
「不快だったのなら、謝る。オレは別にキミを莫迦にしたい訳じゃない……」
「あの……私は大口を叩けるような人間じゃありません。貴方のことも、音楽のこともろくに知りもしないでおこがましい口を利いていると分かっています。でも、もう少しだけ良いですか?」
ルイスの戸惑いを見てクロエも冷静さを欠いた己を呪ったが、それでも訴えたいことがあった。
「親に捨てられた私はどうしようもない人間なんだってずっと思ってきました。正直、今でも自信はないです。駄目な人間だからせめて目立たず、他人様に迷惑を掛けることがないようにって……」
自分が醜い人間なのだという思いは消えてなくなるものではなかった。
その汚れはもうクロエという人間の一部だ。きっと一生切り離せるものではない。
「だけど、どん底まで落ちた人間にしか作れないものがあるんじゃないでしょうか? 芸術は形を問わないから、悲しみも憎しみもきっと受け止めてくれるはずです。私はこういう自分だからこそ、何かできることがあるんじゃないかなって思いたいんです」
生まれた瞬間から人が不平等であることを知っているからこそ、クロエは芸術の世界に救いを求めている。
そのことを自分の汚らわしい過去を正当化したいだけだと言われればそこまでだ。
「生意気言って済みません! 欺瞞だって言われても仕方ないかもしれません」
「いや……、欺瞞だとは思わない。辛い過去を自分の糧だと言えるならそれはもう進めている証だよ」
いつかの日、クロエを繋ぎ止めてくれたようにルイスは「尊敬する」と言った。
その言葉を言いたいのは自分の方だと思いながらも、こうして気持ちが通じた今しか言う機会がないような気がして、クロエは言葉を懸命に絞り出す。
「私は貴方の音楽が無価値だなんて思えないんです。勿論、悪いことはしたら反省しなきゃいけませんよ。怒られるのも当然です。でも、例え罪人だとしても貴方は貴方ですし、そのことで価値が変わるとかそういうのではなくて……」
「クロエ、さん」
「だから、その……貴方が自分の価値を信じられないなら、信じられるようになるまで私が信じますから、一緒に頑張ってみませんか」
こんな小娘に応援されて一体何を頑張るというのだ。自分でも途中で何を言っているのか、何を言いたいのか分からなくなってクロエは思わず自問自答する。
恐る恐る様子を窺ってみると、ルイスは青冷めていた。
「……オレはキミが怖い」
問い掛けるような、咎めるような、それでいて哀れむようなあの目をして彼は告げた。
彼はどういう意味で【怖い】と言ったのだろう。クロエは眼差しを受け止めたまま考える。
ルイスの言動が波紋となり、胸の痛みが一層強くなった。
帰り道。人も疎らな夜道をクロエは歩く。
石畳に自分の足音が反響するのを聞きながら、重い身体をただ前へと進める。
「今日はどうして誘ってくれたんですか?」
「一度言ったことは果たさないと気が済まない」
クロエが訊きたいのはそういうことではなかった。
こういうことに一々意味を見付けようとするのも寂しいが、クロエは【友達だから】という言葉を期待してしまう。
滑稽だとクロエが自嘲気味に考えていると、ルイスは思い出したように付け加えた。
「キミと出掛けたかったから」
「さっき言ったじゃないですか。怖いとか……苦手だって……」
これでもクロエは傷付いているのだ。
【嫌い】ではなく、【怖い】と言われた。正直、顔も合わせられないような気分だ。それでも共同生活をしているのだから、うなだれてばかりもいられない。
「だからだよ」
「はい?」
「苦手だからこそ知りたいと思った。いけないのか?」
今さらりと凄いことを言われた気がする。
一体、彼はどういう気持ちで言っているのだろう。妙な勘違いを生みそうな台詞は今までも聞いてきたが、やはり心臓に悪い。
(そんなに私って変なの? 変だから怖いの?)
ルイスはきっと未知の生命体の生態を知りたいだけ。きっとそうだ。
相手のことを好きになりたいから理解したいというクロエの考えとは違うのだ。
「また考え事か?」
「珍獣扱いされれば考えたくもなります」
「珍獣? どうでも良いけど、考え事をしながら歩くと転ぶよ」
「大丈夫です。子供じゃないんですから転びません」
「大丈夫とか平気とか、それはキミの主観だろ。見ていて危なっかしいから言っているんだ」
危なっかしいというその言葉をそのまま返したかった。
「もし転んだとしても私は頑丈さだけが取り柄ですし、悪運も強いから大丈夫です」
「そう言うなら、長生きして幸せにならないと」
「……何です、それ」
長生きして幸せになれ、なんて別れ際の言葉のようだ。
身も蓋ないようなことを言われたような気がして、クロエは思わず傍を歩くルイスの顔を見上げた。
表情から何か読み取ることはできないだろうか。そう考えて目を見てみようとすると、彼は逃れるように視線を上げた。
はくらかされたような気持ちのままクロエもそれに倣う。すると、白いものが落ちてきた。
「あれ……何だろ……」
「風花だね」
天気雪というものがある。遠くで降った雪が風に乗って運ばれてくるのだ。
ルイスの青み掛かった瞳が空を仰ぐ。その白い頬にもふわりと舞い落ちる。冷たいものは髪や肩にも降る。クロエはそれが雪であることが数瞬分からなかった。
まるで捻られたように視界が歪み、足を止める。
目眩がずっと続いていた。
今日あのような遅刻をしたのも、道に迷ったからだけではなかった。
「クロエさん?」
「平気、です……だいじ……」
大丈夫だとクロエは平然と答えようとする。
その気持ちとは裏腹に足元がふらつき、クロエは冷たい地面に座り込んだ。