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林檎の木の下で  作者: 瑠樺
四章
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番外編 ひとでなしエレゲイア ~side Reverie~ 【3】


「今日、親父とお袋の墓に行ってきたよ」


 飴色の光に満ちた部屋でレヴェリーはぽつりと語る。

 視線の先には、テーブルランプの明かりを頼りに膝上のノートに何かを書き込んでいるルイスがいる。

 ルイスが書き込んでいるのは五線ノートで、片耳に掛けたイヤホンからはクラシックが流れている。病も快方に向かっているのか今日は調子が良さそうで、習い事の課題をしているらしかった。


「……そうなんだ」


 レヴェリーが反応を待っていると、ルイスは極短く返事をした。


「そうなんだって、反応薄くね? もっと驚いたりしねえの?」

「墓参りに行くからあの人たちの好きな花を訊いてきたんだろ。今更驚くことでもないじゃないか」

「……あ、ああ」

「キミは分かり易いよ」

「お前が分かり辛過ぎるんだよ!」


 【ロートレック】への立ち入り許可を取って貰う間、レヴェリーはルイスに話を聞いた。

 母親のエレンがガーデニングに凝っていたことは知っていても、レヴェリーは花に興味がなかった。その手のことに詳しいのは彼女の手伝いをしていたルイスだ。

 両親の好んでいた花のことを訊ねると、カーネーションとアンティークローズが好きだったと教えてくれた。

 アンティークローズとは即ちオールドローズ。昔ながらの薔薇のことなのだが、花屋というものに足を踏み入れたこともないレヴェリーが知るはずもなく、人気のあるミニバラとガーベラで花束を作って貰った。


「父さんと母さんの墓、綺麗にしてくれてありがとな」

「別にオレが頼んだ訳じゃない。クラインシュミットを慕う人たちがやってくれたんだ」

「それでも管理してくれていたのはお前だろ。だから有難う。それと……ごめんな……」


 洒落た花束も蔓薔薇の寝所の前ではとてもちっぽけに映った。

 遠い昔、一度だけ遠目に見た墓はもっと質素な姿をしていた。それが美しく生まれ変わり、保たれているのは誰かが庭師に剪定させているからだろう。

 レヴェリーは礼と詫びをした。だが、ルイスはそれに応えることはしなかった。


「礼と詫びをすれば全て終わりみたいな考えは好かないな」

「分かってるっつーの。十年前のことをすぐに許して貰えるとはオレも思ってねえよ」

「……やっぱり分かってないじゃないか」

「ルイ?」

「あんたはオレのことを何も分かっていない」


 許せないのは別のことだと言いたげな目が向けられて、レヴェリーはぎょっとした。

 冷たい眼差しも、乱暴な口調も、かつてのルイスには見られなかったものだ。

 ヴィンセントが【歪んだ】と言っても何処か信じられなかったレヴェリーだったが、実際その態度を取られると困惑する。弱くて可哀想な弟という像が今のルイスにはなかった。

 少しだけ青の色の強い双眸をレヴェリーに真っ直ぐと向けたままルイスは言葉を紡いだ。


「レヴィ」

「ん、何だ?」

「学校に通いたいなら通って良いし、やりたいことがあるならやりなよ。もうオレに遠慮することないから」


 双子にある特別な精神的繋がりはレヴェリーとルイスにはなかった。

 だが、たまに相手の考えていることが分かってしまうことがある。


「……オレ、却ってお前のこと傷付けてたか?」

「さあ、どうだろう。ただ、オレはキミに自由に生きて欲しかったよ。出来損ないなんかに構わず、自由に……」

「でもさ……、あんなお前を見て放っておけってのが無理じゃねーのかな」

「そうだね、オレも大人げなかった。あれは当て付けだった。……あれについては詫びるよ」


 冷笑でも失笑でもなく、何処か自嘲染みた笑みを浮かべてルイスは顔を背けた。それは、兄さんの引き立て役になるから……と自分を傷付けた時と良く似た曖昧な笑み。

 レヴェリーはやっとそこでルイスが憤っているものの正体を知る。

 ルイスが怒りを感じているのは十年前のことではない。恐らく、施設にいた頃から続くレヴェリーの【姿勢】に対してだ。

 レヴェリーは心の何処かでルイスを侮っているのだ。弱い弟だから守ってやらないと何もできない、と。

 大人たちに指摘されたように、レヴェリーは弱い存在に同情して勝手に満足感を得ている。【誰かの為】だと言いながら本当は自分を守り、満たそうとしているだけだ。


「なあ、ルイ。お前は――」

「この話はここまでにしようか。これ以上話しても余計に拗れるだけだと思うから」


 理解することも、詫びることも許さないというようにルイスは話を切った。

 同じ場所に立ちながらとても遠いところにいる弟の横顔を見ながら、レヴェリーは溜め息をつく。

 自業自得とはいえ、拒絶を受けて堪えない訳がない。昼の一件ですっかり緩んだ涙腺が刺激され、また涙が出そうだった。


(オレが泣いてどうする。自業自得だろっ)


 レヴェリーは空元気で明るい声を出しながら切り出した。


「あ、そうだ。これお前にやろうと思ってたんだ」

「何これ」


 差し出されたハンカチーフと、その中に収まったものを見てルイスは目を眇める。


「見て分かんない? 幸せの四つ葉のクローバーだよ。特別にお前にやる!」

「…………有難う」


 考えた末にルイスは凍り付くような笑みを浮かべて四つ葉を受け取った。

 この年になって男兄弟から道端の草花を貰うとは思っていなかったという困惑と怒りがそこにはある。

 幼い義妹がいてその手のことに慣れていても、今回の相手は双子の兄だ。しかも草花に興味がない朴念仁である。不気味に思っても仕方のないことだった。


「受け取っておいてあれだけど、他の人にあげて良い?」

「やるって誰にだよ?」

「お節介な人に」


 ルイスが【お節介】などと言うのは限られている。


「クロエかよ。つーか、人を渡りまくったら効力なくなるんじゃね?」

「見付けた人が幸せになるという時点でこの葉に意味はないよ。キミはそんなことも考えていないのか」

「う……っ! で、でもそれ言うならクロエにあげる意味もないんじゃねえの!?」

「どんなものだとしてもあの人はそういう迷信とか花言葉が好きだろうし、幸せになるべき人だから」


 四つ葉のクローバーに纏わる話は確かにクロエが好きそうだった。


「そうやって何でもかんでもほいほい手放して、お前自身の幸せはどうなるんだ?」

「幸せな人生(ラヴィ)なら両親に貰ったよ。だから、もう良いんだ」


 どちらの両親かははっきり言わなかった。ルイスはただもう充分に幸せを味わったのだと語った。

 幸せの尺度は違い、他人が与えるものでも決め付けるものでもない。

 腹の底に引っ掛かったままの言葉がまた疼き、弟の顔を見ていられなくなったレヴェリーは部屋を出た。






 キッチンに入ると、エプロン姿のクロエがミルクティーを作っていた。

 ミルクで煮出して丁寧に淹れられたロイヤルミルクティーは飲むとほっとした気分になる。

 クロエが作ったミルクティーはエルフェが作ったものとは違う味がする。何が違うのかと観察してみれば、茶葉を適量の水で煮出してからミルクを加えていた。


「何で水で蒸らすんだ? 最初から牛乳と混ぜて煮た方が楽じゃね?」

「牛乳だと油分が邪魔して紅茶の香りが良く出ないの。それに茶葉はあまり煮込むものじゃないから」


 コーヒー好き――しかもインスタント派――のエルフェにはできない、紅茶党ならではの拘りだった。

 香りなど楽しまず、ジャムを投入して飲んでしまうレヴェリーは何だか申し訳ない気分になった。

 そうして気まずいまま視線を彷徨わせると、テーブルの上にパウンドケーキを見付けた。色からして味はニンジンとホウレンソウ辺りだろうか。菓子の勉強をしている身として、レヴェリーはそんな推測を立てた。


「それってニンジンとホウレンソウ? それともポティマロン?」

「ポティ、マロン……?」

「あ、えーと……栗カボチャ?」

「ううん、推測通りニンジンとホウレンソウだよ。レヴィくんも食べる?」

「いや、遠慮する。これルイの晩飯だろ? オレが取っちゃまずいだろ」

「沢山あるから大丈夫だよ」

「つーか、ニンジンはちょっと……」

「あ、そっか。じゃあ、明日はレヴィくんの食べられそうなフルーツで作ってみるね」


 クロエはシナモンで風味を加えたミルクティーをカップにゆっくりと注ぐ。

 穏やかな横顔は家庭的で素朴な女そのものといった様子だ。

 幸せになるべき人だとルイスは語ったが、レヴェリーもそれには同意だった。


「なあ、クロエ。あいつから四つ葉のクローバーとか押し付けられるかもしんねーけど、拒否ってくんない?」

「うん、じゃあ受け取るね」

「は!?」

「押し花にしてフィルムで保護すればずっと綺麗なまま残るよ。栞にすれば持っていてくれるんじゃないかな」


 レヴェリーの心を汲み取ったようにクロエはそんなことを言った。

 ルイスから物を手放させるようなことをしないで欲しいという純粋な気持ちと、クロエの為にもルイスに関わって欲しくないという歪んだ気持ち。その二つが綯い交ぜになって出た言葉だったので、レヴェリーはばつが悪くなる。

 明らかに意地悪な発言だった。流石にクロエも嫌な顔をするだろうとレヴェリーは自己嫌悪に陥る。


「心配してくれて有難うね」


 だけど、クロエはレヴェリーの【悪意】までも肯定的に捉えて微笑んだ。


「クロエ……、酷いこと言ってるのに何で怒らないんだ?」

「レヴィくんもあの人も私のことを思って厳しいことを言うんだよね」


 ルイスは心配の裏返しで酷いことを言うことがある。だが、レヴェリーのそれは親切心だけではない。

 レヴェリーが困惑を込めて眼差しを向けると、クロエは目を逸らさずに答えた。


「私、皆が心配するほど傷付いたりしてないから! 平気だから傍にいるから……」


 必死なその姿は滑稽なほどだった。

 哀れで、悲惨で、いじましくて、庇護欲を擽るその姿勢はあまりにも女性的で、レヴェリーはどきりと――いや、寧ろぎょっとする。


(素で爆弾発言してるような……)


 お人好しのクロエのことだから変な意味はないのだろうが誤解を生みそうな発言だった。

 誤解して熱を出すような男はここにはいないものの、焼餅を焼く男が若干一名いる。

 そのような思わせぶりなことを言っているからヴィンセントが焼餅を焼いて機嫌が悪くなるのだ。

 ヴィンセントはあの通りご主人様気質で、自分が一番でなければ気が済まない。彼は嫌っている相手にも蔑ろにされるのは気に食わないようで、クロエが自分以外の相手に尽くすのを面白くなく思っている。

 その面白くない原因となっているルイスはヴィンセントに関わりたくないと他人事のようだし、その無関心さがクロエに火を点けてしまっている。そしてヴィンセントが気分を害す。見事な悪循環の三角関係だ。


「クロエ、誰でも彼でもそーゆーこと言うの止めた方が良いぞ」

「え……、何のこと?」

「分からないなら良いわ。つーか、紅茶冷めるから早く持って行けよ」

「あ、うん」


 銀のトレイにティーカップと焼き菓子を乗せて去るクロエを見送ったレヴェリーは思わず嘆息を漏らす。

 レヴェリーは姉のような妹のようなクロエを災厄から守ってやりたいと思っていた。

 だがクロエは自ら災厄を呼び込むような振る舞いをし、そのことに満足しているようでもある。

 何だか馬鹿馬鹿しくなった。

 馬鹿馬鹿しくなったというよりは、自分の庇護が必要ないのだと思い知ったのだ。


(オレは必要ないんだな)


 ルイスには哀れむなと釘を刺され、クロエには心配無用だと切り返されてしまった。最早レヴェリーが入り込む隙間は何処にもなかった。

 もう幸せは充分得たと語るルイスも、幸せから遠ざかるようなクロエもさっぱり分からない。

 分からなければ彼等を幸せにしてやることなどできない。


「幸せの形、か……」


 アデルバートに咎められ、エルフェとヴィンセントに指摘され、ルイスには釘を刺され、クロエには拒まれた。そろそろ兄弟離れをして自立しなければ不味いのかとレヴェリーは思い悩む。

 そんな思考を邪魔するように背後から話し掛けてくる人物がいた。


「レヴィくん、シリアスに独り言とか止めてくれない?」

「んだよ、ヴィンス」

「そういうのって君の柄じゃないと思うんだよね。僕みたいな美形がやるなら様になるけど、君みたいな地味顔がしても辛気臭いというか薄暗いというかさあ。兎に角、うざったいからやるなら庭に出てくれない? 根暗で弄り甲斐ないレヴィくんなんか存在価値ないよ」

「うっさいッ!!」


 人が真剣に悩んでいるというのに何なのだこの男は。

 頭にきたレヴェリーは鬼畜ナルシスト目掛けて拳を繰り出すが、彼は軽く受け止めてにこりと微笑んだ。


「八つ当たりは高く付くよ?」

「な――――」


 次の瞬間、容赦ない拳が頬にぶつけられていて、咄嗟のことに防御できなかったレヴェリーは床に沈んだ。

 反転する視界、打ち付けた背中の痛み、血の味。最悪の気分だ。


「この阿呆ーー!!」


 家庭内暴力反対だと力の限り暴言を吐くと、ヴィンセントはくつくつと笑いながら部屋を出て行った。

 腹の底のむかつきまでも吐き出すように叫んだレヴェリーは、床に横たわったまま大きな溜め息を吐く。


「ムカつく……」


 腸の煮えくり返るような怒りがあるというのに心は妙に落ち着いていた。

 変な話だが、殴られてすっきりした。

 ほんの数ヶ月前までレヴェリーは不良たちと連んで暴れていたことがある。持て余した感情を発散するように、人や物に破壊衝動を向けていたのだ。警察沙汰になったことも一度や二度ではない。その度に戸籍がないことでエルフェに面倒を掛けた。

 クロエが目覚めてからは暴走行為から足を洗ったけれど、やはり根の部分は変わっていない。


「確かにオレらしくねー」


 ヴィンセントの言うように薄暗く悩んでいるのはレヴェリーの柄ではない。

 自分は頭が良くないのだから考えてもどうにもならない。だから、手探りで見付けていくしかないのだ。

 まだ何も見えないどころか、周囲は一層暗くなったような気もする。

 けれど、十年間逃げ続けた場所に行くことができたのだから確実に一歩は進めたはずなのだ。

 気持ちを切り替えたレヴェリーは冷たい床から勢い良く起き上がった。

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