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林檎の木の下で  作者: 瑠樺
四章
73/208

番外編 ひとでなしエレゲイア ~side Reverie~ 【1】

Jeune fille Nue 【3】直後の話になります。

 ホワイトデーという誰が考えたか知れない日の午前、厨房では菓子作りが行われていた。

 厨房の奥の調理台では真剣な顔をしてケーキの装飾に取り組む男がいて、オーブンの前では焼き上がった菓子を不安そうに取り出す少女がいる。どちらも一様に真剣で、「ホワイトデーは男子が女子にショコラトルデーのお返しのクッキーをあげる日じゃなかったっけ」とは間違っても言えない。

 レヴェリーは内心ぼそぼそと突っ込みながら、二人の作業を見守っていた。


「クロエ、できたのか?」

「うん」


 馬乗りのような格好で椅子に腰掛けていたレヴェリーをクロエは笑顔で手招きした。

 首を傾げると、金色の髪がさらりと肩を滑る。レヴェリーは思わず目で追った。

 今日のクロエの髪型はリボンでシニヨンテールのように結っている。

 服装はライラック色のカットソーに、ダークグレーのティアードスカートを合わせている。リボンとポンポンレース付きのティアードスカートはモノトーンで甘さが控えめだが、女性らしさはしっかりある。何処から見ても少年には見えない。


(変わったよな)


 クロエは少しだけ雰囲気が変わった。

 半年前と今を比べればその変化は歴然なのだが、レヴェリーがはっきりと感じたのはここ最近だ。


(逞しくなったっつーか)


 エルフェが給金を出すようになり自由に衣服を買えるようになったこともあるのかもしれない。

 クロエは女性らしい格好をするようになった。コンプレックスのように一つ纏めていた髪も、最近は下ろしていることが多い。


『あーあ、折角の金髪をそんな風に短くしちゃうなんてどうしてくれるのかなあ』

『私がどんな髪型をしようとローゼンハインさんには関係ありません。それに金髪じゃありません』

『金髪じゃなかったら何だって言うのさ?』

『……は……蜂蜜色です』

『何その屁理屈。ゴールデンブロンドだろうがハニーブロンドだろうが金髪ってことには変わりないじゃない』

『何だろうと貴方には関係ありません。ごたごた文句言わないで下さい。不愉快です!』


 数日前の夜、そんな口論をしているクロエとヴィンセントがいた。

 クロエは女性らしい装いをするようになったことと比例して乙女になった訳ではなく、寧ろ逞しくなった。

 あのヴィンセントに刃向かうようになるとは半年前のクロエからは想像できない。

 愛想笑いの裏でびくびくと相手の出方を窺って、何かの拍子に壊れてしまいそうなクロエにレヴェリーはずっと踏み込めないでいた。何かあったら助けてやろうと思いながらも、クロエ本人からの緩やかな拒絶を感じて何もできないでいた。

 その殻を破ったのはクロエ自身だったのか、それとも他の誰かだったのか。

 恋でもしたのではないかと、ある闇医者は語る。そんなものなのかなとレヴェリーは曖昧に頷くしかない。

 クロエの隣に立ったレヴェリーは、既にラッピングされているクッキーに目を留める。


「そっちのクッキー、誰にやるんだ?」

「先生だよ。チョコレートにあげていなかったから」

「へえー」


 あの無免許医に菓子を作ってやるとはクロエは優しいものだと感心しながら、レヴェリーは改めてクッキングシートの上の焼き立てのクッキーを見た。


「こっちはトマトにオレンジ?」

「どうかな……?」

「味見して良い?」

「うん、食べてみて」


 トマトの蔕と思しきものが乗ったサーモンピンクのクッキーと、オレンジの皮とチョコチップが散りばめられたクッキーを勧められて、レヴェリーはまずトマトクッキーを口に放り込んだ。

 さくりと砕いた途端、広がる酸味に耳の後ろが痛くなるような感覚を味わいながらもしっかりと咀嚼する。


「……うん……美味いんじゃねーの。独創的つー感じもするけど、あいつこういうの好きだろ」

「少し変わっている方がローゼンハインさんも食べてくれるかなって思ったの」

「いっそ内臓とか肉片入れてやったら? 喜ぶんじゃね?」

「臓物料理はキドニーパイだけで充分だよ」


 普通の菓子を作ってもヴィンセントはつまらないと言って捨てるだけだろう。事実クロエが折角作ったチョコレートを自分の手で砕かせるという暴挙に及んだこともある。

 あんなことをされながら再び菓子を作ってやるなんてクロエは慈悲深い。いっそクッキーの生地にマスタードでも練り込んでみてはどうかとレヴェリーは思ったが、悪知恵を吹き込むのは止めておいた。


「レヴィくん、こっちも食べてみて。ビターチョコとオレンジピールで作ったの」


 良い香りに釣られてクッキーを口に運ぶと、ほろ苦さが広がった。

 ビターチョコレートの辛さと、オレンジピールの少し渋い酸味。それが生地の仄かな甘味と合わさって何とも複雑な味を作り出している。


「あいつの好きそうな組み合わせだなー」

「そうかな?」

「ん? 好み訊いて作ったんじゃねえの?」


 ストロベリーとキャラメルだったらレヴェリーの好みで、オレンジとチョコレートはルイスの好みだ。

 てっきり好みを訊いてから作ったのかと思ったが、クロエは何となく作ったのだと答えた。


(まあ、自分の好みを話す奴でもないな)


 ルイスはオレンジやグレープフルーツといった柑橘類を比較的好んでいる。その理由をレヴェリーは身内として知っている。

 ルイスの飲んでいる薬の副作用には目眩や喉の渇きといったものがあるのだ。しかし、そうした副作用に苦しめられながらも、体調によっては食事制限を受けて水分をろくに取れないことがある。

 調子が良い時は何よりも水を欲しがるルイスに、クラインシュミットの両親は水分が多くてすっきりした口当たりの食べ物を探しては食べさせた。その食べ物というのが柑橘系の果物なのだ。


「甘過ぎるの嫌いだし、オレンジ好きだし、これ気に入るんじゃねーかな」

「やっぱりオレンジ好きなんだ」

「やっぱりって?」

「ほら、最近ゼリー作っているでしょう。何となくオレンジとか食べ易そうにしてたから」


 そうして花が綻ぶように微笑むクロエだったが、その笑みはすぐに萎み、小さな溜め息がこぼれる。

 見ようによってはヴィンセントを相手にするより辛そうな様子だった。


(大丈夫かよこれ……)


 一昨日、何かあったらしいことはクロエとルイスの態度を見ていればレヴェリーも分かった。

 片方は明らかに溜め息が増えて、もう片方は疲れたと言って眠ろうとする。

 ルイスが休みたいと訴えるのは、自分の理解できないものに遭遇して逃げてしまいたい時――所謂、現実逃避――だとレヴェリーは知っている。きっとクロエが心の琴線に触れることをして、それに対して少なからず思うものがあったのだろう。


「クロエ、オレから渡してやろうか?」

「え……?」

「ルイと話すの大変だろ」


 レヴェリーは辛い思いをしてまで関わろうとするクロエが不憫に感じた。

 折角立ち直り始めたクロエがまた鬱ぐようなことはあってはならないと強く思うレヴェリーは彼女を庇護しようとした。

 しかし、それはやんわりと拒絶されてしまった。


「心配してくれて有難う。でも私が作ったんだから自分で渡すよ。それにレヴィくんに渡して貰ったらこの前のリベンジにならないし」

「リベンジ?」

「あの人にチョコレート渡せなかったから」


 ショコラトルデーのリベンジなのだと語り、クロエはトマトクッキーを乗せた皿を持って厨房を出て行った。

 そういえば、ショコラトルデーの時もクロエとルイスが揉めていたのだと思い出したレヴェリーは己を呪う。

 忘れていたとはいえ、あんまりなことを言ってしまった。

 今まで黙していたエルフェもこんなことを言う。


「レヴィ、今の発言はデリカシーに欠けているのではないか?」

「分かってる。空気読めてなかったよ」

「人に朴念仁とは言えないな」

「あんたにだけには言われたくねえ!!」


 某闇医者ならまだしも、分からず屋のエルフェにだけは言われたくない言葉だ。

 睨むレヴェリーにエルフェは取り合おうとはしなかった。

 レヴェリーは舌打ちをした。


「昔から言おうと思っていたが、他人の問題はお前の問題ではない」

「何だよいきなり……」

「あの者たちが揉めようが何をしようが、お前にとっては他人事だ。軽々しく口を出すな」

「は、薄情なあんたらしい台詞だな」


 レヴェリーは憎まれ口を叩きながらも自分の心臓が騒ぎ出すのを感じた。

 ただの鼓動のはずなのにやけに大きく響くそれは不快だ。


「色恋に興じようという時も世話を焼くつもりか?」

「は……話飛び過ぎだろ!?」

「例え話だ。俺はレヴィがそこまで庇護してやるのかと訊いているだけだ」


 恋愛の世話をしてやるのかと言われレヴェリーはぎょっとしたが、エルフェは至って冷静だ。


(こっちもかよ……)


 少し前に、ヴィンセントにも指摘されたことだ。

 それはレヴェリーの在り方を歪めるものでもあり、そのことを面と向かって指摘されると苦しくなる。

 相手を庇護することで自分の存在意義を確かめようとするレヴェリーの弱さを二人は指摘しているのだ。


「オレは……あいつ等に嫌な思いはして欲しくねえんだよ」


 レヴェリーはクロエがヴィンセントに近付くのを危険だと感じている。それ以上にクロエがルイスに関わるのは自傷のように感じてならないのだ。

 嫉妬でも悪意でもなく、ただ純粋にレヴェリーはクロエにルイスに関わって欲しくないと思っている。

 ルイスは近付けば近付くほどに辛くなる子だと、いつだか母が言ったことがある。恋人にしろ友人にしろ、将来悲しい思いをする者がいるだろうと母は苦笑しながら語った。

 クロエも少なからずそういった辛さを感じているのではないだろうか。レヴェリーはそのことが心配なのだ。


(ルイは誰も傍に置かないんだ)


 無愛想で人嫌いの癖に面倒見が良いし、相手が喜ぶようなことをさらっと言ったりする。その癖、相手が懐いたりすると逃げようとする。

 自分を愛し、慈しもうとする者にこそ、ルイスは酷い言葉を投げ付ける。まるで薔薇が棘で身を守るように頑なに相手を排除し、自分を守ろうとする。その頑な鎧も、度を越したお人好しならば乗り越えてしまうのだが、クロエはそこまで鈍くも強くもない。

 クラインシュミットの両親のように受け入れられる前に、きっと傷付けられてしまう。


(オレが守ってやらねえと……)


 レヴェリーは十年前、【存在意義】となるものを失った。それから虚ろに生きて、最近になって弟と良く似た弱々しい少女を見付けた。

 レヴェリーはクロエにルイスを投影した。か弱い彼女を守って自分の存在を確かめていた。

 弟であるルイスを守るのは勿論だが、姉のような妹のようなクロエを守らなければならないと思っている。自分が守らなくても良いような強い存在になって欲しいと思いながらも、半面で二人が弱くあって欲しいと願っている。

 弱い彼等を守ってこそ、レヴェリーは必要とされていると実感することができる。

 硝子の棺(ガラスケース)の中に閉じ込めて守り、必要な時だけ出して愛でるのがレヴェリーの【愛情】だ。

 その生き方をエルフェもヴィンセントも良いものとは見ていない。歪んだものとして咎めようとする。

 本当は、分かっている。

 こんな生き方は良くないと、そんな身勝手な存在意義の証明に使われる彼等も迷惑していると知っている。

 それでもレヴェリーは十数年そうやって生きてきたのだ。それを易々と変えられるはずもなかった。


「…………」


 唇を噛み締め、拳をきつく握って瞼を伏せるレヴェリーにエルフェは何も言わない。

 きっとそれは優しさだ。ヴィンセントのように必要以上に心を抉ろうとしないのはエルフェの優しさだろう。

 だが、その沈黙は却ってレヴェリーの心を深く薙いだ。


(こんなんだからオレは……)


 皆に咎められるような醜い生き方と、脆弱な心。

 守るべき姉と弟がとても遠くにいるような気がして、レヴェリーは取り残されたような錯覚を覚える。

 この虚ろはどうすれば良いのだろう。自分が一番逃げたいと思う箇所と向き合えば何か変わるだろうか。


「エルフェさん、【ロートレック】への通行許可取ってくれないか?」


 どうしてそんなことを訊くのかとエルフェは言わなかった。

 薄氷色の瞳に全てを見透かされているような気持ちになりながら、レヴェリーは顔を上げた。






 一番逃げてしまいたいもの。レヴェリーにとってそれは十年前の事件だ。

 あれは両親の結婚記念日の計画を練り終え、その為の材料を買いに行こうとしていた日。

 贈り物は、母が庭で育てた花を硝子に入れて樹脂で固めたグラスフラワーだ。

 ルイスは毎年ピアノで曲を作って演奏してみせるのだが、生憎レヴェリーには芸術の才能がない。この二年はメッセージカードや、家政婦の焼いたマドレーヌにチョコレートで文字を入れたものといったプレゼントしかできなかった。だから、その年は二人で一つの贈り物をするつもりだったのだ。


『ばあやのケーキ、オレとルイの演奏、木彫りのオブジェ……。母さんたち何喜ぶだろ』

『グラスフラワーはどうかな』

『グラスフラワーってなに?』

『花を硝子の器とかに入れて、樹脂で硬化させたものだよ』


 朝に摘んだ花を粉末シリカゲルを使って数日掛けて乾燥させ、それを透明エポキシレジンで固める。

 女性が好みそうな贈り物を良く思い付くものだとレヴェリーは感心半分呆れながらも、両親が草花を愛でていたことを知っていたので賛同した。

 それから一ヶ月を掛けての贈り物作り。

 硝子の器に母の好きなカーネーションと父の好きなアンティークローズを入れて、精一杯作った。あとは贈り物を収める為のケースを選んで包装し、結婚記念日を待つだけだった。

 父と母がどんな顔をするのか、考えるだけで胸が躍った。

 きっとあたたかく胸を擽る笑みを向けてくれるだろうと無邪気に信じていた。

 その日が永遠にこないことなど誰が考えていただろう。


「父さん……母さん、来るの遅くなってごめんな……」


 アデルバート・ジュード、エレン・ルイーズ。そして、レヴェリー。

 自分の名前が刻まれた墓標を見るのはきついものがある。けれど、この胸の痛みは別のものだ。

 情けなく震える腕で花を供えて、レヴェリーは屈んだまま墓標を見た。


(これ、あいつがやってくれたのか)


 両親が眠るのは蔓薔薇が周りを囲んだ美しい寝所だった。

 シューリスに於ける墓は公園のような長閑な雰囲気を持っている場所だ。

 自由と平和、愛と芸術を愛する人種らしく墓石の形も多種多様で、オブジェが飾られていたり、小さな家のような形をしていたり、花で囲まれていたりと、生前の人柄が滲み出すようなものが数多く存在する。そんな場所をレヴェリーはこの十年、訪れることができなかった。


「……呆れてる、よな……」


 ミニバラとガーベラの花束が、蔓薔薇に守られた墓標が、じわりと滲む。

 まずいと思い、手を宛がおうとした。だが、それよりも先に雫は零れ落ちていた。

 男が泣くなんて格好悪い。

 泣く以上にみっともない生き方をしているという自覚はあるが、それでも涙は流したくない。

 弟が泣くことができないのに兄が平気で泣いて良い訳がない。弟の為に気丈であるのが兄だ。そうは思いはしても涙は止まらなかった。


「ごめん」


 ずっと、ずっと怖かった。

 自分が存在を抹消されたのだという現実と、両親が殺されたのだという事実を受け入れるのが怖かった。

 茹だるような目から涙が止まらず、レヴェリーは(うずくま)る。


「十年もこなかった癖に、なあ……」


 全て弟に押し付けておきながら、墓参りらしく立派に涙を流すなんて笑えるだろう。

 墓に刻まれたメッセージを見ているのが辛くてレヴェリーは目を逸らす。そこで目が見開かれた。

 父と母の墓標の間――茨に埋もれるような場所に、あるものを見付けた。

 レヴェリーは思わず手を伸ばした。

 指先に触れたのは、幸せの四つ葉のクローバー。


『幸せの形は人それぞれ違うものだ。他人に決められるものではないんだよ』


 頭の中でぱちりと弾けた言葉は、飲み下した先の腹の底でもまだ奇妙に泡立っている。

 ずっと昔、父と二人で出掛けた時にもレヴェリーは四つ葉のクローバーを見付けたことがある。その時に父は「幸せの尺度は人それぞれだ」と語った。

 あの頃は分からなかった……というよりも、今の今まですっかり忘れていた。

 十年経って思い出したその台詞は咎めるような響きを持っていて、レヴェリーを全てを呑み込む追憶へと誘った――――。

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