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林檎の木の下で  作者: 瑠樺
四章
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番外編 世界で一番美しいのは ~side Vincent~ 【5】

 ディアナの独善的かつ献身的な看病の結果、ヴィンセントは病から立ち直った。

 夏の風邪は厄介だと言われているように三日も寝込むことになってしまった。

 エルフェには小言を言われ、ディアナに看病という名の矯正を受けながらも、ヴィンセントはその愚痴を零せる友人がいなかった。

 正直、反省した。

 ストレスで死ぬかと思った。これからは自分の身の為にも適度に人付き合いをしようと思った。

 ヴィンセントがそうして再び組織とアカデミーでの二重生活に戻った矢先、ディアナが倒れた。


「莫迦と暴力女は風邪を引いても気付かないと言うけど、珍しくお前は気付いたようだね」

「珍しくは余計だよ……」


 【フェレール】の中心地にあるディアナの暮らす家は、上層部らしい鉄骨作りの家屋だ。

 【ロートレック】や【クレベル】のように外観に拘らず、【レミュザ】のように利便性を求めた訳でもなく、ひたすら無機質な鉄の家。

 【フェレール】は政府の人間が多く暮らす階層だ。反政府のテロリストに狙われ易い場所なので家屋は頑丈にできている。

 調度の類は一つもなく、必要最低限の家具だけが設置されたディアナらしくない部屋で――殺し屋の姿としては正しいかもしれない――ヴィンセントは彼女が食事を終えるのを待っていた。


「ねえねえ、ヴィンスくんは【あーん】とかしてくれないの? 食欲湧くかもしれないんだけど」

「お前は俺にされて楽しいわけ?」

「目を瞑ればエルフェくんにされてるって錯覚できるかも。あー、エルフェくんのケーキ食べたくなってきたー」

「エルフェさんじゃなくて悪かったね。俺はもう帰ろうかな」


 ヴィンセントは誰かに迫られた訳ではない。自主的にディアナの様子を看にきた。

 看病をしてやっている立場として、他の男の名を聞くのは面白くなかった。プライドが許さないというよりも、気に食わない。

 そうしてヴィンセントが立ち去ろうとすると、ディアナが腕を掴んだ。


「駄目! ヴィンスくんでも黙っていれば目の保養にはなるんだから傍にいて!」

「黙っていれば?」

「君の取り柄は顔だけなんだから、幼気な病人の心を和ませるくらいしても良いと思う!」


 熱でテンションが可笑しくなっているのかディアナは変なことばかり言っていた。

 彼女は普段から変な人物であるが、今日は取り分け変だ。

 口では下らないことを言っているのに顔は明らかに引き攣っていて、武器を傍に置いている。その怯えた様は生命危機を悟られぬように過剰に動き回る動物を思わせる。


「朝までいてやろうか?」

「……え?」


 提案を受けたディアナよりも、切り出したヴィンセント自身が内心驚いた。


「誰かがお前を狩りにきても、仕留めるくらいはできるよ」

「仕留めるくらいって……充分過ぎるんですケド……」


 すり下ろした林檎入りのヨーグルトを完食したディアナは、はあと深い溜め息を吐いた。その拍子に痛めた喉を刺激してしまったのか咳が出る。

 落ち着いてから、差し出されたグラスの水をゆっくりと飲んでディアナは再び嘆息する。


「もしかして心配してくれているのかな……?」

「お前自体は心配してないよ。お前に何かあったらその附けが回ってくるのは俺だからさ」


 心配などしていない。ただ、病で弱っている時に襲われでもしたら万が一ということがある。それに先日の借りがある。借りをそのままにというのは性に合わないのだ。


「お前なんか心配してないよ」

「ふーん……、じゃあ【仕事の為】にお言葉に甘えようかな」


 言い訳の果ての言葉はきついものになった。それでもディアナは嬉しそうに表情を綻ばせた。

 太陽のように明るく眩しくて、子供のように無邪気な微笑みだった。

 だけど、そうしながらも手を握り締めてきた力がいつもよりもずっと弱々しくて、「ああ、女は弱い生き物なのだな」とヴィンセントは初めて気付いた。

 そんなことに気付いた途端、いつも笑っているディアナのことが気に掛かった。

 子供のような彼女だからこそ、その真っ白な心はそれだけ傷付き易いのではないだろうか。眩しい笑みの裏側にある感情をヴィンセントは知らない。

 玩具の心など汲む必要はないと思っていた。自分だけが楽しければ他はどうでも良いと考えていた。

 この一年、ヴィンセントはずっと【ディアナ】を見ていなかったのだ。


「人間って鏡みたいだね」


 ディアナは丸くなるように膝を抱えながらそんなことを言った。

 ヴィンセントが「何がだよ?」と問うと、ディアナは真っ直ぐと青い双眸を向けてくる。


「優しくされると優しくしたくなるし、酷いことされると意地悪したくなっちゃう。だからね、嘘でも優しくなれると良いよね」


 例え偽りでも、続けていけばいつか本当になる。いつか優しさで一杯になる。

 皆がそういう風になれば世界は変わる。そうすれば人間も外法も一緒に暮らしていける。

 夢のような内容を語りながら、ディアナはヴィンセントの手を取った。


「ねえ、ヴィンスくん。わたしと約束しよう?」


 偶然見付けたに過ぎない光が大きな輝きに変わっていた。

 意識する切欠は些細なことだった。

 いつも笑っている彼女の泣いた顔が見てみたいという純粋で、歪んだ気持ち。ヴィンセントは彼女のことを知りたいと思った。

 ディアナのことを理解したい。彼女という人間のルーツに触れたい。

 お気に入りの玩具でしかなかった存在が、いつの間にかに一人の娘になっていた――――。



*☆*――*☆*――*☆*――*☆*――*☆*



 彼女と良く似て異なる青い瞳がじっと見つめてくる。

 ディアナよりも少しだけ淡い空色はやはり怯えをうっすらと内包している。


「どうして髪をなくしてしまわれたんです?」

「なくしたんじゃなくて切ったんだよ。君、僕に喧嘩売ってるのかな」

「い……いいえ、まさか」


 クロエは学習能力がないとしか思えない墓穴を掘る。

 しかし、それでこそクロエだ。相変わらず自分で自分の首を絞めるのが好きで、何とも虐め甲斐がある。


「まあ、良いよ。これはエルフェさんが反省するなら形で示せって言うからなんだ。こういう時は断髪っていうのがセオリーだよね」

「毛先切ったくらいじゃ変わりませんよ? 私みたいに五十センチくらいばっさり切らないと」

「僕が五十センチも切ったらなくなるよ」

「それくらいしないと反省になりません」

「ねえ、やっぱり喧嘩売ってるよね?」

「売ってませんよ。ローゼンハインさんと争っても疲れるだけです」


 そう言ってクロエは隠そうともせずに溜め息をついた。


(醜女は捨てられたくないから尽くすっていうけど、どうなのかな)


 びくびくと怯えながらも以前よりはっきりと意思を主張するようになったクロエを、ヴィンセントは愉快な気持ちで眺める。その気分は見せ物小屋の珍獣を眺める時のものと似ている。

 骨を折られてもその加害者であるヴィンセントに関わろうとするクロエは間違いなく可笑しい。

 クロエのヴィンセントに対する態度は暴力を振るう前と変わらなかった。怯えながらも、慈愛の微笑みを浮かべて看病してくれた。その健気さは、惚れられているのかと男を勘違いさせるほどだ。

 暴言を吐き、拒んでも懸命に尽くす。しかも嫌な顔一つしない。その様を見て誤解しない男はどれだけいるだろう。

 しかし、ヴィンセントは気付いている。

 クロエが向けてくるのは、愛情ではなく同情だ。

 ディアナのように【無関心】ではないにしろ、向けられる感情が哀れみというのは愉快ではなかった。

 哀れみを受けた時点でヴィンセントとクロエはもう対等ではない。どれだけ表面上を取り繕おうと、クロエが優位に立っている事実は変わらないのだ。


(お前に哀れまれるなんて様はないよ)


 ヴィンセントは気にしない振りをしながらも、ディアナと同じ顔のクロエにそうされるのは堪えていた。同時に、惜しくて堪らないと感じている。

 この女は絶対に自分に靡かない。

 どれだけ誑し込もうとしてもそれを受け付けない。澄ました顔で聞き流し、いずれ遠くへ行ってしまう。そう理解したら――手に入らないと分かった途端、惜しくなった。これにはヴィンセントも愕然とした。そして自分の歪み具合に笑えた。


「さて、メイフィールドさん。少し休みたいから出て行ってくれる?」

「寝てばかりだと体力が落ちてしまいますよ」

「こっちは気分悪いんだ。ごちゃごちゃうるさいよ」


 ディアナだったら頬でも摘んで「折角構ってあげているのに」と文句を零すだろう。クロエはそこまでヴィンセントに意見するほど気は強くない。また、ディアナのように突き抜けた独善的感情を持ってもいない。


「じゃあ、失礼します。何かあったら遠慮なく呼んで下さいね」


 ヴィンセントの神経を逆撫でしない程度の粘りを見せた後、クロエはあっさりと引いて部屋を辞した。

 引き際を心得た様子にヴィンセントは面白くない気分になる。

 ディアナのように食い掛かってこなければ面白くない。

 距離を置かれたのは危害を加えた結果なのだが、やはり惜しいことをしたという気持ちになる。玩具を自ら壊してそれを後悔するなんてあまりに滑稽だ。

 荒んだ気持ちで考えていると、ふと耳にこんな会話が入った。


「キミは暇なのか?」

「いきなりそんなことを言うなんて失礼じゃないですか。私はとても忙しいです」

「忙しいんだったらオレなんかの所へこなければ良いじゃないか」

「そんなに私がくるのは嫌ですか?」

「嫌とは言ってない。良いとも言わないけど」

「ど、どうしてそういうことばっかり言うんです!?」


(あーあ、またやってる……)


 今日も繰り広げられる子犬と子猫の戯れ合いに、ヴィンセントはげんなりとする。

 ヴィンセントからすると、クロエのルイスに対する態度もルイスのクロエに対する態度も滑稽なほどだ。

 クロエの認められたいという思いも、ルイスの周りを傷付けたくないという思いも滑稽でしかない。その思いによって救われたヴィンセントは、彼等を認めることはできそうになかった。


(誤解されたって知らないよ)


 同じ病人だというのにクロエはヴィンセントに親身ではない。

 いや、同居人としては親身過ぎるほどなのだが、ルイスと比べると見劣りするのだ。散々暴力を振るってきたのだから当前の結果とも言える。

 だが、何となく面白くない。


(奪っちゃおうかな)


 今度は譲らず、奪ってしまおうか。

 ルイスは博愛主義だ。案外快く譲ってしまうかもしれない。そうでなくとも彼がどんな顔をするのか興味がある。庇護しようとしていた存在が目の前で奪われ、ずたずたに傷付けられたら。


(少しは暇潰しになるな)


 絶対に靡かない女を無理矢理跪かせて尽くさせるのは面白そうだし、それによって寿命を削るような振る舞いをする男をからかうのも愉快だろう。良い暇潰しになりそうだ。

 そこまで考えたヴィンセントは、すぐに否定する。


(……いや……でも、やっぱり)


 気に入った者同士が二人でいるところを見るのが好きなのだ。

 その二人を部外者としてからかうのが楽しい。

 一時の快楽に満足するよりも、先に続くものを残す方が良い。その方が長い人生を退屈せずに済む。

 どうせ彼等は自分より早く死ぬのだ。だったら【面白い】ものをそのまま置いておいた方が良い。






 いつかの夜、二人が愛情と同情の話をしているのを聞いた。

 同情は愛情に変わらないとルイスは言った。ヴィンセントはそれを贅沢な考えだと否定したが、クロエに哀れみを受けてその通りだと思い直した。

 相手を思いやる気持ちから共感が生まれ、理解が成り立ち、愛が生まれる。

 即ち、愛とは相手を思いやる心。

 哀れみは相手の気持ちを取り上げる行為だ。だから哀れみを含む同情が愛情へ変わることは有り得ない。


(やっぱり贅沢だよ)


 興味を持って接し、思いやりをもって関わっている時点で立派な愛情だ。

 それが例え幼い感情だとしても、少なくともクロエはルイスに優しくしてやっている。それに気付かない――いや、気付いているから遠ざけるのか――彼は贅沢者だ。


『だって、独りは寂しいから……』


『世界中を敵に回すことになってもわたしはあなたといるよ。独りは寂しいから、ね』


 やはり二人は親子だ。同じ顔をして同じようなことを言った。


『ヴィンスくん、本当は寂しいんでしょ。構って欲しいから滅茶苦茶なことやってる。そんなに寂しいならわたしが傍にいるよ』


 共にいてくれるというのなら、どうして去ったのだ。

 例え他の誰かのものになったとしても、遠くからその輝きに見惚れていられれば良かった。

 それなのにどうして。

 自分は何を間違えてしまったというのだろう。

 彼女の幸せの為のあの選択に間違いはなかったはずなのに、腹の奥に刃物が引っ掛かったような違和感と後悔が消えてなくならない。


「ダイアナ……」

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